梓「先輩達が修学旅行から戻って来て数日後の雨の日。

  遠くの空がピカッと光ったかと思うと轟音が鳴り響いた。
  近くを歩いていた女子中学生二人組がキャッと抱き合って身を屈めた。
  私も思わず隣の彼女に抱きつきそうになったがなんとか思いとどめた。

  彼女はというと、いつも背負っている相棒が不在でそれどころではないようだ」


梓「唯先輩」

唯「う~……ギー太ぁ」

梓「雷すごかったですね」

唯「心配だよ~」

梓「近くに落ちなかったから大丈夫ですよ」

唯「私にはギー太なしの生活なんて無理だよ……」

梓「ついこの間まで旅行に行ってたじゃないですか。ギー太を置いて」

唯「ああ、何て恨めしいのかしら、この雨」

梓「梅雨明けはもう二週間くらい待たないと駄目ですね」

唯「ちょっと雨が弱くなってきたし取りに帰ろうかなぁ」

梓「明日の朝も雨です……にゃっ!!」

唯「はぁ~ぎぃたぁ」

梓「い、今のは凄く近くに落ちましたね」

唯「あ、あそこのアイス屋さん今日おやすみなんだぁ」

梓「定休日ですからね」

唯「さむーい」

梓「肩濡れてますよ。ハンカチかタオルありますか」

唯「ギー太も部室で一人寂しく寒さに耐えているのかなぁ」

梓「エリザベスも一緒ですけどね。はい、タオル貸しますよ」

唯「私も今夜は寂しい夜を……」

梓「もぉ、しょうがないですねぇ。ほらじっとしててください。拭きますから」

唯「はぁ~っ」

梓「ふらふらしないでくださ……に゛ゃっ!!」

唯「あ、雷? 学校に落ちてないか心配だなぁ」

梓「避雷針があるから大丈夫だと思います。っとすみません。腕掴んじゃって」

唯「うわぁ川の水あふれそう」

梓「そうですね。早く帰りましょう」

唯「ギー太……」

梓「唯先輩、全然私の話聞いてくれませんね」

唯「うぅ」

梓「今なら普段言えないことを言っても構わないですよね。聞いてないんですから」

唯「おうまいギー太~」

梓「じゃあ…………」

唯「あ、ねこちゃん」

梓「私は…………」

唯「雨に濡れてかわいそう」

梓「…………やっぱりむり」

唯「ね、あずにゃん」

梓「はい?」

唯「あの仔猫ちゃん、弱り切ってるみたいだけど」

梓「ですね」

唯「助けてあげなくていいのかな」

梓「大丈夫ですよ。見てください」

唯「あ、お母さん?」

梓「人間の偽善で連れて行かれたら仔猫もいい迷惑ですよ」

唯「厳しいですな、あずにゃん」

梓「唯先輩。やっと私の存在に気付きましたね」

唯「あ、あははは……」

梓「まぁいいんですけどね。でも私が傍にいなかったら唯先輩、きっと車にはねられてましたよ。ふらついてましたから」

唯「あ、ありがとね、あずにゃん」

梓「ギー太ギー太言うのもほどほどにしといてください。危ない人に見えますから」

唯「うん。気を付ける」

梓「どうして突然私に話しかけたんですか」

唯「あの子あずにゃんに似てるなぁって思って横見たらあずにゃんがいたから……」

梓「……唯先輩の中の優先順位はギー太>猫>私なんですね」

唯「そ、そんなことないよ。私、順位なんてつけてない」

梓「無意識のうちにそういうことになってるんですよ」

唯「そんなことない」

梓「無機物や動物に負ける私……」

唯「あずにゃん、やきもちぃ?」

梓「いえ、唯先輩の性癖に呆れてるだけです」

唯「あずにゃ~ん。部室でのウブな反応はどこへ行ったの~?」

梓「何のことですか。もう忘れちゃいましたね」

唯「あ、待ってよー。置いてかないでー」


―――――

梓「長いような短いような夏休みも今日が最終日。

  高二の夏といえば高校生活の中間地点。中だるみの最高地点だ。
  部活に精を出す生徒ならば寧ろ最も充実した時を過ごす時期かもしれないが、私はそっち側の人間じゃない。
  先輩達が受験生だから、という言い訳もあるにはあるが、元からそこまで熱心な部活とは言えないのが我が軽音部だ。
  憂や純と好きなだけ遊んでいた私が先輩達を責められるはずもない。

  おっと、電話だ」

梓『はい』

唯『もしもし? あずにゃん?』

梓『どうしたんですか、こんな時間に』

唯『用がなかったら電話しちゃ駄目かな?』

梓『切っていいですか』

唯『待って! 本当に用事ないけど切らないで!』

梓『まぁ、退屈してたのでいいですけど』

唯『ふぅ。しばらく会ってないけどあずにゃんは変わらないね』

梓『唯先輩も相変わらずみたいで何よりです』

唯『それ、褒めてるの?』

梓『はい』

唯『今年の夏はどうでしたか、あずにゃん』

梓『楽しめましたよ。憂や純と一緒に色々な所へ行きました』

唯『私も一緒に行きたかったなぁ。ねぇどこに行ったの?』

梓『プールに映画に祭りに海に……ていうか憂から聞いてるんじゃないんですか?』

唯『そうだけど、あずにゃんの感想を聞きたいなぁって』

梓『感想ですか。そうですねえ。「普通」っていいなぁと思いました』

唯『どうしたのかな。改まって』

梓『私の常識感覚がこの一年半でかなり狂ってしまったんだと自覚しました』

唯『私達、そんなに変かなぁ。割と普通の女子高生だと思うけど』

梓『一見普通に見えてどこかズれている。それが私達軽音部の日常だと思いますよ』

唯『最近その手のアニメが流行ってるらしいよ』

梓『知りませんよ』

唯『ねぇ海はどうだった?』

梓『いい所でしたよ。去年の合宿で行った所ほどではありませんでしたけど』

唯『やっぱりムギちゃんのとこは違うよねぇ』

梓『プライベートビーチと一般の海水浴場ですからね』

唯『それでそれで? 海ではどうだったのかな?』

梓『どう、とは?』

唯『ナンパされたりした?』

梓『お生憎様です』

唯『どうしてだろうね』

梓『純のご両親に同伴してもらいましたし、それに憂や純はともかく私は……ねぇ』

唯『あずにゃんが、どうしたの?』

梓『言わせないでください』

唯『私だったら水着のあずにゃんを見つけたらすぐに飛びつくけどなぁ』

梓『唯先輩が男だったら無事に新学期を迎えることはできなかったでしょうね』

唯『まぁ楽しんだみたいで何よりだよ』

梓『はい』

唯『あずにゃんの寝顔写真もゲットできたし』

梓『はい?』

唯『憂がくれたんだー。帰りの車の中で撮ったらしいよ。とっても可愛かったから思わず、だって』

梓『憂……何だかんだ言って唯先輩の妹だね』

唯『できた妹を持つと幸せですなぁ』

梓『ええ。憂みたいな妹が欲しかったです』

唯『私が一人っ子だったらどうなってたかな』

梓『自分でしなきゃいけないことが増える分、もう少ししっかりした人になってたんじゃないでしょうか』

唯『あずにゃんみたいに?』

梓『私は別にしっかりしてませんよ』

唯『またまた~。あずにゃんくらいのしっかり者さんはめったにいないよ』

梓『そんなことないです。私はただ、人に頼るのがヘタクソなだけで……』

唯『あずにゃん?』

梓『いえ、何でもないです。そろそろ寝ませんか。明日から学校ですよ』

唯『今日から、だよ~』

梓『ああ、もう日付変わってますね』

唯『またちょっとズれた日常が始まるんだね~』

梓『そうですね。最終回はいつになったらやって来るんでしょうか』

唯『もうちょっとだけ続くと思うよ~』

梓『それはよくない予感がしますね』

唯『あずにゃんは早く最終回が来てほしいの?』

梓『そうですね。いつまでも子供じゃないんですから』

唯『さすがはあずにゃん。意識高いねー。でも』

梓『何ですか?』

唯『でも、私だってそんなあずにゃんの先輩だよ。あずにゃんがどう思ってても』

梓『……じゃあ今日からは真面目に練習してください!』

唯『うぅ……あずにゃん先輩厳しいっす』

梓『……本当は、変わってほしくないんですけどね』

唯『ん? 何か言った?』

梓『無理矢理変えるのはよくないですね、って言ったんです。全く似合ってないのに髪を金色に染めたクラスメートをこの前街で見かけてそう思いました』

唯『あ~そういう子いるよね。どういう心境なんだろうね。夏が人を惑わすのか……』

梓『さぁ? 少女マンガチックな運命の出会いでもしたんじゃないですか』

唯『あずにゃんはその子と友達でいてあげてね。きっと人に言えない悩みごとを抱えているはずだから』

梓『その子と特別仲がいいわけじゃないんですが』

唯『じゃあこれを機に友達になりなよ。ひょっとすると面白い子かもしれないよ』

梓『どちらかというと厄介な子のように思えます。まあちょっと興味は湧きましたが』

唯『そうそう。一期一会だよ~』

梓『しょうがないですね。でも新学期早々遅刻したらイメージ悪いですからそろそろ寝ましょう』

唯『そうだねー。じゃ、おやすみあずにゃん』

梓『おやすみなさい、唯先輩』


―――――

梓「学園祭を一週間後に控えた放課後。

  先輩達のクラスは『ロミオとジュリエット』の劇をやるらしい。
  ロミオ:澪先輩、ジュリエット:律先輩、脚本:ムギ先輩、木(G):唯先輩だそうだ。
  色々と見所があるのは確かだけど、皆さん軽音部のことを忘れてそうでちょっと不安だ。

  部室に来てるのに楽器を手にしないで突っ立っている先輩を一瞥しつつ私は一人ギターを弾く」

唯「しずかなること林の如く」

梓「うるさいです」

唯「動かざること山の如く」

梓「お菓子不足でふらついてますね」

唯「おかしかすめること火の如く」

梓「お菓子を盗むって意味じゃないですよ」

唯「ときこと風の如し、あずにゃんのギタープレイ」

梓「どもです」

唯「あー、動かないって意外と大変だね」

梓「はぁ、そうですか?」

唯「そうだよ。優雅に水面に浮かぶ白鳥も見えないところでバタ足してるものなんだよ」

梓「それはクレイジーですね」

唯「ああー、ギター弾きたいなー」

梓「弾けばいいじゃないですか」

唯「でも木の練習をサボるわけには」

梓「ちょっとくらいサボったってバチは当たりませんよ」

唯「じゃあ歌の練習だけでもしようかな」

梓「わかりました。ふわふわでいいですか」

唯「おっけー。1・2・3・4」

梓「ジャカジャカジャカジャカジャカ」

唯「キミを見てると いつもハートDOKI☆DOKI……」

梓「ジャカジャカジャンジャン」

唯「いーつもがんーばる キーミの横顔……」

梓「ジャンッジャンッジャンッ」

唯「あぁカミサマお願い二人だけの Dream Time ください……」

梓「ジャーン」

唯「ふぅ。うーん久し振りに歌うと気持ちいいね」

梓「私もいい練習になりました」

唯「一人で弾いてても寂しいもんね」

梓「そうですね」

唯「珍しく素直だ」

梓「事実ですからね。しょうがないです」

唯「さすがのあずにゃんも寂しさには勝てないようだね。さあお姉さんの胸に飛び込んでおいで」

梓「さて、そろそろ休憩しますか」

唯「無視しないでよあずにゃ~ん。今の私は縄文杉より雄大なんだよー」

梓「パック○チョでも食べててください」

唯「あむ、もぐもぐ。○アラのマーチがいい」

梓「すいません。ないです」

唯「うぅ。まぁパックンチ○も悪くないね。もぐもぐ」

梓「いろ○すです」

唯「ごくごく。ありがとう」

梓「何だか介護みたいですね」

唯「あずにゃん。将来私の面倒を見てくれるかい?」

梓「それはちょっと……」

唯「がーん」

梓「私の方が早死にするかもしれないじゃないですか」

唯「でも私はあずにゃんに看取られて逝きたいよ」

梓「唯先輩はそう簡単には死なない気がします。っていうかどうしてこんなに暗い話になってるんですか。学園祭前だっていうのに」

唯「あずにゃんが振った話題じゃん。私、唯先輩の面倒をみたいです、って」

梓「そんなこと言ってません」

唯「あ、水もらえるかな?」

梓「はい」

唯「ごくごく」

梓「全く。唯先輩は全然変わりませんね。この一年半ずっと」

唯「そう言うあずにゃんは結構変わったんじゃないかな」

梓「まぁ、そうですね。色々な出会いがありましたからね」

唯「ま、あずにゃんはあずにゃんだけどね。あずにゃんらしさは全然色あせてないよ」

梓「私らしさって何なんでしょうか」

唯「私にもよくわからないや。抱き心地はずっとそのままかな?」

梓「それは嬉しくないですね。成長してないってことじゃないですか」

唯「あずにゃんはこのままでいいんだよぉ~」

梓「唯先輩の好みは関係ありません」

唯「出会いかぁ。そういえばあずにゃん。一年くらい前にみんなでコンビニに行ったときに会った店員さん、覚えてる?」

梓「ああ、確か唯先輩と同学年の……」

唯「今年あの子と同じクラスになったんだ」

梓「そうなんですか」

唯「うん。あの子にはいつもお世話になってるよ。授業中居眠りしてる時起こしてもらったり、お弁当のおかずと購買のパンを交換してもらったり、体育のバドミントンのダブルスで私のミスをカバーしてもらったり」

梓「いい人なんですね」

唯「うん。大好きだよ!」

梓「……出会いですか。そういえば夏休み最後の日に話したこと覚えてます?」

唯「うーんと、確かクラスメートが金髪になってたとか言ってたっけ。その子とはどうなったの」

梓「話しかけてみましたよ。あ、髪は黒に戻ってました」

唯「それで、どんな子だったの?」

梓「話してみると……意外と真面目な子って印象を受けましたね。本当に夏休みのあれは何だったんでしょうか」

唯「そのことについて聞いてないの?」

梓「聞いてないですね。あまり踏み込みすぎるのはよくないと思いましたから」

唯「ふぅん。まぁ友達にはなれたんだよね。よかったじゃん」

梓「ええ。学園祭では茶道部の部室にぜひ来てほしいって言われました」

唯「茶道部なんだ」

梓「はい」

唯「ライブには誘った?」

梓「……はい」

唯「放課後ティータイムのファンが一人増えたんだ。やったね」

梓「ですね」

唯「ライブ、成功するといいね」

梓「成功させるんです」

唯「応援してくれる人がいるしね」

梓「プレッシャーになるからあまりそこは考えないようにしてます」

唯「大丈夫だよ? もう少し力を抜いても。あずにゃんのファンはきっとありのままのあずにゃんを見たいんだよ」

梓「私は唯先輩みたいに強心臓じゃありませんよ。中々不安は取り除けないです」

唯「うーん。あずにゃんがそんなんじゃ私が辛いよ」

梓「えっ?」

唯「あずにゃんには自信満々に演奏して私を引っ張ってもらいたいんだよ。あずにゃんは頼りになるからね」

梓「私、頼りになりますか?」

唯「うん! 自信持って!」

梓「ありがとうございます。じゃあステージ上ではいつでも頼ってくださいね」

唯「おっけー。よーし、学園祭成功のため、練習頑張るぞー。……」

梓「あの、木はいいですから、そろそろギターの練習をした方が……」


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最終更新:2011年04月15日 23:35