梓「この辺りの海にサメはいるんでしょうか」

唯「さぁ? サメを見たいの? あずにゃん」

梓「いいえ。ちょっと気になったことがあるんですよ」

唯「何かな?」

梓「サメって独占欲強いのかなぁって」

唯「それは一体どういうわけで?」

梓「サメって獲物を見つけたらそれを食いちぎるまで執念深く食いついていくものじゃないですか。血のにおいを追いかけるって話も聞きますね」

唯「それが独占欲?」

梓「ちょっと違うのかもしれませんけど、狙った獲物は逃さないっていうのは人間の恋心に通じるものがあるんじゃないかと思います」

唯「あずにゃんは独特の感性をしてるんだねぇ。澪ちゃんもびっくりだよ」

梓「私も酔ってるのかもしれませんね」

唯「ふぅ」

梓「どうしたんですか」

唯「楽しかったねぇ」

梓「そうですね」

唯「あのアトラクションに乗った時の澪ちゃん、すごい驚きようだったね」

梓「驚きすぎて隣の律先輩の首を絞めてましたね」

唯「和ちゃんの眼鏡がびしょ濡れになっちゃってさぁ」

梓「さわ子先生の眼鏡にはヒビが入ってましたね」

唯「ムギちゃんと憂は何に乗っても笑顔が絶えなかったね」

梓「見てるこっちの顔がほころびましたね。純のリアクションも別の意味で楽しく見させてもらいましたけど」

唯「あずにゃんは」

梓「唯先輩は」

唯「最初は何でも平気ですって強気な表情見せて」

梓「最初はビビって乗り気じゃなさそうな表情をして」

唯「でもだんだん我慢できなくなって頼りなさ気な顔して」

梓「やってみるとすぐに馴染んじゃって自信満々な顔して」

唯「弱気な表情を見せるのも一瞬ですぐに立て直して」

梓「強気な表情も長くは続かずにすぐに飽きちゃって」

唯「でもやっぱり怖がりさんで」

梓「やっぱり怖いもの知らずで」

唯「迷惑かけたくないのか凄く小さなサインを出して」

梓「曖昧なサインに敏感に反応して手を差し伸べて」

唯「嬉しかったらさりげなく可愛く微笑んで」

梓「嬉しかったら弾けるような笑顔を見せて」

唯「しまいには手を握ってきちゃうんだよね」

梓「最後には人の手を鷲掴みする始末です」

唯「あれ? 何の話してたんだっけ?」

梓「さぁ、話している内に忘れちゃいました」

唯「酔ってるねぇ」

梓「酔ってます」

唯「もうちょっとだけ頭冷やそうかな」

梓「私もそうします」

唯「うわっ、しぶきが顔に」

梓「だいじょうぶですか。ハンカチ貸しますよ」

唯「ありがとう、あずにゃん」

梓「こちらこそ」

唯「そうだ。酔い覚ましに歌なんてどう?」

梓「いいですね」

唯「じゃあ二人で練習したあの歌でいいかな」

梓「……ああ、あれですか」

唯「ギー太とむったんも連れて来たかったね」

梓「こんなところじゃ弾けませんよ」

唯「それもそうだね。じゃ、準備はいいかな?」

梓「はい」

唯「いくよー。1・2・3」


―――――

梓「放課後ティータイムが一年間の休止期間に入ってから一ヶ月が過ぎた。

  午前10時。私はとあるマンションの802号室の前に立っていた。女子大生の一人暮らしらしく、オートロック完備のマンションだ。
  事前に教えてもらった暗証番号を入力し、インターホンからの返答を受けてマンションに入り、エレベーターで8階まで上った。
  少しドキドキしながらチャイムを鳴らす。
  1秒経つか経たないかのうちに扉が開き、私は例の如く抱きつかれた。

  唯先輩は部屋着のままだった」


唯「よく来たねあずにゃ~ん」

梓「びっくりさせないでください。私以外が来てたらどうするつもりだったんですか」

唯「あずにゃんの気配がしたもん。間違うわけないよ」

梓「何ですかそれ。ていうかその様子だと、今起きたところ、って感じですね」

唯「えへへ、そのとーり」

梓「えへへじゃありませんよ。約束忘れてたんですか」

唯「昨晩は楽しみで眠れなくて。久しぶりにあずにゃんに会えるんだって思ったらいても立ってもいられなくなったんだよ。しょうがないよ」

梓「しょうがなくないです。子供じゃあるまいし。」

唯「ん? あずにゃん、目が赤いけど寝不足?」

梓「……とにかく早く着替えてください。時間がもったいないです」

唯「はいはーい」

―――

梓「ここですか」

唯「そう! ここが私たちの新しい学び舎だよ! あそこに見える講義棟で私達は日夜勉学に励んでいるんだよ」

梓「唯先輩、ちゃんと勉強しているんですか? 今日みたいに寝坊して欠席したりしてませんか」

唯「ないよ! ……今のところは」

梓「澪先輩達に助けてもらってるんでしょ」

唯「当たりです……。みんなのモーニングコールのおかげで何とかやってます……」

梓「しょうがない人ですね」

唯「あずにゃんも気が向いたら電話してくれないかな。あずにゃんの声聞いたら嫌でも目が覚めそうだから」

梓「キンキン声で悪かったですね」

唯「天使のささやきだよぉ」

梓「背筋が寒くなりました」

唯「褒めてるんだよ~?」

梓「そもそも、私は朝っぱらから唯先輩のことなんか考えてませんよ」

唯「私は朝から晩まであずにゃんのこと考えてるよー」

梓「……そこまではいいです」

唯「続いてここは体育館。ここでは毎日多くの学生がバスケをしたり卓球をしたりバドミントンをしたり筋トレをしたりしています」

梓「唯先輩は利用したことあるんですか?」

唯「もちろん。空き時間にバーベルをフンスフンスと持ち上げて鍛えてるよ」

梓「バーベルの棒だけだったりして」

唯「あれだけでも重いんだよ?」

梓「それで? パワーアップしたんですか?」

唯「見てよこの力こぶ」

梓「あんまり変わったようには見えませんね」

唯「じゃあこれならどうだ!」

梓「おわっ!」

唯「だっこ……。ほら、ちょっとだけ浮いたよ」

梓「……そりゃ浮きますよ。こんな勢いよく突進されたら」

唯「お、グラウンドで何かやってるね」

梓「ラクロスですね。いかにも大学って感じがしますね」

唯「へー。あれラクロスっていうんだ」

梓「知らなかったんですか」

唯「どういうスポーツなのかな」

梓「私も詳しくは知りませんね。そういえば以前ラクロスを題材にした映画があったような」

唯「へぇ。面白かった?」

梓「さぁ、覚えてないですね。試合してるみたいだし見て行きますか」

唯「うーん、それより……」

梓「なんですか?」

唯「ご飯食べに行かない?」

梓「そういえば唯先輩朝食とってないんでしたね」

唯「もう疲れて歩けそうにない」

梓「しっかりしてください。近くにオススメのお店はありますか」

唯「学食は祝日はお休みだし……。あ、大学出てから歩いて一分位行ったところに行きつけの食堂があるよ。そこに行こうか」

梓「わかりました」

唯「あずにゃ~ん。おんぶしてー」

梓「いやです」

―――

唯「うん。相変わらずおいしいね、このお店」

梓「そうですね。特に生姜焼きが」

唯「おばさんの得意料理だしねー」

梓「店長さんと唯先輩、仲良さそうですけど親戚か何かですか」

唯「違うよ? 週4くらいで来るしよく話すからすっかり仲良しになっちゃったんだよ」

梓「唯先輩らしいですね」

唯「何が?」

梓「誰とでもすぐに仲良くなるところが」

唯「えへへ、あずにゃんに褒められちゃった」

梓「でも馴れ馴れしいとも言えますね」

唯「どうして一言つけ足すかなぁ?」

梓「ところで律先輩達は帰省してるんでしたっけ」

唯「話逸らされた……。うん。三人共昨日家に帰ったよ」

梓「唯先輩は帰らないんですか」

唯「まぁね。憂はよくうちに来るし、私も結構頻繁に家に帰ってるしね」

梓「頻繁に帰ってる?」

唯「あれ? 憂から聞いてない?」

梓「昨日お姉ちゃんに会ったとかいう話はよく聞きますけど、てっきり憂が唯先輩の部屋を何回も訪ねてるからだと思ってました。休日は私も結構憂の家に行ってますけど、一回も唯先輩に会ってませんから」

唯「私達、すれ違ってたのかもね」

梓「帰って来てるなら教えてくれてもいいのに」

唯「私に会いたかった? あずにゃん」

梓「まさか」

唯「あずにゃんだってあんまり電話やメールくれないよね」

梓「私は……唯先輩だって新しい生活で忙しいのかなと思って」

唯「私も一緒だよ。あずにゃんは新しい軽音部のことで頭がいっぱいなのかなって思ってた」

梓「……すみません。自分のことを棚に上げて」

唯「私も一緒だよ」

梓「会おうと思っても中々会えない。なのに連絡は頻繁にとる。これじゃあ寂しさが募るばかりだと思いませんか」

唯「でもたまには声を聞かないと寂しいよ。電話越しでもいいから。だからねあずにゃん」

梓「これからは毎朝電話をかけることにします」

唯「毎朝は……つらいかなぁ」

梓「じゃあ二日に一度で」

唯「うん。私もこれからはもっと連絡するから。……おばちゃーん、いつものー!」

梓「なんですか、いつものって」

唯「デザートだよ。たい焼きセット」

梓「おいしそうですね」

唯「もちろんおいしいよ~」

梓「ひっつかないでください。ほら、店長さんがニヤニヤしながらこっちを見てますよ」

唯「ダメだよ~。会えない時には電話する。会えるときにはしっかり充電。これをしなきゃ愛が冷めちゃう」

梓「離れてください。全く。結局いつも通りですか」

唯「久しぶりのいつも通りだね」

梓「まぁ、そうですね」

唯「食べ終わったら私のお気に入りの場所へ連れて行ってあげるね」

梓「どこですか?」

唯「大学の敷地の隅っこにある原っぱ。大きな木があるところ」

梓「あ、たい焼きセット来ましたね」

―――

唯「あー、くったくった」

梓「だらしないですね」

唯「いいんだよ。あずにゃんにしか見られてないし」

梓「何ですかそれ」

唯「一人の時はよくここに来るんだー。この木にもたれてギターを弾いたりしてさ」

梓「人があまり来そうにない場所ですね」

唯「まぁねー。ベンチも設置されてないし、お店や自販機も遠いからね」

梓「でも居心地はいいです」

唯「そうなんだよ。ここに来る度にあずにゃんのことが頭に浮んでね」

梓「どうして私なんですか」

唯「安心できる場所、だからかなぁ」

梓「そうですか」

唯「この間なんてここでギターを弾くのに夢中になりすぎてね。警備員さんに声をかけられた時はもう真っ暗になってたよ」

梓「しょうがない人ですね」

唯「別の時はいつのまにか寝てて起きた時は夜だったり」

梓「危ないから気をつけてください」

唯「でも今日はあずにゃんと一緒だから大丈夫かな」

梓「すいません。私もちょっと眠くなってきました」

唯「あっ」

梓「どうしたんですか」

唯「明日が期限のレポートまだやってない……」

梓「もう、しっかりしてくださいよ」

唯「ちょっと待ってて。図書館に本を借りに行くから。その後私の部屋に帰るけど、いいかな?」

梓「私、もう帰った方がよくないですか。お邪魔でしょ」

唯「……できればもうちょっと一緒にいてほしいかな」

梓「しょうがないですね。唯先輩がレポートを仕上げてる間に私は部屋の掃除でもしておきますよ」

唯「おお、ありがとう。ついでに夕飯とお風呂も」

梓「夕飯はいいですけど、お風呂はご一緒できませんね」

唯「別に一緒に入ろうなんて言ってないよ~。汗を流していけばって意味で」

梓「……いいから早く行ってください。時間がありませんよ」

唯「ほいほーい。行ってきまーす」

梓「全くもう……」


―――――

梓「7月最初の土曜日のこと。

  私達は人里離れた豪邸の庭にいた。
  周囲にはフォーマルな服装の男性が多数いて、ビジネスのお話やら高級な娯楽のお話やらで盛り上がっているようだ。
  海外のドラマや映画でよく見るホームパーティーみたいだ。というかここは本当に日本なのだろうか。
  あらゆる意味で一般人の私の想像を遥かに超えた誕生日パーティーだった。

  豪華な料理を遠慮なしに頬張っている彼女は大物と言っていいのかもしれない」


唯「あずにゃん! このチキンおいしいよ」

梓「もうお腹いっぱいです」

唯「そんなに食べてないじゃん」

梓「食べました」

唯「あれ、りっちゃんと澪ちゃんは?」

梓「律先輩は食べ過ぎたみたいで室内で休んでます。澪先輩は付き添いに」

唯「そっかー。私達大学生は普段ひもじい思いをしているからこういう場では気が済むまで食べたくなるものなんだよ」

梓「まぁ、わかりますけど。ほどほどにしとかないとお腹壊しますよ」

唯「大丈夫。私の胃袋は宇宙だから。あ、そのワイン取って」

梓「駄目です」

唯「私お酒結構強いよー?」

梓「まだ未成年ですし、酔い潰れたら厄介です。誰が面倒見ると思っているんですか」

唯「ケチ」

梓「ケチで結構です」


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最終更新:2011年04月15日 23:39