梓「ここにもよく来ましたね」
唯「ムギちゃんがバイトしてたとこだね」
梓「去年の夏休みに何回かここでムギ先輩に会いましたよ」
唯「へー、お客さんとして?」
梓「いえ、働いてました」
唯「え? ムギちゃんは向こうでもバイトしてるんだけど」
梓「こっちに帰って来た時はたまにここの仕事もやるって言ってました。愛着があるんでしょうね」
唯「あずにゃん、そういうことはもっと早く教えてくれてもいいのに」
梓「先輩達はご存知なのかと思ってました」
唯「いくら親しくなっても、お互い知らないことってたくさんあるものなんだね」
梓「先輩達は比較的秘密の少ない間柄だと思いますよ」
唯「そうかなぁ」
梓「羨ましいですよ」
唯「うーん……まぁいいや。それより、ちょっと寄ってかない?」
梓「こんな時間にですか。お腹空いてないですよ」
唯「ドリンク一杯だけでもいいから。ね」
梓「しょうがないですね。お客さんも少なそうですしちょっとの間休憩させてもらいますか」
唯「よーし、いこー」
梓「びっくりしましたね」
唯「うん。まさかムギちゃんがいるとは」
梓「何だかんだ言ってセットを頼んじゃいましたし」
唯「ムギちゃんは商売上手だねー」
梓「従業員が揃いも揃って風邪を引いたそうですね。私達も気をつけましょう」
唯「うん、寝るときは身体を冷やさないようにね」
梓「でもこんな時間にフラフラしてたら明日は体調崩すかもしれないですね」
唯「それはダメだよ。明日はあずにゃんの旅立ちの日なんだから」
梓「もう帰りますか?」
唯「せめて桜高にはお別れを言わなきゃね」
梓「見えてきましたよ」
唯「校門は閉まってるかぁ」
梓「当然ですよ」
唯「じゃあ敷地の周りをぐるっと回ろうよ。この校舎と、ここで生まれた思い出を、じっくり胸に刻み込むんだよ、あずにゃん」
梓「そういうのは卒業式で済ませました」
唯「私もあずにゃんの泣き顔見たいからもう一回卒業式やろうよ。二人だけで」
梓「泣いてませんよ、今年は」
唯「はぁ~、意外と広いもんだねー」
梓「ですね。やっと半周ですよ」
唯「疲れちゃったからもう一度ムギちゃんの店に寄る?」
梓「帰ります。早く帰って寝たいです」
唯「しょうがないなー。ん?」
梓「どうしたんですか?」
唯「見て。校舎の壁の隅の方」
梓「落書き、ですね」
唯「相合傘、だね」
梓「名前見えますか」
唯「見えない」
梓「まぁ、詮索するのは野暮ですよね。あんな所に書いてるんですから秘密にしたいんでしょう」
唯「……やっぱり女の子同士、なのかな。女子高だし」
梓「もしかしたら先生と生徒、とか。……あまり考えたくないですけど」
唯「自分の名前と校外の彼氏の名前を書いた、っていうのもあるかもね」
梓「何にせよ、可愛いものですね。母校に自分がいた証をさりげなく残していくって」
唯「あずにゃんも何か残したりした?」
梓「物は残してませんよ。……ただ、先輩達が残してくれたものは、私も同じように残すことができたと思います」
唯「来年は廃部になったりしないかな」
梓「大丈夫です。軽音部はなくなりません」
唯「そう、よかった」
梓「唯先輩」
唯「なに?」
梓「私、もう放課後ティータイムに戻ってもいいんですよね」
唯「もちろんだよ。……がんばったね、あずにゃん」
梓「はぁ、もうすっかり身体があったまってしまいました」
唯「マフラーが暑苦しくなってきたね」
梓「風邪引くといけないので外さない方がいいですよ」
唯「そうだね。ん、どうしたの、あずにゃん」
梓「ここも思い出の場所、ですね」
唯「あぁ……。あの時のあずにゃんの顔が忘れられないよ」
梓「どの時ですか」
唯「『ゆいあずってどうですか?』」
梓「私そんなこと言いましたっけ」
唯「言ったよ~。ふわふわとぅああ~いむ」
梓「言ってません」
唯「あずにゃん、歌上手になったよね」
梓「そうですか? ありがとうございます」
唯「ここで一曲歌ってく?」
梓「草木も眠ってる時間なんですから止めましょうよ。またの機会に」
唯「マンションの部屋で歌うのは近所迷惑だしなぁ」
梓「どこかいい場所ないんですか」
唯「う~ん、あ、いつか一緒に行ったよね。大学構内の大きな木がある場所。あそこなんてどう?」
梓「いいですね。ここと雰囲気が似てますし」
唯「うん。じゃああそこで『ゆいあず』再結成だね」
梓「はい。暇があれば」
唯「早起きして時間作ればいいんじゃないかな?」
梓「唯先輩には厳しいんじゃないですか」
唯「頼りになる隣人が越して来るから大丈夫」
梓「しょうがない人ですね」
唯「あずにゃんの家だ」
梓「もう私の家じゃなくなりますけどね」
唯「そんなことないよ。ここがずっとあずにゃんの家であることに変わりないよ」
梓「そうであってほしいですね」
唯「時間があったらちゃんと帰って来て、お父さんとお母さんと笑顔で食事するんだよ」
梓「はい。たまには唯先輩も招待しようかと思います」
唯「う~ん、私は……」
梓「いやですか?」
唯「私、あずにゃんのご両親に嫌われてないかな?」
梓「どうしてですか?」
唯「娘をたぶらかした泥棒猫、みたいに思われてないかな?」
梓「ただの先輩としか思ってませんよ」
唯「ならいいけど」
梓「でも確かに私は唯先輩にたぶらかされてるのかもしれませんね」
唯「えー……」
梓「でも」
唯「ん?」
梓「自分で選んだ道ですから、しょうがないです。唯先輩を放っておくのはすっきりしないですから、もう少しだけ付いて行っても構いませんよね」
唯「ご両親は納得してるのかな?」
梓「納得させられるように頑張ります」
唯「そっか。私も出来る限り協力するよ」
梓「じゃあ夕食に招待した時はちゃんと来てくださいね」
唯「うーん……わかったよ」
梓「では、おやすみなさい、唯先輩」
唯「おやすみ、あずにゃん。また明日」
梓「えぇ…………唯先輩」
唯「んー?」
梓「これからも……よろしくお願いします」
唯「……こちらこそ」
―――――
梓「私がN女子大に入学して二週間が過ぎた。
今夜は2,3年生の先輩(唯先輩達はいなかった)が催した新歓コンパだった。一次会は9時頃に終わり、先輩達に二次会に誘われた。
私は二次会にも参加することにした。女の子だけだしそんなに遅くまではかからないだろう、という軽い気持ちだった。
しかし、ついて行った店では他大学の男子学生が数人たむろしていた。聞けば先輩達の知り合いで、偶々居合わせたらしい。
せっかくだから一緒に飲もうという話になった。私は乗り気じゃなかったものの、適当に付き合って帰るつもりだった。
だが先輩達は男子学生と話しこんで中々帰る気配がない。私以外の数人の新入生も絡まれていた。
私は痺れを切らし、門限があると嘘を言ってお金を先輩に渡し、店を出た。
しばらく歩いていたら突然後ろから手首を掴まれた。振り向くとさっきの男子学生集団の一人だった。いかにも軽薄そうな人だった。
ひどく酒臭くてよくわからない言葉を発していたが、断片的に聞き取れた単語を繋げると、どうやらお誘いのようだ。
丁重にお断りをして帰ろうとしたが離してくれない。大声を出してみたが、助けは来ない。まずいと思う間もなく路地裏に……。
突然男の力が緩んだ。そして別の手が私を引っ張り走り出した」
唯「はぁはぁ、ここまで来れば大丈夫、かな?」
梓「……唯先輩」
唯「大丈夫だった? あずにゃん。何もされてない?」
梓「……はい。危なかったですけど」
唯「よかったー」
梓「……どうしてここに?」
唯「バイト帰りにあずにゃんの声が聞こえたから。あんな所で何してたの?」
梓「……新歓コンパの帰りです」
唯「こんな遅くまでやってたの?」
梓「……二次会です」
唯「どうして二次会に行ったの?」
梓「……行ってもいいじゃないですか」
唯「ごめん」
梓「……すみません。二次会に行かなければあんな目に合わなかったのに。調子に乗ってました」
唯「大学生になったばかりなんだから好奇心旺盛なのはわかるよ。しょうがないよ」
梓「……しょうがない、んですか」
唯「これからは気をつけようね。食べ過ぎない。飲み過ぎない。遅くまで飲まない。暗い道、狭い道は避ける。一人では歩かない。必ず年上の信用できる人と一緒に帰る」
梓「……気をつけます」
唯「ほら、元気出して。無事だったんだから」
梓「……唯先輩、格闘技できたんですか?」
唯「ん。えーと、ごしんじゅつ? バイトの先輩のお姉さんがね、ちょっとだけ教えてくれたんだ。一人暮らしの女の子は身につけておいた方がいいって」
梓「……今度私にも教えてください」
唯「いいよー。でも誰にだって通用するものじゃないから気をつけてね。さっきの人は細身だったし、一人だったし、酔っ払いだったし、ふいうちだったから何とかなったんだよ」
梓「……でも……かっこよかったです」
唯「え?」
梓「……何でもないです」
唯「憂たちとは一緒じゃなかったんだっけ?」
梓「……クラスの集まりでしたからね。純はクラスが違いますし、憂は学部が違いますから」
唯「新しい友達はできたかな?」
梓「……ええ。話してみると趣味が合う人が何人かいました」
唯「一緒に食事するとその人の意外な部分が見えたりするからね。飲み会はいいよ~」
梓「……よくないこともありますけどね」
唯「あー……忘れた方がいいよ。教訓にはした方がいいけど」
梓「……私が子供だったんですよ。みんなともっと仲良くなれると思ってホイホイついて行ったから」
唯「子供じゃないよ。仲良くなりたいって気持ちを持つのは悪いことじゃないよ」
梓「……唯先輩は大人ですよね」
唯「え?」
梓「……上手に友達を作って、もしもの時の対策もちゃんと立てて、他の人も守れて」
唯「私だって最初からできたんじゃなくて、この一年の経験があって」
梓「……だから、いやなんです」
唯「あずにゃん?」
梓「……ごめんなさい。唯先輩は今も私が見てなきゃ不安な人だと思ってたのに……。ごめんなさい。思い上がった考えですよね」
唯「あーずにゃんっ」
梓「にゃっ……」
唯「私にはまだまだあずにゃんが必要だよ~」
梓「……そんなこと」
唯「そんなこと、あるよ。ギター教えてもらいたいし、朝起こしてもらいたいし、それに」
梓「……何ですか」
唯「あずにゃん分が足りな~い」
梓「……もう、道の真ん中でひっつかないでくださいよ」
唯「あまりお酒臭くないね、あずにゃん」
梓「醜態をさらしたくありませんでしたから」
唯「醜態?」
梓「一昨年のお花見と二ヶ月前の合格祝い。ひどかったらしいですからね」
唯「可愛かったよー」
梓「そこまで親しくない人に見せられるような顔じゃないと思います」
唯「そういう顔を見せられる人が増えるといいね」
梓「私はそこまで増やしたいと思わないです」
唯「萎縮することはないよ」
梓「そういうわけじゃないです」
唯「視野を広げることも必要だよ」
梓「少しずつやっていくつもりです」
唯「うん、焦らずね」
梓「でもその前に」
唯「なあに?」
梓「そろそろサークル活動を始めたいです」
唯「んー……」
梓「今まで先輩達は私が来ることを拒んでましたよね」
唯「拒んでた、っていうかね」
梓「大体の理由はわかります。サークルを始めるのは今日みたいな集まりを通して同期の友達を作ってからでも遅くない、って考えだったんですよね」
唯「うん。まぁそういうことだよ。最初が肝心だからねー。あずにゃんがしっかり大学生活をスタートさせてから迎えようってみんなで決めてたんだよ」
梓「もう私はスタート地点に立ちましたよ」
唯「うーん、私だけで判断することはできないからねぇ。りっちゃん達に相談しないと」
梓「唯先輩の目から見た私はどうですか? まだ高校生のままですか」
唯「うーん……」
梓「正直に言ってください」
唯「正直に言うと……あずにゃんはまだ危なっかしい子かなぁ」
梓「そうですか」
唯「最初が肝心だからね。今の内に私達以外との交友関係も広げておかないときっと後悔すると思うんだ。もちろんあずにゃんが私達と一緒にいたいって気持ちもわかるし、私達だって同じ気持ちだよ。でも……」
梓「わかりました」
唯「あずにゃん」
梓「もう少しだけがんばってみます。先輩達が不安がらないくらいたくさん友達作って、たくさん遊びます」
唯「でもほどほどにね~。私達のこと忘れないでね~」
梓「忘れるわけないです。何のためにこの大学に入ったと思ってるんですか」
唯「うん。あずにゃんなら大丈夫だね。よーし」
梓「どうしたんですか」
唯「今夜は飲もう!」
梓「もう遅いですよ」
唯「お店で飲むわけじゃないよ。私の部屋においで」
梓「今日は飲みすぎましたからこのへんで」
唯「全然飲んでないでしょ。明日は休みだし、部屋には私と憂しかいないから遠慮することはないよ」
梓「唯先輩」
唯「部屋にお酒残ってたかなぁ。ちょっとコンビニで買ってこうか」
梓「まっすぐ帰った方がいいと思います」
唯「だねー。夜遅いし危ないもんね」
梓「全く危なっかしい人ですね」
唯「えへへ~、すみませんねぇ」
梓「しょうがないですね。ちょっとだけなら付き合います」
唯「やったー! じゃ、いそご。憂が待ってるよ」
梓「うわっと、引っ張らないでくださいよー」
最終更新:2011年04月15日 23:46