梓「おいしいですね。このラーメン」
唯「うん……」
梓「元気出してください。210円×11÷6のたったの385円じゃないですか。毎月21日は210円なんですね、このお店。いいめぐり合わせでした」
唯「うん……。そうだね……」
梓「味噌ラーメンおいしそうですね。少しもらってもいいですか」
唯「どうぞどうぞお好きなだけどうぞ」
梓「元気出してくださいよ唯先輩」
唯「ごめんねあずにゃん」
梓「気にしてませんよ。事故なんですから」
唯「顔大丈夫? 痛くない?」
梓「大丈夫です。ビーチボールですから」
唯「でも……」
梓「私の顔面レシーブのおかげで逆転できたんです。万々歳ですよ」
唯「それならいいけど……」
梓「鼻血は心の汗というじゃないですか」
唯「そうなの?」
梓『もしもし』
唯『やっほーあずにゃん。げんきー?』
梓『はい元気です』
唯『それは何より』
梓『唯先輩もいつもの調子に戻ったみたいで何よりです』
唯『海は人を移ろわせるものなんだよ』
梓『はぁ』
唯『あずにゃんも今日はいつになく楽しそうだからね』
梓『気のせいです』
唯『そかな。ところでもう5時だけど、準備の方はどう?』
梓『順調です。憂と新①と新②は料理を、私と鍵子は広間の飾りつけを、純とドラ美は買い出しに行ってます』
唯『いい旅館に泊まれてよかったねぇ』
梓『ええ。部屋にはキッチンがついてますし。火は使えませんが憂なら問題ないですからね。大広間を貸し切らせてもらえたのもよかったです』
唯『ムギちゃんががんばってくれたおかげだね』
梓『そういえば……今年はどうしてムギ先輩の別荘じゃないんですか。ムギ先輩は自分から理由を話してくれなかったので敢えて私から聞くことはしなかったんですけど。唯先輩は何か聞いてます?』
唯『私も聞いてないよ。でも……うーん、どうだろう』
梓『なんですか』
唯『これは私の予想なんだけどね』
梓『はい』
唯『うんとね。私達は今でこそ現軽音部との関わりが深いよね。部室に顔出したりこうして一緒に合宿したりね』
梓『はい』
唯『でもいつまでもそうしてるわけじゃないよね。私達だって自分の人生があるし、後の世代の軽音部のみんなだっていつまでもOGに干渉されたくはないよね。いつかは縁が切れるし、切らなきゃいけないんだと思う』
梓『私はできる限り切りたくないと思っていますよ』
唯『でもムギちゃんは切りたいんだと思う。だから自分の家の別荘じゃなくて一般の旅館とか海水浴場を自分の力で探したんじゃないかな』
梓『よくわかりませんね』
唯『要領を得ない説明でごめんね。なんて言うのかなぁ。ムギちゃんはね、きっと「自分のことは自分でしなさい!」って言いたいのかも』
梓『……ああ、何となく掴めてきたかもです』
唯『うん。ドラちゃん達はムギちゃんの別荘を知らないけど、だからこそ自分達で行きたい場所を決めることだってできるはずだよ。今回はムギちゃんが探してくれた旅館に泊まるけど、これからはあの子達が自分で探していくはずだよ』
梓『そういえばさっきムギ先輩がドラ美や新①達に話しかけてましたけど、ひょっとするとこれからのことをアドバイスしていたのかもしれませんね』
唯『かもねー。ムギちゃんは4月から色々調べてたみたいだし、かなり詳しいみたいだよ。設備とか安全性とか値段とか時期とかを十分考えた上でここを選んだみたいだから』
梓『でもムギ先輩のお家は承知してるんでしょうか。こんな片田舎に女だけで旅行なんて。SPとか付いて来てそうですね』
唯『まさかぁ。それっぽい人はいな……あずにゃん。少し離れたところでムキムキのおじさん二人が戯れてるんだけど……』
梓『……おかしくはないと思いますよ。私達だって寂びた定食屋に女二人で入り浸ってるじゃないですか。男二人で海水浴に行くことだってありますよ……たぶん』
唯『うん……そうだよね。私達みたいなもんか、うん』
梓『私達みたいと言われるとあまりいい気がしませんね』
唯『あ、りっちゃん達が呼んでるから切るね。あずにゃん達のこと、りっちゃんに怪しまれたらいけないよね』
梓『律先輩はとっくに気付いてそうですけどね』
唯『え、そうなの?』
梓『きっと気付いてないふりをしてるんですよ。私達への気遣いとかいい歳してみんなに祝われることから来る照れ臭さとかがあって知らんふりしているだけで』
唯『そっかー。でもりっちゃんもきっと楽しみにしてるよ。あ、私もね』
梓『期待しててください』
唯『うん、じゃあねー』
梓『また後で』
唯「おお~、すごいね!」
梓「え~、先輩方。本日は私達が催したパーティーに参加して頂きありがとうございます。新入部員の二人は戸惑うことも多かったと思いますが今日は大活躍してくれました。2年生の二人も先輩としての自覚が出てきたのか、後輩をよく引っ張ってくれました。憂と純は企画の段階から私を支えてくれました。澪先輩と唯先輩にも貴重な意見を多数いただきました」
唯「あずにゃ~ん、長いよ~」
梓「(もう少し待ってください)。何よりこんな素晴らしい場を設けてくれたムギ先輩に感謝したいと思います」
唯「あずにゃ~ん。りっちゃんが涙目だよ~」
梓「(最後まで聞いてください)。そして本日の主役。いえ、私達軽音部の主役と言ってもいいかもしれません。私達が出会うきっかけを作ってくれた人。みんなをよく見て、常に場を盛り上げようとしてくれた人。次の世代への橋渡しにも積極的に協力してくれた人」
唯「あらあらりっちゃん照れちゃって」
梓「そんな私達の部長に、お祝いと感謝の意を表すため、本日はこうして場を整えました。では、みなさん。グラスを持ってご起立ください」
唯「んしょっと」
梓「律先輩」
唯「りっちゃん!」
梓「お誕生日おめでとうございます!」
唯「おめでと~りっちゃん!」
梓「かんぱい!」
唯「かんぱーい!」
梓「今夜は盛り上がりましょう!」
―――
唯「…………かぽーん」
梓「……唯先輩、今日はどうでしたか」
唯「楽しかったよ~」
梓「律先輩には喜んでもらえたでしょうか」
唯「もちろん。あずにゃん達の思いは十分伝わったよ。りっちゃんも心の中では涙を流してるに違いないよ」
梓「それならいいんですが」
唯「あずにゃん、不安だった?」
梓「二十歳の誕生日を祝うにしてはちょっと子供っぽ過ぎた気がしますしそれに」
唯「それに?」
梓「あんな恥ずかしいこと言っちゃいました! あ~、後で絶対いじられますよ私」
唯「いいじゃんいいじゃん。今まで以上に仲良くなれたってことで。こういう場じゃなきゃあずにゃんは素直にならないからね」
梓「はぁ。そう捉えることにします」
唯「露天風呂もあるんだね~。本当に何でもそろってる旅館だ」
梓「空が曇ってて残念ですけどね。星も月も見えません」
唯「ん~、でも月は雲の裏側でぼぉっと輝いてるよ」
梓「隠れてないで出てきたらいいのに」
唯「月が?」
梓「はい」
唯「面白いこと言うねあずにゃん」
梓「律先輩もそういう気持ちで澪先輩を表に引っ張り出したんじゃないでしょうか」
唯「う~ん、わかったようなわからないような。要するにりっちゃんは雲を吹き飛ばす風みたいな存在だと」
梓「そよ風にもつむじ風にもハリケーンにもなれる人ですね」
唯「トラブルメーカーだからね、りっちゃんは」
梓「人のこと言えないでしょ」
唯「てへっ」
梓「はぁ、そんなんじゃ後輩達に示しがつきませんよ」
唯「大丈夫だよ、あずにゃんや憂みたいな立派なギタリストがいるんだから」
梓「私は唯先輩のこともあの子達には見てもらいたいです」
唯「ん?」
梓「えーと、世の中には変わった人もいるってことを知ってもらいたいんです」
唯「ひどい」
梓「明日はちゃんと練習しましょうね。じゃないと後輩たちの頭の中にダメなイメージしか残さないですから」
唯「うぅ、わかりましたぁ」
梓「今日はしょうがないですよ。親睦を深めることも大事ですし、私も練習時間は最初から取れると思ってませんでしたから」
唯「あずにゃんらしからぬ発言だね」
梓「私も丸くなったのかもしれませんね」
唯「まるまるあずにゃん」
梓「髪を丸めないでください」
唯「でも胸のふくらみはちょっと丸みが足りな……あたっ!?」
梓「手が滑りました」
―――――
梓「小雨が降りしきる11月の夕方。
私達は学祭の野外ステージで演奏していた。
大学生になって以来初めてのライブ、ではない。ライブハウスやイベントで経験済みだ。
でも「学祭ライブ」に特別な意味を見出しているのは私だけではないだろう。
たとえここが桜高の講堂じゃなくても」
梓(澪先輩の力強い歌声には惚れ惚れする)
唯(ノリノリだね、澪ちゃん)
梓(ベースも歌も上手いのに人前に立つのは苦手。澪先輩のそういうところは未だに抜けきっていない。だいぶマシにはなってきたけど)
唯(曲が始まれば自信満々に演奏するのに普段はビクビクしてるね、澪ちゃん)
梓(何も怖がることはないのに)
唯(今の衣装ならパンチラの心配もないよ)
梓(いいじゃないですか、パンチラも)
唯(あずにゃん、なにニヤニヤしてるの)
梓(気のせいです)
唯(澪ちゃん、あずにゃんが熱い視線を送っているよ)
梓(!? 澪先輩にウィンクされた? どれだけノリノリなんですか澪先輩)
唯(まるでふるさとに帰って来たみたいなはしゃぎっぷりだね、澪ちゃん)
梓(澪先輩にとってバンドは自分のあるべき場所と言っていいのかもしれない。生まれて15年でやっと見つけた自分の居場所)
唯(思えば澪ちゃんとバンドを組んでもう5年目になるのかぁ)
梓(私の想像だけど、澪先輩は放課後ティータイムをみんなに自慢したいって思ってるんじゃないかな。寧ろそうであってほしい)
唯(澪ちゃんが誇りに思えるくらいのバンドになれたかな?)
梓(ここでなら澪先輩は心おきなく叫ぶことができる)
唯(私の歌を聞いて!! って)
梓(澪先輩の歌は唯先輩の歌とはどこか違う)
唯(澪ちゃんの歌は不思議だね)
梓(唯先輩の歌は無秩序に放たれる歌。澪先輩の歌は聞く人の心に絡みつく歌)
唯(甘い香りを放ってるんだよね、澪ちゃんの歌は。だからついつい釣られてフラフラ近寄っちゃう)
梓(澪先輩は……こう言っちゃなんだけど悩みがあるようで悩みがない人だと思う)
唯(あずにゃんがまたニヤけてるよ)
梓(だって悩む必要がないくらい豊かな心を持ってるから。心を決めて手を伸ばしさえすればマイクを掴めるんだから)
唯(それにしても澪ちゃんほんとに生き生きしてるねー)
梓(だから魅力的なんだ、澪先輩は。同じステージに立てることが嬉しい)
唯(あ、澪ちゃんがあずにゃんに微笑みかけた)
梓(これからもよろしくお願いします、澪先輩。私も一緒にいい音を作り上げていきます)
唯(むー、私だって……私だって負けないよー)
梓(どうしたんですか唯先輩。心配しなくても放課後ティータイムは5人です)
唯(あずにゃん?)
梓(私達の歌を聞いて!! って思ってますよ。澪先輩は)
唯(澪ちゃん……!)
梓(さぁ次の曲行きましょう)
唯(よーし)
梓(澪先輩は憧れの人。でももう一人、私が羨望の眼差しを向ける相手がいる)
唯(うん、喉の調子はバッチリだよ)
梓(その人は……新天地に独り身を置くことになってもめげずに自分の居場所を作ろうとした人)
唯(みんな、いい感じだよ)
梓(私も同じような境遇だっただけに余計にその人の姿勢には心惹かれた)
唯(まるで高校時代に戻ったみたい)
梓(好きなことにのめり込むことにかけてはこの人の右に出る人はいないだろう。それこそ唯先輩だって敵わない)
唯(朝から晩までバカやってたあの頃)
梓(あの笑顔は仮面じゃない)
唯(みんないい笑顔)
梓(心底楽しんでる顔)
唯(特に……)
梓(そんな顔を見てると私も笑顔になっちゃいますよ、ムギ先輩)
唯(ムギちゃん)
梓(私もムギ先輩のようになりたい。でも敵いそうにない)
唯(ムギちゃんは私達の中で一番まっすぐな子だ)
梓(作曲したりティーセットを持ち込んだりなんてことを私はやれてない)
唯(同時に一番不思議な子、だと思う)
梓(言葉で場を動かす人ではない。でもムギ先輩はいつも、私達が一つになれるように考えて行動していたように思う)
唯(ムギちゃんはずるい)
梓(当たり前になっていて気付かなかった)
唯(お礼を言う機会を中々くれないんだもん)
梓(私達は餌づけされてたんだ)
唯(ねぇムギちゃん)
梓(音楽がないと笑うことができなくなっていた。いつの間にか)
唯(恩返ししたい、なんて言ったらムギちゃんに怒られそう)
梓(この仲間とずっと一緒にいたいと思えた)
唯(友達だからね)
梓(止まれませんね、私達)
唯(私は、私達はムギちゃんがやめるっていうまでずっと止まらないつもりだけど、どうかな?)
梓(唯先輩、さっきから後ろをチラチラ。ミスりますよ)
唯(どうしたのあずにゃん。もう、心配しないでよ~)
梓(相当ハイになってますね、唯先輩。私も人のことを言えませんけど)
唯(ムギちゃんだって)
梓(澪先輩も律先輩も。まだ2曲目なのに飛ばしますね)
唯(まだまだ行くよ~)
最終更新:2011年04月15日 23:50