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下校時間になり、下駄箱に向かう。

「りっちゃんばっかり格好つけてずるいよぉ……」

「しょうがないだろ、第一唯はクラスが違うし、授業中の手助けはさすがに無理だよ」

「ぶー」

「そう拗ねるなって」

唯ちゃんとりっちゃんがつつき合っている。
そんな二人を眺めていると、澪ちゃんの口から言葉がぽつりと零れた。

「ごめん、ムギ……」

「どうしたの? 澪ちゃん」

澪ちゃんは私から顔を背け一言ずつ、ゆっくりと話し始めた。

「山中先生から色々言われて……それでも私がやる、って言えなかった……
 ちゃんと覚悟は出来てるって、言えなかったんだ……
 結局、律とムギだけに押し付ける形になって……」

遂には足が止まってしまう。
澪ちゃんの無念の言葉。
でも私は「酷い人」なんて思えない。澪ちゃんが謝る必要は無い。
震える手を両手で包む。

「ごめ、ムギ……一番辛いのはムギ、なのに……!」

「いいの。耳の聞こえは、もう変えられるものじゃないわ。
 それに澪ちゃんは私の為に泣いてくれた。もう十分嬉しいの」

澪ちゃんの頭にこつん、と額を当てる。
それで逆にスイッチが入ったのか、澪ちゃんはしばらく泣き続けたままだった。


玄関を出て、校門に差し掛かる。
すると見知った車が止まっているのが見えた。
斉藤が迎えに来てくれたようだ。

「皆、ごめんね。迎えが来てくれてるみたいだから、ここで」

本当は皆と帰り道も話していたかったのだが、斉藤を帰らせるのも悪いと思った。

「そっか。またなームギ」

「ばいばいムギちゃん」

手を振って皆と別れた。
鞄を担ぎ直して、車へと歩き出す。
その途中、私は言い様のない不安に駆られた。
背中からぞわぞわと這い上がってくる不快な何か。
体が震え、歯をカチカチ鳴らし、こめかみを汗が伝う。
斉藤がこちらを伺っているのが分かる。斉藤が車を降りる。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
鞄をその場に落とし、もうすぐ見えなくなりそうな皆の後ろ姿を全力で追いかけた。

「ん? ムギ、っておわぁ!」

りっちゃんに思い切りしがみ付く。

「りっちゃん……りっちゃん……!」

「どーしたんだよ、ムギ?」

怖い。学校であんな話をしたせいだ。
さっきのような何気ない別れの挨拶。
もし今日の夜に聴力を失ってしまったら、あれが私の記憶に残る最後の言葉になってしまう。
そんなのは嫌だった。
特別に皆が意識しなくてもいい。ただ私が常に皆の言葉をしっかりと脳に詰め込んでいたい。
でなければ、私は耳が聞こえなくなってから皆の声が聴きたくなってしまうはず。
皆に縋り付きたくなってしまうんだ。

「なんだったら、毎晩ムギと電話しようか?
 モーニングコールをしてもいい。
 そんなすぐに聞こえなくなったりはしないんだ。だから大丈夫だよ、ムギ」

しがみ付いたままぽつりぽつりと自分の気持ちを話すと、りっちゃんは優しく頭を撫でて言ってくれた。
今日はずっと一緒に居ようか、とまで言われたけど、さすがにそこまで頼む訳にはいかない。
涙を拭い、りっちゃんから離れた。

「……ありがとう、りっちゃん。
 ちょっと、急に不安になってしまったの……」

「もう大丈夫か?」

自身の頬を両手で引っ叩き、拳を胸の前でぐっと握る。
皆も安心してくれたみたいだ。

「じゃ、またな」

「ムギ、また明日」

「ばいばいムギちゃん」

皆ははっきりと、私に届くように挨拶をしてくれた。
鼻を啜り、「また明日!」と大きく声を出す。
私は皆が見えなくなるまで、ぶんぶん手を振り続けた。


携帯の振動が着信を告げる。
皆と別れた後、車に揺られてぼーっとしていた私は、軽く目を擦りディスプレイを確認。
唯ちゃんからだ。

「……もしもし」

……返事がない。何かあったのだろうか。ディスプレイを見ても通話中のままだ。
と、そこまで考えてようやく気付いた。
右耳に当てて聞こえるわけがない。
あれから電話を使うのは初めてとはいえ、何をやっているのか、私は。
軽く息を吐いて、左耳に当てる。

『ムギちゃん! 大丈夫!?』

「……大丈夫よ」

『びっくりしちゃったよ~……』

驚くのも無理ないか。
つい先ほどの事。あんな事があってその帰り道に耳が聞こえなくなった、なんて笑えない。

「ごめんなさい。それで、どうしたの?」

『えっとねぇ、ムギちゃん、もう家に着いちゃった?』

というわけでもない。
まだ道のりの半分も行っていないのではないか。

「ううん、今はまだ車よ。どうしたの?」

『夜はりっちゃんが電話するみたいだから、とりあえずその前に私が電話してみました!』

「そうなんだ、わざわざありがとう、唯ちゃん」

そういう思いつきの行動、実に唯ちゃんらしい。

『気にしないで。それで、何を話そうかなって思ったんだけど、どうすればいいかな?』

考えてないんかーい、とちょっと憧れていたツッコミを心の中で入れる。
唯ちゃんは本当に楽しませてくれる。

「そうねぇ……明日はお菓子どんなものが良い?」

『ちょうど考えていたのがあるよ! カステラ! その次の日は大福でどう!?』

カステラ、大福。っと。メモにペンを走らせる。

「うん、探しておくね。もし無かったらまた連絡を入れるから」

「ありがとねぇムギちゃん……次の話題は?」

笑みが零れる。本当にこの子は……
少し考えて五秒。浮かんで出た話題は至って普通の物ばかり。
それでも時間を忘れて会話を楽しむ事が出来た。

「もうすぐ家に着くから……」

「そっか。分かりましたー」

結局、唯ちゃんの脳を蕩けさせるような声質に、笑顔が絶えることはなかった。

「また明日ね。ムギちゃん」

「……うん、また明日」

耳に強く当てて、しっかりと聞く。
虚しいツー音を聞いても、心は重たくならない。
携帯を鞄に仕舞い込み座席に体を預け、運転席に声を掛ける。

「斉藤。遠回りしてくれてありがとう」

「はて、何のことか分かりかねますが……?」

多分、斉藤はこれからも恍け続ける気がする。

その日から、私は今まで以上に力を入れて皆の声を聴くようにした。
本当に全部残すつもりで。全部刻み込むつもりで。



冬休み前。
この頃になると私達は、語彙に乏しくはあるものの日常会話に於いてはある程度可能なくらいに手話を習得した。
本当に、皆が私の為に頑張ってくれたおかげだ。
それに合わせるかのように聴力は落ちていき、もう細かくは聞こえない。
こういうことを口にするといつも唯ちゃんに怒られるのだが、聴力を失う覚悟は出来ている。

皆には内緒なのだが、私は町の手話教室に参加しており、色々な方と話す機会が増えている。
その中で聞く話では、『徐々に耳が聞こえなくなっていくことへの不安が大きく、荒れた時期があった』という人も多かった。
それでも私がこうしていられるのは、やっぱり皆のおかげだ。
怖くはあっても、絶対に受け止める。


「軽音……やろう?」

そんな提案が出来たのも、私が変わったからか。
皆が敢えて触れようとしなかったこと。
それは今軽音部が軽音部でないこと。

「軽音の為にある軽音部だから、ね?
 ほら、武道館を目指さないと……」

「そうだけどさ。ムギは良いのか?」

「私はもう十分。助けてくれて本当に感謝してるの。
 今度は私が皆にお返しをしたい。
 演奏だって、頑張れば出来るかもしれない。何回も練習して体に覚え込ませたらきっと大丈夫。
 もし出来なくても作曲を頑張るから。ほら、ベートーヴェンだってそうだったじゃない?」

皆の黙ったまま。
ひょっとして私が無理をしていると思われているのだろうか。
あまりの沈黙に喉が詰まりそうになる。

「……私の耳に気を遣わなくてもいいの。
 今、もう会話に問題は無いから、元の軽音部に戻れるのよ?
 りっちゃんも、澪ちゃんも、唯ちゃんも……好きだった軽音をもう一回やり直せるから……」

ようやく、りっちゃんが顔を上げ、言った。

「ありがとな、ムギ。
 ただ、やるからには皆が良い。
 私達はお返しが欲しくてやったんじゃないから」

「だからムギちゃんも、私達にお礼とか言わなくてもいいよ。
 私も皆が居て放課後ティータイムだって思ってる。
 一緒に頑張ろ!」

お返し……確かに義務感はあったのかもしれない。
私のせいで皆の部活動の時間を使わせたのは確かだったのだから。
それでも私を放課後ティータイムの一員として認めてくれている。
だったら精一杯頑張って皆とライブを成功させることが、きっと恩返しになるんだろう。


全員が楽器を準備し、演奏態勢を取る。
久しく触っていなかった鍵盤。
指を乗せて押し込むと、音が鳴らない……違う。聞こえないんだ。
正確に言えば聞こえているのだが『何か音が鳴っている』だけであって、聞き取れてはいない。
音量を上げるライブ時なら多少はマシになるかもしれないけど。

りっちゃんがスティックを打ち鳴らし、それに合わせて演奏スタート。
手は自然に動いてくれる。演奏自体に問題は無い……と思うのだけど。
自分がミス無く演奏出来ているかがいまひとつ分からない。
皆とリズムが合っているのかがいまひとつ分からない。
すると、澪ちゃんの手が視界に入る。

「ご、ごめんなさい……やっぱり、演奏出来てなかった……?」

澪ちゃんは大慌てで手を振る。

「そうじゃなくて……唯が……」

「……え?」

唯ちゃんの首がギギギと回り、変な汗をダラダラ垂らした顔でこちらを見る。

「……忘れちゃった……」

今のは手話が無くても読めた。


やはり久しぶりということもあって、皆の調子は宜しくない。
一先ず、私達は別々に練習をすることにした。
唯ちゃんは澪ちゃんに教えてもらい、私とりっちゃんはリズムキープ。
特に問題は無さそうなのだけど、やはり聞こえないのは辛い。
物言わぬメトロノームを一人で相手にするのが苦痛になり、堪らずりっちゃんに助けを求めようとする。

りっちゃんはヘッドフォンを着け、鞄をバスバスとひたすら打ち続けていた。
その表情は真剣そのもの。最近りっちゃんによく見られる顔だった。
話しかけることが出来ず立ち竦んでいると、りっちゃんが気付いたのか、目が合う。

「どうした、ムギ?」

「見てもらいたいな、って思ったんだけど……邪魔しそうで声をかけ辛くて……」

りっちゃんはヘッドフォンを外し、ドラムの前に構える。

「澪ー、ちょっと音出すぞー」

澪ちゃんは簡易手話で「OK」と短く返事をした。
横に座って頭を抱えている唯ちゃんを見る限り、授業は難航しているようだった。


「よく考えたら、ムギは自分がどんな演奏してるか、聞こえないんだもんな。
 ごめん。気付かなくて」

「気にしないで。私も、こんなに不安だなんて最初は思わなかったから……」

ドラムスティックが打ち鳴らされる。
それに自身のリズムを乗せ、鍵盤に指を走らせる。
ちらりと見たりっちゃんの表情からは何も感じ取れず、不安に襲われてしまう。
あらぬ方向に指が滑り、叩き間違い。そこで慌ててしまい一気に崩れた。
ミスを連発し、そちらを意識するあまりリズムも合わなくなってしまう。

まだ始まったばかりなのに、それ以上鍵盤に触れられない。
あまりの情けなさに堪えられなくなり、指を止めてしまった。腕は力無く垂れ下がる。

なんてザマだろう。私から言いだしたことじゃないか。
だけどどうしようもなく怖い。
こんな状態でライブ?そんなの想像もしたくない。
きっと間違える。でも私は間違いに気付かない。観客がそれを聴いて会場は嘲笑の渦。
野次が飛び、りっちゃん達を巻き込んで、それなのに私は――

俯いた視線の端にりっちゃんの足が映る。
あぁ、きっと怒ってる。近い。殴られでもするのだろうか。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

しかし、りっちゃんは私の手に触れ、視界に入ろうとその場に膝をつく。

その優しい瞳が、動く唇が、包み込んでくれる手が、『大丈夫だよ』と伝えてくれた。
そのまま、立ち上がったりっちゃんに抱きしめられる。
耳元に感じる吐息。私を安心させるために何かを喋っていてくれるんだろう。
でももう私は分からない。せめてもう少し聞こえていた頃にして欲しかったな。

不意にりっちゃんが離れる。

「頑張れるか?」

「……うん」


自宅に帰ってからも練習を続けた。
とりあえず徹底的に弾き続け、ミスとリズムの狂いを無くす。
その後、他の人に聞いてもらい調整する。
正直、ここ最近の流れで脳の容量はもう一杯一杯だったのだが。


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最終更新:2011年04月18日 23:10