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「よし……!」

梓ちゃんと話が出来た。しかも紙や携帯電話を介さず。
そしてそのことを彼女は嫌がっていない。
私は、誰にも見られないように壁の方を向き、小さくガッツポーズをした。

楽しかった。本当に楽しかった。

「遅くなってごめんなさい」

「やっぱり時間掛かっちゃった?」

「ふふ、そうなの」

心躍るようだ。
自分で気付かない内に、傍から見ればかなり不審な動きをしていたのかもしれないくらい。

『良かった。ムギが、健聴者から離れなくて。
 そういう人、多いって聞いた』

『楽しかった。だから、大丈夫よ』

皆との距離を感じた時もあったし、健聴者を避ける理由も、聴力を失う前後で性格が変わることも分かる。
でも、ここ最近の心変わりの早さには驚いている。
梓ちゃんを迎え入れてライブを、あの虚しさしか残らないライブをしたいなどと。

「待ってもらってごめんなさい。食べましょう?」

クリームパンを齧る。
そういえば、梓ちゃんは何のパンを買ってたんだろう。
それと、読話はもう少し真面目に練習しておかないと。

「ムギちゃん、今日のお菓子は?」

「それは部室に着いてからのお楽しみよ」

唯ちゃんはあれこれ妄想を膨らませているようだ。
目を輝かせたかと思えば蕩けたり。
今日は、まずティータイムからだろうか。
いつもはそれを提案するりっちゃんは黙ったままだけど。

基本的に、階段など危ない場所を移動する時に手話は行わない。
手元に集中するあまり、注意が散漫になるからだ。
その為、この場合に限っては黙って階段を上る。
すると、見上げたその先、踊り場の窓に映る人影を見た。
思わず階段を駆け上がる。

「梓ちゃんっ!」

声を張り上げ、彼女の元へ。

「来てくれたのね! ありがとう……!」

早速部室へ案内しようとするが、梓ちゃんは階段の方を見つめたまま動かない。
……りっちゃんか。

二人の距離が徐々に縮まり、向かい合ったまま。
まさに一触即発とはこのことだろうか。
不安になり、思わず口を挟んでしまいたくなる。

しかし彼女達はそのまま、同時に頭を下げた。

『これって……?』

『うん、仲直り』

二人の会話は全く読めず、唯ちゃんから聞いた事情は一言。
なるほど、二人の顔を見るに本当にそうらしい。
元々今回の問題は、もう少し冷静に話し合えば解決するものだったし。

「梓ちゃん、どうぞ」

全員分の紅茶とお菓子を用意する。
彼女は軽く礼をすると、そのままちびちびと飲み始めた。

「どうかしら?」

『美味しいですよ。といっても紅茶を飲んだ経験がほとんど無いので、他と比べたりは出来ないんですが……』

「ありがとう。種類は色々取り寄せてあるからいつでも言ってね?」

割と熱心に飲むものだから、どうやら本当のようだ。
まるで小動物のように少しずつクッキーを頬張るその様子が、とても可愛く見える。

『このお菓子、どこで買ったんですか?』

……どこだっただろう。
あまり確認していなかった。確かヨーロッパのどこかだったようななかったような。

「えっと……忘れちゃった」

澪ちゃんの手が動く。

「ところで中野さん、書くの速いな」

「そうね、それにすごく読み易いと思うわ」

『これぐらいが普通じゃないんですか?』

軽く言ってくれるが、これは一種の才能なんじゃないだろうか。
ノートテイクに求められる物を持っている。

「んじゃ、そろそろ練習にするかー?」

今までと違い、皆がこうやって積極的に練習をするようになったのは、私の事があるからだろうか。
私はとにかく時間を掛けて手から演奏を離さないようにしなければ、演奏が出来なくなってしまう。
そんな気遣いが嬉しくて、嬉しくなくて。

「中野さんはどれくらい弾けるんだ?」

『大した事ないですよ』

「と言う人ほど、凄いことがよくあるんだよね」

梓ちゃんははにかみながらギターを取り出す。
そのギターがまた、梓ちゃんのイメージと見事に噛み合っていた。

「何か、弾いてもらってもいい?」

困ったような顔をされた。当然か。
耳が聞こえない人に聞かせようとすることに、疑問は拭えないだろう。
それでも、と催促すると、彼女は手を動かし始めた。

その動きを目で追う。
動きは滑らかで、先ほどまでの表情の硬さはもう表れていない。
目線は手元に置かず、あくまで正面を捉えている。
耳は聞こえなくとも、熟練者であることがよく分かった。

「びっくりした。上手だね」

「唯以上だなこりゃ」

皆の反応も上々らしい。
梓ちゃんの口が動く。『両の手が塞がっている時、会話はどうすれば』らしい。

「その時は普通にしてくれればいいよ。私達が通訳するから」

『でも、私も手話を覚えた方が』

「いいのよ、梓ちゃん。
 私みたいな失聴者は確かに少数派だから、周りの人達とか制度に適応していくのは難しいけど、
 梓ちゃんとは一対一のコミュニケーションじゃない?
 私達二人だけで納得出来る付き合い方がしたいな、って思うの」

手話の習得を無理強いしたりはしない。
人には向き不向きがあるし、それは仕方ないだろう。
その為にも読話の習得を頑張らなければならないのだが、実用となると先が全く見えない。

「ムギと一緒に、一番楽に付き合える方法を色々探してやってくれ。
 もう仲が良いみたいだし、二人なら上手くやっていけると思うんだ。
 もちろん、私達も手伝うよ」

梓ちゃんはゆっくりゆっくりと、言葉を探すように話し始めた。

『一つだけ、失礼なことだと思いますが、聞かせてください。
 琴吹先輩は、どうやってキーボードの演奏をしていたんですか?』

それは確かに聞きにくいことだ。

皆が一斉に私を見る。
思えば、そんなにはっきりと話したことはない。

「他の人と、何も変わらないわ。
 譜を覚えて、手の動きを覚えて、演奏する。
 それでも耳は聞こえていないから、人と合わせるっていうのは出来ないけど……
 皆が、助けてくれるの」

誰も口を開こうとしない。
自分が発する言葉から、無理もないことは重々承知している。
それでも私は続けた。

「ライブの時も、何も聞こえていなかったわ。
 ……それで楽しいのか、って思う?」

梓ちゃんは目を逸らす。図星か。

「私が耳を悪くしてから、皆で手話の勉強をすることになって、軽音部らしい活動が全然出来なかったの。
 だから、少しでも軽音部として皆をお手伝いすることが、今の私の目的……かしら。
 幸い、その気になれば演奏出来るって、新歓ライブで分かったから」

横から腕を強く掴まれる。
りっちゃんの口が『もうやめろ』と言っていた。

「……ごめんなさい。少し、頭を冷やしてくるから。
 皆、梓ちゃんを責めないで」

これ以上は駄目だ。
間を置かないと。

廊下に出ようと、皆の脇をすり抜ける。
静止の声が上がっても、私は気付かない振りが出来る。
そんな事を当たり前に考えるようになってしまった。


後ろ手に扉を閉め、そのまま廊下に座り込む。

私は最低な人間だ。
折角、梓ちゃんが戻ってきてくれたのにまた壊した。
こんなつもりじゃなかったのに、吐き出される言葉を止めなかった。

同情してもらいたかった? それとも八つ当たりのつもりだった?

私は、こんな嫌な奴だっただろうか。
本当に、駄目だ。駄目過ぎる。
仕方ないことだってわかってる。もう私の耳は戻らない。健聴者の人とは違う。
なんでこんな目に。先天性の人が羨ましいなぁ、今まで有った聴力を失う怖さを知らなくて。

顔を覆う手に、徐々に力を込める。
ぷつぷつと、嫌な感触と共に爪が額に食い込み始める。
指の滑る方向次第では、眼球をくり抜きそうな勢いで。
とりあえず身近な所から壊してみよう、視力からはどうだろう?

赤い爪が眼球に触れる前に、後頭部を扉に叩きつける。くらくらした。
拳を強く握り、衝動を必死に押さえつけた。


扉が開き、皆が飛び出してくる。
自分なりに考えて、口から出た本心は、

「ごめんね、皆。もう心配しなくても大丈夫よ」

色々な解釈を招きそうで、到底納得されないであろう言葉だけだった。



翌朝。なんだかいつもより早く学校に着いてしまった。
玄関で上履きに履き替える。

「梓ちゃん、おはよう。今日は早いのね?」

いつの間にか隣に居た梓ちゃんに声を掛ける。
すると、紙を渡される。
手紙と一緒に『これ、読んでください』の文字。
確かにメールアドレスを教えていなかったのもあったけど、手紙とはなかなか古風な子だ。
彼女はそのまま、いつもよりも深く頭を下げてその場から去って行った。


教室には誰も居らず、気兼ねなくその場で手紙を広げることが出来た。


『琴吹先輩へ

 昨日は私のせいで、先輩方全員を傷付けてしまいました。
 初めて軽音部の皆さんと会った時も、私は問題を起こしていましたよね。

 それでも琴吹先輩は私を責める事も無く、話しかけてきてくれて、軽音部に迎えてくれたのに、
 こんな結果になってしまって本当にごめんなさい。
 他の皆さんも琴吹先輩も、「気にしないで」と言ってくれましたが、
 それでも私が失礼な事をしたのだから、どうしても謝りたかったんです。

 琴吹先輩に誘って頂いて、とても嬉しかったです。
 そしてこれからも、先輩の事をもっとよく知りたいと思っています。

 私は今まで耳が聞こえない人と接したことが無くて、何か失礼なことを無意識にしてしまうかもしれません。
 それでも私は、他の皆さんみたいに、もっと琴吹先輩に近付きたいです。
 私を軽音部に居させてください。お願いします。 』


最後に書かれた、『中野梓』の文字が何だかぶれていて。
わざわざこんなことをさせるくらいに、私は彼女を追い詰めていた。

手紙を丁寧に折り畳み、ふぅーっと息を吐き出す。
梓ちゃんに会いに行かなきゃ。
教室を飛び出そうとすると、廊下に居た人物とぶつかりそうになった。

「大丈夫か?」

「ええ。ありがとうりっちゃん」

「昨日のこと、だけど……」

りっちゃんも気まずそうだ。

「ちょっと、伝えにくいんだけど……」

「りっちゃん、言い辛かったら無理に言わなくてもいいのよ?
 勢いに任せて言ってしまったら、それは変に伝わってしまうかもしれないもの」

何か、伝えたいことがあるのはきっと澪ちゃんも唯ちゃんも同じはず。
でも今はまだ受け取るわけにはいかなかった。
それに、私だって昨日の事は……。

「聞こえないからって、何でも伝えてって言ってるわけじゃないから」

それでまたこういう言葉が出る。
きっと私は耳の聞こえ以前に、元の性根があまり宜しくはないんだろうな。

「あ、それとりっちゃん。おはよう」

横をすり抜け、梓ちゃんの元へ向かった。


未だ人がほとんど居ない校舎を歩く。
確か山中先生に補聴器の事を報告した時もこんなだった。
あの時から色々変わったけど、それでもこの空間はこんなに綺麗なままで。

扉に手を掛ける。
余所のクラスの扉を開けるのには、どうしても勇気が必要になっちゃうな。
中には梓ちゃんだけが居た。


「手紙、読んだわ」

どうやら彼女は、余計な事は言わずにただ私の返事を待っているらしかった。

「もう……梓ちゃんは卑屈になり過ぎよ?
 『ごめんなさい』とか『軽音部に居させてください』とか……」

私も含め、誰も気にしていないことをいつまでも引き摺る必要は全くないというのに。
とはいえ真面目な彼女のことだ。
手紙にもあったが、改めて迎え入れてくれた日に問題が起きてしまった事を悔いているんだろう。

「それでも後半に関しては同意見なの。
 私も梓ちゃんのことをもっと知りたいし、梓ちゃんには軽音部に居てほしいわ」

『ありがとうございます』

「さて、じゃあもう後腐れの無いように、梓ちゃんの疑問を全部ぶつけてみて?」

『どういう意味ですか?』

「私の耳に関して分からないことがあれば、今ここで全部聞いてしまってね」

未だ人がほとんど居ない校舎を歩く。
確か山中先生に補聴器の事を報告した時もこんなだった。
あの時から色々変わったけど、それでもこの空間はこんなに綺麗なままで。

扉に手を掛ける。
余所のクラスの扉を開けるのには、どうしても勇気が必要になっちゃうな。
中には梓ちゃんだけが居た。


「手紙、読んだわ」

どうやら彼女は、余計な事は言わずにただ私の返事を待っているらしかった。

「もう……梓ちゃんは卑屈になり過ぎよ?
 『ごめんなさい』とか『軽音部に居させてください』とか……」

私も含め、誰も気にしていないことをいつまでも引き摺る必要は全くないというのに。
とはいえ真面目な彼女のことだ。
手紙にもあったが、改めて迎え入れてくれた日に問題が起きてしまった事を悔いているんだろう。

「それでも後半に関しては同意見なの。
 私も梓ちゃんのことをもっと知りたいし、梓ちゃんには軽音部に居てほしいわ」

『ありがとうございます』

「さて、じゃあもう後腐れの無いように、梓ちゃんの疑問を全部ぶつけてみて?」

『どういう意味ですか?』

「私の耳に関して分からないことがあれば、今ここで全部聞いてしまってね」

「他には、何かあるかしら?
 演奏に関しては昨日言った通りだし、学校での事は、基本的には皆に通訳してもらっているわ」

『特にありません。ありがとうございました』

「ふふ、お礼を言われるようなことはしていないのよ?」

辺りを見ると、生徒が大分集まってきたようだった。
見知らぬ人物ばかりの教室に居るのは、少々緊張してしまう。

「それじゃ、そろそろ私は教室に戻るわ。
 また放課後にね?」

『はい』

「あ、大事な事を忘れてた」

一旦向けた背を返す。

「名前の呼び方。皆からは『ムギ』って呼ばれているから、梓ちゃんも『ムギ先輩』とかで呼んでくれたら嬉しいな。
 他の皆からのも、梓ちゃんからの呼び方も、この際変えてしまいましょう?」

実はずっと気になっていた『琴吹先輩』という呼ばれ方。
まずは呼び方から。前面で出る部分から変えることで、自然と距離が縮まるだろうと思った。

『ム、ギ、せ、ん、ぱ、い』

朝日が射す教室で、頬を赤らめ、若干目線を逸らしながら、口を動かす。
その姿はまるで、ロマンチックなシチュエーションで、想い人に告白をする不器用な少女そのもの……って、いけないいけない。

「なぁに?」

『また放課後、部室で。
 これからもよろしくお願いします!』


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最終更新:2011年04月18日 23:19