仕方がない。
本当ならこんな人、話すだけでも嫌なのだが、事情を説明してさっさとご退場願おう。
知って尚、初対面の厄介者と関わろうとする度量はなさそうだし。
髪を掻き上げ、補聴器を晒す。
と、私の補聴器を見つめる男性の背後に映るのは、私の待ち人だった。

「すんませーん。その子耳が聞こえないんですよ。
 口説きたかったら手話を勉強して出直してくださいね」

いこーぜ、と私の手を握りそのまま歩き出すりっちゃん。
唖然とした表情の男性を置いたまま。


「遅くなってゴメン」

「ううん、助けてくれてありがとう」

手を引かれ、その場を離れた先のこと。
内容は助けた、とは言い難いものだったが、あれがあの状況での最善の策だっただろう。
あんなのに、一々構っていられない。

「じゃ、回ろーぜ。はい」

りっちゃんは、ごく自然に手を差し出してきた。

「なぁに?」

「だから、手、繋ぐんだよ。逸れたら大変だろ? ほら、特にムギの場合はさ」

それは尤もで。おずおずと差し出した手だったが、りっちゃんの手が素早くそれを引っ掴む。

「行きますか。ムギ隊員!」


内容としては極々普通の屋台巡りだ。
どちらかといえば食事が中心だったけど。

りっちゃんはずっと私と繋いだ手を離さず、屋台の人達の反応は『奇異の目』に尽きる。
それでもりっちゃんは気にせず……というより話題に出さず、ただ明るく居た。
私は半ば引っ張られるように、でも楽しんでついて行って、ある程度お腹が膨れた辺りのこと。


「ここに、座って」

そう言ってりっちゃんは、一足先に草むらに腰を下ろす。
周囲の明かりは若干弱く、隣のりっちゃんの表情は読みにくい。
そのまま口を開こうとはしていないりっちゃんに、聞いてみた。

「……大切な話、って、なんだったの……?」

「やっぱ聞いちゃうんだなー」

もしかしてこのまま無かったことにするつもりだったのか。
こちらとしては、りっちゃんとのデート以外に、「大切な話」の方も大事だったのだけど。

「ムギの耳が聞こえなくなってから……私なりにいろいろ頑張ったよ。
 なんとかムギに触れるようになろうとして、苦手な勉強も頑張った。
 夏休みが終わったら文化祭で……あれからもう一年が経ってしまうんだよな。
 私、ちゃんとやれてたか? こんなでも、ムギの事、一番に考えてやってきたつもりなんだ」

「たまに、暴走しちゃうところもあるけど、ね? りっちゃんは立派。
 しっかりやれてなくても、私は変わらずにりっちゃんと一緒に居たい、って思ったはずよ」

そう、本当だ。
何度も彼女は、私を助けてくれた。救ってくれたんだ。

「りっちゃんのこと、好きに決まってるわ。
 離れろ、って言われても離れないんだから」

りっちゃんはそのまま地に背を預ける。
額に手を当て、笑っていた。

「サンキュ、ムギ。
 じゃあ、今日誘った一番の理由な」

上体を起こし、空を仰ぐ。
その姿のなんと様になることか。

「本当は、賭けなんだ。
 でも、私は信じてる」

話が読めず。

「私は、ムギと一緒にこれを見に来たかった」


りっちゃんが夜空を指差す。
一筋の閃光が空に向かって一直線に伸びてゆき……
大きな花を咲かせた。
ぱぁっと広がる光の羽。どうやらここは距離も近いらしく、その迫力は凄まじいものだった。


どおぉん


確かに感じた。
その花火は、私に音をもたらしていた。

「え、うそっ」

突然の事に、思わず耳を押さえる。
何故聞こえるのだろう。
私はもう完全に聴力を失った。いくら音が大きくても聞こえないはずなのに。

「やっぱり、分かるんだな」

「どうして……?」

小さく2発。少し空いて大きく1発。小さく1、2、3発。
目を閉じても、それが分かる。

「ちょっと落ち着け。
 ムギも経験あるだろ? 打ち上げ花火っていうのは、お腹に響くものだからな。
 これなら……ムギにも分かるかも、って思ったんだ。
 もし駄目だったら、最低なことするトコだったけど」

そう言われても、落ち着けはしなかった。
強い空気振動がお腹に響く……なんてどうでもいい。

それはただの音で、耳はただ機能している。
私は目を閉じて、ただその音を感じていた。

「終わっちゃった……」

総花火数は多いはずだったのに、今までの花火の中で最も短く感じた。
充実した時間こそ早く進むもので。
だからこそ、この余韻にずっと浸っていたかった。


目を開ける。
隣にりっちゃんが寝そべっているだけだった。

「もう、良いのか」

「ずっと待ってもらってごめんなさい」

「私は寝てただけだぞ」

まぁ、嘘だろう。
それにりっちゃんに隠し通す気は最初から無いようだ。

「実を言うと、私も寝てたの」

「こんな所で女子高生二人が寝てたのか。そりゃ危ないな」

二人で笑い合う。
こんなに楽しい気分になれたのは、りっちゃんのお陰だ。
もう少し話していたかったけど、さすがに時間も時間で。

「んじゃ、そろそろ帰るか」

飛び上がるように起きた彼女は、私に手を差し出す。
先ほどのような、乙女な雰囲気は無かった為、私も躊躇なく手を握ることが出来た。

「実はな、私の賭けはまだ終わってないんだ」

「どういうこと?」

賭けというのはさっきの花火のことか。

「ムギは、打楽器の経験は有るか?」

打楽器……打楽器の類なら、トライアングルやカスタネットを幼少時に使った事があるような。

「本当に小さい頃にしか触ったことがないわ」

ふんふん、と頷いている。
一人で納得されると困るのだけど。

「夏休み中のいつか、練習に出てこられるか?」

「ええ。基本的にはいつでも出られると思う」

旅行の予定も入っていない。
入っていたとしても、それは軽音部の活動に比べたら些細な事だ。キャンセルも入れるだろう。

「ムギと私で、ポジションチェンジだ。ムギ、ドラムやれ」

なんて急な提案だ。
ここまで来て大がかりな改革。
そもそもりっちゃんは、ちまちました物が嫌いだったはずじゃあ?

「そんで、この夏休みの内に実践で使えるぐらいにしてしまおう」

りっちゃんの提案は私を想っての事だろう。

彼女の考えは分かる。
演奏の音量を、体に伝わる衝撃で補完する。
鍵盤に優しく触れて音を出すよりも、手首を振るってドラムを打ち鳴らす方が全身で感じ取れるはず。

「りっちゃん、随分無茶なことを言うのね?」

「私はいつだって無鉄砲。問題が起こればその場で何とかするタイプだからなっ」

それに、と一旦間を空ける。

「ムギの顔からは、無茶だの無理だのはちっとも感じられないよ」

何故だろう。
まだ分からないのに、彼女は賭けだって言っているのに、今から楽しみでしょうがなかった。
りっちゃんの言う事ならきっと正しい。信じられる。

「早速、明日からしましょうか?」

「変に火がついちゃったかぁ。真面目なのは私のキャラじゃないんだけどな。
 ……んじゃ明日の昼、部室に集合な」

「せめて10時くらいからにしない?」

「分かった分かった。お嬢様の仰せのままに」

丁寧に頭を下げる。
その姿は、私が普段から見ている家の者の動きとそっくりで、綺麗な物だった。


「りっちゃん。こんな椅子に座ってたのね」

「小さく感じるかも知れないけど半座りに慣れてくれ。デカい椅子に深く腰掛けたら小回り効かないからさ」


翌日、約束通り部室に集まった私達。
まずは私から、りっちゃんに授業を受けることになった。

「で、スティックな。新品だから気にしなくてしなくてもいいぞ」

むしろ新品である方が気にする。
お金を出させてしまったじゃないか。

「これ、いくらだったの? お金払うわ」

「気にすんな。そんなに高いスティックなんて無いんだし。
 それに自分好みに加工したりするから、新品の方が良いだろ?
 手の形に合わせて削ったりさ」

「なるほど。りっちゃんのスティックをそのまま借りたら、反って悪かったりするのね」

そのまま受け取っておくことにした。


「さて、緊張の一瞬なわけだが、まー軽く叩いてみてくれ」

軽く息を吐き、叩く。


たしんったしんっ


これが、りっちゃんが感じていた音。

一通り叩いていく。
感触はどれも少しずつ違っていたが、中でもバスドラムはまた別だった。
直接触れていないのに、音が聞こえる。

「どうだ?」

「分かるわ。キーボードよりずっと、演奏してる、って感じられるの。
 これならきっとやれる」

「じゃあムギはドラム、私はキーボードで練習だな」

りっちゃんは本当に嬉しそうに、にかっ、と笑う。
賭けはりっちゃんの勝ちだった。

「ドラムはリズムが命。つまり、今まで私達がやってきたみたいに、ムギに合わせる事はしない。
 ムギが全体のリズムを作るんだ」

難易度が高くなるということ。
でもやれそうな気がしていた。
それは高揚感から出た、ただの強がりなのかもしれない。

「好きこそものの、上手なれ。
 よね? りっちゃん」

「もー無茶は慣れっこ、だよな。
 んじゃームギ。私もキーボード使わせてもらうよ」

次は私が教える番か。
どこまでやれるかは分からないけど。

「ん? 大丈夫だよ。一通り分かるし、練習もしたから」

今何と?

「私が言い出したのに、私にも教えろ、って言えないだろ?
 ちゃんと練習はしてたんだからさ。
 ある程度演奏出来るようになってからの提案だ」

つまりは。
りっちゃんはまた私に内緒でそういう努力をしていた、ということか。
そう考えると、彼女はしっかりと休息を取っているのか疑わしくなる。

「ムギー? どうしたー?」

ぴらぴら手を振って、けろりとした態度を取るりっちゃん。
それはもう努力がどうとかっていうレベルじゃないのよ。

「……そうね。そもそも私には、教える事は出来ないんだもの。
 今から間に合わせることを考えたら、それぐらいじゃなきゃ無理ね」

わざとらしく大きな溜め息をつく。

「私の方は、大丈夫だよ。
 というわけでムギ、早速練習だ」


たたたたたたたたたたたたたた。


メトロノームの動きに合わせ、ひたすら、ただひたすらに叩く。
リズムキープは基本中の基本。

前を見ると、鍵盤に指を滑らせるりっちゃんの後ろ姿が見える。
りっちゃんの目に、私の姿はこんな風に映ってたんだ。
今までの演奏で、りっちゃんの目に私の背中はどう映っていただろうか。
リズムに乗って踊るその背中に、見えない物がどれだけ圧し掛かっているのか。


視界の端。扉が開く。

「あ」

澪ちゃんと、梓ちゃんだ。
まず、視線が私とりっちゃんの間を行き来する。

「え、ドラム? キーボード?」

口をぱくぱくさせる澪ちゃん。
梓ちゃんからシートが差し出される。

『こんにちは。お二人共、いきなりどうしたんですか?』

「ええ。実は私、ドラムを始めようかと思うの。
 それで、りっちゃんがキーボード」

「ちょっと、急じゃないか?
 だって、その、文化祭まで時間無いぞ?」

ごもっとも。
それは私もりっちゃんも分かってる。

「その為の練習だよ。
 私達は間に合わせるつもりだし、無理だ、って澪達が判断したらいつでも言ってくれ」

澪ちゃんはどこか呆れたように梓ちゃんと顔を見合わせ、答えた。

「分かったよ。理由はよく分からないけど、何も言わない」

『頑張ってくださいね』

練習の指揮を執る二人の許可が下りた。
後は頑張るだけ。

「で、澪達は何で?」

「練習に付き合ってくれ、って梓に。頼ってくれたのは嬉しいからさ。
 二人で練習するつもりだったんだけど、まさか律達が居るとは思わなかったよ」

「そうだなー。私も、何でこんなにやる気になってんだか」

さっきまでの真剣な表情はどこへやら。
りっちゃんは、最後までおちゃらけるつもりらしい。
あまり好まない話であるようだ。

「まぁでも、ムギはついさっきやり始めたばっかりだから、音を合わせられないぞ」

「じゃあしばらくは、個人練習になるな」

『違和感があったわけですね。
 階段を上ってる途中に音が聞こえてきましたけど、律先輩の物とはなんとなく違うようでした』

その言葉に、りっちゃんと澪ちゃんが反応する。
あぁ、私に気を遣ってるのか。

「嬉しいわ。梓ちゃん、そこまで分かるくらいに私達の演奏を知ってくれてるのね」

そんな気遣いは無用で。
私はなるべく皮肉にならないように、言い方に気を遣う。

「私の音はやっぱり変?」

何でそこで止まってしまうかな。

『言いにくいんですけど、律先輩の方が力強いですね。
 ムギ先輩はムギ先輩で、丁寧だなって思いましたけど』

私だってまだ始めたばっかりだから、仕方ない。力加減なんて分からない。
丁寧だ、って言われても、それはリズムを合わせる事を意識していたからであって。

「肝心の律は? ちゃんと弾けるのか?」

「何とかなるだろ」

「ならないだろ。ちまちましたのは嫌いだ、って言ってたじゃないか。
 律は、キーボードもギターもやりたがってなかったし」

りっちゃんがいきなり立ち上がる。
その様子に皆がたじろぐ。

「じゃあ、見せようか」

指が早くて、目で追えない。
そして澪ちゃんと梓ちゃんの表情から、それが確かな物であることが分かる。

「凄いな、律」

「……私がムギを巻き込んでるんだ。
 少なくとも、私は絶対に失敗しないつもりでいるよ。
 ムギは勿論、放課後ティータイムも、評価は落とさせない」

「ちょっと、ごめんね」

りっちゃんの前に立ち、頬を引っ張る。
弾力のある肉が形を変えていく。

「りっちゃん、何か変よ?
 どうしてそんなに強張った表情ばかりしてるの?」

本当は言わないつもりでいたけど、さっきの一言で許容量を越えた。

「―――」

「何言ってるのか分からないわ。
 ……りっちゃん無理し過ぎよ。私の為にあれこれしてくれるのは嬉しいけど」

もう私の目には、りっちゃんが疲れているようにしか見えなくなってしまった。
表情はそのままだから皆は気付いていないけど、その笑顔の裏に隠れているんだろうと疑ってしまう。


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最終更新:2011年04月18日 23:25