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中学の時だったかな。


林間学校で行った、なんとかかんとか自然の家とかいうところ。

バスに揺られて一時間半くらい。

山の中腹あたりに建てられた施設で、学年のみんなと二泊三日の研修。

何の研修だったのか今となっては思い出せないけど、非日常なイベントに私は内心わくわくしていた。

でも私は班長だったからそれを顔に出さないようにした。


二日目の朝、律が私の身体を揺すって起こして、散歩に連れ出した。

気乗りしない私の手を、律は引っ張りながら歩いて、そのうち私もなんだか楽しくなってしまった。

山間だから朝は霧が濃くて、五メートル先もよく見えなくて。

陰気臭さに気が滅入った私達は、三十分もしないうちに宿舎に戻ったっけ。






……あの時の霧とちょうど同じ感じだ。


今、私の頭には分厚い霞みがかかっていて、ついさっきまで見ていた夢もなんだかよく思い出せない。









だから、目を覚ましたこの場所が私の部屋じゃない事に気づくまで、少し時間がかかった。




『8月3日』



……ここはどこなんだろう。



この天井、私は知ってる。


木製のペンダント型のライトが天井から生えていて、前に私はそれを可愛いと思ったことがある。



カーテンの隙間から光が射してるって事は、朝か昼だ。



不意に、耳元にくすぐったさを感じた。



吐息……?いや、今のは寝息かな。



目を軽く擦ってから、壁に背を向けて横を向いた。


唯が顎の下まで布団を被って、口を開けて気持ち良さそうに寝息を立てている。

私はその唯の手をしっかりと握っていた。



そうか、ここは唯の部屋だ。



大学に入ってから、私も律もムギもよく唯の部屋に入り浸っていた。
この部屋で目を覚ますのもこれが初めてじゃない。

パパもママも唯の事は知ってるから、ちゃんと外泊するって伝えておけば叱られることもなかった。



なのに、この天井も、唯の寝顔も、どういうわけか私の目に新鮮なものとして映る。


ベッドの中で寝たまま、私は部屋を見渡す。

ここにあるのは、
ギターが一本、
ベースが一本、
ベッドが一床、
照明が三つ、
冷蔵庫が一台、
ゲーム機が一台、
CDが数枚、
テーブルの上に雑誌が二冊、
本棚に漫画がたくさん、
人形がいくつか。

唯はいい加減なところがあるけど、物は大切にする子だ。
だからいつもと変わらない部屋のはず。

……まぁいいや、微睡んでるのも心地いいけど、口の中がかぴかぴに渇いてて気持ち悪い。
洗面所でうがいしないと。

「あれ?」

身体を起こすと、私が感じていたのは新鮮さじゃなくて違和感だということに気がついた。

「は……?」

私はパジャマを着ていない。
というか、何も着ていない。
下着もつけてなくて、文字通りの全裸、生まれたままの姿。

私はすぐにまた身体を倒して、鼻の下まで布団を被った。
なんで?なんで裸?昨晩、何をしたんだっけ?
何を……。

霧の奥にぼんやりと見える昨晩の記憶に、目を凝らす。

「ん……澪ちゃん、おはよ~……」

裸の唯が目を瞑ったまま言った。

「えへへ……」

唯は布団の中で私の手を強く握って、嬉しそうに私の顔を見た後、首筋に唇を当ててきた。

頭のもやが薄れるのに比例して私の身体はみるみる硬直していき、三秒もしないうちに一本の木みたいになってしまった。
高校の演劇の時はロミオ役だったけど、今は私が木Gだ。

この状況、ドラマや映画で何度も見たことがある。
主人公の男の人が目を覚ましたら、知らない女の子が裸で隣に寝ているっていうアレ。
ドラマと違うのは、私も相手も女の子で、その相手のことを前々からよく知っているってところ。
それにドラマだと昨晩の記憶がないっていうのがパターンだけど、どうやら私はちゃんと覚えてしまっている。

唯が私の下腹部を撫で始めたところで、私の頭の霞はきれいさっぱり消えていた。

記憶の大パノラマが、恥ずかしさと罪悪感で私を殴るように迫ってくる。

私は唯と寝たんだ。
睡眠じゃなくて、身体を重ねるほうの意味で寝たんだ。
お酒で前後不覚になったわけじゃなく、はっきりと、自分の意思で。

「あ、ゆ……唯」

私の身体を触る唯の手をそっとどかしてから、私は起き上がった。

「今何時……?」

「ん……」

唯は枕に顔を伏せたまま、ベッドの横にある目覚まし時計を指差した。
十一時過ぎ。

「服、えっと、私の服は?」

「あそこだよ」

唯が今度は床の上を指差す。
私と唯の服が乱雑に放られている。
それが昨晩いかに行為に夢中になっていたかを表していて、私はますます気分が悪くなった。

「ねえ澪ちゃん、もうちょっと寝てようよ。今日、大学お休みなんだし」

唯はそう言いながら、私の腕に無邪気に絡み付いてきた。

「あ……うん」

私が身体をベッドに戻すと、唯は嬉しそうに笑ってから、また私を触り始めた。

「あっ、ちょ、ちょっと待って唯!」

「え?」

「えっと、その……き、昨日はなんていうか……ごめん!ごめんなさい!私どうかしてた!唯とあんな事するなんて……」

唯は目を丸くして、不思議そうに私の顔を覗きこんだ。

「え?なんで謝るの?」

「なんでって……」

「私は楽しかったよ。澪ちゃんは?」

楽しかった?
その前に色々考えるべきことがあるだろ。
恥ずかしいとか、悪いことしたとか。

でも、楽しかったかどうかと聞かれたら、それは……。

「……楽しかった」

それに、気持ち良かった。
あんな感覚が自分の中にあったなんて、世紀の大発見だった。
唯は今まで見たどんな唯よりも可愛くて、私はその唯の身体を好きなだけ触ることが出来て、唯も私の身体を触ってくれる。

こんなに楽しくて嬉しいことって、他にある?

「だよね~。えへへ、良かったぁ、澪ちゃんが相手で。澪ちゃん、すっごく可愛かった」

唯はそう言いながら、私の背中にするりと手を回して、目を閉じ、私の顔の目と鼻の先まで、顔を近づけてきた。

ええと、これは、キスをせがんでるってことだよね?

私は唯の唇を凝視しながら、
ああ、昨日何回もキスしたっけ、柔らかくて温かくて、
お互いの舌が何度も絡んで、二人とも初めてだったから最初は手探りで、
歯がかち合ったり鼻が邪魔に思えたり、途中で目を開けたら視線がぶつかって恥ずかしくなったり、
だんだん気持ちいいやり方がわかってきて、二時間くらいはずっとキスだけしてたんだっけ、
……なんて事を思った。

最初にキスをした時は高一のライブと同じくらい緊張したけど、今の私はもう唯の唇がどんなに気持ちいいのかを知っているし、ていうか昨日あそこまでしちゃってるんだから、今更緊張も何もないはず。

でもここで欲望に負けちゃだめだ。
唯は大事な友達だし、やっぱりこんな事しちゃだめなんだ。
ていうか恥ずかしい。

「あっ、お……お腹空かない?」

私は違う話題を振って流れを変えようとした。
でも唯は動じない。

「んーん、平気」

それから唯は自分から顔を近づけてきた。

私は慌ててベッドから這い出した。

「ごめん唯!先に顔洗ってくる!」

床の上に散乱した服の中から自分のラグランと下着だけを掴んで、私は洗面所に逃げ込んだ。

服を着た後、水道のレバーを倒して、水が温まるのを待たずに私は顔を洗った。
鏡の横にあるコップに水を入れて口を濯ぐ。
ぬるい水が不快。

洗面台に両手をついて、鏡に映った自分の顔を見る。

くしゃくしゃの黒髪と、腫れぼったい瞼。
そのくせやたら血色は良くて、毎朝見ている自分の顔となんら変わらない。
自分をポーカーフェイスだなんて思った事はないけど、この鏡の中の女の子の心の中がぐちゃぐちゃになっているようには見えなかった。
単に私が察しの悪い子ってだけかもしれないけど。

寝癖頭のこの子を他人と錯覚したのは、きっと私の身体と心が別の方を向いているからだ。

「はっ……」

自嘲的な嘆息が漏れた。

私はずるずると崩れ落ち、そのまま床に座り込んで頭を抱え、唇を噛んだ。
口の中に鉄の味が広がる。

昨日までの私と唯、今日からの私と唯は、もう全く違うものとしてここにいる。

昨日は……
そうだ、私は講義が終わった後レコードショップで、律が話していた、ザスミスの元ギタリストが加入したバンドのCDを買って、
その後はいつも通りスタジオでみんなと練習して、それからムギと律はバイトに行って、私は唯と二人でファミレスに入ってお夕飯を食べた。

唯は散々メニューを見て迷ってからチーズのかかったハンバーグを、私はカロリーを気にしてチキンのソテーを注文した。
唯が太らないのは憂ちゃんの栄養管理が行き届いてるからだと私はふんでいたけど、一人暮らしを始めてからも体型が変わらないということは、本当にそういう体質なんだろう。
唯はハンバーグを食べ終えると、一緒にジャンボパフェを頼まないかと提案してきた。
私は遠慮すると言ったけど、唯がごねたから結局注文して一緒に食べる事になった。
私も本当は甘いものが大好きだし、食べてる間は幸せだった。
まして、唯は本当に美味しそうに食べる子だから、一緒に食べていると、つられて私の幸せ度も5割増しになる。

食べ終えてからが問題だ。
膨れた自分のお腹を見て、「ああ、明日からしばらく甘い物は控えないと」と思い、憂鬱になる。
でも唯は満足げな顔をしていたし、私が不満を言うのも野暮なので何も言わずに、美味しいものを食べられた事を素直に喜ぶことにした。

ファミレスを出た後、特に用事もなかった私はそのまま唯の部屋に転がり込んで、二人でゲームをして、それからテレビを見た。

あのバラエティー番組、面白かったな。
私も唯も大笑いしたっけ。

番組が終わって私が帰ろうとすると、唯は私を引き留めた。
まだそんなに遅い時間でもなかったし、唯といるのは楽しいから、「少しだけだぞ」なんて偉そうな言い方をして、私は残った。

唯は私を部屋に留まらせたくせに眠くなってきたらしく、ベッドで横になりだした。
昨日の練習は珍しく頑張っていたから、疲れちゃったんだろう。

私は買ってきたCDを唯のパソコンに入れて曲をかけると、ベッドに腰かけた。

「寝るまで一緒にいようよ」と、唯はせがんできた。
いつだったか律にも似たような事を言われたけど、どうも私はこのフレーズに弱いらしい。

時計をもう一度確認すると、まだ9時半を回ったばかりだった。
唯が寝るのを待ってから帰ってたとして、家に着くのは遅くても10時半ってところだ。

私はママに「少し遅くなる」とメールをしてから、「寝るならシャワー浴びたら?」と唯に促した。

唯がシャワーを浴びている間、私は流れている曲のベースラインを耳でコピーしながら、これなら弾けるかな、とか、私だったらこうする、なんて事を考えていた。

唯が部屋に戻ると、私は唯の髪にドライヤーをあててあげた。
水分を吸った茶色の柔らかい髪はしんなりしていて、私の指の間を滑った。
ハーブの甘い匂いがして、私はどこのシャンプーを使っているのか唯に訊ねた。
唯は「ムギちゃんに貰ったんだ」と答えた。
そう言えば、唯とムギは癖毛仲間ということでよく髪の話をしていた。

唯はパジャマを着た後、すぐに布団に潜った。

私は唯が眠れるように電気を消し、間接照明をひとつだけ点けた。

シェード越しの灯は唯の輪郭をぼかし、私と唯の伸びた影がカーテンに映った。

程よい暗さの中で、私は唯と色んな事を話した。

大学のこと、バンドのこと、梓のこと、今流れている曲のこと、将来のこと。

眠気が強くなってきたらしく、唯はだんだんとゆっくり話すようになっていって、ほとんど私の言葉に相槌をうつだけだったけど、将来の話になると途端に饒舌になった。

将来のこと……もしかしたらちゃんと考えたのも、誰かとそれを話したのも、あれが初めてだったかもしれない。
私も唯も、律もムギも梓も、今の事しか考えたことがなかった。

なんで将来の話になったんだっけ。
ああ、そうそう、私のかけっぱなしにしていた曲が英詞だったから、唯が歌詞の意味を訊いてきたんだ。

一緒に歌詞カードの和訳を読むと、そこに書かれていた内容は「生まれた街であらゆる事をしてきたと思っている人が、その街を出て都会に行く」みたいな、そんな感じだった。

そこから将来の話になった。


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最終更新:2011年04月28日 00:17