でもそのほうがいい。
そのほうが健全なんだよ。
女の子同士であんなことするほうがどうかしてるんだ。

「あっ!そ、そうだ~」

わざとらしい言い方をしながら、唯は立ち止まった。

「澪ちゃん、今日もんじゃ焼きでヤケドしてたよね?大丈夫?」

なんでいきなりその話なんだ、と思いながらも、

「大丈夫だよ」

と私は答えた。

「ほんと?ちょっと見せて!」

唯が四つん這いで私にせがむ。
私は言われるままに舌を小さく出す。

唯は私の舌を少し眺めたあと、顔を近づけてぺろっと舌を舐めた。


自分の顔が火の玉みたいになっていくのがわかった。

唯は膝で半立ちになって、私の頭を胸に埋めるようにして抱いた。

始まっちゃった。

私は唯の背中に恐る恐る手を回して抱き返した。
すると、私の頭を抱く唯の腕の力が強くなった。
苦しくなって、私は唯の背中をぽんぽんと叩いた。
唯はパッと腕を離した。

「あっ、ごめん!苦しかった?」

えへへ、と笑いながら、唯は頭を掻いた。

唯は私のおでこに唇を当ててすぐに離した。
私も同じ事を唯の首筋にやり返す。
そうやって、お互いの耳や頬に何度も唇を当て合った。
次第に当てる時間が長くなり、私が唇で唯の耳朶を挟むと、唯は小さく声を漏らした。
その声で、私達の間に遠慮がなくなった。
唯は私の肩に手を置いてぐっと力を込め、私はそれに従って床に身体を倒した。

お望み通りの、二回目だ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「あ、ねえねえ。明日の練習って二時からだよね?何時に目覚ましセットする?」

「お昼食べてからいきたいし、11時くらい」

「えー?早くない?」

「唯はのんびりすぎるよ」

「そうかなぁ。まぁいいや。じゃあ11時にセットするね」

目覚まし時計をセットした唯は、そのまま布団に潜り込んだ。
かけ布団の中で、私と唯は手を握り合った。
向かい合って「おやすみ」と声を掛け合い、私は目を閉じた。

朝になったら、また私は後悔して泣き出すのかな。
そんな風にはなりたくないな。
私も唯もこんなに楽しんでるんだし。

この前はお互いわけもわからないまま身体を重ねてそのまま寝てしまったけど、今は違う。
恥ずかしさもちょっとは薄れてる。
後悔する必要なんてない。


私はなるべく唯とくっつくように身体を動かしてから、目を閉じた。

この日から、夏休みの始まりから終わりまで、私は何度も唯の部屋に通い、ベッドの上で抱き合った。

事前はどうしても身体が硬くなってしまったけど、唯がいつも仕掛けてきてくれたから、生理の時以外は滞りなく楽しむことができた。

みんなにひた隠しにしながら、私と唯は新しいオモチャを貰った子供のように、この遊びに熱中するようになった。

暗黙の了解で、純潔に手を出すことはしなかった。
これはスキンシップの延長で、決して互いを貶める行為じゃない。
ほとんど自分達への言い訳のために、そういうルールが私達の間に横たわった。

会う時は唯が私にメールをよこすのが習慣になった。
メールの文面は直球そのもの、「今日えっちする?」とか「早くしたいよ~」とかそんな感じで、私はどうしてもそれに慣れることができなかった。

夏休みが終わる前くらいに、「恥ずかしくないの?」、と訊くと、唯は「ちょっとだけ恥ずかしいけど、澪ちゃんには敵わないよ」と答えた。

「敵わない?どういうこと?」

「女の子って、誘うより誘わせるほうがテクニシャンらしいよ」

「……なんだそれ。変な雑誌の読みすぎじゃないのか」

「だから澪ちゃんは私より一枚上手だね」

私はただへたれてるだけ、唯が誘ってくれるのを待ってるだけで、駆け引きなんて全然だ。

ていうか唯が辛抱なさすぎだよ。
突っ込んでやろうと思ったけど、唯がそう思って毎回誘ってくれてるならその方が都合が良いから何も言わないでおいた。

でも唯はそう言ったすぐ後にいたずらっぽく笑ったので、冷やかしただけみたいだ。
もしかしたら、そうやって冷やかせば、意地になった私から唯を誘うようになるって魂胆かも知れない。


「澪ちゃん、明日も来るよね?」


……それは違うか。



『9月18日』



二限目後の昼休み。
食堂でムギを待ちながら床の模様と睨めっこ。

夏休みが終わった直後で、五月病そのままに自主休校が癖になっていた学生も仕切り直しで登校するため、いつもより人が多い。

高校と違って、大学はどの人が上の学年なのかパッと見分けがつかない。
でも二年生、三年生になると落ち着きが出てくるらしく、少し観察すると一年生じゃないことがわかる。
曽我部先輩の話だと、四年生はもうほとんど大学に来なくなる人が多いらしい。
一年生は落ち着きなくキョロキョロしながらご飯を食べるか、もしくは唯と律みたいにやたらはしゃぎながら食べるかのどちらかだ。

私はどちらでもない。
単に一人でいるのが心細くて、活気のある食堂の隅にある券売機の横で後ろ手を組みながら床を眺めている。

「ごめん、澪ちゃん。おまたせ」

ムギはルーズリーフのバインダーをバッグにしまいながら駆け寄ってきた。

「そんなに急がなくても良かったのに」

「澪ちゃん、寂しいかと思って」

「いや、子供じゃないんだから」

ムギは「そうだよね」と言いながら、親が子供を甘やかすような笑顔になった。

いまさらムギに見栄はってもバレバレか。

私は甘口のカレーを、ムギはオムライスをそれぞれトレーに乗せて、向かい合って席についた。

私の後ろに座っているグループがやたら大きな声で喋ってる。
どうやら彼氏の悪口みたいだ。
私が顔をしかめると、ムギはまあまあと宥めるように手を上下に動かした。

会話の途中で、私はそれとなくムギに訊いた。

「唯の使ってるシャンプーって、ムギがあげたんだって?」

口に入ってるオムライスを飲み込んでスプーンを置いてから、ムギは答えた。

「うん。前に、使ってるシャンプーの話になってね。私が使ってるのと同じのをあげたの。いい匂いだから使ってみたいって唯ちゃんに言われて」

「そっか」

「良かったら澪ちゃんのぶんも持ってくる?」

本当は最初からそのつもりでムギにこの話をしたけど、私は少し考えるふりをしてから答えた。

「うん、お願いしようかな」

「三人でお揃いね」

ムギは嬉しそうに言って、またオムライスを口に運んだ。

以前のムギなら口元を手で隠しながら噛んでいたけど、最近はそういう仕草がなくなった。
唯か律の影響なんだろうけど、いいことなんだか悪いことなんだか。

「お揃い、か」

ムギに言われるまで、そのシャンプーを私が使えば三人お揃いになるということに私は気付かなかった。

「そうだ、りっちゃんにもあげようかな」

「律はシャンプーなんてこだわらないって」

「そうかな?」

「石鹸で洗ってるんじゃないか、律は」

私がそう言ってカレーを口に運ぶと、頭のてっぺんに何かが落ちてきた。
私はその衝撃でスプーンをがちっと噛んでしまった。

「シャンプーくらい使ってるっつーの」

振り向くと、律がトレーを持ちながら私の頭に手刀を乗せて立っていた。
その隣の唯はコップの水が零れないように、両手でおそるおそるトレーを持っている。

ムギが椅子を引いてやり、唯はムギの横に座った。

「まーったく!私がいないと澪はすーぐそうやって言いたい放題だ」

律は椅子を引いて私の隣に座った。
律の声が大きかったせいか、私の後ろにいたグループが別の場所に移動し始めて、私は胸がすっとした。

「りっちゃん、今ね、澪ちゃんとシャンプーの話してたんだけど、良かったら一緒の使わない?」

ムギが身を乗り出して言った。

「え?いーよそんなの」

「あのね、ハーブの香りがするやつなの。ロクシタンっていうフランスのシャンプーなんだけど」

「おフランスだとっ」

わざとらしく驚いてから、律は苦笑いして手を横に振った。

「いいっていいって。なんかそーゆーの苦手だし」

ほら、やっぱり律はシャンプーなんて適当じゃないか。

ムギが残念そうな顔をして身体を戻した。

「シャンプーって私がムギちゃんにもらったやつ?」

サラダにドレッシングをかけながら唯が言った。

「うん。せっかくだしみんなで使ったらいいかなぁと思ったんだけど」

「あれいい匂いだよね~。澪ちゃんなんてあの匂い大好きだもんね」

私は「あっ」と声を出して、唯を制そうと手を前に出した。

唯は「しまった」という顔をして、口を手で塞いだ。

……ってこれじゃ逆効果だ。
何かあると律とムギに言ってるようなもんだ。

「は?何?」

律が怪訝な顔をして私と唯を交互に見た。
ムギはきょとんとして、スプーンを空中に静止させたまま止まってしまった。

「あ、いや……」

私は口ごもって、目を泳がせながらあさっての方を見た。

「ごめん澪ちゃん。りっちゃんには内緒だったのに言っちゃった」

唯はスプーンをひらひらと動かしながら言った。

「なんだそりゃ」

「えへへ、澪ちゃん、私のシャンプー使いたいんだって。いい匂いだから。りっちゃんに知られたらからかわれると思ってたみたい」

「いや、別にそんなのからかうネタにならないし。私ならもっとでかいネタでからかうっつーの」

「だってさ。良かったね澪ちゃん」

唯がなんとかその場を誤魔化したけど、私は顔を上げる事ができなかった。

「って私はどんだけ信用ないんだよ。ひどくない?大親友に対してさぁ」

私が何も言わないでいると、律も不安になってきたらしく、

「澪?大丈夫だって。からかわないよ」

と説得するように声を低くして言った。

私は顔をあげて、

「気にしすぎだったかな」

と言った。

昼食を済ませた私達は、次の講義のために食堂から少し離れた学部棟へ四人一緒に向かった。
講義の途中で私はトイレに立ち、用を足して手を洗っていると、唯が追ってきた。

「澪ちゃん、ごめんね」

「いいよ。私のリアクションのほうがダメだったし」

「今度からはちゃんと気をつけるよ」

私は唯に隠し事をさせていること、律とムギに嘘を吐かせてしまったことを申し訳なく思った。

「ていうか、やっぱり律達に隠さなきゃダメなのかな」

「え?」

洗面台の大きな鏡に映る唯の顔を見ながら、言葉を続けた。

「だって誰かに迷惑かけてるわけじゃないんだし」

「みんなに話すの?澪ちゃんは恥ずかしくないの?」

鏡の中の唯の顔に不安が滲む。
いや、不安というのは少し違うな。
私に対する心配って感じだ。

「唯はどう思う?」

私が訊ねると、唯は用を足してないのに水道のハンドルを倒して手を洗い始めた。

「うーん、わかんないよ」

私は、みんなに話した場合の事を考えた。

ムギはああいう性格だから、もしかしたら応援してくれるかもしれない。
けど私と唯は別に付き合ってるわけじゃない。
お互い恋愛感情もない。多分。
ムギは誰よりも、私達みんなの関係を大切にしている。
私と唯の変な関係がそこに加わると、全体に歪みが生じるのは明らかだ。
今まで通りお茶をしながら話していても、「平沢唯秋山澪は家に帰ったらいやらしい事をしている」というイメージは常にまとわりつく。
平穏で綺麗な時間は永久に失われる。
ムギはそれを悲しむかもしれない。

律に話した場合、どうなんだろう、からかってくるのかな。
からかうにはネタがエグすぎるかも。
そうなると、からかう事も出来ずにとりあえず頭の片隅に追いやって、気にしてないフリを強いることになる。
ダメだな。
律とは勝手知ったる仲だけど、そういう事はさせたくない。

梓に話したら、私は確実に軽蔑される。
唯のスキンシップにも怯えるようになるかもしれない。
そうじゃなかったとしても、梓は放課後ティータイムと部活のバンドを掛け持ちでやってるし、おまけに今は受験生だ。
余計なストレスは与えたくない。

……どう考えても、みんなに話したところでロクな事にはならなさそうだ。
そもそも今の私と唯の関係をどう言葉で説明すればいいのかもわからない。
どんな言い方をしても、唯の指摘通り私は恥ずかしくなって死んじゃう。

「ごめん、やっぱり隠しておいたほうがいいな」

「だよねぇ……」

水道のハンドルを戻し、唯は手をぱっぱっと振って水を落とした。
備え付けの乾燥機で手を乾かすと、鏡を見ながら前髪を直し始めた。

私も唯も、「やめる」という選択は口にしなかった。

「澪ちゃん、今日はどうする?そういう気分じゃない?」

唯は首を傾げて髪型を確かめながら訊いてきた。

「ううん、行くよ」

「そっか。良かった~」

笑ったあと、横髪の形が気に入らないのか、唯は不満そうな顔をして「うーん」と唸りながら何度も髪を引っ張ったり伸ばしたりした。

「もう戻ろうよ。律とムギが変に思っちゃうし」

唯は髪形なんてどうにでもなれといった感じに頭をぶるぶる振った。
私はそれを見て、ぷっと吹き出した。


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最終更新:2011年04月28日 00:21