律と別れて家に帰り、自分の部屋に入ると私はすぐに唯に電話した。

「もしもし?澪ちゃん?」

唯の鼻声が、ぴったり耳にくっつけられた電話口から聞こえる。

「律にバレた」

「え?」

「どうしよう、律にバレちゃった。どうしよう」

咳き込んでから唯は答えた。

「バレたって、話しちゃったの?」

「違う、メールを見られてた。ねえ唯、どうしよう」

「りっちゃんは何て言ってたの?」

「律は……」

律は何て言ってた?

気にしないとか、応援するとか。
気にしないっていうのは嘘だ。
怒られるかもしれないと思いながらわざわざ私に確かめたってことは、気になってしょうがなかった証拠だ。
応援なんて、私と唯は勝手に楽しんでるだけだし、応援してほしいなんて思っていない。
大体、応援ってなんだよ。
どういうのが応援になるんだ?

「気にしないって言ってたけど、絶対気にしてると思う……」

律はこれからも、「気にしないフリ」を続けてくれるだろう。
でもそれは、五人の空間に影が出来るのと同じだ。

唯は電話の向こうで苦しそうに咳をした。

「う……わかった。澪ちゃんごめん、私風邪引いてて外出れないから、澪ちゃん今から私の家これる?」

「うん。行く」

「今、憂が来てるからね」

「うん、わかった」

電話を切り、私はすぐに唯の部屋に向かった。

ベルを鳴らすと、憂ちゃんが私を出迎えた。
憂ちゃんは私を招き入れ、

「わざわざお見舞いに来てくれてありがとうございます」

と言って、お茶とお菓子を用意してくれた。
唯はベッドの上で辛そうに鼻をすすって、ひとつくしゃみをした。

「明後日のライブ、頑張るんだよ」

と私が言うと、憂ちゃんははにかみながら頭を下げて、

「私、お夕飯のお買い物に行ってくるので、ちょっとお姉ちゃんのこと看ててくれますか?」

と言って部屋を出た。

部屋のドアが閉まると、私は先輩の顔をやめて、ベッドで寝ている唯に駆け寄った。

「唯、どうしよう、どうしたらいい?」

「澪ちゃん落ち着いて」

「どうしよう……」

唯が重そうな掛け布団の中からのそのそと手を出して、私の手を弱々しく握った。
それから二、三回咳をする。

「考えすぎだよ。もうやめろー……って言われたんじゃないんだよね?」

「うん……」

「じゃあ大丈夫だよ」

唯はまた咳をした。

何がどう大丈夫なのかさっぱりわからない。
でも、唯にそう言われると安心できた。

「ね、澪ちゃん」

身体を起こしながら唯は言った。

「しちゃおっか」

「え?」

「しようよ」

唯は私の頬をつねって伸ばした。

「いや、憂ちゃんがいるし……」

「きっとすぐには帰って来ないよ。バレたらバレたで仕方ないよ」

「ダメだってそんなの。今はそれどころじゃ……」

「え~……しようよ」

唯は駄々をこねながら、私の二の腕をさすった。

「ね?澪ちゃん」

唯の声は、人の自制心をどこかに消し去ってしまう力を持ってるみたいだ。
いや、自制心ごと支配するような、そんな声。

私は部屋の鍵を閉めて、唯とベッドに入った。
気遣うような言葉を囁きながら、私は唯の身体を触った。
遊びの最中の唯はいつも天真爛漫だったけど、今日は熱のせいでやたら弱々しくて従順で、いつも以上に可愛く思えた。

でもその可愛いと思う気持ちも、きっと恋愛ではないんだろう。
恋愛っていうのは、初めてでも「これが恋愛だ」と自覚出来るものらしい。
私が「恋愛じゃない」と思ってしまうってことは、つまりそういうこと。

頭まで布団を被ると、私と唯以外のもの全てがきれいさっぱり消えた。
唯は前髪を汗でおでこに張り付けながら時折咳き込んで私の乳房を舐め回して、
私は唯の頭を抱えるようにして髪のこもった匂いを嗅ぎながら声を出そうとして、
唯は喉が腫れているせいかヤスリで削られたような声を出し、
すぐに奥歯をぎりっと噛んで、声を殺そうとした。

唯は下着の上から私の股のあたりを、
声を出すようお願いするみたいにしつこく触りだし、
私はあっさり声を出してしまい、
ほとんどやけくそになって唯の背中をすっと下に向かって撫でて、
下着の中に手を入れ、
指の腹で湿った部分に触れると、
唯はしゃがれた声を出した。

唯の体温があっという間に上昇していくのがわかった。
辛そうなのに、楽しそうに見えた。
今までの唯にはない独特のムードがある。
身体が弱ってるはずなのに、私の不安を全部飲み込むくらい、唯は優しく見えた。

「唯、指入れてもいい?」

唯は私の顔をじっと見てから、小さく頷いた。
人は何か罪を犯すと、もっと大きな罪で過去の罪を塗りつぶそうとするって聞いた事がある。
でもこれが、今までやってきたことが、罪だとは思えない。
頭でわかっていても、それは後天的に押し付けられたものによっていて、納得できない。
私も唯も、誰にも迷惑をかけずに楽しんでるだけ。
子供が砂場で遊んでいるようなものなのに、それがどうして罪になっちゃうんだ。

唯の中にゆっくり指を入れると、唯は歯を食い縛りながら呻き声を上げた。

奥まで入ったところで、私は指を止めた。

「い……痛い……」

大粒の涙を流す唯を見て、

「ごめん」

と私は咄嗟に謝った。

「え、へへ……大丈夫だよ……」

インターフォンが鳴った。

私と唯は一瞬顔を見合わせたけど、それを無視することにした。

今度は唯の携帯が鳴った。

唯は携帯を放り投げてから笑って見せた。

唯の呼吸が落ち着いたところで、私はゆっくり指を抜いた。
指先についた血を見て、やっぱりこれは悪いことなのかも、と思った。

「お返しして、いい?」

やせ我慢の笑みで、唯が言った。
私は人差し指に滑る唯の血を親指で擦り、それから頷いた。

ベッドに寝たまま向かい合って、唯は私の顔を見ながら、下着の中に手を滑り込ませた。

私の身体がびくっと震える。

唯の柔らかい指が私の割れ目をなぞって、入り口を探る。

私は唯の首の後ろに手を回して、目をきつく閉じた。

唯の指が入ってくると、すぐに痛みが走った。

指が奥に入っていくにつれて痛みは増し、股間から臍のあたりまで裂かれているような気がした。

「痛い、唯、い……たい……」

布団の中で唯の腕を掴む。
すると唯は、私の中で指をくっと折り曲げた。

「っ……」

激痛に顔が歪む。

「ちゃんと我慢するから、もう一回」

耳元で唯が囁く。

言われるままに、私は唯の中にまた指を入れた。

互いの身体を痛め付けて、
もったいぶらずに純潔を捨てて、
そうするとベッドの中以外には世界が存在していないような気がした。
互いの声と指と痛みだけで構成された世界に身を委ねると、
相対性はなくなり、善悪が消えて、罪悪感も部屋の四隅に吸い込まれて、最初からなかったみたいに消えた。

今のこの感覚、この痛みと快感のためだけに身体があるみたいだ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「私達、女子大でよかったね」

私にパジャマを着させられながら、唯が言った。

「共学だったら、私達きっと男の子にころっと騙されちゃってたよ」

「そうかもね」

私は唯を寝させて布団をかけてやりながら答えた。

唯は一つ咳をしてから言葉を続けた。

「澪ちゃんとだったら、そんなことないもんね。妊娠もしないんだよ」

安全だし、何もデメリットはない。
恋愛じゃないから嫉妬とかそういう確執はないし、唯の言うように妊娠もしない。
健全で健康的な遊び。

唯が寝つくと、私は身支度をして帰ることにした。

解錠してドアを開けても、憂ちゃんはいなかった。
郵便受けに紙が一枚挟まっていて、

『鍵持ってなくて入れないし、携帯も出ないので食材だけ置いていきます。これに気付いたら連絡下さい』

という憂ちゃんのメッセージが書かれていた。

外側のドアノブには買い物袋がかかっている。
私は憂ちゃんに電話して、寝ていたと嘘をつき、唯はそのまま寝かせてるから大丈夫と言った。
憂ちゃんは懇ろに私にお礼を言った。


唯の部屋に戻り、憂ちゃんが置いていった食材でおかゆを作って、

『起きたら食べて。お大事に』

と書き置きをしてから、私はようやく家路についた。

腕時計に目をやると、もう九時を回っている。
辺りは暗くて、でも私にそれを怖いと感じる余裕はない。
空を見上げる気にもならないから、曇ってるのか晴れてるのかわからないし、お月様も星も、出てるのかわからない。

私は何をしに唯の家に行ったんだっけ。
ああ、律にバレたからだ。
でももうバレた以上の事をついさっきしてきたんだ。
今律が私達について知ってることなんて、もう問題にならない。

道の端に連なる街灯は、その一つが切れかかっていて不規則にちかちか光っている。
その下をおばあさんが犬の散歩をして歩いている。
犬もおばあさんも私には目もくれず、そのまますれ違い、私が振り向いても向こうはこちらを気にしている様子なんてなかった。

下腹部はまだ痛む。
きっと歩き方が変。
道行く人に、私のしたことを見透かされそうで嫌だ。



家に着いて自分の部屋に入るのと同時に、律から電話がかかってきた。
でも、出る気にはならなかった。



『10月3日』



お見舞いという名目で、私は夕方になってから唯の家に行った。
唯はまだ咳が少し残っていたけど、大分良くなっていた。

「明日はあずにゃんのライブだもんね。ちゃんと治したよ」

「今日は憂ちゃんは?」

「心配かけたくないから、呼んでないよ。風邪伝染しちゃっても大変だし」

もちろん憂ちゃんもライブに参加するわけだし、確かに憂ちゃんは唯を優先して練習に身が入らないってことになりそう。

「安静にしてるし、もう良くなったからって言っておいた!」

でもやっぱり安静にしているつもりはないらしい。
ベッドに座るなり、唯は私の身体に腕を絡めてきた。
安静にしてなきゃ駄目だろ、なんて言うつもりはなかった。
さっさと服を脱いで、二人でベッドに潜り込む。

毎度不思議なのは、こうしていても私には性欲みたいなものが湧いてこないことだ。
それがどんなものか知らないけど、少なくとも唯の裸を見て何かを感じる事はない。
唯の何かによってじゃなくて、単純に身体を触られる事で私の理性は弾け飛ぶ。
追いかけるのと逃げるのと、その両方で自制が利かなくなる。
唯を見て可愛いと思う普段の気持ちが、何倍かに膨れ上がるだけ。
それなのに、唯とこういうことをしたくてしたくてたまらなくなる。
きっとこれは、恋愛とも性欲とも違う、私と唯専用の、人類史上、名前のない感情が、初めて肌を合わせた時に生まれたんだと思う。


あれだけ痛がってみせたのに、唯は懲りずに指を入れようとしてきた。
私もそれを受け入れたけど、やっぱりまだ痛い。
二人で痛いのを我慢しながら、本当にこれが気持ちよくなるのかな、そのうちなるんじゃないか、なんて言葉を交わした。


遊びが終わると、私は唯に風邪薬を飲ませて寝かせた。
でも唯は言う事を聞かずにグズった。

買い置きのカップ麺を二人ですすって、それからシャワーを浴びた後、私も眠くなってきたので、ベッドに入って寝ることにした。


深夜に目を覚ますと、横で寝ている唯を触りたくなった。
だらしなく開いた口に指を入れると、反射的に唯はそれをしゃぶった。

私は唯を揺すって起こした。

「ん……澪ちゃんどうしたの?」

目を擦り、しゃがれた声の唯は眠そうだ。
今まで私から唯を誘ったことはなかったから言葉にするのは気が引けた。

私は黙って唯を見詰めた。
物欲しそうな目をしたつもりだけど、唯にそれは伝わらなかった。

「え?なに?」

察しの悪さに苛々する。

もういいや、さっさと始めちゃおう。

私は唯の下着の中に手を入れる。

「あっ?も……う、明日起きれなくなっちゃうよ……」

唯は喘いで、つっかえつっかえ言った。

早朝まで楽しんで、私と唯はまた眠った。



私が目を覚ましたのは、律から電話がかかってきてからだった。


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最終更新:2011年04月28日 00:24