ある日、某テレビ局のスタッフが、とあるドキュメンタリー番組の取材のため、これまたとある都内の高級マンションの一室を訪れた。
番組のタイトルは『消えた天才美少女ギタリスト、元放課後ティータイム・中野梓の今を追う!』であった。
部屋に一歩踏み入れると、取材陣はすぐにその異様さに気付いた。
ごみで散らかった玄関に廊下、
フローリングを埋め尽くすのは何日も清掃が放棄されたことをうかがわせる埃の山、
そしてそこら中を行きかう大量の猫の群れ――。
居間で取材陣を出迎えた梓は、見るからに不健康そうな面持ちであった。
かつては健康的だった肌の血色は悪く、
艶々しかったツインテールは光沢を失い、
希望に輝いていたはずの瞳には生気がなかった。
梓「それじゃあ始めましょうか。
さっきまで寝てたので全然頭、回らないんですけどね」
ソファに腰掛けた梓は、マルボロに火を吐けると、深く吸い込み、インタビュアーを前に気だるげに話し始めた。
インタビュアー(以下:イ)「ここ数日は何をされていたんですか?」
梓「最近では音楽と猫に構うこと以外、興味がないんです」
猫だけでなく、梓の部屋には天高く積み上げられ、所狭しと散乱したCDとレコードの山が目立っていた。
イ「具体的には?」
梓「具体的というと?」
イ「はい。と、いうのもですね。
あの超人気バンドであるHTT(放課後ティータイム)を脱退してから全く音沙汰が無く
なってしまった貴方が、今どんなふうに毎日を過ごしているのか?
と、いうことが今回の取材の最大のトピックなんです。これは貴方のファンも気になると
ころだと思いますが」
梓「えーと……ギターを弾いたり、曲を作ったり、あずにゃん2号と遊んだり……。
あぁ、あずにゃんは今じゃもう15号まで増えてるんですよ? すごいでしょう?」
イ「猫のことは置いておいて……。曲を作っているということはソロ作品を発表する意思があ
るんですか?」
梓「んー……。わかんないです。レコーディングしたくなったらしますし、したくなければし
ない。それだけです」
HTT時代の梓は、その卓越した音楽的素養と演奏技術でもって聴衆を震撼させたのみでなく、メンバーの中で最も年下で、バンドのマスコット的な存在としても持てはやされ、またそれに見合うだけのキュートさがあった。 それがどうだろう。
今、明らかに適当にインタビューに答えている梓からは、かの『あずにゃん』と呼ばれた頃の小動物のような無邪気さと対照的に内に秘めた音楽への熱き情熱が殆ど感じられないではないか。
イ「そもそも貴方はなぜHTTを脱退してしまったのですか?
世間で言われている理由には『方向性の違い』というのがあるのですが」
梓「耐えられなくなったんです」
イ「耐えられなく……?」
梓「はい。あの、ただ息を吸うだけで精神がキリキリと締め付けられるような息苦しい世界に、耐えられなくなったんです」
そう言うと梓はマルボロをもみ消し、遠い目で天井を見つめた。
(以下回想)
澪「放課後ティータイムを脱退するだって!?」
梓「はい」
律がアルコール中毒の治療施設に入所した少し後、梓は突然バンドからの脱退を申し出た。
紬「そ、そんな……今、梓ちゃんがいなくなったら……」
唯「あずにゃん……どうして!?」
梓「実は前々から考えていたんです。私は……もう放課後ティータイムではやっていけそうにありません」
澪「……律があんなことになったからか?」
梓「それは一因ではありますが、全てではありません」
澪「じゃ、じゃあ……」
梓「嫌になってしまったんです。目標だった武道館のステージにも立ったし、世界にも進出した。でもそれは逆に私にとってはプレッシャーになったんです」
梓「今では私たちの一挙一動に世界中が注目しています。
これじゃ、街を歩きながらハナクソだってほじれやしないです」
梓「私なんて……望んでもいないのに『天才ギタリスト』だなんて言われて……。
天才だなんて白痴と同じようなもんですよ。おかげでちょっとライヴで演奏をミスしただけで叩かれて……」
梓「とにかくこんな縛られたような息苦しい状況で続けるのは私には無理です。
それこそ、今では、放課後ティータイムがあのまま、高校の軽音部バンドで終わってしまってもよかったと思っています」
梓「それに……昔なら、律先輩がいないこの状況でライヴなんてありえなかった。
結局それでもライヴをしなくてはいけないのは、もはやHTTが私たちだけのものではな
く、ただの金稼ぎマシーンになってしまったから、バンドが大きくなりすぎてしまったか
ら。 とにかくもうまっぴらです」
澪「そこまで思いつめていたのか……」
紬「そ、そんな……今まで5人で同じ目標を持って頑張ってきたはずで……」
唯「これからもがんばっていこうって……そう思っていたのに……」
梓「ごめんなさい。でも、私は一刻も早くこのイカれたシチュエーションから抜け出しくて仕方がないんです」
その後、梓は契約で決まっていたライヴツアーでの数か所の演奏を終えたのち、正式に放課後ティータイムを脱退した。
梓の無気力ぶりは脱退までのステージにも顕著に表れ、
『ふわふわ時間』を澪と唯が歌いにくいようにわざとテンポを遅くして演奏したり、
『私の恋はホッチキス』では咥え煙草でコードを無視しためちゃくちゃなソロを弾いたり、
もはやバンドに対する悪意すら見てとれた。
このような状況を率先して解決できるリーダー、律がアルコールの泥の中でもがいていたことも大きかったかもしれない。
とにもかくにも、その時期、急場しのぎのセッションドラマーを律の代役に添え、
無気力ギタリストが不協和音を奏でる放課後ティータイムの演奏は、それは酷いものであったという。
梓「私は自由が欲しいんです」
それが梓の最後に残した言葉であった。
(回想終了)
梓「――と、まぁこんな経緯があったわけです」
イ「……バンドを辞めたことを後悔していませんか?」
梓「後悔? どうしてそんなものをする必要があるんですか。
私はHTTを抜けて、やっと自由を、精神の安定を手に入れることが出来たんです」
『精神の安定』
この言葉に一段と反応したインタビュアーは、公然のタブーとされてきた梓の『ある問題』について、言及した。
イ「ところで、世間では貴方は今やドラッグ漬けの日々を送っているというキナ臭い噂があるのはご存知ですか?」
余りにも悪い顔色、窪んで黒ずんだ目、フラフラと覚束ない言動。
そしてヨレヨレのシャツの袖からチラリと見えた右腕は紫色に変色し、至る所に注射針の跡すら見える。
そのような状況では、この質問の答えなど明白に思えたが――。
梓「ドラッグ? あれは最高のモノですよ。毎日……今日だってキメてますし。
最近は左腕どころか右腕に注射針を刺すところが無くなっちゃって困ってますね」
あまりにもあっさり認めたことが、逆に取材陣に戦慄をもたらした。
梓「ドラッグはHTTにいた頃、律先輩に教えてもらったんでしたかね。
まぁ、あの人はクスリより酒が好きな人だったので、あまりドップリとは浸かっていなかったようでしたが」
(以下また回想)
梓が放課後ティータイムでの活動に思い悩み始めた頃、
不意に浮かない顔をする後輩の姿を偶々見つけた律が、梓を誰もいない楽屋へ手招きした。
梓「こんなところに呼び出してどうしたんですか、律先輩?」
律「梓さ、最近なんか元気ないよな。悩みでもあるのか?」
梓「そ、そんなことは……」
律「いーや。私にはわかるぞ。なんせ部長だからな! 部員の調子は常に把握してないとなっ」
梓「(……いつも酔っぱらって前後不覚の人がよく言うよ)」
律「しかし、元気がないのはよくないな。ロックンロールじゃない!」
梓「はぁ」
律「そんな梓には、この魔法の粉を授けよう!!」
梓「?」
そう言うと律は懐から小さなビニール袋を取り出すと、中に入った白い粉で、楽屋のテーブルの上に綺麗な薄く細い直線を引いてみせた。
そしてまたもや懐からストローを取り出すと、小さな鼻の穴にそれをあてがい、白い直線を一気に吸い込んでみせた。
梓「(これって……コ、コカ――)」
律「ウッヒョー!!! キタキタキターッ!! コココココココケーーーーイン!!」
梓「(やっぱりコカイン……!)」
律「コイツは上モノだぁ~! ほら、梓もビビってないで早くヤってみろよ。そうすればすぐに憂鬱な気分も吹っ飛ぶからさ」
梓「……(ゴクリ)」
いくら気力を失った梓にでも、この白いラインを吸い上げたら、自分がもう戻れないところまで落ちてしまうだろうことは予想できた。
だが、待ってほしい。そもそも自分は戻る必要があるのか?
戻ったところでもう放課後ティータイムに自分の求めるものはないのだ。
だったら……
いっそのこと落ちるまで落ちたとしても、別にいい――。
梓「…………」
そして梓は無言のまま、律からストローを受け取ると、自ら白いラインを新たにもう一本引き、思い切り吸い込んだ。
すると、はじめは頭の中で爆弾が爆発したかのような衝撃だったが、すぐに見たこともないような世界が目の前で広がった。
それは梓にとって、自由で開放的な世界だった。
律「ヒャッハー!! 気持ちいいだろ? 景気がついたところで一曲歌おうぜ!
ニコチン、バリウム、ビコジン、マリファナ、エクスタシー、アルコール……♪」
梓「ニコチン、バリウム、ビコジン、マリファナ、エクスタシー、アルコール……♪」
律「コココココココケーーーーイン!!♪」
梓「コココココココケーーーーイン!!♪」
(回想終了)
梓「ドラッグをキメてるっていう私の発言を放送したければすればいいですよ。
たとえそれで捕まろうが、私はそれが悪いことだとは少しも思いませんから」
イ「……それは本気ですか?」
梓「でも捕まっちゃったらしばらくドラッグをキメられなくなるのが困りものですよね。
そうしたら捕まる前にアムステルダムにでも高跳びします」
イ「そのドラッグが……たとえ貴方の身体を破壊することになっても、貴方はやり続けるのですか?」
梓「やり続けます。だって、ドラッグは私に自由と幸せを与えてくれる存在ですから。
それに、腐った世界に目を向けなくちゃいけないなら、たとえこの身が朽ち果てようと
も、ドラッグの与えてくれる自由と幸せに縋るほうが、素晴らしいことだと本気で思って
ます」
そう言って、インタビュー中始めて笑みを見せた梓の歯は、既に数本が抜け落ちていた。
梓「せっかく取材に来てくれたんですから、なんか一曲演りましょうか」
そして梓はおもむろにアコースティックギターを取り出し、HTT時代の名曲、『ふわふわ時間』を弾き語りで歌い始めた。
正しい注射器の扱い方を知らず、静脈という静脈に適当に針を刺してドラッグを流し込んだことで腐りかけてしまった右腕でコードをかき鳴らし、マルボロとコカインで潰れた喉で不気味なまでにしゃがれてしまった声でがなり立てるそれは、澪が歌う凛々しい『ふわふわ時間』とも唯の歌うキュートな『ふわふわ時間』とも違う、生と死のはざまの世界を浮遊するかのように不安定で、不気味で、残酷で、それでもどこか美しい『ふわふわ時間』だった。
そしてインタビューは梓の印象的な一言で終わった。
梓「私は……自分が生きようが死のうがそんなことには興味すらないんですよ」
その後、あまりの衝撃的な内容のため、番組はお蔵入りとなり、ファンはかの天才美少女ギタリストの悲惨たる現状を知ることがなく済んだ。
だが、梓は誰にも知られることなく、猫とCDの山に囲まれ、今日も一人静かに破滅の時を待ち続けているのだった。
最終更新:2010年01月13日 02:17