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④澪の場合

唯「残るは澪ちゃんなんだけど……」

唯は悩んでいた。
律、梓、紬の三人も今でこそ立ち直ったものの、かつては深い泥沼に入り、苦しんだところである。 勿論、澪もそれは同じであろう。

しかし、メンヘラをこじらせた彼女の場合、何よりも性質が悪かったのが、その所在が全く知れないことだった。

唯「『放課後ティータイム秋山澪は既に自殺している? 冨士の樹海での目撃証言その全貌』、『北朝鮮に拉致された? 消えた美少女ベーシストの行方』……こんな記事ふざけてる!!」

つまらないゴシップの躍る雑誌を投げ捨て、唯は憤慨した。

憂「気にしちゃダメだよ、お姉ちゃん。澪先輩はきっとどこかで生きてるよ……」

唯「そんなの当たり前だよ!!」

憂「(ビクッ!!)」

唯「あ……ごめんね憂」

所在が知れなければ、いくら助けたいと思っても無駄。
そのあまりに冷酷な現実がわかっているからこそ、唯の苛立ちも募っていた。


しかし、秋山澪は確かに生きていたのだった。無論、唯達と同じ空の下で。

澪「ただいま帰りましたー」

老婆「お~、お帰りサンジュちゃん。ご苦労だったねえ」

澪「今日は大猟でしたよ。ほら、こんなに山菜がいっぱい!」

老婆「これで一ヶ月は喰うに困らんねえ」

失踪してからの澪はとある山奥の農村へと身を隠し、
某国からの出稼ぎ労働者『秋 山澪(チェ・サンジュ)』と己の戸籍を偽り、
とある老婆の家を間借りし、その農作業を手伝いながら隠遁生活を送っていた。

老婆「しかしサンジュちゃんは偉いねえ。遠い異国からこ~んな寂れた村にまで出稼ぎに来て……」

澪「いや、まぁ……好きで選んだ道ですから」

老婆「しかもこんなにべっぴんさんで、気立てもよくて、よく働いてくれて日本語も上手くて……まるで本当の娘のようだよ。爺さんが生きとったら何と言うかねえ」

澪「そんな……私なんて……」

老婆「そうやって謙遜する癖があることだけが玉に瑕だよ。サンジュちゃんはもっと自分に自信を持ちなさいな」

澪「…………」

テレビもねえ、電話もねえ、車もそれほど走ってねえこの山村で『秋山澪』おろか『放課後ティータイム』の存在を知る人間などおらず、澪にとってはこれ以上の隠遁先はなかったのだ。


かつての様々なしがらみ――
トップバンドとしての地位を守らねばならないプレッシャー、
コンサートやメディアへの露出のたびに味わう世間の好奇の目への恐怖、
新曲制作のたびに経験する産みの苦しみ、歌詞をはじめとして一変した音楽性に対する心ないバッシング、そして成功と引き換えにアルコール、薬物、裁判へと堕落し人生を狂わせた仲間の姿を見なければならない憂鬱、そういった全てのことから逃れることができた澪はひと時の心の平静を、この寂れた山村の生活の中で得ていた。
確かに都会に比べれば不便だし、仕事もきつい。
放課後ティータイムで稼いだ貯金はたっぷりあるものの、口座に手をつければすぐに自分の居場所が割れてしまう。 後ろめたい面が無いでもないが、澪は今の生活に満足していた。
そして――

子供1「さんじゅおねえちゃんおかえり~」
子供2「きょうははやかったね~」

澪「よしよし。みんないい子にしてたか~?

子供3「おみやげは~? おみやげは~?」

澪「みんなが好きなリンゴ、収穫してきたよ」

子供3「わ~い! りんごだりんごー!!」
子供1「またうさぎさんのかたちにきるやつ、あれやって~!!」
子供2「このまえたべたりんごあめもおいしかったなぁ~」

澪「よしよし。それじゃ剥いてあげるからみんな井戸で手を洗っておいで」

子供123「はーい!!!」


長引く不況、そしてここ数年毎年のように訪れる台風と寒波によって、
この村の農業は今までにない落ち込みを見せ、立ち行かなくなっていた。

そんな中、多くの農家でまだ小さい子供を残したまま、父母が都会へと出稼ぎへ行ってしまうというケースが多発していたのだ。
今、農作業から帰ってきた澪にまとわりついているのも、そんな親のない子供たちであった。

澪「ふふふ、無邪気なもんだな」

そして村で唯一と言っていいうら若き乙女となった澪は、実質この子供たちの親代わりのような毎日を送っていた。
バンド時代は殆ど周りの人間に任せきりだった炊事洗濯等の家事は、
澪にとっては新鮮で、疲弊しきった精神に対する癒しとするには十分であった。

子供1「さんじゅおねえちゃん、りんごたべたらまたそとにあそびにいこうよー」
子供2「おにごっこしよ! おにごっこ!」
子供3「さんじゅおねえちゃんがおにね!」

澪「まったく、今しがた手を洗ったばかりだっていうのに。仕方ないなぁ」

そして、子供たちに手を引かれ、村中を駆け回っての遊びに付き合ってやる時、
澪は決まって子供たちに歌を歌った。

――キミを見てるといつもハートどきどき♪ 揺れる心はマシュマロみたいにふわふわ♪

子供1「そのうた、なぁに?」
澪「私の故郷(くに)で流行っていた歌だよ」
子供2「ふーん」

都会では誰もが知っている放課後ティータイム最大のヒット曲も、寂れた山村の子供たちにとっては初めて聴く童謡のようなものであった。


子供3「なんかきいてるとたのしくなってくるね」

澪「そっか。それじゃあ皆も一緒に歌おうか」

――ふわふわたーいむ♪ ふわふわたーいむ♪

澪「何もかもを捨ててここまで来たけど、結局私にあるのはこの歌ってことか。皮肉なもんだな」

それでも澪はこのささやかな幸せに、できることなら永遠に浸っていたいと思った。

ただ、捨ててきた仲間達のことが気にならないわけではなかったが。

唯「澪ちゃん……これだけ捜索しても見つからない。警察に届けまで出したのに……ね」

紬「琴吹家から懸賞金を出しても、ダメでしたわ……」

まさかほんとに死――最悪の想像が二人の脳裏を過ったが、頭を振り乱し、無理やり追いやった。

唯「せめて……連絡を取ることくらいできればいいのに……」

紬「澪ちゃん、携帯電話はマンションの部屋に置いたままだし、預金口座には失踪したその日からというもの一度も手をつけていない……」

唯「どこにいるの? 澪ちゃん……」

紬「せめて私たちのメッセージを届けることができることができればいいのに……」


唯「!!」

紬「? どうしたの、唯ちゃん?」

唯「それだよっ!」

何かを思いついたように表情を変えた唯が、力強く手を握った。

紬「ちょ……唯ちゃん……そんなに強く掴まれると……ああ、でも強引なのもどんとこいです!」

唯「(無視)私たちのメッセージを澪ちゃんに伝える方法、あるよっ!」

紬「え、ええっ!?」

それと前後して、二人のもとに律のアルコール中毒治療施設からの退院したという報せ、
自宅に籠りギターの練習に励んでいた梓のリハビリ完了の報せがほぼ同時に届いたのは、まさに最高のタイミングであった。


年の瀬、大みそか。
山奥の村では、過ぎ行く年に別れを告げる催しとして、村長の自宅にて、山菜や田畑の収穫物をふんだんにふるまった宴会が、村をあげて行われようとしていた。

老婆「サンジュちゃんははじめてだろうけどねぇ、
   この村じゃ一年の終わりは全ての村人が村長の家に集まって、年を越すんじゃよ」

澪「へぇ、そうなんですか……」

老婆「子供たちも今日ばかりは夜更かししてもお咎めなしじゃ」

澪「そしたら、私も何か料理を作って、持っていきますよ」

老婆「そうかい。あの子達もきっと喜ぶぞい」

そうして実際に宴の場に足を運ぶと、澪は今更ながらに驚いた。
村の全ての住民が集まっているはずなのに、辺りを見回してもいるのは老人と子供ばかり。
働き盛りの男達も、子供たちに子守歌を歌ってあげられる女達も、この村にはいないのだ。
皆が都会に出稼ぎに出かけたか、あまりにも廃れたこの山村の現状に嫌気がさして出ていってしまったという。 無論、年の瀬、正月とはいえ、こんな僻地まで帰ってくることなどない。

子供1「わたしのおかあさん……『おおみそか』にもかえってこなかったよ……」
子供2「ぼくも……」
子供3「おれも……」

めいっぱいのごちそうを目の前にしても落ち込んでいる子供たちの姿を見て、澪は胸が痛んだ。


そして、思わずこんなことを考えてしまった。

澪「(私が……この子たちのお母さんになってあげなきゃ。今の私にできることなんて、それくらいしかない)」

そうして澪は寂しさに打ちひしがれ泣き出しそうな子供たちに、あの『ふわふわ時間』を優しく歌って聴かせるのであった。

子供1「でも……ことしはさんじゅおねえちゃんがいるからさみしくないよ?」
子供2「ぼくも……」
子供3「おれも……」

子供123「さんじゅおねえちゃんがおかあさんだったらいいのに……」

と、その時、居間の奥から、ノイズ交じりの音声が聴こえてきた。
それは今やリサイクルショップにも置いていないだろうほどに古ぼけた、骨董品のような旧型のテレビ。 この山村で唯一、村長の家にのみ備えてあったものだ。

そして唯一映る国営放送を村民皆で見ながら、料理に舌鼓を打ち、酒を飲み交わしながら年を越すのが毎年の恒例行事――。

澪「これは……」

そして澪は砂交じりのブラウン管の向こう側で放送されていた番組に確かに見覚えがあった。
それはそうだろう。何せ、その番組に彼女は出演したことがあるのだから。
紅白歌合戦――日本の年の瀬を飾る国民的音楽番組に放課後ティータイムはデビューの年に1回だけ、出演したことがあった。


(以下回想)
仲間ゆ○え「次は今年最も話題となった新人グループ、放課後ティータイムです。
      10代の女の子5人組のロックバンドで、デビューシングルの『ふわふわ時間』が
      いきなりチャート1位を獲得と、まさに歴史に残るガールズバンドです」

澪「あ、あ、あ、ありがとうございましゅ……!!」

仲間「初出場の紅白の舞台の感想はいかがでしょうか?」
澪「こ、紅白……国民的音楽番組……国民みんな私を見てる……ふしゅ~」
紬「あぁっ! 澪ちゃんのいつもの発作が!」
律「ったく、コイツはデビューしてもずーっとこの調子なんだから……。
  すいませんねぇ、仲間さん。で、紅白初出場の感想でしたっけ?」
唯「いえーい! ういー! 見てるー? お姉ちゃん、紅白出たよー」
梓「ゆ、唯先輩! そういう個人的なことは楽屋でやってください!」
律「と、とにかく! HTTを支えてくれた皆さん、今年は本当にありがとうございましたっ! 来年もよろしくね! りっちゃん隊長からのお願いだぞっ?」
澪「ふしゅる~……」
唯「あー、そういえば楽屋にあったお弁当……持ち帰っちゃだめですかー?」
梓「唯先輩、生放送ですよ!」
紬「それにしても仲間さんはお綺麗ですね。ええ、私はどんとこいですとも♪」

仲間「そ、それでは歌っていただきましょう……放課後ティータイムで――」


澪「(懐かしいな……)」

結局、紅白へのHTTの出演は、あのデビュー年が最後となった。
勿論、その後もオファーがなかったわけではなかったが、
スケジュールの都合やよりアーティスティックな活動を志向するバンドの方向性と番組との齟齬もあり、その後出演することはなかった。



澪「(あの時舞台の上で、緊張で倒れそうになっていた私が今や山奥の村でお母さん……か)」

寧ろ、今の状況の方が心は安らぐ――。
そう考えて、子供たちの頭を撫でようとした矢先だった。

仲間『続いて、○年ぶりに紅白の舞台へと帰ってきました――放課後ティータイムの皆さんです』

澪「!?」

澪は思わず自分の耳を疑った。そして、テレビを凝視した。

老婆「……サンジュちゃん、どうしたんだい?」
子供1「どうしたの、さんじゅおねえちゃん?」

澪「…………」

あまりの澪の挙動に老婆と子供たちが訝しがる。しかし、澪はそれに構うこともできず、画面をただ見つめた。

司会者に促されて現れたのは、確かに見覚えのある4人の顔だった。

澪「律……唯……ムギ……梓……」

老婆「サンジュちゃん、このお嬢さんたちしっとるのかい? 詳しいんだねぇ。あいにくわたしゃサブちゃんが限界だよ」


その時の澪の胸の内に去来したのは、まず安堵だった――。

澪「唯……いつも通り……こんな大舞台でも平気でマイペースに笑ってる。
  律……元気そうな顔してる……酒やめられたんだな……。
  ムギも……裁判問題が片付いたんだな……。
  梓も……HTTに復帰してくれたのか……」

画面の向こうの4人の少女は、確かに自分が知っている放課後ティータイムであった。
ただ一つ、その場に自分がいないことを除いては……。

その事実に気付いた時、澪の胸の内に次に去来したのは、諦念だった――。

澪「そうか……私がいなくても、HTTはやっていけるんだな……」

こうして4人体制で紅白という大舞台に臨んでいるのが何よりの証拠だった。
幸いなことに、自分の代わりになるような新しいベーシストの姿は見えない。
きっと演奏はサポートのミュージシャンにでも任せるのだろう、それこそ唯の妹の憂に任せるのも、いいかもしれないとまで澪は思った。

澪「なんにせよ、これで私の帰る場所は無くなったってわけだ」


正直に言えば、少なからず失望はあった。

しかし、これは当然のことだ。
律も梓も紬も、己の問題を解決するために奮闘し、それができたからこそ、今あの場に立っているのであろう。
そして、それを陰から支え続けたであろう唯は、もはや名実ともにHTTの要だ。


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最終更新:2010年01月13日 03:16