事の始まりは、私が高校2年の時の春である。
そのとき、私『
琴吹紬』は軽音楽部に所属し、新入生の勧誘活動に躍起になっていた。
そこで運命的に彼女『
鈴木純』と出会う。彼女が唯一我がクラブに見学に来たのである。
そのときに出会った彼女の笑顔を見た瞬間に、私の心はとらわれた。
そう、私は彼女に一目惚れをしたのである。
そして、それは私の彼女を追い求める4年間に至る生活のスタートでもあった。
それ以来、彼女に向けライブ中にウインクをしたり
朝校門で待ち伏せ彼女に挨拶をしたり
またあるときには彼女のリコーダーに口付け・・・
いやこれは大脳が発達した理性ある人間として断じてやっていないが
まあ、そんな感じの私の彼女を振り向かせる努力の日々が続いたのである。
しかし私の涙ぐましい努力にも関わらず、彼女は宙に舞う花びらのようにあの手この手をひらりひらりと避け続けた。
まるであなたには私は高嶺の花だとでも言っているように・・・
この物語は、そんな天真爛漫な彼女と彼女を追い求める私の努力の記しである。
ただし、過度な期待してもらっては困る。
これはあくまで記録であるため、事実を記している。
皆さんご承知のように、現実の味は無味乾燥であり、苦い砂利の味である。
そのためいかにも心躍る甘酸っぱい話をご希望の方には
書店でそういったコーナーの本を手に取るか
翁にバニラ風味の香水をかけて手を仰いでにおいを嗅いでみてるかしていただきたい。
現実はカルーアミルクほど甘くはないのだ
それでも最後まで聞いてくれた皆さんは口をそろえて言うだろう
「くだらん、貴重な時間を返せ」と。
あえて言おう、世の中を甘く見てはいけない現実に大きな期待をするほうが無理難題である。
そして、そもそもこんな時間に費やせるあなたの時間はそれほど貴重ではない。
しかし、こうは言っても想像してしまうから私も甘い、薔薇色の未来を・・・
さて前置きが長くなってしまったが、本題に入ることにしよう。
これは、ある日の私と彼女の一日の記録である。
ここからは当事者である彼女にも語ってもらうことにする。
最後に注意をしておくが
くれぐれも爺にバニラの香水をかけるときは、同意を得た上行うように。
あれ、はい?私がお話するのですか?
はい。・・・えっと、何から話せばいいのでしょうか?
では、このお話は私『鈴木純』が、同じ大学に通う親友
『
中野梓』の所属するバンド『放課後ティータイム』のライブの打ち上げに誘われたときから始まります。
梓がサービスでライブの券を無料でくれたことと
ライブハウスが私のアパートから近いこともあって
私は迷わず梓のライブの誘いを快く二つ返事で承諾しました。
演奏については私も楽器を少し齧っていたこともあって
細かく話すと長くなってしまいますので割愛させていただきますが
言えば、素晴らしいの一言です。
約1時間にわたる演奏が終わった後
私は筋骨隆々なトサカ頭のおにいさん達の間を
残りの同胞が10体以下になったインベーダーのように
清楚なかに歩きで軽やかにかわしながらやっとの思いでライブハウスの出口に来ました。
おにいさん達は口々にでぃーえむしーでぃーえむしーと叫んでいましたが
何かのおまじないだったのしょうか?
出口で携帯を見ると周囲の雑踏で気づかなかったのですが、メールが届いていました
出口で携帯を見ると、周囲の雑踏で気づかなかったのですが
メールが届いていました。
送信元 中野梓
件名 ライブの打ち上げ開催の件
内容 18時集合開始、場所はいつもの『居酒屋ふぉうえばー』、参加費特別無料也
也とは・・・。
梓は、この歳にもなって奇天○大百科をどうやら全話見ていないようで
コロ○が奇天○斎の処に帰ったため、悲しいけれど現在には既にいないことを知らないようです。
私はただ『了解』とだけ返信しました。
さて、腕時計を確認すると大体16時でした。
集合場所が私のアパートから近く、また動いて汗もかいてしまっていたこともあったので
一度帰って着替えてから出直そうと思い、アパートに向かって歩き出しました。
するとアパートの入り口でお隣さんと出会ったのです。
お隣さんは名前を古河原俊之助さんと名乗る、不思議な雰囲気の方です。
そして、横を通りかかった私はふと声を掛けられました。
「はてはて、君はお隣さんのジュン・スズーキさんでしたっけな?」
「はい、鈴木純です」
そう私が答えると、にやりと笑って紳士は続けました。それにしても、何故欧米訛りなのでしょうか?
「うむ、では君にこれをあげよう私にはもう必要ないからね」
私は、突然ギターケースを手渡されました。
「では、さらば」
さっそうと身を翻して去る紳士の後ろ姿に私は得意げに言いました
「すぱしーば!」
彼は後ろを向いて手を振りながら言いました
「Не за что」
頂いたギターケースには年季の入ったアコースティックギターが入っていました。
ここでケースにギターでなく例の彼が入っていたら私としてもテンションが一時的に上がりましたが
お隣さんも一時の思いつきによる近隣トラブルで部屋を追い出されるのはどうやら善しとはしないようです。
快く私はそれをいただくこととしました。
化粧直しと着替えが終わって時計を見るとどうやら集合時間に少し遅れてしまいそうでした。
でもお酒を飲むので自転車でなく、歩いて行こうと思います。
自転車も飲酒運転になるからです。
時刻は18時15分、いつもの居酒屋『ふぉうえばー』の暖簾をくぐり
店員さんに「放課後ティータイム」で予約していると伝えたら
そんな名前の予約がないとのことでした。
そのため店先で、頭に思い浮かぶ人の名前を一通り述べましたが
まさか『憂』の名前で予約をしているとは思いもよりません。さすがですね。
店員さんに案内されてお座敷の所へ行くと、放課後ティータイムの5人と憂がいました。
いつものメンバーです。
私は遅れてきたこともあって、一番入り口の傍の梓の隣に腰を下ろしました。
「とりあえず、麦酒でいい?」
そう誰かが聞いたので
私は「真澄の冷」をお願いしました。
今日の私はとりあえず真澄なのでした。
枝豆を食べて皆さんとお話していると、店員さんが、枡とコップに真澄を入れてくれました。
私のお酒が来ると、律先輩によって改めて乾杯の音頭が取られました。
コップを手に取り一口いただくと流石に真澄です。鮮烈な吟醸香!
いつ何時いただいてもねりもの、魚介、何でも合います。言えば、素晴らしいの一言です。
ところで、枝豆があるのに何でひよこまめが大皿3皿も注文されているのでしょうか。
ひよこまめをお箸でつまみ見ると、なかなか可愛くほほえましいものでした。
そのとき
「えっと、ちょっとおトイレに」
と言って、さっきまで奥の席で突っ伏していた紬先輩が突然立ち上がり席を立ちました。
そういえば座っている場所が手前と奥ということもあったので久しぶりに会ったのに紬先輩とはあまりお話が出来ていませんでした。
さてここで一区切りし、交代して私である。
先ほどの彼女の回想に、何で汗のかいた服の着替えのシーンを克明に語らないのだ!重要なのはここだろ!
と思い勢い余って彼女の語りに口を挟みそうになった『琴吹紬』がお話しをしよう。
まず先に、冒頭に加えて現在の彼女と私の関係を補足させていただく。
私は現在N女子大の2回生である。
先ほど紹介された彼女の親友の一人『中野梓』と一緒のバンド『放課後ティータイム』に所属する一人でありキーボード担当である。
生まれは誰もが知りうる大企業の社長の娘で、
学業優秀、容姿端麗、
その他色々話したいこと、話すべきことが山のようにあるが、長くなるのでこんな所で留めておく。
そして彼女は現在その梓ちゃんと同じKO大学に通う1回生だ。
梓ちゃんが言うには「大学に入ってから何をしているというより、なんだかふわふわしています」とのこと。
どうにか彼女とお近づきになりたいが
同じ学校だった高校時代に比べて進学先が違ったことで、彼女とは少し迂遠になってしまっている。
大学間と住んでいる所が近いこと、高校時代のつながりが唯一の頼みの綱である。
そのため、彼女とお近づきになるには、一日、いや一分たりともを無駄には出来ない。
私はこの時、入り口側の上座に腰を落ち着けていた。
知っているであろうか、飲み会の席で奥と手前に座る人は意外と話しづらいということを
しかも顔がよく見えない。なのでテーブルに前のめりになりながら彼女を観察していた。
これが、彼女が突っ伏していたと表現した所以であろう。
何故このような戦略的大敗を帰した席に私が甘んじたのであろうか。
決して冗談で「私が一番偉いから、上座に座るわよ~」なんて言って、誰も否定してくれなかったことが原因ではない。
偶然に席に着いた順であり、神の采配であった。
この飲み会を機に彼女を
「お嬢さん、この後2つの席の予約があるんだ、ひとつは夜景の綺麗なバー、もうひとつは君の隣だよ」
など気の利いた台詞で誘い
「ええ、喜んで」
などという展開があれ万々歳であったが、どうやら世の中、カルーアミルクほど甘くはないらしい。
席の戦略的大敗、これは今更避けようがない事実であった。しかし、落ち込んでいては始まらない。
反省は次の成長に活かさなければならないのだ。
かの有名な詩人は言った
『大きなチャンスがあなたの前に姿を現す時はきっと来る。
その時、あなたはそれを利用できる準備ができていなければいけない』
イメージトレーニングを何百万遍と繰り返してきた私にとって、準備はすでに整っているといってもよい。
後はチャンスを招き入れるだけである。
主人公は時として自分がいかに不利な状況でも
屁理屈を捏ね繰り回して
詭弁ふるいにふるってでも行動に出なくてはならない。
そっちのほうが、話が盛り上がるのだ。
「えっと、ちょっとおトイレに」
そう言って私は立ち上り席を離れた。
お気づきかも知れないが、トイレに行くと言うのは口実であり、でまかせである。
諸君はこのような体験がないだろうか?
サークルや会社の飲み会で、隣に座っていた同僚や友人が「トイレに行ってきます」の一言を残して席を立ち
数分後気づくと、さっきまで隣にいた彼が、刺身の妻ほどの存在感で、気になるあの子の隣にいて
自分の隣が実に面倒臭いあいつになっていたことが
この現代流孫子的兵法を駆使しようというのだ。
というわけでトイレに行ってきます。誰かが「いっといれ」と言ったので、私は満面の笑み繕い、返した。
通りすがりに見た彼女は、枡を片手にひよこまめをつついていた。
15分後、トイレでイメージトレーニングを重ねに重ねて、他の一般客に不振な目で見られたため、慌てて部屋に戻ってきた。
しかし、扉を開けた瞬間から、何故か、みなの眼差しがこちらへ向けられている。
彼女は未だにひよこまめをつついていた。
これでは先ほどの策が打ちようもない。果報は寝て待て。
こう心に言い聞かせつつ、渋々、渋々渋々、渋々渋々渋々、渋々渋々渋々渋々
元の席に戻った私であったが、席につくと見慣れぬ光景が私の前に広がっていることに気づいた。
私の席に中ジョッキに並々と注がれた褐色に輝く美しい液体が置かれているのである。
一体、これは?
紬先輩が席を外した後のお話です。
私がちょうど気分を変えて、ウイスキーのロックを注文した時
「私たちの中で一番お酒が強いのはだれだろう?」ふとこんな話題が机上にあがりました。
一体誰が言い出したのかは未だに定かではありません。
後々聞いたところ、皆さん口をそろえて私じゃないと言ったので、言い出したのはきっと飲み会の妖精である唯先輩でしょう。
結構な量のお酒を飲んだとしても皆さん酔った姿を見せないとのことで、思った以上にこの議論は白熱しました。
するとその後まもなくはたまた誰が注文したのか、中ジョッキに並々と注がれたウイスキーが来てそれが皆さんの総意で紬先輩の席に置かれました。
これも誰が頼んだかは定かではありませんが、多分、皆さん口々に私じゃないと言ったので、きっと飲み会の天使である梓の仕業だと思われます。
あれ、ところで論点は、私たちの中で一番お酒が強いのは誰だろうってことじゃなかったっけ?
こんな疑問が私の心にぽつんと湧きましたが、皆さんの総意でこの議題に対してこの結論に到達したので、多分私が間違ってたのでしょう。
そんなことを思いつつ私はウイスキーのショットグラスを片手に、ひよこまめで大皿にナスカの地上絵を模写していました。
さて目の前にある、この褐色の美しい液体であるが
多分私がトイレに長く入っていたため、親切な誰かが酔ったと勘違いしてウーロン茶を頼んだのでくれたのであろう。
なんて親切な。
ふと右側を見ると唯ちゃんが楽しそうに隣に座る梓ちゃんと
その横に座る彼女鈴木純、正面に座る妹の憂ちゃんと話していた。
私はそっと唯ちゃんの前にそのウーロン茶を置いた。
ウーロン茶からは100年の歴史ある樽の香りが爽やかに漂っていた。
それから5分後だろうか10分後だろうか
私が正面に臥すりっちゃんとその横の澪ちゃんと普通に会話をしながら頭の中で次の策を練り直していた時のことだった。
私が右ひじを机の上に置いた瞬間、急に私の右腕にごおおおと言う音と共に重みが感じられたのだ。
気づくと、右手に先ほどの中ジョッキが納まっていた。
いや語弊があった。
正確に言うと、隣に座る唯ちゃんが思い切り私の右腕めがけて中ジョッキを滑らしたのである。
もちろん、彼女は一流のバーテンでもなんでもないただの一女子大生なので、ジョッキの勢いを加減できない
私が慌ててそれを制止したわけだが、結果、私の右手に先ほどの中ジョッキが収まった。
自然と涙が出るくらいぶつかった右手がめちゃくちゃ痛かったが、私は笑顔を作った。
梓ちゃんが言った
「あれ、ムギ先輩何を持ってるんですか?」
お前は何を言っている?
心でそう思ったが、それを言う前にどこからともなく一気コールが沸き起こり私の台詞はかき消された。
普段なら澪ちゃんが制止に入ろうものだが、今日は何故か入らない。
まさか前回の飲み会で彼女の焼酎水割りを焼酎9水1で作っていたのが原因だろうか。
しかしこれはこの日に行われたライブに負けるとも劣らない盛り上がりである。
皆の注目の視線が私に集まっていた。
この盛り上がりのためなら、ウイスキー水割り一杯くらい余裕である。
このときちょっとおいしいと思ったことを私は今でも後悔している。
そして彼女も私に注目しているはずと思い私は彼女の方を見た。
その瞬間、どちらにしても私は一気にジョッキを飲み干した。
自棄酒であった。
周囲からはおおと歓声が上がったが、これ以降私はこの日の表舞台から姿を消すことになる。
というよりこれ以降のこの日の記憶がないので語れない。
薄れ行く意識の中で最後に私が見たのは彼女が隣の梓ちゃんにひよこまめをあーんしていた光景であった。恥を知れ。
なんでウイスキーがジョッキに生の状態で入ってるんだよ、阿呆。
そう思ったが早いか否か、私はガクンと膝から崩れ落ちた。
やっぱり現実は無味乾燥な砂利の味である。決して甘くはない。
紬先輩が席に戻ると、紬先輩は私たちとお話している唯先輩の前にそっとジョッキを置きました。
数分後、私はびっくりしました。唯先輩がそのジョッキを紬先輩の右腕めがけて
それはそれはすごい勢いでジョッキを滑らしたのです。
紬先輩はジョッキをあわててつかみましたがゴチンと大きい音がしました。
それでも紬先輩はいつも通りニコニコ笑っていて、唯先輩は相変わらず私たちとお話しています。
痛くないのでしょうか?
すると恒例の一気のコールが沸き起こりました。
コールの出所は最後まで皆さん口をそろえて私じゃないと言っていたので、きっと飲み会の妖精である澪先輩の仕業でしょう。
私は大皿にナスカの地上絵を模写することを再開しようと思いました。
私はひよこまめで大皿にナスカの地上絵を模写することを試みた第一人者であると自負し、フンスと気合を入れました。
その時、私は気づいたのです。
なんと私の約1時間半に及ぶ大作が、見るも無残に崩壊していていることに・・・
よく見ると隣に座っていた梓が口をむぐむぐしています。
そして箸で私の芸術の残骸を拾い上げ、ひょいと口に入れ、またしても口をむぐむぐしています。
この芸術を見もしないで。恥を知れ。
食べるなら、せめて味だけでなく芸術を味わって食べなさいよと怒り心頭です。
私は蓮華でナスカの地上絵(未完)を掬うと、それを隣に座っていた梓の口に力いっぱい押し込み
他にあった大皿のひよこまめもすべて一粒残らず梓の口に押し込みました。
私はこの日梓の隣に座った席の戦略的大敗を悔やみました。
梓が芸術を味わいつくした所で我に帰ると、紬先輩が空のジョッキを右手に、また机に突っ伏していました。
まもなくして、ラストオーダーの時間になりました。
その後唯先輩と澪先輩と梓と憂の四人は、床に臥した二人を背負いながら
二次会にカラオケにオールナイトで行くと言って私を誘ってくれましたが、私は丁重にお断りし帰路に着きました。
昼間ライブして、オールナイトでカラオケに行くとは、やっぱりこの人たちはさすがです。
それにしてもこの日はとても楽しかった日でした。
何で無謀にも紬先輩はジョッキを一気して床に伏すことになったのでしょうか。
わからないことを考えても仕方がないので、今度会ったときに聞いてみよう。
わからないことは調べるよりも聞いたほうが分かりやすいことが多々あります。
そんなことを思いながら自分の部屋の前に着くと
隣の部屋から大正琴の澄んだ音色と共に実に渋い声で歌うImagineが聞こえてきました。
いまじんおーるざぴーぽー♪
鼻歌まじりに私は自分の部屋のドアを開けました。
前編
「Imagine」
おしまい
最終更新:2011年05月05日 03:03