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「駄目ですよ、えと、ええと」

「真鍋よ。一応生徒会長だから名前くらいは知っておいて欲しかったんだけど」

「すみません。で、ですね、真鍋さん、それされたら嫌じゃないですか」

はあ、と間抜けな声が出た。

「嫌ですよ。それじゃあ図書館に来なくなっちゃうかも知れないでしょ?」

「まあ、そうね」

「それじゃ駄目ですよ」

他の二人もうんうんと頷いている。
そんなものかと思おうとしたが、全く理解出来ない。

「でも、本返してもらいたいんでしょう?」

「そうだよ」

返事をしたのは風子だった。

「でも、人が来なくなるのはちょっとイヤかなあって」

「いや、それは我侭よ」

「のどかなら何とかしてくれるかなって。無理ならいいけど」

私は自分で意識する前に、口に出していた。

「無理じゃないわよ、やるわ」

さて、困った。
なにより驚いたのは、あれで話し合いが終りになってしまったことだ。
私がやる、と言ったらそれでおしまい。どういうことだ。

少し途方にくれて、中庭でぼうっとしていると、とん、と肩を叩かれた。

「どうも」

鈴木さんだった。
軽快な動作で私の隣に座って、ちらとこっちを見てくる。

「真鍋さん、どうするつもりです?」

「……困ったわよねえ」

私がそういうと、彼女は顔を輝かせた。
無邪気な笑みで、図書室の中で見るのと外で見るのとでは全く違った印象を与える。

「ですよね。もしかして真鍋さんもあれで解決したのかと思って、びっくりしちゃいました」

「やっぱりそうよね、あれで話し合い終わりなんて絶対おかしいわよね」

「ええ。それで、もうちょっと話し合いませんか? どうにも不安でならないので」

それで私と鈴木さんとで話し合いを始めたが、全く進まない。
終いには鈴木さんも私も苛々してきた。

「だから、トレードオフだって言ってるじゃないの」

「難しい言葉使わないでくださいよ!とにかく、人が来なくなるのは嫌なんです、なんで分からないんですか」

「だって」

私は常々考えていたことを、そして、当然正しいと思っていることを言った。

「分かる訳ないじゃないの。他人が何をどう考えているのかなんて」

鈴木さんは一瞬目を見開いて、それから頭を掻いた。
まいった、なんて言っている。
私はそれを、じっと見ていた。

「……そうですね、そういうふうに真鍋さんが考えているってことも、私には分からなかったわけで」

なんだか妙にしおらしい。
会ってから十数分、ずっと溌剌だった彼女が急にこんな調子になれば、不安にもなる。

「え、なんかごめんなさい」

「いえ、でもですね、私、そういうの好きです。最近好きになりました」

ふと気がつくと、鈴木さんの目が、風子や宮本さんと同じように見えた。
目を逸らそうと思ったけれど、出来ない。

「そういうの?」

「こういうのです」

それっきり、鈴木さんは黙りこんでしまった。
しようがないので私も黙って中庭を見つめる。
春先だから、どこから種子が飛んできたのやら、たんぽぽが生えていた。

鈴木さんがぼうっとどこかを見つめながら、こんなことを言った。

「誰が何をどう考えているのかなんて、分からないんですねえ……そうですよね」

「なによ」

「いいえ、なんでも!」

鈴木さんが勢い良く立ち上がる。
たんぽぽが揺れた。

「楽しかったです!」

そう言って、彼女は駆けていった。

楽しかった。そう言った。

楽しかった。
意見の相違は、価値観の相違は不快感しか生まないと思っていたのだけれど。
楽しかった、か。

予鈴がなる前に教室に戻ると、幼馴染の唯が、むつかしい顔をして本とにらめっこしていた。
その肩をちょん、と叩いて尋ねる。

「ねえ、唯、それ返却期日は守ってるわよね」

「あ」

と言って、唯は固まった。
恐る恐る貸し出しカードを取り出して、溜息をつく。

「やっちゃったあ……昨日返却だったよ。図書館警察来ちゃうなあ」

「図書館警察?」

「そう。返却期日を守らないと強制的に回収しに来るの。怖いなあ」

私はちょっと黙り込んだ。
またなんか馬鹿な事を言っている、ぐらいで済ますことも出来ない。

「ねえ、唯」

声をかけておいて、その後で私は言葉を探した。

「どうして期日忘れちゃったの?」

唯は満面の笑みで答えてくれた。

「楽しいから」

それから、図書室で本を借りていると思しきクラスメイト何人かに声をかけた。
そのうちには、返却期日を守っていない人もいた。
とりあえず、立場上早く返すように促しておいたけれど、むしろ気になるのは、彼女たちが読んでいる本だった。

立花さんは夏目漱石の三四郎なんかを読んでいて、かなり意外だった。
彼女は髪を茶色にそめていて、軽くパーマも当てている、所謂不良っぽい子なのだが、
純文学の文庫本を片手に、足を組んで頬杖を付き読書に勤しむ姿は中々様になっている。

「立花さん、立花さん」

「うん?」

「それ、面白い?」

「面白いよ」

それっきり、立花さんは本に集中して、私のことは気にかけていない様子だった。
ふと思い出したように貸し出しカードを見て、あちゃあ、と言った。

「ごめん、これ期日過ぎてんね」

「あら、そうなの」

「ていうかこれ春休みから借りっぱなしだ……道理で機嫌悪いはずだよ」

「誰が?」

「アキヨ。悪いことしたなあ」

考えこむように額に手を当てて、黙りこむ。
ちらと私の方を見て、苦笑した。

「どうしたもんかな」

「どうして遅れたの?」

「そりゃあ」

立花さんは嬉しそうに笑う。

「面白いから、何度か読んでるんだ。毎週延長しに行ってたらなんかしらけちゃうし」

唯と同じような笑い方だ。
そっか、と返して、私も笑った。

「怒りやしないわよ、きっと」

なんとなく、だけど。

ちょっと楽しいと思った。
なんども本を読むなんて私はしないけれど、こんな風に楽しそうにそれをする人もいる。
私と違うところが、そのまま彼女の特徴になる気がした。
それだけで、ちょっと彼女のことを知れた気がした。

「図書館警察かあ」

私は独りごちた。

存外、人の話を聴くのは面白い、と思うようになってきた。
昼休み、私は個人的に本を返却していない人のところを訪ねて、その本についての話をしつこく聞かせてもらうことにした。
楽しそうに話をしてくれる人もいれば、不審気に眉をひそめる人もいる。

どちらにしても、大抵はそれで次の日には返してくれている、らしい。
宮本さんから聞いた話によると、だが。

しかし、手ごわい人もいる。
私は今日も中庭へ向かい、体操座りをしているその女の子の隣に腰を下ろした。

「それ、面白い……って、前にも聞いたわね」

「前にも言ったわ」

女の子はちらりとこっちを見て、また、膝の上に置いてある本に視線を戻した。

「どうなったの、主人公は」

「図書館警察を、お菓子で撃退した……なかなか独創的」

図書館警察、というのは、小説に出てくる虫のような怪物のことらしい。
やっと読み終わったのか、と私は微笑んだ。

「そうなんだ……もう一回読むの?」

「読まないよ」

「じゃあ、返すの?」

「返さない」

「じゃあ」

私の言葉を右手で遮る。
おかっぱ頭の彼女は本を口元まで上げて、くすりと笑って言った。

「持ってるの。図書館警察が来るまで」

そうして、読み終わった本を胸に抱えて、ぼうっと空をながめている。
彼女は誰に言うでもなく、独りで呟いた。

「面白いでしょう」

そうねえ、と答えて私は中庭に目を遣った。
たんぽぽが何本も生えている。
時たま触れ合って、揺れている。
あとしばらくしたら、触れ合うたびに種子が飛ぶようになるんだろう。

「楽しいなあ」

私の声は春に飲まれた。




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最終更新:2011年05月13日 02:42