あずにゃん二号「俺は猫なんだけど」
「行ってきまあす」
ぼんぼんが家を出た。
朝から騒がしい奴だ。
近頃は家に帰ってきては本を読んでばかりいて、とうとう気でも狂ったのかと思ったのだが、
この朝の騒々しさから察するに、ありゃあ一時の気まぐれだろう。
「はーいご飯よ」
俺の世話係が食事を持ってきた、
猫まんまを本当に猫に食わせる奴があるか。
心のなかで毒づいたが、他に食うものもないからしようがない。
もうちょっと上手いものを食いたいなあ、と思いながら、すぐに居心地の悪い家を後にした。
外は存外いい天気だ。
そういえば、本は日光に当てると痛んでしまうんだが、あのボンボンは知っているだろうか。
この間見たときは本を読みながら下校していて、車に轢かれやしないかとワクワクドキドキしたのだが。
いや、ドキドキしたのだが。
塀の上を歩いていると、俺が時たま吐く毛玉のようなものが見えた。
案の定ボンボンだ。
隣には、勝手に俺のことを二号呼ばわりしてくれた触覚が並んでいる。
「純さあ、最近付き合い悪くないかな」
「そう? まあここんところは昼休みは図書室行ってるからね」
「私と憂とで二人ぽっちで食べてんだよ?」
「まあ、いいじゃないの」
ボンボンは事も無げだ。
触覚が少し可哀想に思える。
でも正直どうでもいいので、こいつらの話を盗み聞きするのはそれなりにして歩みを進めた。
空き地について、塀を降りる。
たんぽぽが生えている。
まだ大体まっ黄色だが、いくらか既に種子を付けているのもある。
いつだかボンボンが、たんぽぽに息を吹きかけて飛ばしていたことがあった。
お前にはできないね、などと俺に言っていた。
思い出すだに腹がたつ。
ぱし、と手で叩いてみる。
種は飛び散ってはすぐに落ちるばかりで、あいつがやったようには飛んでいかない。
ちくしょう。
しばらくそうして時間を潰して、お昼時に学校へ向かった。
この時間に校舎に入るといくらなんでも目立ってしまう。
ボンボンにバレたら何を言われるか分かったものではないので、なるべく人に見られないように入らなければいけないのだが、
俺はこの間お誂え向きな場所を見つけた。
木から二階の窓の傍の出っ張りに飛び移って、ちょっといったところ、ここ。
ここにベニヤ板で隠されてはいるが、穴があるのだ。
穴は人間の顔くらいの大きさがあるから、俺は悠々と通れる。
ここ最近はこの穴を利用させてもらっているが、全く人間はお馬鹿さんだ。
この穴から泥棒が入ったらどうするんだ。ボンボンが怪我するんじゃないか。
それにしてもちくしょう、出口のポスターが邪魔臭いな。
なんだか良く分からない音がなった。
知ってる、これはチャイムとか言う奴だ。
ということは、時間的にもいい具合だ。
俺は尻尾をぴんと張って図書室へ向かった。
図書室には実は俺がいつも一番乗りだ。
棚の後ろに隠れて、眼鏡をかけた引っ込み思案が来るのを待つ。
引っ込み思案眼鏡は直ぐに来た。
今までは、カーテンを開けてくれたり場所を開けてくれたり、なんやかんや尽くしてくれて、
かつそれを無視すると反応が可愛かったものだが、最近は無視しても
「もう、困るなあ」
しか言わない。
しかも笑っている。絶対困っていない。
だから、近頃は暇だ。
ちょっとすると派手な茶髪も図書室に遊びに来るが、こいつはもっと苦手だ。
引っ込み思案眼鏡が好いているようだから、ずっとここに居座るのも気まずくなってしまう。
今日は図書室をうろうろ歩きまわってみよう。
ちょっと待ってると、短髪眼鏡が来た。
図書室に来る奴なんて、大体眼鏡だらけだ。
「あら、あなたまた来たのね」
と言って笑っている。
存外こいつは頭を撫でるのが上手い。俺もつい犬のようにやられてしまう。
それから、長髪眼鏡が来た。
こいつは俺に見向きもせずに本を読みつづけるから嫌いだ。
いくらなんでも完全に無視されるのは寂しい。
そうして、最後にボンボンだ。
「高橋さん、真鍋さん、こんにちは」
などと礼儀正しく言っている。
昨日なんかは宿題が終わらないと言って俺をひっぱたいたくせに、よくもまあこうも猫をかぶれるものだ。
本職の猫から言っても感動的なくらい、上手に猫をかぶっている。
今すぐ化けの皮をひっぺがしてやりたいが、怒られるのは嫌だから俺は本棚に隠れた。
静かな時間が流れる。
実を言うと、俺はこの感じが好きだ。
紙と糊の匂いが鼻孔をくすぐる。頁の摺り合う音が心地いい。
「ところで、真鍋さん」
だから、俺はボンボンが嫌いだ。
「どうして胸ってセックスアピール足りえるんでしょうか」
黙れよホントにもう。
「……それは、どういう意味かしら」
短髪眼鏡も不思議そうな顔をしている。
しかし、困ったことだ。
「単純に胸が大きいほうが遺伝子的に優位だと認識しているから、じゃないのかしら」
こいつは割と話に乗ってくる。
俺は悲しくなりながら、こいつらの会話に耳を澄ませる。
「それがどうしてか、って話ですよ。例えばお尻なら、安産型とかいいますし、遺伝的に優位だというのもわかります」
分かるのかよ。
「しかしですね、胸が大きいというのはどうなんでしょう。
人間が野生動物であったときのことを考えてみると、これはハンデでしか無いじゃないですか」
「なるほど、確かに敵から逃げるのが遅くなるものね!すごいわ純ちゃん」
なんでそんなに楽しそうなんだ。
「えへへ。それでですね、やはり胸がセックスアピールになるのはどう考えても不自然でしょう?
病弱に魅力を感じるくらい可笑しいことです、生物的に考えると」
「そうね。しかし、もしかしたら胸は生物的ではなく社会的欲求に答えているのかも知れないわ。
病弱と同じく、生物的に不利な面を見ることが、社会性を持つ動物としての人間の理性に訴えかけるんじゃないかしら」
「あー、確かに弱そうな子を見ると守ってあげたくなりますもんね」
嘘つけよテメエ。
「優しいのね」
優しくないよ。逆博愛主義だ、そいつは。
「いやー、私って昔から正義感強くて……」
それからしばらくボンボンの独り語りが続いた。
共同生活を営んでいる俺からすれば、八割方嘘だった。
こいつがしょうもないことをしゃべり続けている間、長髪眼鏡は黙々と本を読んでいて、大したもんだと思った。
「それで言ってやったんです、私の本質は身体ではなく魂に、つまり物体ではなく精神にあるのだと。
すると彼は感涙を流し、そして……」
数分ほどボンボンはしゃべり続けていた。
俺も好い加減眠くなってくる。
短髪眼鏡も、途中からは本を読みながら、話半分に聞いていた。
それが、急にひらめいたように口を開いた。
「ねえ、思ったんだけど、胸の大きい人って基本的にお尻も大きいじゃない?」
「あ、その話しに戻りますか」
その話に戻るんだ?
「うん、もどるの。それでね、つまり胸はお尻と連動した評価基準となっているのよ。
それで、人間の歩行体勢から考えても胸のほうがより見え易いから、胸が目立ったアピールポイントになるんじゃないかしら」
「なるほど、つまり本体は尻だと!」
「そう、胸は幻影、写像でしか無かったのよ。イデアは胸にあったの!」
何を言っているのか良く分からない。
長髪眼鏡も心なしか苛立っている様子だ。
「そうだったんだ……じゃあ、豊胸って虚しいですね」
「そうね、看板ばかり整えて、店はぼろいようなもんよね。詐欺ね」
「しかし胸が重要な性徴だということは分かりましたね!」
「ええ、だからこれからもブラジャーを着けましょうね?」
「はい!」
俺は静かに立ち上がり、図書室を後にした。
いいかげん黙ってよ、と悲痛な叫び声が聞こえてきたが、俺は振り返らなかった。
ボンボンが楽しそうで何より。
家に帰って、また本を読んでいるところに寄って行くと、頭を撫でられた。
短髪眼鏡のほうが上手だったが、いい気分なので、撫でられてやった。
「……毛玉はかないでよ?」
おまえが言うなよ、頭に毛玉付けてるくせに。
俺はそう言って、ごろりと横になった。
にゃあ。
最終更新:2011年05月13日 02:45