――再び、この惨劇を引き起こした雷光が迸った。

紬の持つ携帯電話を掠めるような軌道で放たれた神の雷は、紬の右腕に感電時独特の生々しい電流斑を残し、目標である携帯電話を完膚なきまでに破壊した。

紬「うぅ……いたぃい……」

唯『ふぇ……、どう、どうして……、わたしじゃない……ムギちゃぁん……うえぇん……』

憂「ハァ……ハァ……!! お姉ちゃん……安心して……!!」

そう、神の雷の引き金を再度引いたのは、平沢憂。遠隔操作で彼女にも神の雷を発動させることが出来るのだ。
人に向けて装置……いや、兵器の引き金を引いたことで、明らかに興奮している。

燃え盛る木々を背景に、燃え上がる狂気を押さえつけられずに、彼女はもう一度、引き金を引いた。
目標は琴吹紬、再度彼女に向けて神の雷が襲い掛かる。標的を絶望させるに十分すぎるほどのスピードで、金属製の腕が走る。

そして、地面に垂直に突き刺さった。

電光石火で現れた琴吹家執事長、斉藤が神の雷を叩き落したのである。

斉藤「お待たせしました……。紬お嬢様」

紬「さ、斉藤!」

斉藤「ご安心ください、もう大丈夫でございます」

憂「くっ……」

突然の出来事に焦燥した憂は何度も神の雷を再起動し、斉藤を襲わせた。
しかし彼は絶縁性の分厚い手袋をはめており、雷撃は全て叩き落され、遂にはその怪力で根本から引き千切られてしまった。

唯『あわ、あわわわ……たすけてぇ……』

唯は唯箱の中でひたすら怯えていた。何が起きているのかもわからずに、ただただ操縦桿に触れないように、手を隠していた。
わたしじゃない、わたしじゃない。どうして、どうしてこんなことに。
箱の外の映像を見るためのモニターの電源を落とし、箱の中の照明も切り、目まで瞑った。
光のない暗闇の中で、箱の外から聞こえる破壊音と木々が倒れる振動と周囲を焼き尽くす熱に震え続けた。

唯『し、死んじゃうっ! 死んじゃうよおぉおっ……助けてえ! ういぃいっ……!!』

唯はあまりの恐怖に小便を漏らしていた。無意識か偶然か、普段用を足すタンクに黄金水は溜められていく。
流水の音が聞こえる。音姫――女子トイレの音消し――だ。憂の姉に対する配慮が伺える。


琴吹家執事長、斉藤(齢四十五、独身、童貞)は、女子トイレという空間とは無縁の人生を送ってきた。
小中高と、琴吹家の執事となるべく、男子校でその道の専門知識を身につけてきた。
そう、彼にとって女子トイレという聖地にある装置は全て神聖なものであり、なにものよりも優先されてしかるべきものなのである。
小耳に挟んでいた音姫――果たして本当に存在するのかと疑問にすら思っていた――が今この場で実際に作動している。

彼の身体は考えるよりも先に動いていた。
速く。迅く。疾く。音を置き去りにするようなスピードで唯箱に耳を当てる斉藤。

ジャアー、という流水の音に紛れ、ちょろちょろと雫がはじける音がかすかに聞こえる。

――最高に、気持ちいいな――

斉藤は絶頂に達し、粘土細工を床に叩きつけたかのようなべちゃあっとした笑顔を浮かべたまま――、

ガンッ、べちゃあっ。

――憂のかかと落としを受け、地面に沈んだ。


平沢姉妹は逃避行していた。
人目につかないように行動し、追っ手は全て修理した神の雷で蹴散らして。

マスコミと琴吹家から追われるようになった二人は、頼る身寄りもなかったが、強かに暮らしていた。
窃盗や詐欺など、多くの犯罪を繰り返し、人としてのモラルは捨て切ってしまっていたけれど、二人の姉妹愛は、いや、二人はそれを超えた何かを手に入れていた。

二人は互いのことを想いあい、雨の日も、風の日も片時も離れず乗り越えてきた。
箱の中の唯は、箱の外の憂に触れられず、箱の外の憂は、箱の中の唯に触れられなかったけれど、それでも二人は心と心でしっかりと繋がっていた。


二月二十一日。この地方では珍しく、雪の降る夜のこと。
唯は翌日に迫った憂の誕生日のためにプレゼントを買いに街へ出かけていた。
見知らぬ土地ではあるが、街に出ればどこかしら"いい感じ"の店はあるもので、唯はそこで、小箱に入ったプレゼントを買った。

盗んだ金ではない、唯は、憂のプレゼントを買うために、こっそりとアルバイトをしていたのだ。
幾度となく窃盗を繰り返した唯だが、妹の誕生日プレゼントだけは、綺麗な、真っ当な金で買ってやりたい。そう思って、この数日間辛いアルバイトにも耐えてきたのだ。

唯は余った僅かな給料を自販機に投入し暖かいコーヒーを買い、一人で身体を冷やしているであろう妹のもとへ急ぎ帰る。

唯箱の中は防寒も万全で、寒い冬でも快適だ、もちろん夏も汗一つかかないように設計されているらしい。
自分のことを常に考え、労わってくれる妹。
そんな愛しい憂に、少しでも恩返しがしたかったのだ。

二人での逃避生活は、怖かったけれど、楽しかった。
唯は振り返って、そう思う。
そういえばカメラの録画機能が始まったのは、十一月二十七日の唯の誕生日のことだった。
一テラバイトもあった記録用ハードディスクも、明日辺りには容量が埋まってしまう。それほどたくさんの時間を、思い出を、憂と、この唯箱とともにしてきた。
姉の誕生日に始まり、妹の誕生日に終わる。そんなどこか運命じみた偶然に自然と笑顔がもれた。

これからも憂と二人なら、どこまででもいけると、何テラバイトでも思い出を重ねていけると、そうなんとなく唯は確信していた。

そんなことを考えていると、もう少しで憂のもとにつく頃だ。
唯は唯箱を操作するアナログスティックをいっぱいに倒し、道を急いだ。

赤信号につかまったが、交差点の向こうには既に愛すべき家族、憂が待っている。

手を振る彼女に笑い返し――尤も、箱の中では笑顔を見せることも出来ないのだが――、信号が青になるのを待つ。


その一瞬。


世界が。


スローモーションに。


なった。


巨大な。


鉄の。


塊が。


トラックが。


憂に襲い掛かろうとしていた。


唯『うわああああああッ!!!!』

叫ぶより早く、唯箱は憂を助け出すべく動き出していた。
神の雷でトラックのタイヤを叩き割り、緊急時用のブースターを噴射して、トラックの前に立ちはだかる。
憂の身体を安全圏に突き飛ばし、自らも回避すべく最大出力で動いた。

が。

その努力虚しく唯箱はトラックの車体に巻き込まれ粉微塵に吹き飛び、唯自身も投げ出され数メートル宙を舞った。
思い出の詰まったハードディスクも、小さな暖かいコーヒー缶も一緒に吹き飛んで、砕け散って、ばら撒かれた。

憂はすぐに唯のもとに駆け寄り、声をかける。

憂「お、お姉ちゃんっ!!」

唯「う、……うい…………」

憂「お姉ちゃん!喋らないで!今救急車呼ぶから!」

唯「あはは、大丈夫……、ちょっと、すりむいただけ……。さすがういの作った唯箱だね……」

奇跡的に唯は無事だった。憂を安心させるように、優しい声で言う。

憂「ほ、ほんと?嘘ついてない?」

唯「……うん、憂、憂ならわかるでしょ……?」

憂「で、でも……心配だよう……!」

唯「だいじょうぶだから憂、もっと顔、良く見せて」

三ヶ月。
三ヶ月ぶりに、二人の手と手が触れ合った瞬間であった。

唯箱は、唯と憂の絆を守るための装置である反面、二人を分かつ装置でもあったのだ。

野次馬たちが二人を囲み始めていたが、お構いなしに二人は抱き合った。
お互いの確かな感触を、全身で感じ取りたかった。

唯「やっぱりういは、カメラやモニター越しじゃなくて、自分の目で見たほうが可愛いね」

憂「お姉ちゃんもだよお……!ごめんね、あんな箱に閉じ込めて、ごめんね……!」

唯「いいんだよ、それに、嬉しかった。中に何も入ってないなんてうそじゃん。あの箱には憂の優しさが一杯詰まってたんだよ」

憂「おねえちゃあん……」

唯「……いいこ、いいこ」

いつかのように、憂の頭をなでる唯。慈しむようなその手つきは、唯箱のアームでは出来ない、一人の姉だけのものだった。
そして、懐に大切に入れていた小箱を取り出し、憂にそっと手渡す。

唯「誕生日は明日だけど……、これ、誕生日プレゼント」

憂「え……」

唯「15歳の誕生日おめでとう。憂。大好きだよ」

憂「お、おねえちゃん……」

唯「えへへ……、内緒でアルバイトして買ったんだ……、あけてみて」

憂「これ、指輪……?」

唯「安物でごめんね、えっと、結婚指輪は、給料三か月分が目安だったっけ」

憂「け、けっこん……へ……」

唯「アルバイト数日分のお給料で買ったけど、そこは、三か月分の思い出がつまっていることで許してね……。憂、」

憂「は、はい! ……」

唯「来年、憂が16歳になったら、本当の意味で、私のお嫁さんになってくれる?」

憂「あは……、うん……! もちろんだよっ! お姉ちゃん、大好き!」


降り積もる雪の中、二人は指輪をはめて、気の早い誓いのキスをする。
野次馬たちは状況を理解できていなかったが、示し合わせたかのように二人を祝福していた。

―― 一年後。指輪、交換しようね――

どちらからともなく交わされた約束は、誰かの鳴らしたクラクションに溶け込んだ。


おわり



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最終更新:2011年05月25日 02:48