文芸部教室内部…。
情報管理室としての役割も担うその教室は、至って静かだった。
紬「……はっ!」ガバッ
紬は意識を取り戻した。
慌てて周りの状況を確認する。
紬「あ、あれ……?」
紬は相変わらず椅子に座り、モニタの正面に居た。
しかしそのモニタには何も映っておらず、真っ暗だ。
長門「やっと起きたね。安心して。ここは現実世界から隔離された空間。
何者もこの場所に干渉することは出来ない」
紬「長門……さん…!?」
長門「僕は桜高1年生の長門有希じゃあないよ。ただ単にこの体を拝借してるだけ」
紬「何が……どうなってるの…?」
紬の頭は混乱していた。
部屋の外観はいつもと変わらないが、言いようのない違和感がある。
普通じゃない。
それだけは感じ取れた。
紬「! 唯ちゃんたちと『知覚網(シェア)』が出来ない…!?」
紬は長門を無視し、部屋から出ようとした。
ガチャガチャ
紬「っ!? どうして!?」
長門「紬、落ち着いて。今はこの部屋から出ることは出来ないよ。
それより、僕の話を聞いて欲しいんだ…」
紬はハッと息を呑み、振り返った。
そこに居たのは紛れもない、長門有希の姿――。
しかし声や雰囲気は長門のそれとはまるっきり、似ても似つかない。
全くの別人がそこに居た。
紬は後ずさり、背中を壁に沿わせ長門をじっと見据えた。
長門「そんな不審そうな眼で見ないでよ。僕は悪さするつもりじゃないんだしさ」
紬「あなたは……誰なの?」
用心深く、覗きこむように長門に訊ねる。
長門「そうだね……分かりやすく言うなら、僕は『手品師(マジシャン)』さ」
紬「!!」
紬は驚く。
警戒し、長門の様子を注意深く探るが、彼女は敵意を向けるどころか
あらゆる部分で無防備なように思えた。
紬「……長門さんの体を乗っ取って…私に何をするつもりなの…!?」
長門「…………」
長門の体を乗っ取った『手品師(マジシャン)』はしばらく黙った。。
長門「…何から話せばいいのかな……そうだ、まずは今、僕とキミが置かれている状況を
整理しようか」
『手品師(マジシャン)』は柔らかい口調で話し始めた。
長門「キミたち軽音部は今、かつてない危機に見舞われている。職員組合の陰謀によって
現在、紬を除く4人は全員捕えられてしまった」
紬「な…っ!?どういうこと!?」
長門「ついさっきまで
田井中律、
平沢唯、
秋山澪、
中野梓は彼女らを捕まえようとするバレー部と応戦していた。
だけど教員組合は軽音部が今回の学園祭テロの首謀者と断定し、さらにはそれを全校生徒に広めた…
軽音部は桜高全てを敵に回してしまったんだ」
紬「私たちがテロの首謀者…!?」
長門「教員組合のインチキによって軽音部は崩壊した。
残されているのは紬…キミだけだ」
長門の瞳に紬の顔が映り込む。
少しの間、静寂が2人を包んだ。
紬「……講堂を爆発させ、生徒に『記憶改変(インプット)』したのは貴方ではないの?」
長門「…僕じゃないよ」
紬「でも貴方は学園祭テロの犯行予告をした……それに校長室侵入も貴方がやったんじゃないの?」
長門「その通りさ。その二つは正真正銘、僕がやった」
紬は長門の言っていることが良く分からなかった。
長門「…学園祭で起きた講堂の爆破、生徒の『記憶改変』、それらは教員組合の
トップの連中が仕組んだ自作自演なんだ」
紬「…突拍子もないことを言わないで。そんなことをして誰が得を……」
紬はここまで言いかけ、ハッと気付いた。
長門「…紬も気付いたみたいだね。軽音部がいなくなることで得をする人間が誰なのか…」
紬「教員組合上層部…そのトップに立つ校長、そして政治的主権を握る教員議会…」
桜高の政治的側面を担う教員議会――その役員は教員組合の上層部で固められている。
彼らによって桜高のルールは定められていた。
ただし独裁政治とならないために、教員組合に意見を出せる生徒だけの組織…つまり生徒会の存在がある。
形としては教員組合の下部組織だが、実質的な立場はほぼ同等だ。
この二つの組織の均衡によって桜高は成り立ってきた。
風記を取り締まり、法の番人となる生徒会執行部は生徒会長がその最終司令官であるのに対し、
それとは別の法の番犬――バレー部は生徒会の更に上の役員たち、すなわち教員議会が
最終意志決定権を持っていた。
軽音部は、その少数精鋭の実力をもって生徒会と教員議員のバランスを取る役割もあった。
長門「校長たちは女子高生にしか使えない『魔技』という力を悪質な手段をもって研究し、
この桜高の完全独裁政治の道具に使おうと考えている」
紬「完全独裁政治…!?」
長門「バレー部が使うような『魔技兵器』を用いた恐怖政治さ…紬は自分たちが使う
『対魔技用思考楽器』や『魔技兵器』がどのようにして作られているか知ってるかい?」
長門が力を込めて言った。
長門「…この桜高に蔓延する、人ならざる異能の力…魔技の力そのものは、もとはと言えば全て
『オカルト研』に所属する部員からむりやり抽出した人工超能力なんだ!」
紬「…………」
紬はただ黙って『手品師(マジシャン)』の話を聞いていた。
長門「奴ら…教員議会の連中は、自分たちが魔技能力者でなくても魔技が使えるように
実験的にオカルト研の能力を一般生徒にも普及させ、その力を試していった…」
長門「機械を用いた魔技能力の調整…それが『楽器』や『魔技兵器』が作られた本当の目的さ」
長門「僕はその事実を、ただみんなに知ってもらいたかった……
腐った教員組合の不正を暴き、軽音部のみんなが信じていた正義を貫く…
僕はそれがしたかっただけなんだよ!」
紬「…まさか、それで貴方は校長室に証拠を掴むために侵入を…?」
長門「………そうだよ。そして中間テストの場をもって堂々と宣戦布告した。
奴らを血祭りにあげる、そう脅かしてね…」
紬「駄目よ!そんなこと…!いくら不正を暴くと言っても、犠牲者を出してはいけないわ!」
紬は自分の言っていることがどんなに都合の良いことか分かっていた。
犠牲者を出さずに悪を裁く……それがどんなに難しい事かも。
長門「…ふふっ。やっぱり軽音部だね…どんなに攻性の治安組織を名乗っていても、
肝心の中の人たちは揃って理想主義なんだ」
長門「でも、キミたちのそういうところ…嫌いじゃないよ。
僕はいつだって軽音部の味方さ。犠牲者を出さないという信念も、理解できる」
紬(……軽音部の味方?)
紬は軽音部に協力するような犯罪者に心当たりはなかった。
長門「だから僕も、なるべく血を流さない方法で桜高の癌を退治しようとした。
……あの犯行声明は、もとから実行する気なんてさらさらない」
紬「……ということは…あの中間テスト乗っ取りテロは、ブラフだったってこと?」
長門「理解が早くて助かるよ。そう、最初から教職員を血祭りにあげる予定なんて
なかった。僕がこの学園祭でやりたかったこと…それは歴史の闇に隠された
真実を白日のもとにさらし、桜高が今後どうあるべきか、その判断を生徒たちに
委ねることだった……それも今や僕の手では叶えられそうにないけどね」
『手品師(マジシャン)』はフフ…と自虐的に口元を緩ませる。
長門「…僕はまんまと上層部に利用されたのさ。その点に関して、奴らは僕よりも
上手だったと言わざるを得ない」
長門「僕は文芸部と技術部のデータベースに侵入し、隠蔽された教員組合と生徒会の
癒着の証拠やオカルト研の過去、それに関わる魔技の秘密…それらの情報を
一般生徒にばら撒こうと企んだ」
長門「だけど上層部の連中は『手品師』という強大なテロリストの名前を使い
軽音部をその首謀者に仕立て上げ、僕の目論見を壊すどころか邪魔になる軽音部を
始末することにも成功してしまった」
紬「………!」
長門「後は協力な魔技兵器を持つバレー部を傘下に生徒会含む全校生徒を恐怖で支配して
しまえば奴らの目標は達成される…そうなったら真実を伝えるチャンスは
無くなってしまうだろうね」
『手品師(マジシャン)』は再び紬に視線をむけた。
紬「……ひとつ疑問があるわ」
長門「なんだい?」
紬「なぜあなたはその強大な魔技能力を持っているのに、わざわざ学園祭を狙ったの?
中間テストの乗っ取りの時に、なぜそれをしなかったの?」
長門「…理由は二つある。まずひとつ目に、中間テストのように全校生徒が規律正しく
教室に詰め込まれている状態で僕が情報をばらまいても、手段を選ばない上層部は
全校生徒全員に瞬時に『記憶改変(インプット)』で記憶を消してしまうだろう」
長門「紬は、何故さっき桜高全域に魔技反応が出たか分かるかい?」
紬はこうなる前に、モニタに不可解な魔技反応が検出されたことを思い出した。
紬「あれは…魔技防壁ネットワークのエラーじゃないの?」
長門は首を横にふった。
長門「違う。あれが示しているのは魔技防壁ネットワークから直接『記憶改変(インプット)』が
発生しているということなんだよ」
紬「ネットッワークから直接…!?」
長門「技術部の一部の人間は教員組合の上層部と密かな繋がりがある。
奴らはあの魔技防壁ネットワークを使っていくらでも生徒を洗脳できるんだ」
紬「まさか……そんなこと出来るわけないわ!何より私たちの監視がある限り、
いくら教員組合でも許されないはず…!」
長門「だから軽音部が邪魔だったのさ。連中は僕と同じように、魔技の発生源をごまかすために学園祭の時を狙った。
それと同時に、魔技防壁ネットワークと呼ばれたシステムを別の意味で実験する目的もあったんだろう。
魔技防壁ネットワークの真の役割……それは桜高全体をひとつの魔技兵器として機能させること」
次々と明かされる事実に、紬は理解が追いつかない。
長門「そして僕がわざわざ学園祭を狙ったもう一つの理由……。
確かに僕の能力をもってすれば全校生徒に『記憶改変(インプット)』することだって
造作もないことだ」
長門「だけどそれじゃ意味がないんだ。桜高の生徒は自分の目で、耳で、この真実と
向き合わなきゃいけない……そして今後の桜高の方向性を決めるのは僕ではなく、
あくまで主体となるキミたち生徒たちに委ねたいという思いがあったからさ」
『手品師(マジシャン)』はそれだけ言うと、あとは黙って紬の言葉を待った。
紬「………貴方が言いたいことはだいたい把握したわ。
証拠はないけど、確かにその話は筋が通ってる。何故だか自分でもよく分からないけど、
信じてみたい…そう思える」
紬「ただ一つ、どうしても納得できないことがあるわ。
これほどの魔技能力を持ち、不正を許さない情熱がありながら姿すら現さない…。
貴方は……何者なの?」
紬は核心に迫った。
2人の間に緊張が走る。
長門「…………まだその問いに答えることは出来ない。
ただしキミが僕の頼みに応じてくれるなら、然るべき時に僕の正体を明かそう」
紬「頼み…?」
長門「それはね………」
~~~~~
律、唯、梓、澪の4人はバレー部によって捕えられ、魔技の使えない
拘置教室に放り込まれていた。
律「………くそ…ッ!」ガン!
澪「律、物に当たるな…」
4人はそれぞれ絶望していた。
唯はうずくまって何もしゃべろうとしない。
梓の表情も曇り、一点を見つめたまま動かないでいた。
律「…………ムギ……!」
律が紬の名前を呼ぶ。
軽音部が何者かの策略に呑まれ、こうやって無惨にも捕えられたことも腹が立ったが、
今の4人はそれ以上に紬のことを心配していた。
律「……文芸部教室で何が起きたんだ?」
澪「分からない……だけどムギが何か事件に巻き込まれたことは確かだ」
梓「…やっぱり、バレー部に攻撃されて…?」
澪「…それならとっくにここに連れてこられているはずだ。
おそらくまだ捕まってはいないんだろうけど…」
律「澪は攻撃された時、文芸部教室の前に居たんだろ?」
紬の居る所に唯一近づくことが出来た澪も、バレー部特等兵の泉こなたに見つかり、
ギリギリまで応戦したが結局捕まってしまったのだ。
澪「…文芸部教室が完全に閉鎖された空間になっていたことを、あの泉こなたも
知らなかった。あの現象はバレー部によるものじゃないことはあの驚きようから分かる」
もともとこなたは紬のいる文芸部を狙っていたらしい。
その時ちょうど居合わせた澪は、そのついでに捕えられたのだ。
唯「……私たち、これからどうなっちゃうんだろう……?」
唯がボソッと呟いた。
その言葉に、全員が沈黙する。
澪「………もしかしたら、軽音部はもう駄目かもしれないな」
梓「!!」
澪「何故かは分からないけど、私たちは学園祭テロの首謀者として扱われている……
バレー部の連中の言うことが本当なら、例え軽音部が解散しなくても防諜機関として
今までのように権限が与えられることはないだろうな」
律「畜生ッ!なんで私たちが……!それもこれも『手品師(マジシャン)』の野郎のせいだ!!」
律が怒鳴り散らす。
それでも他のメンバーは押し黙ったままだ。
虚しく、暗い空気が4人にのしかかった。
ギィ・・・
律「!!」
拘置教室の扉が開いた。
入ってきたのは、視線を落とし、口を固く結んだ紬だった。
澪「ムギ!!」
4人は息を呑み、一斉に紬の元に集まる。
「おとなしくしてなさい」
紬をここまで連れてきた教職員は冷たく言い放つと、扉をバタンと閉めた。
唯「ムギちゃん!心配したんだよぉ!」ダキッ
勢い余って唯が抱きつく。
それでも紬は表情を変えず、その場に立ちつくしていた。
律「……無事だったか?」
紬「…うん。みんな、心配かけさせてゴメンね…」
紬がそれぞれの顔を見ながら言う。
梓「ムギ先輩が無事なら………」
梓は少し涙声になっている。
澪「ふぅ…、これでひとまずは安心したよ」
紬「…………」
律「……どうしたんだ?ムギ…」
唯「ムギちゃん……?」
紬がしばらく何も言わないことを察知し、4人に再び真剣な表情が浮かぶ。
紬「………あのね、みんな……これから私が言うことを信じてほしいの…」
意を決したように紬は話し始めた。
―――――
――――
―――
◆ ◆ ◆
時は経ち、12月某日―――。
日の当たる時間は極端に減り、少し前までは紅い葉を灯らせていた木々も
今やその木皮を冷たい風にさらしていた。
律「う~っ、さぶい~……」ブルッ
律は埃の被った音楽準備室のドアノブに手をかける。
ガチャ
律「………まだ誰も来てない…か」
薄暗い部屋に、寂しく椅子や机が並べられている。
あれからまだ1カ月程度しか経ってないのに、まるで数年もの間放置されていたかのように
音楽準備室は哀愁に満ちていた。
律は懐かしむように部屋を眺め、手前のドラムに手を添えた。
律「……こんなに長くお前に触らなかったのは初めてかもな……」
ぼそっと独り言をつぶやく。
ガチャ
律の背後で扉が開く音が聞こえた。
律「……澪か」
澪「なんだ律、もう来てたのか……早いな」
部屋に入った澪も、律と同じような反応をする。
澪「……ほんのしばらく来なかっただけなのに、すごく懐かしい気がするな…」
律「電気、つけるか」
律が壁のスイッチをパチンと押す。
澪「……約束だと、確か今日の夕方5時に部室に集合だったよな?
まだ30分くらいあるぞ」
律「つっても楽器弾くのは流石にな……休日だからすぐバレるだろうし……」
律と澪は静かに椅子に腰かけた。
――あの日、軽音部は解散した。
最終更新:2011年05月25日 23:13