海沿いのカフェテラス。
二人で見つけたお気に入りの場所。
時間だけで待ち合わせを決めた時は、いつもここが集合場所だった。
予定が決まらない日は二人でここでずっとお喋りして、
海岸を歩いたり堤防で歌詞を作ったり。
思えば小学校の時から、私の隣に澪が居るのが当たり前だったな。
澪の事が好きで、同じ高校に行きたくて必死に勉強して、
離れたくなくて、無理矢理軽音部に入部させて、
クラスが違っても毎日部活で顔を合わせて、
新歓に学祭にロミジュリに、二人で一緒に練習して、
「駄目だな、楽しかった事ばかり思い出しちゃうや」
「私もだよ、律」
つい口を出た言葉に相槌を打たれ、振り返る。
「今日はやけに早いじゃないか。明日は雪かな?」
愛しい彼女が其処に立っていた。
* * *
「澪はいつもこんな早くから来てたのか?」
私はアイスコーヒーのブラック。
「まぁ、時々ね。ココ自体好きだから」
澪はアイスのカフェラテ。
いつもの席に座り、思いついた事から会話はスタートした。
「暖かいから薄着で来たけど、海沿いだと寒いな」
「いや、アイスなんか頼むからだろ?」
「だってそういう気分だったんだもん……」
「ほら。コレ羽織っときな」
ブラウスを澪に渡す。
「ありがと」
「零すなよ~。白いから目立っちゃうぞ」
「気をつけるよ。律は寒くないのか?」
「りっちゃんは風の子元気の子だからな。私の事は気にしなくて良いぜベイビー」
「なんだよそれ」
笑いの後、しばしの沈黙。
「「あのさ」」
「……澪からどうぞ」
「律からどうぞ」
「……おかしくねぇ?」
『冬の日』を思い出した私は、珍しく前髪を下ろした髪型に整え外に出ていた。
社会人になっても前髪を上げたスタイルを守ってた私のイメチェンに対して、彼女のリアクションが無かったのでつい聞いてしまう。
「やっぱりさ」
澪を見ると口角が上がっているのがわかる。にやけてるのか?
「その律も良い。可愛いよ。流石律だ。可愛い」
「そっそんなに可愛い可愛い連呼するなよ!」
「なんだよ。事実じゃないか」
「うぐぅ……」
こういう流れはイニシアチブを取られがちになっちゃうから、話を変えないと。
「み、澪は何言おうとしたんだよ」
「同じだよ。前髪を下ろした、君の姿も可愛いって」
「……」
ニヤニヤしながらこっちを見る澪に何も言い返せない。
顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
「ラブレターにも書いたのに、高校の頃から言ってるのに、滅多に見せてくれないんだもん。折角だしじっくり見せてよ」
「止めろよ恥ずかしい」
こっちに伸ばしてきた澪の手を払い、コーヒーを一口飲む。
……今から別れ話をしようっていうのに、仲良しこよししてちゃ駄目だよな。
逃げちゃ駄目だ。彼女を傷つける、覚悟を決めないと。
「澪」
頭を振って、真剣に澪を見る。
そんな私を見た澪も笑うのを止めた。
「あのさ」「律」
話しようとした私を遮って
「私はさ。今はこれから先よりも、これまでの思い出に浸りたいんだ」
向こうの海に目線をやりながらそう言った。
彼女は今日、私が何の話をするか分かっているんだ。
それに気づいて、彼女が何を思ってるのか聞くのが怖くて、私は言葉を飲み込んでしまった。
* * *
思い知らされたのは、私達が異常だという事。
澪が異常だと、異端だと世間に思われるという事。
私と付き合うという事は、澪が先輩が言った様な扱いを受けるという事。
私と付き合っている限り、澪は幸せになれないという事。
頭の何処かでは分かっていた。
女子高、女子大と女だらけの生活だったから鈍くなっていただけだ。
社会に出て気づかされた。思い出さされた。
恋愛というものは男と女がするもので、恋人という言葉は愛しい『異性』を指す言葉だと。
知っていた。改めて理解した。
でも、澪さえ居ればそんな事気にもしなかった。幼い頃はそれでも良かった。
私は良い。私は良いんだ。どう思われても笑われても傷つけられても。
でも、澪がそんな風に世間に見られて、後ろ指を指されて過ごす事になるのが私には耐えられない。
澪の幸せが、私の幸せだから。
澪が幸せになる為には、私が一緒にいちゃ駄目なんだ。
* * *
カフェテラスを出て、海岸を歩く。
もう秋が近付き、浜風が涼しい。
澪は私のブラウスを羽織ったまま、波打ち際で遊んでいる。
「合宿で行った海も、楽しかったよなー!」
「フジツボの話とか「言うなー!!」」
「冗談冗談。皆で遊んで、BBQしたり花火したりな」
「合宿だ!って言ってたのにな」
「何だかんだで澪と梓が一番楽しんでたじゃないか」
「それは言うなって」
他愛のない思い出話が続く。高校時代も楽しかった。
「大学に行っても色々有ったよな」
「軽音部も良い人ばっかりだったし、ライブも色んな所で出来たしな」
「晶たちや先輩たちと対バンしたり。あの三人組、元気かなぁ?」
「この間晶からメール有ったよ」
「元気そうだった?」
「仕事が辛いって」
「澪ちゃんファンクラブも拡大の一途だったしな」
「曽我部先輩が張り切るから……」
「同じ大学行けばそうなるよな~。晶も入ってたし」
「え?そうなの!?」
「菖が言ってた」
「晶まで……知らなかった……」
「澪ちゃんったら大人気だから~」
他愛のない思い出話が続く。大学時代も充実してた。
「梓のチョコケーキ、美味しかったよな」
「あれから毎年貰ってるけど、年々腕を上げてるよな。流石だよ」
「澪ちゃんも後輩を見習わないと」
「はいはい、来年は頑張りますよ」
「来、年……って……」
他愛のない思い出話が続く。これから先の話は……出来ない。
「駄目か?」
「え?」
震える声に顔を上げると、澪は目に涙を湛えている。
「なぁ、駄目か?来年も、その先も、私はずっと律と居たい!」
詰め寄ってきて私の手を握り締める。
「だって、それじゃ澪が……」
「私の為?私の所為?」
手を振り払う事が出来ない。
「私は律が好きだ!律は私の事、嫌いになったのか?」
「そんな事……有る訳ないだろ」
「じゃあ何で!好きなのに、何で別れなきゃいけないの!?」
「だって、この関係に未来が無いから……」
「未来?律の見てる未来ってなに?そこに私は居たらいけないのか?」
澪を見つめる。涙が溢れている。その顔がぼやける。私も同じ様に泣いている。
「私じゃ、澪を幸せに出来ない!」
伝えなきゃいけないんだ。
「結婚も出来ない!子供も出来ない!世間に認められないこんな関係、続けてちゃ駄目なんだ!」
澪と、離れなきゃいけないんだ。
「澪が!幸せになれない!」
その瞬間、乾いた音が響いた。
少しして、自分の頬が叩かれたんだと気づく。
溢れる涙を拭おうともせず、澪は私を見つめる。
「私の幸せを、何で律が決めるんだ?」
「だって、女同士じゃ……」
「私にとって、律と二人で居る以上の幸せは無いよ」
私の頬を叩いた手で、そっと頬に触れる澪。
涙で崩れながらも、精一杯笑っている。
「さっきのカフェテラスでも、これまでも、いつだって律の隣が、律の傍が一番幸せなんだ」
「でも……」
嗚咽が混じって、伝えたい言葉が喉から出てこない。
「今だってそうだ。幸せだよ。律は違う?」
私の頬を撫でる澪の泣き顔が、美しく見える。
澪から見た私も、こうなんだろうか。そうだといいな。
「でも、澪と一緒には、もう居られない。居ちゃ駄目なんだ」
精一杯、言葉を出す。
「澪にはきっと、私より幸せにしてくれる人が居るはずだから」
良い男と出会って、結婚して、良い奥さんになってほしいんだ。
それが澪にとって、幸せのはずだから。
「澪に幸せになってもらうのが、私の幸せだから」
「……そうか」
スッと、澪が立ち上がる。
一度キュッと口を結んだ後、彼女は決意を口にした。
「律がそういうなら……私、頑張ってみるよ」
私との、別れの決意を。
* * *
「コレ、返すよ」
ブラウスを脱ごうとした澪を止める。
「良いよ。寒いだろ?着て帰って良いよ」
「そう?じゃあ……ココでお別れ」
「そう……だな」
「あ、そうだ」
澪が思いついたように言う。
「律が言った様に、私を幸せにしてくれる人がもし見つかったら、真っ先に紹介するね?」
きっと、精一杯の強がり。
「止してくれ。嫉妬しちゃう」
「折角だし、嫉妬させたいな」
「勘弁してくれよ」
お互いに泣き腫らした顔で笑う。
一頻り笑って、大きく一息。
「それじゃあ」
「うん」
「さよなら」
「さよなら」
お互いに背を向けて歩き出す。
澪とのお話はこれでお終い。
二人の思い出の場所は今日、二人の終わりの場所になった。
* * *
ピンポーン。唯の家のベルを押す。
中から足音が聞こえ、少ししてドアが開く。
「あなた、おかえり~……ってすごい顔」
そりゃ海岸沿いで泣きじゃくりましたから。
ボケに乗る元気も無くてごめんな。
テーブルの前に座ると、唯が紅茶を持ってきた。
「で、どしたの?」
一口飲む。澄んだ味が口の中に広がる。
ムギの紅茶には及ばずも、中々上手になったもんだ。
「澪と、別れた」
「……そう」
大した動揺もせず、唯は私をみつめたままだ。
「どうしてとか、聞かないのか?」
「どうしてとか、聞いてほしいの?」
「どうして……だろうな。もう自分でも分かんないや」
ホント、結局どうしたかったんだろ。
澪の幸せを願って、嘘まで吐いて、こっちの考えを押し付けて無理矢理別れて。
落ち着いて考えれる今になって、後悔の波が押し寄せる。
「同性愛ってさ、非生産的じゃない?」
「どうして?」
唯は不思議そうな顔をしている。
「好きだけで一緒に生きるには、この世は難しすぎるんだよ」
唯に言ってるんじゃない。
自分に言い聞かせてるんだ。
「日本じゃ結婚も出来ない。女同士じゃ子供も出来ない。世間からも認められない」
押し寄せる後悔を、何とか抑えつけようとして。
「子供の頃とは周りの目とかさ、全部違うから。大人は難しいよ」
こんなに辛いなら、ずっと子供で居たかった。
澪さえ居ればそれで良かった、あの幼いころに。
「可愛い澪ちゃんの事だからさ。すぐ良い男捕まえてさ、玉の輿とかさ」
澪が私の知らない人に抱かれる。そんなの嫌だ。
「で、専業主婦になっちゃって。子供と一緒に旦那の帰り待ってさ」
澪が私の知らない世界に行ってしまう。そんなの嫌だ。
「きっと、そんな、絵に描いたような幸せがさ。すぐにやってくるはずなんだよ」
私の隣に澪が居ない。そんなの嫌だ。でも……
「なんたって、私の元恋人だからな」
「……元……」
「そう、元。だからもう小言を言われる事も無いし、ワガママを聞く事も無い」
「もう笑ったり泣いたりするアイツに振り回されることも無い」
「抱きしめる資格も、幸せを願う資格だって、本当はもう無いんだよ」
その言葉尻を追う様に、枯れたと思ってた涙がまた溢れだした。
「っと。ごめんな、唯。変な話しちゃって」
「いいんだよりっちゃん」
そういって、唯が私を抱き込む。
「ゆい……」
「我慢なんて、しなくていいんだよ?」
唯の胸に埋まって、私の感情の箍が外れた。
「うぁああああああああああああああ!」
後悔も、感情も、涙も、澪への想いも、もう抑える事が出来なかった。
最終更新:2011年05月28日 00:54