律「――それは誰の為にだ?」

唯「復讐なんて、常に自分の為だよ。でも私としては、それがりっちゃんの為にもなってくれると嬉しい」

その言葉を聞いた時、私の心は九割が喜びで満たされていた。私こそが正しかった、あいつらは間違っていたんだ、という醜い喜びで。
残り一割はそのあいつらに対する罪悪感。申し訳なさ。復讐される側への同情、かもしれない。
そのようなものが心を掠めるということは、やはり私も普通の人。過去の思い出を捨てきれない、弱い人。
だが、その弱さを見抜いているかのように、唯は問うんだ。

唯「りっちゃんも手伝ってくれるよね?」

もちろん、断る理由はない。私はその為にここにいる。ずっとここにいた。唯のそばにいた。
だから、すぐに頷けないのはやはり弱さ。迷い。でもいずれは頷かないといけない。その為に私はずっと待ったのだから。
唯と共にあるために、ずっと唯の目覚めを待ったのだから。

唯「……出来ない?」

律「……いや、出来るさ」

そう、出来る。出来ないといけない。出来ないと、唯の目覚めを待ち続けた二年間が無駄になる。私の二年間が無意味なものとなる。
私も、唯と同じように、私のため、ついでに唯のため。そんな気持ちで動けばいいんだ。


――私の名前は田井中律。留年二年目が確定している、冴えない女だ。




――事の起こりは二年近く前。

大学の入学式を目前に迎えた私達に届いた、急な悲報。
唯の事故。意識不明の重態。入学式には出られない。そりゃそうだ。皆、気が動転していた。

最初のうちは皆で毎日。見舞いに行った。皆で願った。唯が目覚めますように、と。
だが一月、二月、半年と、ずっとその願いは届かなかった。そうしていつしか、願う事に疲れていった。
……その事で皆を責める気は無い。私も、疲れていたから。
だから、皆の正論が胸に刺さった。

『…私達は先に進もう。唯もきっと、それを望んでいる』

私が唯の立場でも、きっと同じ事を言うから、とか、そんな事を確か澪が言っていた。まぁ今となっては誰が言ったかはどうでもいいし、文章が一言一句同じである必要もない。
大切なのは、澪と梓は先に進む事を決意し、ムギは保留し、私は拒否した。その事実。
澪と梓に対し薄情だ、と責めることはしなかった。唯ならそう言うであろう、というトコロには私も同意していたからだ。

――まぁ現実は違ったのだが、そこは今はまだ置いておく。

その時は、澪と梓のほうが大人であり、現実を認めたくない私だけが子供だった。それだけのことで。そんな『大人』にムギは引っ張られていき、私は一人になった。
一人といっても、大学ですれ違ったりすれば会話はする。孤立しているわけじゃない。ただ、歩む道が違っただけ。
しかし道を違えた代償は大きく、私は唯が目覚めるまで完全な無気力状態。一年目から単位が足りず余裕で留年。というか単位も友達もなにもかも足りていなかった。
そんな私を憂ちゃんは毎日のように心配してくれた。実際毎日病院で会っていたから、毎日心配してくれていたのかもしれない。
今にして思えば、私も憂ちゃんのことを心配してやるべきだったと思う。私以上に唯のことを気にかけているはずでありながら、私より真面目に学校に行き、お見舞いに来て、家に帰って両親の世話。
……ああ、唯の両親も流石に今は家にいるらしい。憂ちゃんを一人にも出来ないし、唯のこともあるし。というかこれで帰ってこないような人だったら私も憂ちゃんに愚痴の一つもこぼしていたかもしれない。憂ちゃんが困ると知りながらも。

――話が逸れた。ともあれ、そうして一年が過ぎ、二年目。憂ちゃんも梓も大学に進学。澪が主になっているバンドサークルは今や超有名で、私の抜けた穴はなんか覚えにくい名前の凄腕の誰かが埋めてくれたらしい。
憂ちゃんは唯のことや家事のこともありサークルには入らなったが、梓はもちろん澪の後を追った。
私のことは…語るまでもないだろう。学校に顔を出す方が珍しい日々だった。

そしてまた半年くらい経って。私は留年二年目もほぼ確定しつつも、最近ムギのこと聞かないなー、とか思っていたら久々に病室で再会した。

紬「私、留年するのが夢だったの~」

…だそうだ。とはいえ、そのまま受け取るほど私も愚かじゃない。
やはり、ムギも唯のいないバンドに耐えられなかったのだろう。ムギは、唯のことを好いていたから。
ラブかライクかは、私にはわからない。ただ、誰に対しても接し方を変えない唯という存在が、ムギの目には非常に美しく輝いて見えたのだろう、くらいは察しがつく。

ムギからそう言われた頃だったか。今更ながら、どうしてここまで私と澪、ムギと梓に差がついたのか考えてみた。

私と澪については、思い至れば簡単な事だった。高校一年の頃、澪は私が強引に誘うまでは軽音部に入るつもりなどなかったからだ。
お互いが楽器をやっていると知りつつも、澪は違う道を選ぼうとしていた。今でこそ澪は音楽というものに傾倒しているが、あの頃は音楽を捨ててでも『私と違う道を選びたかった』のだ。
……言い方が悪いか。要するに澪は私から自立したかったのだ。出会いが私が助けたようなものだったからこそ、澪の中にはいつかは私から自立しないといけないという思いがあったのだろう。
今になって思えば高校三年間は私はそれを邪魔したわけだ。悪かったな澪。

ムギと梓は…正直わからない。どちらも唯のことは好きだったはずなのに。
梓が内心嫌っていたなら納得いくが、梓はそんなにヤな奴じゃないし、そんなに嘘の上手いタイプでもない。ありえない話だろう。


……しかしまぁ、復讐すると言っておきながら、案外私はまだあの二人のことは嫌いじゃないんだな。
でも、それでも距離感を感じる出来事は多々あった。最たるものは、ムギと再会してから少し後のあの日――唯が目覚めた日のこと。


唯「――あ…れ、りっちゃん?」

律「!? ゆ、唯!?」

唯が目覚めた。その事に動転した私は、ナースコールのことも忘れて医者のもとへ走った。深夜も近いというのに、迷惑な話だ。
看護師に注意され、医者が唯のところへ向かい、ようやく私は『みんなにも連絡しないと』ということに思い至る。

そして私は――憂ちゃん以外には連絡しなかった。

結局みんな集まってきたのだが、それは憂ちゃんが連絡したからであって。
距離感なんて言ったけど、結局私は『ロクにお見舞いも来なくなった連中と喜びを共有したくない』という子供じみた感情から、自ら皆と距離を取ろうとしたのだ。
バカげたことをしたものだ。気を利かせてくれた憂ちゃんには感謝している。

憂ちゃんに呼ばれて駆けつけた澪と梓は泣いていた。ムギも涙ぐんでいた。憂ちゃんは言うまでもなく抱きつきながら泣きじゃくっていた。
……私だけが、涙を流すタイミングを逃していた。バカげたことをした罰だろうか。


――そして、唯が目覚めた翌日。
約二年も経っているという事に愕然としつつも、唯は私達の事を案じ、「学校に行って」と言う。
梓や澪は「今日くらいは」と言い、渋る。きっとそれは本心だ。今まであまりお見舞いに来なかったことに対する罪悪感から来る醜い本心。
だから逆に私が、皆を引っ張って学校に行く。

律「じゃあな、唯。また来るよ」

唯「うん。またね、りっちゃん」

澪「お、おい律――」

律「――バカ、唯の気遣いを無駄にするな」

梓「そうは言いますけど…ちょ、引っ張らないで――」

――そうして、文句を垂れる二人をひきずって学校まで行き、1コマだけ講義を受けて、私は一人で再び唯の病室に戻った。
当然、唯は怪訝な顔をする。それに対する弁明とでも言うように、私はこの二年間のことをありのまま、唯に語った。



――そして「復讐しよう」と唯は言った。



プロローグ終了



【第一章】:病院にて


結局、私達が思っていたほど、唯は優しいやつではなかった。
毎日ニコニコしているわけではない。こうやって恐ろしい言葉を口にするほど怒る事もある、普通の女の子だ。

律「二年も置き去りにするような奴らのこと、やっぱ許せないか」

唯「そりゃあ、ねぇ。仲間だと思ってたのにさぁ」

律「……私も手伝うよ。けどさ、腐っても仲間だ、あまりひどい事はしないでやってほしい」

唯「……ん~? じゃあ逆に聞くけど、りっちゃんは私の立場ならどうする??」

唯の立場…か。仲間から二年も置き去りにされた立場……

律「……私なら、諦めているかも知れない。復讐なんてしないで、唯と二人でどうにか細々とやっていくよ」

唯「そうかなぁ~?? 私なら全力だよ全力! どれだけ酷いことをしたか思い知らせてあげないと!」

律「ははっ、怖い怖い」

もちろん全然怖くない。いや、言ってることは充分怖いはずなのだが。
……怖い事を言う、というのがそもそも唯のキャラじゃないからだろう。とはいえ、唯が本気だというのは充分に伝わる。
もっとも、そんな唯が本気を出したところでどの程度のものなのかもわからないけれど。

唯「でも、まぁそうだねぇ、ちゃんと反省して、謝ってくれればそれでいいんだし、そこまで酷いことをする必要はないよね」

律「そうだな。乱暴とかはゴメンだ」

唯「そしていずれは……またみんなでバンドやりたいね」

律「ああ…そうだな」

自然と同意してしまった。皆と距離感を感じていたはずの私が。
やっぱり、私は弱い。楽しかったあの頃を捨てられないでいる。
……でも。唯も同じ心境だったんだし、いいんだよな、弱い私でも。

唯「でもりっちゃん、さっき言ったよね? 私と二人で細々と夫婦生活でもいいって。プロポーズ?」

律「脳内で綺麗に完結していたのにボケで蒸し返すな」

唯「――そうそう、特に異常も見当たらないし、リハビリ済めば退院自体はすぐに出来るらしいよ。あとりっちゃん髪伸びた? 憂まだかなー」

点滴などの器具から開放され、普通にベッドに上半身をもたれさせる唯はいつになくハイテンション。
とはいえリハビリという言葉が示すとおり、普通に動くことはまだ難しい。さすがに二年近く寝たきりでは仕方ないだろう。

唯「ねーりっちゃん聞いてるー?」

律「…聞いてるから、落ち着いて話せ」

すぐ退院できるというのはいい事だ。
髪伸びてるのはお前の方だ。ちょっとエロいぞ。
憂ちゃんはまだ学校だ、ちゃんと行けって言ったのはお前じゃないか。

唯「そうは言うけどね。澪ちゃんあずにゃんはまだ許せないから、りっちゃんくらいしか話し相手いないんだよ。落ち着いてる暇なんてないよ」

律「あるよ。どうせ私は唯と同級生だ、時間はいくらでもある。あと今言われたから、ついでに復讐について細かい話もしておこうか」

唯「ん~? どんなこと?」

律「何をするのかとか、誰にするのかとか、ずっと二人だけでやるのかとか、終わりはいつかとか…」

唯「いろいろあるねぇ~。頭痛いよぉ」

律「お、おい、大丈夫か唯? 無理して起きてないで――」スッ

唯「やだなぁりっちゃん、モノの例えだって」

律「…………」

唯「りっちゃん?」

確かに、病み上がり相手だからといって過敏になっていたのは私の落ち度だ。
それを抜きにしても、頭痛を訴える唯を、思わず抱き抱えて楽な姿勢でベッドに寝かそうとして。その身体の軽さにゾッとしてしまったのは、唯に対してかなり失礼だったと思う。

唯「うわっ、私すごい痩せてる!?」

律「っておい、今更かよ!」

唯「いやぁ、太る事もない体質ですとつい自分のカラダに無頓着になってしまいまして」

律「……とりあえず復讐とか言う前に、ちゃんと飯食わないとな」

唯「もっちろんだよ。早く憂のご飯が食べたいよ~。今ならりっちゃんのご飯でも食べられるよ! りっちゃんでも食べられるよ!」

律「食べられたくないし食わせてやる気も失せる」

やはりこのハイテンションにはついていけないな――とか思ってると、病室の扉が開く音がする。
憂ちゃんが来たのか。もうそんな時間――

紬「唯ちゃん私を食べて!」

憂「お姉ちゃん私を食べて!」

律「……ここが病院でよかったなお前ら」

唯「脳外科はあるのかなぁ?」

律「せっかく私が遠回しに言ったのに…」

っていうか病院では静かにしろ。


唯「――まぁそういうわけで、憂、何か食べ物ちょうだい?」

憂「あ、うん、一応お見舞いの定番、フルーツならあるけど…」

歯切れの悪い憂ちゃん。心配する気持ちはよくわかる。
……昔、私の弟が両親と喧嘩して、一週間くらい水だけで過ごした事がある。もちろん最後は弟が折れたんだが、弟は久しぶりに食べた食事をその場でリバースした。
まぁ、要は胃が弱りに弱っていたわけだ。ウチのバカ弟と比べるのは唯に失礼だけど、それでも唯が食事を口にしていない期間は弟とは比べ物にならない。

律「……昨日、目が覚めてから何も食べてないのか?」

唯「りっちゃんに言われるまでおなか空いてるとか考えもしなかったよ。良く考えたらペコペコってレベルじゃないはずだよねぇ」

そうだ。そうなのに体が認識していなかったということは、脳が空腹情報を遮断していたということ。たぶん。
つまり、やっぱり憂ちゃんの危惧するように。

律「それだけ食ってないなら胃が相当弱ってるはずだ。飲み物からにしたほうがよくないか?」

唯「ういだーいんゼリーとかいうギャグ?」

律「二番煎じにもほどがある。っていうかゼリーは分類的には食べ物だろ」

紬「そうなの?」

律「……たぶん」

憂「とりあえず…水? お茶? ポカリ?」

唯「病人といえばポカリだよね!」フンス

紬「任せて! 買ってくるわ!」ダッ

……なんでムギは進んでパシられようとしているんだろう。っていうか病院で走るな。人の事言えないが。
あと余談だが私はアクエリアス派だ。

紬「買ってきたわ!」ビュン

律「瞬足でも履いてんの?」

紬「俊足のムギザウルス!」

律「早く渡すザウルス」

紬「はい唯ちゃん!」

唯「おー、ありがとムギちゃん」スッ

紬「っ…」ギョッ

あー、ムギも唯の腕見たな。骨と皮だけの腕を。
そして唯は唯で腕を伸ばしたまま固まってる…というか腕さえ伸ばしきれてないんだが…まさか?

律「無理するな、唯。ほらムギ、貸して」

紬「あ、うん……」

唯「あはは、ごめんね。なんか持ったら落としそうな気がして」

律「気にするな。憂ちゃん、念の為ゴミ袋か何か準備しといて」

憂「はい、ここに」サッ

律「さすが。じゃあほら唯、口開けて」

唯「んあー……」

………。

……その後、憂ちゃんのゴミ袋が大活躍して、テンパったムギがナースコールして、勝手に飲み食いさせたということで医者のセンセイに私だけが怒られた。マジ理不尽。


――結局、食事もリハビリも病院と唯本人任せにするしか道はなく、当分は私達、さらに言うなら家族である憂ちゃんでさえも、してやれることは話し相手になることだけだった。
ただ、唯本人が非常に意欲的に取り組んでいる、とは医者のセンセイからも聞かされている。いいことだとは思うが、焦っているようにも見えない事も無い。



――ほぼ一日中唯の病室にいる私と、学校を早めに切り上げてきている様子のムギ、そしてサークル後に毎日寄って帰る澪と梓。
唯が目覚めてから、旧・放課後ティータイムはよく顔を揃わせた。
ただ、『復讐』の話は今のところ二人きりの午前中にしか話題に上らず、故にロクに話も進まず。
更に唯は「実行に移すまでは澪ちゃん達とも仲良く振舞う」と言っていた。
唯の意図はわからないでもないし、そもそも弱い私達だ、そういう時間も楽しかった。でも、復讐を誓った以上、どこか心の距離があり。
澪達も澪達で、唯の前では『唯のいない空白の二年間』の話題は避けているフシがあり。
『復讐』という暗い炎を宿す私達と、後ろめたい気持ちのある澪達。そして間に挟まれるムギ。やはりどこかギクシャクしていた。

唯「あずにゃん猫耳つけてー」

梓「なんでですかっ!」

……いや、『達』ではなかった。唯だけはいつも通りハイテンションだった。
復讐を誓い、そのためにリハビリを重ね、ちゃんと食事も摂って身体を戻しながら、毎日毎日唯は私にも澪達にも変わらぬ笑顔を振舞っていた。


――この時初めて、私は唯を怖いと思った。


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最終更新:2011年06月08日 02:18