――そうして時は流れ、新年度が近づく。
大学の状況はというと、私とムギは立派に留年確定。澪と梓は普通に進級しそう。そして驚いていいのかわからないが、憂ちゃんも留年確定。
これで来年度は私と唯と憂ちゃんが大学一年。ムギと梓が二年。澪が三年となる。ひとりぼっちの澪が泣けば面白かったのだが、澪は澪で唯が眠ってから驚くほどの精神的成長を遂げており、泣くことはなかった。
澪は今やバンドサークルの中心人物だ。有名人であり、プレッシャーも責任も大きい立場なのだが、それを撥ね退けるほどの強さ、逞しさを持っている。
……なぜ、そんなにも成長したのか。理由など尋ねるまでもないだろう。自分と比べると泣きたくなるけど。
唯「っていうか私、まだ大学に籍あるの?」
律「奇跡的にな。さわちゃんとムギのおかげだな」
唯「……ムギちゃん、そういうのイヤそうなのに」
律「愛されてるな、お前」
唯「そうだね……」
律「…ムギは留年も確定したことだし、復讐の対象からは外そうと思うんだ」
唯「りっちゃんがそう言うなら、私はいいよ」
律「唯だって、そこまで積極的に復讐したいわけじゃないだろ?」
私の意見に流されるとは、そういうことだ。
思ったとおり唯は一つ頷き、しかしそれでも言葉を続ける。
唯「でも、全てを無かったことには絶対にしない。澪ちゃんとあずにゃんの選択を、私は許せない。二年の重み、思い知らせてあげないと」
……唯の恨みは私にはよくわかる。どうも私より唯の方が熱くなっているような気はするが、私も唯も『見捨てられた』立場にあるのだから。
とはいえもちろん、澪達の言い分もわかる。理解はしている。
澪達は澪達なりに、よくある『イイ話』風に、唯の気持ちを考えた。過去には囚われず、先に進もう、と。
……だがそれは、よくある『イイ話』の場合は、決して唯は目覚めないのだ。あるいは唯が既に死んでいないと成立しない。
要するに、澪達は唯を『二度と目覚めない』と、死んだも同然と見捨てた形になる。目覚めた今となっては所詮結果論にすぎないのだが。
……すぎないのだが、なまじ『見捨てきれなかった』私がいるせいで、澪達は唯にとって『自分勝手』と映ってしまうのだろう。唯と私の温度差は恐らくここにある。
もしも私が澪達と共にあり、目覚めた唯が一人、後から追いかけてくるカタチの話なら、唯は純粋に努力するだろうし、私達は皆で待つし、皆でフォローする。よくある『イイ話』になっていたはずだ。
私が今のままだとしても、いっそ唯が目覚めなければ、澪達は『悲しい過去を背負ったバンド』として有名になるし、私と唯が復讐を誓うこともなかった。なんにせよ『イイ話』だ。
まぁ現実を見ると、私は落ちぶれていて、澪達は充実した毎日を送っている。結局は『イイ話』の選択のほうが、人は幸せになれるのだろう。
だから、間違っているのは私で、きっと唯も間違ってて。梓と澪が正しくて。それだけの話。たったそれだけの。
でも、それでも私は、安堵しているんだ。
唯の恨みを買わなかったことに。
第一章終了
【第二章】:退院、そして結成
――そうしてまたしばらくの時が過ぎ、唯の退院日が決まった。生憎新年度にはなっており大学も始まっているが、まだまだ取り戻せる時期だ。
午前中のうちに私と唯と唯のご両親に先生が告げに来た日は、今週の中ごろ。なんとも中途半端だが、逆に混雑しないから都合がいいらしい。
後から来た憂ちゃんとムギにもそれは伝えたのだが、更に後から来た二人には、唯はこう答えた。
唯「週末退院だって。お祝いに来てね!」
えっ、と私が言葉を挟む間もなく、澪と梓が肯定の意思を強く示した。
澪「もちろんだよ!」
梓「パーティーとかします? あ、まだあまり騒がないほうがいいですかね…?」
ムギのほうを見てみるけど、やはり私と同じように困惑している。
憂ちゃんは無表情。何を考えているのかわからない。…何を考えているのかわからないのは唯もだが。
唯「もうだいぶ体力も戻ったしね、運動とかするわけじゃなければ大丈夫だよ」
澪「じゃあ…やるか、パーティー。週末だし、パーっといこう!」
憂「ふふっ、たくさんお料理作るね、お姉ちゃん」
梓「あ、私も手伝うよ、憂。手伝わせて?」
憂「お姉ちゃんのために?」
梓「ち、違っ、そんなんじゃ――いや、そうだね、唯先輩のためのパーティーなんだし、その通りだね」
憂「素直な梓ちゃん可愛い~」
唯「あずにゃん愛してる!」
梓「や、やめてください!!」
澪「ははっ、やっぱりこうでなくちゃ。なぁ、律?」
律「…ああ。そうだな……」
澪「? どうかした?」
律「いや…あまりに懐かしくて、さ……」
澪「…そうだな。夢みたいだよ……」
咄嗟に出た言い訳だけど、澪は納得したようだ。
懐かしむ気持ちも確かにあるけれど、それ以上に唯の真意が掴めなくて、私は困惑している。さっきから言葉を発しないムギも同じだろう。
いや、厳密にはムギは『復讐』のことをまだ知らない。だから私のほうが困惑は大きい。
意図の掴めない唯の嘘に対する困惑。こちらは私もムギも一緒だ。
そして、復讐する相手に、あれほど笑顔で、仲良く接せる唯に対する困惑。こちらは私のみ。故にこちらのほうが度合いは大きい。
裏と表の顔を持ち、使い分ける。私の知ってる唯は、あんな奴じゃなかったはずだ。
……いや、それは最初からか。
私の知ってる唯は、そもそも「復讐しよう」なんて言う奴ではない。
最初から、私は唯のことをほとんどわかっていなかったのかもしれない。
あるいは、この眠っていた二年近くで、唯の中の何かが変わってしまったのか。
どちらなのかはわからないが、私の中の不安は大きくなっていく。
どちらなのかを真剣に考えてみようとしたが、それでは不安は晴れない。前者なら三年友人をやっていたのにも関わらず私には唯が理解できていなかったということになるし、後者なら『今の』唯はやはり私には理解できないのだから。
だから、不安は大きくなっていく。
唯は、本当に私と一緒に復讐をしてくれるのだろうか?
本当はこうして今のように、何も考えず皆と笑い合っていたいのではないか?
いや、でもそれなら嘘の退院日を告げた理由がわからない。
どちらにしろ理由はわからないのだが、そうではなくて。澪達と仲良くしたいのなら、嘘の退院日を告げる理由なんて全くない。
つまり、何かしら含むモノがあるはずなんだ。
だから…そうだよ、きっとまだ、唯の心は私のほうに傾いている。
澪達じゃないんだ。私と唯を見捨てて先に進んだ、澪達のほうにはないんだ。ざまあみろ。
……ああ、私は醜い。なんて子供なんだろう。
唯がこっち側に居てくれなかったら、きっともう鬱病で塞ぎこんで引き篭もりになっているレベルだ。
なぁ唯、お前が居てくれて嬉しいよ。だからお願いだよ、信じさせてくれよ。
……私を、一人にしないで。
――そして退院日の木曜。細かい手続きなどを唯の両親に任せ、私と唯、そして学校を休んだ憂ちゃんとムギの四人でタクシーに乗る。
もちろん行き先は唯の実家。そう遠くはない距離だが、病み上がりが一人いるからタクシーという贅沢もやむなし、だ。
余談だが私だけ助手席に乗せられた。寂しくなんてないやい。
そうして数分車に揺られ、到着。病み上がりが真っ先に飛び降り、「一番乗りー」とか言っている。叩くぞ。
唯「…ふぃー。久しぶりの我が家だぁー」
玄関の扉を開け、早々に感嘆の声を上げる。まるで旅行帰りみたいだな。
憂「実に二年ぶりだもんねぇ」
唯「そこまでの時間の実感はないんだけどね。ふぅ」
玄関に腰を下ろす唯。疲れているような言いぶりだが、荷物持ちは私とムギだ。
まぁ病み上がりだから強くは言わないが叩くぞ。
紬「荷物、どこに置けばいい?」
憂「あ、私が運びます。紬さんと律さんはあがっててください」
私も荷物を憂ちゃんに手渡し、「悪いね」と一言言って家にお邪魔する。その後ろにムギも続く。
そのさらに後ろから唯が転がってきた。
唯「うへー」ゴロゴロ
紬「…唯ちゃん、大丈夫なの? もしかして歩けないほどとか…?」
唯「いやぁ、なんか気が抜けちゃって。体力的には問題ないんだけどね」ヘコヘコ
イモムシのように這いずってリビングに到着。ダラけることに関しては器用だな、コイツ。
憂「お父さんとお母さんは、細かい手続きとかがあるからもうちょっと遅くなるって」
唯「っていうかむしろ私達だけ早く帰してもらえたみたいな感じだよね」
紬「唯ちゃんリハビリ頑張ってたもの。先生も早く終わったって褒めてたわ」
唯「そりゃあまぁ、まだまだやること沢山あるからね。ね、りっちゃん?」
律「ん、あぁ、そーだな…」
……いかん、唐突に話を振られてドモってしまった。っていうか私の今日の初セリフか、これ。情けない。
ともあれ、ここでその話を振るということは。
律「……ムギは、さ。アイツらのこと、どう思ってる?」
紬「…澪ちゃんと梓ちゃん?」
律「察しがいいね」
紬「どう、って……別に、友達だけど…」
律「私も友達だとは思っているよ。アイツらもそう思ってるだろう。建前上は、表面上は、さ」
紬「…なにが言いたいの?」
荷物を置き終えたらしき憂ちゃんが戻ってくる。異様な雰囲気を察し、身を引こうとしたようだが唯に止められ、座らされる。
唯「ムギちゃんが留年してから、いや、留年決まってからかな。どこかよそよそしく感じたりはしなかった?」
紬「……そんなの、唯ちゃんが事故にあって、りっちゃんと道を違えたあの日から…どこか感じてたわ」
唯「……そっか。ごめんね。そうだね、全ての原因は私だったね」
紬「ご、ごめんね、そういう意味じゃなくって……その、澪ちゃん達ね、まだ『放課後ティータイム』を名乗ってるの」
唯「大学の放課後なんて概念はバラバラだよねぇ」
律「きっとツッコミ所はそこじゃない」
紬「…えっとね、私は、唯ちゃんのいるバンドが、あの5人のバンドこそが、放課後ティータイムだと思ってたの。でもリーダーの澪ちゃんはグループ名を変えようとはしなかった。唯ちゃんがいないのにも関わらず」
唯「ふーん……」
紬「私は…それが納得できなかった。唯ちゃんがいなくても放課後ティータイムは回るんだって、りっちゃんがいなくても何とでもなるんだって言われてるみたいで」
律「…ネームバリューで釣ろうとか思ったんかな?」
我ながら穿った見方だと思う。澪はそんな奴じゃない。
でも『放課後ティータイム、ギターとドラムス募集!』とかいって声をかければ、同じ桜高から進学した人とかは釣れそうなのは否めない。実際のところはどうだったのかは知らないけど。
いや、もしかしたら澪ではなく、誰かの入れ知恵という可能性もある。
極端な穿ち方をするならば、私や唯が帰ってくることを危惧した人とか。ムギを追い出したい人とか。
少なくともムギは不満を感じた。少なくとも、澪達とムギの間に亀裂は入った。
極端な話だとは思うが、私達に恨みを持つ人でもいれば、これくらいのことはやりかねない。やるだけの価値、効果がある。
……もしかしたら唯の事故だって仕組まれたものかも……とまで考えて、さすがにそれはないだろう、と妄想を打ち切る。
紬「――だから…友達だとは思ってるけど、考え方の相違を少し感じるわ」
律「そっか。どうだムギ、こっちに来るか?」
紬「こっち、って?」
律「チーム、リベンジャー」キリッ
唯「あんまりかっこよくないですね!」
律「バッサリだー」
自分でもどうかとは思うけど、それでも唯に言われるのは納得いかない。
紬「……復讐?」
唯「うん。まぁほとんど寝ていた私が言うのは軽いから、りっちゃん説明お願い」
律「つってもなぁ……言いだしっぺはお前だろ」
唯「でも、やっぱり私じゃ軽いんだよ。私はりっちゃんの背中を押しただけ」
律「…そうか。まぁあれだムギ、復讐なんだよ」
紬「…それはさっき聞いたんだけど…」
律「えっと、さ。なんていうか、悔しいじゃないか。唯にしがみつく私を、唯がいたころの思い出に縋りつく私を置き去りにしていく澪達が。置き去りにした結果、成功している澪達が。…って、こう言うと私怨や妬みバリバリだけど」
唯「いいんだよ、復讐なんだからさ」
律「いや、澪達が自分で選んだ道だ、それを認めてやりたい気持ちもあるんだよ。でもさ、なんていうか、結局のところ、気に入らないんだよ。私というのを否定されてるようで」
紬「澪ちゃん達が成功してるから?」
律「それもないことはないけど、そうじゃない。唯が目覚めた時、いや目覚めてから、私と同じように『心配してました』と振舞うのが気に入らないんだ」
紬「それは……」
律「わかってる、実際に心配してたことくらい。でも絶対、何もかも投げ捨てて唯のそばにいた私のほうが心配の量は大きい。唯を大切に思う気持ちは大きい。なのにあいつらは、私と同じ顔をして、私と同じセリフを吐くんだ」
「心配したよ」
「早く元気になれよ」
「また一緒にバンドやろうよ」
「大好きだよ」
私と違って見捨てたくせに、切り捨てたくせに、あいつらはそう言うんだ。
律「何を言おうと…あいつらより、私のほうが、その気持ちは大きいんだ! ロクに見舞いも来なくなったクセして、唯が目覚めたら私と同じように毎日通いやがって…! 私は、私のほうが、絶対――!」
唯「もういいよ、りっちゃん。大丈夫、私はわかってるから」ギュ
律「……抱きつくな、そんなの私のガラじゃない」
唯「今更だよ。ほら、涙拭いて?」
言われて、ようやく自分が泣いている事に気がつく。私はここまで激情に左右される人間だったのか。
……ああ、情けない。
唯「私はちゃんとわかってる。だから私は、りっちゃんのほうに付くって言ったんだよ?」
律「…ありがとう、唯。そしてごめんムギ、憂ちゃん。取り乱したわ」
憂「いえ、そんな……」
紬「私のほうこそ…ごめんね。そんな風に思われてるなんて考えもしなかったから…」グスッ
律「あ、違うって! ムギも私と一緒で唯とのバンドに未練があったから留年してるんだろ? しれっと留年してる憂ちゃんもさ」
紬「…私は…やっぱり、唯ちゃんがいないと、楽しくないから。何かが足りないと、いっつも思っちゃうから」
憂「私は…単に、お姉ちゃんの前を歩きたくなかっただけです。それに、律さんみたいに、お姉ちゃんのために全てを捨てる覚悟は、私にもありましたから」
律「…ははっ、言い方を変えても結局は唯に対する未練じゃないか」
紬「でも…やっぱり復讐なんていわれると、少し過激すぎる気がして…その…」
気が引ける、と言いたいのだろう。ムギも、友達という感情は今もあるし、昔と同じ5人のバンドを結成できるならそれが一番いいことだと思っている。
その気持ちはわかる、というかきっと寸分違わず同じ感情だ。だからこそ唯との間で『そこまで酷いことはしない』という取り決めもしてある。
だがそんなことを知る由もないムギは、優しいムギは、二つ返事で頷くはずがないのだ。
だから、私達が説得しないといけない。
唯「…あのね、ムギちゃん。復讐の先に、何があると思う?」
紬「……何があるの?」
唯「復讐の先にはね、復讐から開放された日常が待ってると、私は思う。もっとも、背負うものは増えちゃってるかもしれないけど」
紬「日常……?」
唯「うん。私達の『想い』をぶつけた復讐の後に、またみんなで仲良くバンドしてる『日常』があればいいなって、私もりっちゃんも思ってる」
ムギは俯く。ムギだって、そんな日常を取り戻したい事は明らかだ。ムギの躊躇う理由はただ一つ、『友達に酷い事をしたくない』ということだけのはず。
なのに唯は『そんなに酷いことはしないと決めた』という言葉を言わない。そのカードを切れば、ムギがなびく事は確実だというのに。
それどころか。
唯「…もちろん私達がすることは、澪ちゃん達の頑張りを、二年間をムダにすることと同じだよ。澪ちゃん達の選択を否定することなんだから」
それどころか、もっとムギが躊躇うことを平気で言う。
唯「だから、復讐をした後は、責任を持たないといけない。その後にある日常を守り通す責任を。きっとそれは、とっても重い。だからムギちゃんに強要なんて、出来っこない」
紬「………」
唯「だから、断ってくれてもいいよ。私達は、既にムギちゃんに復讐はしないって決めてるから」
律「そうだな。ムギだって、気持ちだけならこっち側だし」
そこだけはハッキリ言っておかないとな。脅しと取られるのもイヤだし。
だが、そんな私のフォローは実に無意味なものだった。
唯「でもね、ムギちゃん。断った時は、一つだけ約束して?」
紬「……なにを?」
唯「……私達の邪魔だけは、絶対にしないって。口も出さない、手も出さない。完全に蚊帳の外に居るって、約束して?」
紬「っ……」
その唯の一言に、ムギも私も、言葉を失った。
最終更新:2011年06月08日 02:24