微笑む憂ちゃんは可愛い。顔も瓜二つの姉妹だが、笑顔は唯とは違った方向性を持つ。
楽しくしてくれる唯に対して、憂ちゃんは落ち着き、安らぎをくれる笑顔だ。とはいえもちろん、純粋に楽しい笑顔も見せるのだろう。唯や、あるいは梓達同級生には。
ちょっとだけそんな距離感にしんみりしていると、唯が出て行ったほうを見やり、ムギが言う。
紬「……唯ちゃん、何を話しているのかしら?」
律「さあなぁ。言い訳と…あ、週末にパーティーやるんだっけ。それの打ち合わせでもしてるんじゃないか?」
紬「そうね、そうだといいのだけれど……」
律「…何か不安が?」
紬「不安、というわけじゃなくて、わからないの」
憂「…何故、お姉ちゃんが嘘をついたか、ですか?」
紬「うん……こうやって慌てることになるのも目に見えてるはずだし、自分達を除け者にした、と向こうに怪しまれるリスクだってあるわ」
確かにそうだ。復讐をするなら疑われるのは避けたいし、それでなくても今日までは唯はむしろ率先して澪達に好意的に振舞ってきたのに。
あえてここでマイナスになる行為をする理由なんて、思いつかない。
憂「何か考えがあるんでしょう。私は何があってもお姉ちゃんを信じます」
律「それを言うなら…」
紬「うん、私達だって信じてる。ただ、一人で行動されてるみたいで、何か……うん、やっぱり不安なのかな」
私と同じような不安を、ムギも抱えている。もちろんムギも私と同じで、不安があろうとも唯を疑いはしないんだろうけど。
でも、ふと気になる。正確にはこの不安は何なんだろう?
唯が一人でいろいろ背負う事に対する不安?
それとも、私が背負わせてしまっているのではないか、という不安?
それとも……置き去りにされる不安?
きっとどれも正解で、そしてどれも唯からすれば有り得ない。
唯は一緒に居てくれると言ったんだし、ちゃんと私の事も気遣ってくれているのは明らかだ。
だから有り得ないはずなんだ。
でも、やっぱり不安というのは理屈じゃなくて。
この不安を払拭するためにも、やはり復讐を遂げるしかないんだ。
――少しして、唯が部屋に戻ってくる。
唯「ふぅ。どうにか許してもらったよ」
律「なぁ唯、単刀直入に聞くけど、なんでわざわざ嘘ついたんだ? こうなることはわかってただろ?」
唯「うん、手段は選んでられないってことだよ。りっちゃんもムギちゃんも、引く気は無いでしょ?」
律「私は…唯が一緒にやってくれるなら、な」
紬「私も、みんながやるなら」
唯「なんか主体性ないなぁ……」
部長はりっちゃんなんだよ? と唯が頬を膨らませる。可愛い。話の内容を除けば可愛い。
とはいえ、まぁ、確かに主体性がないな、私。
唯のことを信じるんだろ? そうだろ?
田井中律。
律「…そうだな。澪と梓に思い知らせてやるまで、私は退かないよ」
唯「りっちゃんかっこいい~」
律「……でも、一人になっても最後まで戦う、とまではカッコつけられない。私は弱い。誰かがいないとカッコつけられない。だから…力を貸して欲しい」
唯「勿論だよ!」
ムギと憂ちゃんも頷いてくれる。やっぱり、仲間っていいものだと思う。
結局私は、どこか人を引っ張るのが好きなのかもしれない。人を引っ張っている時、誰かがついてきてくれる時、私は一人じゃないって思えるから。
……寂しがり屋は、人の中心に居たがるものだ。案外、澪以上に寂しがり屋なのかもしれないな、私。
唯「――というわけで話は戻るけど。手段を選ばないなら、情報収集は私とムギちゃんに任せて欲しいんだ」
律「そういえばそんなこと言ってたっけ。どういうことだ?」
唯「うん。ムギちゃんはあずにゃんと学年が一緒だし、ね。私にはほら、毎日お見舞いに来てくれてるし」
なるほど、確かに適任だ。事情もだし、それに加えて唯とムギの人当たりの良さは折り紙つきだ。
二年も留年してしまった私には誰もが距離感を感じるだろうし、憂ちゃんも私の側と思われている可能性は高い。
とはいえあくまでも可能性。器用な憂ちゃんならそんなのものともしないとも思える。
あれ、一番役立たずなのは私か、またしても。
唯「りっちゃんはとりあえず、澪ちゃんへの言い訳を考えておいた方が…」
律「うっ……」
電池切れてた、で突っ走るしかない。もちろん実際に電源は落としておくよ、凡ミスやらかすわけにはいかないし。
唯「とりあえず、パーティーの日までに情報を集めておくから、それから復讐の作戦を練ろう」
律「唯は見舞いの時に情報を引き出すってコトだよな? 私はいないほうがいいのか?」
唯「別にどっちでもいいよ。あ、でも金曜と土曜はりっちゃんと一緒にいられないんだ、ゴメンね」
……あ、私今すげー凹んでる。
「なんで?」と、自分の心に聞いたのか唯に聞いたのかわからない言葉が、辛うじて口から出た。
唯「えっとね、今日の退院を教えなかった埋め合わせでね、金曜があずにゃんと、土曜が澪ちゃんとデートなんだ」
よし死のう。
唯「ほら、手段は選んでられないって言ったでしょ。デート利用して情報集めてくるからさ」
律「今日は木曜日だな」
唯「? うん」
律「つまり明日と明後日なんだな、デェト」
唯「そうだねぇ」
急すぎる死にたい。
唯「あ、デートという名のパーティーの買い出しだけどね。というわけで憂、何か買うべきものあったら教えて?」
憂「…みんなの好みのメニュー聞いてからメモしといてあげるから、律さんを見てあげて?」
唯「ほえ? …うわっ!? どうしたのりっちゃん!? 灰になってるよ!?」
紬「天然って怖い」
唯「――本当に大丈夫? りっちゃん、どっか悪いの?」
律「いや、大丈夫だから、ホントに。ところで、学校はいつから行くんだ?」
唯「んー? 学校は来週から行くよ。明日の午前中は憂とイチャイチャしとく」
死のうか。
憂「あ、お、お姉ちゃん、私も明日は学校に――」
紬「いいじゃない憂ちゃん、唯ちゃんの望みだもの、一日くらい休んだってバチはあたらないわ」
憂「紬さんはどっちの味方なんですか!?」
紬「私は……唯ちゃんの味方、かな」
唯「わーい、さっすがムギちゃん!」ギュー
紬「やん、唯ちゃんったら///」
死にたいけど説明しておくと、憂ちゃんは『律さんと私、どっちの味方なんですか』と言いたかった。ムギはそれを察してわざと嫌らしい答えを選んだ。
でも唯は『私と憂で私を選んだ』と勘違いしている。たぶん、きっとね。
唯「あ、ところでりっちゃん、一つお願いがあるんだけど」
律「……お、おう、なんだ?」
唯「来週からは学校行くからさ、私が戻りやすいように便宜図っておいてくれないかなぁ」
律「なにその無理難題」
唯「あ、やっぱり?」
まぁ、長老としてクラスの頂点に立つようなタイプの人なら出来ただろうけどさ。私は不登校レベルだし。
講師の人にクチ聞いておくくらいしか出来ないだろうなぁ。
……いや、曲がりなりにも二年間、唯より長く学校に通っている事実は変わりはない。
何か少しでも役に立てればそれでいいか。たまにはマジメに学校に行って、できることを探そうか。
――そして夕方。見舞いに訪れた澪と梓は、私やムギ、憂ちゃんには特に強くは当たらなかった。
これはあれか、結果として唯とデート出来ることになったから恨みつらみは水に流したという事か。
あぁ、死にたい。
翌日。珍しくマジメに一日中学校で過ごすと、周囲の視線が痛い。いや、高校ほど他人に興味のある連中ではないんだけどな。
昼食は便所飯を覚悟したが、ムギが誘ってくれた。そして、その時にした他愛ない会話の中で、一つだけ、抗いがたい魅力を持つ、いわゆる『誘惑』があった。
紬「今日と明日の唯ちゃんのデート、尾行しましょう」
その時のムギの真剣な顔といったらもう、あれだった。いや、やっぱよくわからん。
出歯亀あるいは野次馬根性が半分、嫉妬が半分。ムギのキャラと、ムギ自身の唯への好意。その両方が混ざっていた。
少なくとも私にはそう見えた。
私には…嫉妬しかなかった。
だから。
律「全力でやろう」
そう言うしかないだろう。
そして苦痛でしかない一日を終え、下校しようとした時。どこからか、澪の歌う声が聴こえた。
基本的にスタジオを借りてると思っていたが、校内でも練習してるんだな、と耳を澄ます。あまり気は進まなかったが。
そして、当然のごとく後悔した。
昔よりも綺麗で、なおかつ力強い澪のボーカルが。
澪のものではない、少々自己主張の激しいベースが。
私とは違う、正確なリズムキープをするドラムが。
ムギとは違う、可憐さよりも力強さを押し出したキーボードが。
それらが奏でる音楽が、今の放課後ティータイムが奏でる音楽が、私の心に暗い澱みを作った。
何もかもが、私達の頃とは違っていた。音も、色も、曲の表情も。
更に言うなら私は澪がベースを辞めてボーカルに専念していることすら知らなかった。
私が知ろうとしなかったのもあるが…澪だって、少しくらい言ってくれても……
律「ッ……!」
耳を塞ぎ、頭を振り、全てを振り払う。
律「……くそっ…」
そこでようやく、さっきの演奏にギターの音が無かった事に気づき。
ギターがないのは、梓が唯とのデートの為に活動を休んだからだろう、と思い至り。
ムギとの尾行の約束に間に合わせるため、私は走って帰った。
紬「むぎぎ……ムキー!」
律「落ち着け」
ムギがハンカチを噛んで悔しがる。そう、今は梓と唯のデートの尾行中。
紬「なんであんなに引っ付いてるのよぅ……昨日は私にぎゅーってしてくれたのにぃ…」
律「キャラ変わってるぞ、腹立つ気持ちはわかるけど…」
紬「わかるわよね!? もう出て行ってぶっ壊しましょうよ!」
律「だからキャラが……」
嫉妬全開じゃないか。どこからどう見ても嫉妬に狂う山姥じゃないか。鬼婆だっけ。どっちでもいいや。
まぁしかし、言ったとおり嫉妬する気持ちは私にもわかる。梓が恥も外聞も捨ててベタベタと唯にひっついているから。
生憎、会話の内容までは聴こえない。だがとにかく二人とも楽しそうで、そりゃ嫉妬もするってもんだ。
紬「ホラっ!通行人、もっとドン引きの視線を送って梓の野郎を正気に戻して!!」
……もう何も言うまい。
律「……おや、軽食屋を指差してるな、梓」
紬「食べちゃダメよ唯ちゃん! 憂ちゃんのご飯が待ってるのよ!?」
律「お、ちゃんと断ったか。病み上がりだし、外食は控えるべきだよな、うんうん」
そのへんは梓も心得てるらしい。申し訳なさそうに頭を下げると、唯がナデナデし、梓はまた笑顔になる。
うらやましい。
紬「くっ…梓ちゃん、まさかそこまで計算して…!?」
律「どうだろうなぁ……単に浮かれてただけだと思うが。梓、たまに抜けてるトコあるし」
紬「あ、ファンシーショップに入った! ファンキーな野郎だぜ、梓ちゃん!」
律「どうすんの? 私達も中に入る? 外から見張る?」
紬「あの店を潰す」
律「パンとご飯どっちがいいって聞いたら牛乳って言われたような、そんな感覚と非常に似ている今の私の心境」
紬「カレーは飲み物よ、りっちゃん」
律「なぁ、会話も通じないなら私達一緒に居る意味あんの?」
紬「外で待ちましょう」キリッ
律「………」
律「――お、出てきた」
紬「持ってる袋はパーティーグッズかしら」
一応名目上はパーティーのための買出しだし、それで間違いないだろう。
律「っていうか今更だけどさ」
紬「うん」
律「なんか唯が色っぽいよな、今日」
紬「うんうん! それ私も思った!!」
まぁ、退院後始めて見る唯のマトモな私服姿だからというのもあるだろう。実に二年以上ぶりに見るその姿。懐かしくも、時の流れを感じさせて。
あとは入院していたが故に伸び放題だった髪の毛か。意識不明だったからかバカみたいに伸びてはいないし、憂ちゃんが綺麗に整えているんだが、なんかこう、高校時代より遥かにオトナっぽい。
肌も、唯の性格上化粧とかはしていないはずだが、なんだろう、あの瑞々しさは。
もしかしてあれか、二年間寝ていたが故に細胞が老化しなかったとか、そんなSFな話なのか。うらやましい。
紬「あっ、梓ちゃんが誰かにぶつかった!」
律「何!?」
ケガしてないだろうな、トラブルになりそうだったら出て行くか、とか考えていたが、唯があっさりとその場を収めてしまい、梓の様子を見ている。
律「……なんだ、大丈夫か」
紬「…そうか、そういうことだったのね!」キラキラ
律「な、何が?」
紬「今日の唯ちゃんがなんかステキに見える理由よ! 梓ちゃんが甘えたりして子供っぽく見えるのも一因よ!」
律「あー、なるほど。梓が子供っぽいと相対的に唯がオトナっぽく見えるってことか」
確かにベタベタ甘える梓からはいつものしっかり者の雰囲気なんて微塵も感じられない。
なんかなー、アイツも二年間、いろいろ抱え込んでたんだな……
……ま、もう私はアイツの先輩でもないし、部長でもないんだ、関係ないさ……
紬「……りっちゃん?」
律「んー? どした、ムギ」
紬「……帰りましょうか、そろそろ」
律「なんで?」
紬「見ていたくないから」
律「……そっか」
それが少し前を歩く女の子二人のことなのか、私のことなのかはわからないが。
どちらにしろ、不快な思いをさせたのなら謝って、さっさと帰るべきなんだろうな。
律「ゴメンな、帰ろうか」
紬「…うん」
最終更新:2011年06月08日 02:28