――その日の夜、ムギにもう一度メールで謝ると『明日も行きましょう』と返ってきて。
ついでに唯が午前中に憂ちゃんとケータイ買いに行ったと聞いたので特に内容も無いメールを送ったのだが、返事は次の日の朝まで返ってくることは無かった。
土曜日は休日で、昼過ぎからすぐ唯は澪とのデートに向かってしまった。
ムギと再び後をつけたが、詳しい描写は割愛する。
唯は今日もどことなくオトナっぽくて、澪は言うまでも無く美人で。
澪が唯に気を配りながらも常にリードしようとして、でも唯を気にかけるあまり躊躇する事もあって、その時はちゃんと唯が背中を押す。
食事こそ避けたが、それ以外は特に拒む事無く、澪の描いたとおりのデートプランになったようだ。
最後に憂ちゃんのメモを見ながら食材を二人で買う。その姿はどことなく新婚夫婦のように見えた。
……唯はこう、ちゃんとするべきところではちゃんとする奴だ。その分、普段は全然ダメダメだが。
逆にイザってときに萎縮しがちな澪や、日頃強く振舞っているが脆い面もある梓。そういう奴と一緒に居ると、お互いの良さが引き出されて、お似合いだなぁ、とか思ってしまう。
そして、どう見ても唯自身もまんざらじゃなさそうで。
律「……なんだかなー」
紬「不安?」
一言で言い当てられ、思わずビクッとしてしまう。
紬「ふふっ、私も不安だから」
律「…だよな。なんで唯は、あんなに楽しそうなんだろうな。なんで唯と一緒に居る澪や梓は、輝いて見えるんだろうな」
紬「唯ちゃんの心は、こっちにあるはずなのにね」
律「なのに、向こうにいるべきに見えてくるんだよな、唯が」
紬「……実際、向こうにいるべきなんじゃないかしら」
律「…え?」
紬「復讐なんて…唯ちゃんには、絶対に似合わない」
そうだ、それは私だって理解している。
でも、唯は。
律「……私に持ちかけたのが、そもそも唯だ」
紬「でもそれは、唯ちゃんの本心だったのかしら? 唯ちゃんはどんな気持ちで、それを告げたのかしら?」
律「……どういう意味だ?」
紬「わからないわ。私にも唯ちゃんの気持ちはわからない。考えはわからない。友達なのにね」
律「じゃあ、考えたところで――」
紬「でも、りっちゃんならわかるんじゃないかしら? 一番近いって言い張ってた、りっちゃんなら」
律「………」
紬「わからなくても…考えてみるくらいは、してもいいと思う」
……確かに、真剣に考えたことはなかった。
唯がいてくれる、それだけで充分だったから。唯が味方でいてくれるだけで嬉しいから、考えもしなかった。
だから唯が復讐を持ちかけた件についても、それがそのまま唯の本心なんだろうと思っていた。
律「………」
でも。
考えてみたところで。
私は唯を盲目的に信じる事しか頭になかった。
だって、澪達が私を見捨てたのと同じように、私も澪達を見捨てたのだから。道を違えるとは、そういうことだから。
見捨て、見捨てられ、唯だけを信じてきたのだから。
だから。
私と唯の考えが違うなんてこと、あってはならないんだ。
そんなことがあれば……私は一人ぼっちになってしまうじゃないか。
そんなのはイヤだし、怖い。
絶対に…あってはならない。だから。
私は、唯が何を考えていようと、信じ続ける。
そうすれば、ほら。
二人は、ずっと一緒。
第三章おわり
【第四章】:作戦開始
――週末に開かれた退院祝いパーティーについては、語ることも特にない。
唯と梓が買ってきたパーティーグッズは全て使い果たしたし。
唯と澪が買ってきた食材は、憂ちゃんと梓の手で、他に例えようのないくらい豪華なご馳走へと昇華された。
終始、笑顔は絶えず。誰もが心の底から笑い合い。
引け目を感じていた私ですら、澪と仲良く笑い合い。
まさに、高校時代に戻ったような。
小さなわだかまりの一つもない、ただ楽しいだけの毎日を送っていたあの頃に戻ったような。
……そんな錯覚をさせてくれた。
私は、気づいていた。
錯覚だと。ここは作られた空間だと。
何も知らない澪と梓。そして、最大の立役者、唯。
この三人によって錯覚させられた、偽りの幸せの空間。
たとえ、その三人の中で、意図していたのは唯だけだとしても。
他の二人は、本当に心の底から笑っていたとしても。
私の笑顔も、心の底からのものに見えたとしても。
本当の私は、一歩退いた場所からその様子を眺めているだけだった。
――全ては、嘘。
私は嘘が特別下手という訳ではない。だが、付き合いの長い澪になら見抜かれる可能性もある。
そう危惧し、パーティーが終盤に差し掛かったあたりで酔い潰れて寝ることにした。
正確にはそのフリをしたのだが、いつの間にか本当に寝ていたらしい。目を覚ました時には、唯と憂ちゃん以外の姿は無かった。
もっとも、唯もリビングの床で酔い潰れて寝ていたのだが。
憂「あ、律さん。お水いります?」
律「あー、うん、もらう…」
台所から姿を見せ、私が返事すると水を取りに小走りで駆けていく。
酒+寝起き特有のボーっとした頭でそれを見ていたが、水を受け取り、一気に飲み干したあたりで正気に戻る。
律「…みんなは?」
憂「紬さんの寄越した車で帰りましたよ。律さんによろしく、と言って」
律「そっか……片付け、手伝うよ」
憂「いえ、もう終わりますので。お姉ちゃんがついさっきまで手伝ってくれてたんですよ」
律「ん……ごめん、何もしなくて」
憂「いえ…あ、そうだ律さん。それならちょっと相談相手になってくれませんか?」
律「相談? まぁ、私にわかることなら」
憂「はい。私達、実家通学仲間じゃないですか」
あ、なんとなく察した。住居の話だろう。
知ってる人もいるかもしれないが、私達の大学にはちゃんと寮があり、私達もみんな入寮『していた』。
過去形なのは寮のオキテのせい。『留年したら即追放』ってヤツ。
これのせいで留年生の私、ムギ、憂ちゃんは実家に戻るハメになった。もっとも、私は大学にほとんど行ってなかったから原付でも持ってれば充分だったし、ムギは家の車でも回してもらえばいい。
でも憂ちゃんだけは電車などを駆使する事になる。これはなかなかの負担だ。
憂「というわけで、どこか大学の近くに部屋を借りません? 四人で」
律「いいね。ムギにも相談しておくべきだとは思うけど、実際それがベストな気がする」
憂「少し広めの部屋がいいですね、そうなると」
律「出来れば防音しっかりしてるところがいいな。唯のギター、久々に聞きたいし」
憂「私は律さんのドラムも聞きたいですけどね」
律「嬉しい事言ってくれるねぇ。でもそうなると条件厳しすぎないか?」
憂「そうですね…さすがに。スタジオ借りるくらいが関の山でしょうか」
律「だな。ま、ムギにも相談して、明日いろいろ考えてみようよ」
憂「そうですね」
――後日、ムギの力でスタジオ近くの広めの防音設備のいい部屋が借りられることになるとは、夢にも思っていなかった。
憂ちゃんの勧めと、飲酒運転になるということもあり、その日は唯の家に泊めてもらった。
そして翌日、唯と憂ちゃんと一緒に電車で大学に向かう。
唯「……お酒怖い」
律「いつの間にか寝てたか?」
唯「うん……」
律「まぁ、二日酔いとかしてなけりゃ大丈夫だよ」
話を聞く限りでは記憶もあるし体調も悪くないようだ。純粋に酒で勢いのついた寝落ちをしただけだろう。
それよりそんなこと引きずらないで、ちゃんと大学のことを考えないと。
律「あー、唯。この時期の復学なら一応頑張れば進級できるってさ。がんばれよ?」
唯「りっちゃんもでしょ?」
律「まあな。あ、あと悪いとは思ったが時間割とかも私と一緒にしといたから」
予想通りというか何と言うか、大学のほうは
平沢唯という休学中の生徒がいる、程度にしか思っておらず。唯が決めるべきことは全て放置状態となっていた。
だから先週末、私は極力、唯と一緒に居れるように駆けずり回った。唯に無断でいろいろやるのは気が退けたが、互いのためにもこれが一番だと思ったから。
……とかカッコイイこと言ったが、そもそも学部が一緒だったし、実際は大して労せず全てを仕込み終えた。
唯「うん、ありがとーりっちゃん。これでいつも一緒だね?」
憂「むー…ズルい」
律「いや、憂ちゃんも一緒の学年なんだし、会うこともあるって!」
ともあれ、ムダに何年も一年生をやっている『先輩』として、これで唯を引っ張ってやれる。
……と思ったが学校にそもそも来ていなかった私にそんな事はなく、曲がりなりにもマジメに通っていた憂ちゃんのフォローにほとんど助けられる事となった。
そして放課後。澪達からの見学の誘いを憂ちゃんが「お姉ちゃんが全快してから」とうまく回避し、私とムギもそれに便乗し。
こうして多少の猶予を得、私達復讐部は唯の家に集結した。
唯「――さて、そろそろ本題に入りたいと思います!」フンス
律「おーおー、部長を差し置いて偉そうだこと」
唯「ははぁー、申し訳ありません。このおやつでどうか怒りを沈めてくだせぇ」スッ
律「うむ、くるしゅうない」
紬「私のお菓子……」
律「いや冗談だから。さぁ唯、続き頼むわ」
唯「うーん、やっぱりりっちゃんが仕切るべきじゃない? 部長だし」
律「そうか? うーん……じゃあ唯隊員とムギ隊員、情報収集の結果を報告したまえ!」
唯「ははっ!」ビシッ
紬「はっ!」ビシッ
憂「ノリノリだー」
憂ちゃんがボヤくが、ノリでいけるのもここまで。
ここから先は間違いなく『復讐』の話なのだから。
唯「……私とムギちゃんが集めた情報では、やっぱり澪ちゃんとあずにゃんはバンド活動に何よりも精を出しているのは間違いないね。そして、そのバンドに私達が戻ってきてくれることを何よりも望んでる」
紬「唯ちゃんはもとより、私やりっちゃんに対しても、二人はちゃんと心からそう思ってるわ。サークルの人数も、演奏が出来る最低限の数で回してるみたい」
唯「そもそも部があるのにサークルでやってるあたりからもそれは伺えるよね」
律「……そうか」
いい奴なのか、甘いのか。どちらにしろ、それは二人の長所。
それなのになぜ……私の気持ちを理解出来ないんだ。私と唯の気持ちを、わかってくれないんだ。ムギとの間に出来た亀裂を、埋めようともしないんだ。
元より、無理なことなのかもしれない。経験したことのない者には、わからない気持ちなのかもしれない。
勝者が敗者の気持ちなど、知る理由がそもそもないように。
聖者が愚者の気持ちなど、考える意味がないように。
勝者は常に上を見ていればいいし。
聖者は常に人を見下していればいいのだから。
だが、その時の私は、頭を掠めたそんな考えになど見向きもしなかった。
律「……じゃあ皆、本格的な復讐の案を出してもらおうか」
唯「――澪ちゃん達のバンドの当面の目標がね、近々開催されるライブイベントらしいんだ」
律「ふむ、どんな?」
紬「ほら、唯ちゃんがギター買った時の楽器店覚えてる? あそこで店員さんに聞いたんだけど、アマチュア限定のやつが毎年開催されてるの。大学の近くで」
律「へー。あれ、ムギは一度も出てないの?」
紬「うん……新しい子の方が、私より上手かったから交代させられちゃって」
……そんなバカな。幼い頃から賞を獲るほどのムギだ、腕前はズバ抜けているはずだ。
それに新しい奴には失礼だが……この前聴いた新しいキーボードの音は、私はあまり好きじゃない。
好みの問題なのかもしれないが、やっぱりムギの音のほうが、私達には合っていると――
律「…ああ、そうか、そういうことか」
紬「うん。澪ちゃんがボーカルに専念してるし、ギターも唯ちゃんの音が足りないし、ドラムもりっちゃんじゃないから、単に私の音が合わなかった、って言うべきかも」
今や高校時代の放課後ティータイムと同じ要素は、梓のギターと澪の声のみ。
こう言っちゃ何だが、梓が入部する前のほうがムギのキーボードは輝いていた。梓の加入後は、キーボードのパートを一部ギターに振り分ける編曲をしたりしたからだ。
つまるところ、梓のギターの有無はあまり関係なく。
そして、文化祭まではそもそも私達のバンドにボーカルはいなかった。
そう考えると、最初期の放課後ティータイムと同じ要素は、今の放課後ティータイムには皆無だ。
少々強引な仮説だが、ムギの音が合わなくなった可能性として充分だろう。
唯「何かが足りない、っていう気持ちは今ならよくわかるなぁ。最初に私が三人の演奏を聞いた時、そう思ったもん」
律「まぁあの時は実際にギター足りてなかったんだけどな」
唯「それも含めて、なんていうのかな、音のバランスっていうか。りっちゃんの元気なドラムばっかりが前面に出てたんだよ、あの時」
律「オウフ」
唯「澪ちゃんの真面目で丁寧なベースと、ムギちゃんの優しく綺麗なキーボードに後押しされて、りっちゃんだけが暴れまわってる感じ?」
律「酷い言い草だ」
でも言いたいことはなんとなくわかる。
唯の入部後はその三つに天真爛漫なギターが乗っかって。支える人が二人、前に出る人が二人。単純な数としてもそれでバランスが取れて、梓が感動して入部するほどになった、というわけだ。
一方、今の梓の演奏がどうなのかは知らないが、要は私が抜け、澪もボーカルに専念したことで、ムギの音ではバランスが崩れてしまうんだ、今の放課後ティータイムは。
最終更新:2011年06月08日 02:29