【番外編】:彼女の視界




――私には聞こえたんだ。

悲痛な叫びが。

無念の嘆きが。

そして、僅かばかりの愉悦の笑い声が。


それは子供じみた、感情の奔流。

自分を肯定して欲しい。
たったそれだけの、幼い願望。

だから、私は言ったんだ。


唯「復讐しよう、りっちゃん」


◆◆


律「二年も置き去りにするような奴らのこと、やっぱ許せないか」

唯「そりゃあ、ねぇ。仲間だと思ってたのにさぁ」

仲間だと思ってたのに、りっちゃんと澪ちゃんなんて特に強い絆で結ばれていると思っていたのに。
なのに、現実は違った。私なんかに後ろ髪引かれたりっちゃんを、澪ちゃんは容易く見捨てた。
……許せるわけがない。二年も置き去りにされたりっちゃんの気持ちを思うと尚更だ。

律「……私も手伝うよ。けどさ、腐っても仲間だ、あまりひどい事はしないでやってほしい」

唯「……ん~? じゃあ逆に聞くけど、りっちゃんは私の立場ならどうする??」

私の立場。二年も置き去りにされた大事な仲間を想う立場。

律「……私なら、諦めているかも知れない。復讐なんてしないで、唯と二人でどうにか細々とやっていくよ」

……りっちゃんは、もしかして澪ちゃんより私のほうが大切、って言ってくれてるのかな?
それは嬉しい…けど、それでも、そんな心の傷を抱えたまま、りっちゃんが泣き寝入りするのは間違ってるよ。

唯「そうかなぁ~?? 私なら全力だよ全力! どれだけ酷いことをしたか思い知らせてあげないと!」

律「ははっ、怖い怖い」

全然怖がってそうに見えない。相変わらず酷いよりっちゃん。

唯「でも、まぁそうだねぇ、ちゃんと反省して、謝ってくれればそれでいいんだし、そこまで酷いことをする必要はないよね」

律「そうだな。乱暴とかはゴメンだ」

唯「そしていずれは……またみんなでバンドやりたいね」

律「ああ…そうだな」

……りっちゃんが時折見せる、寂しさの片鱗。とても似合わない、その表情。
りっちゃんがこんな顔をするようになった原因は私だ。私の事故だ。
だから、私は身心を賭けて、全てを賭して、そんな顔をしないで済む『未来』を――『日常』をりっちゃんに与えてあげないといけない。

それが、私に出来る唯一の償い。


……なんて、カッコつけてみたけれど。
結局は、私がりっちゃんを好きだから、の一言で済む。私が、りっちゃんの笑顔が好きだから。りっちゃんに笑っていて欲しいから。
たぶん、ただそれだけの話。たったそれだけの。


――ただ、当時の私は言葉だけで、身体がついていけなかった。

唯「痛っ……!」

今日もまた転ぶ。リハビリという名の転倒会だ。
握力は多少戻った。腕力はまだまだ。そして脚力が全然ダメ。当たり前のことが出来ない、そのもどかしさに唇を噛む毎日。

唯「っ……!」

でも、私は立ち上がる。何度でも。
倒れる訳にはいかない。寝ている訳にはいかない。約束したから。誓ったから。
手伝う、と。
大好きな人を助ける、と。
でもそれは私の自己満足。感謝こそすれ、感謝されるようなモノではない。

でも、人の動く動機ってそんな物だと思う。

大好きな人の笑顔が見たいから。
大好きな人には笑っていて欲しいから。

そんな、自分本位の我が侭。
だけど、その我が侭を通せば、その人は笑ってくれる。

だから、全力を出せる。
だから、身も心も尽くせる。

たとえ、その先で朽ち果てようとも。
全てを失うことになろうとも。

唯「……負けない……!」


――もう、食事は一人で出来る。スプーンを取り落とすこともなくなった。転ぶことも少なくなった。
でも、時間が惜しい。少しでも、一日でも早く退院しないと。

医師「平沢さん、頑張りすぎじゃないかい?」

唯「そうですか? でも、早く学校に行きたいですし」

医師「それはいいことだが……無理はしちゃいけないよ」

唯「はい、大丈夫です」

心配してくれる先生に笑ってみせる。私は上手く笑えているだろうか?
先生だけじゃない。澪ちゃんやあずにゃんにも見抜かれない笑顔を作らないと、全てが無駄になる。
私が本当の笑顔を見せるのは『仲間』の前だけでいいんだ。澪ちゃんやあずにゃんは、今はまだ『仲間』じゃない。

じゃあ、どうやって笑顔を作るか?
……心を[ピーーー]。それが最も簡単な方法だろう。
でも、私には無理だった。自分の甘さを呪った。でも同時に、そこまでしたら憂やりっちゃんに心配をかけるんじゃないかとも思っていたから、そこだけはホッとしていた。

だから私は、『今』の澪ちゃん達を見ないで笑うことに決めた。

『過去』の、楽しく仲良くやっていた時を思い出して笑い、
『未来』の、楽しく仲良くやれるであろう光景を想像して笑う。
『今』なんていらない。見る必要はない。

そう考えることで、無理矢理心を凍らせた。


その作戦はどうにか上手くいっているようで。

唯「あずにゃん猫耳つけてー」

梓「なんでですかっ!」

澪「ははっ、相変わらずだな」

……と、どうにか見抜かれていないようだ。
だってそうだよね。笑顔を作るとは言ったけど、これはある意味本物の笑顔だもんね。

律「…………」

……むしろ、りっちゃんのほうが笑顔が硬いよ?
胸がチクりと痛む。悪いことをした時の、悪いことをしたとわかっちゃった時の痛み。
誰かを悲しませた時とか、誰かを怒らせた時。そして……誰かを騙した時。

……でも、この痛みに慣れないといけないんだ。
慣れれなくとも、堪えないといけない。そうでないと、目的は果たせない。復讐は果たせない。りっちゃんの笑顔を取り戻せない。

全てはりっちゃんの為。胸が痛むたびにそう確かめることで、私はどうにか心の均衡を保っていた。


唯「ハッピーニューイヤー!」

憂「あけましておめでとう、お姉ちゃん!」

律「あけおめー」

澪ちゃんやあずにゃんがいない時は素が出せる。
ある意味、心休まる時間だ。心休まる……

唯「……病室で年越しなんて……ううっ」

憂「な、泣かないでお姉ちゃん!」

唯「初詣も行けない……っていうかよく考えたら私、成人式も出れなかったんだよね……」

一生に一度のイベントを……寝過ごしたんだよね、私…
寝過ごすってのはなんか意味が違う気がするけど。

律「心配するな、私も出てないよ」

唯「そうなの? んじゃいっか」

律「軽っ!」

別に、今でも勿体ないことをしたとは思ってるよ。
でもただ、その勿体ないことをした人が他にもいるなら、その人の前でグダグダ言っても仕方ないなぁ、ってだけ。

唯「っていうかりっちゃん、なんでここにいるのさ」

みんながお見舞いに来るのは目に見えていたから、今日だけは断固拒否してたのに。こんな日くらいは、私よりも自分のことを優先してほしかったのに。
実際、ムギちゃん澪ちゃんあずにゃんはギリギリまで渋りこそしたけど言うこと聞いてくれたのに。

律「……居心地悪いんだよ、家。どうしても居ちゃダメなら帰るけどさ」

唯「……別に、どうしてもとは言わないけど」

律「…そっか。ならもう少し居させてくれ」

……私のようにやむにやまれぬ事情があるわけでもなく留年を重ねたりっちゃんには、いろいろ厳しいのだろう。世間の目とか、そんなものが。
……本当なら、そんなもの壊してあげたい。けどそれはさすがに難しいだろうし、それに復讐を果たせばきっと、そんなの気にならないくらい楽しい毎日が戻ってくるよ。
私は、そう信じてるから。

唯「……来年には、学校行けるといいな」

律「そうなると私と同学年だな」

唯「そうなるとっていうか、りっちゃんが私のお見舞いを止めない限り同学年じゃない?」

律「返す言葉もありません!」

憂「……あの、お姉ちゃん」

唯「ん? どしたの憂」

憂「お、怒らないで聞いてね?」

唯「怒るって言ったら?」

憂「え? えっと……」

ちょっと意地悪だったかな。でも、憂がそんな前置きをするなんて珍しくて、ついからかいたくなっちゃう。
だから、憂の中で『よっぽどのこと』なのだろう、今から言おうとしていることは。
そして、そこまで思い詰めて言おうとしていることを、私は、いや『姉』というものは、

唯「怒らないよ。ちゃんと聞くから、言ってごらん?」

真剣に、真摯に受け止めてあげないといけない。

憂「……あの、ね。私も来年、お姉ちゃんと同じ学年に…なる、から」

律「ぅぇえええええええええええ!?」

唯「りっちゃんうるさい」

律「ごめんちゃい」

そんなに驚くほどのことかなぁ?

律「いや、あんなに真面目で何でも出来るいい子の憂ちゃんが留年なんて、普通に考えれば驚くだろ!」

唯「うーん、まぁ、そうとも言えるし、そんなことないとも言えるよねぇ」

律「なんだそりゃ?」

りっちゃんだってすぐにわかるよ。
憂だけじゃなくて、『私と憂』というものを見てれば、きっと誰でもわかる。

唯「……ねぇ、憂」

憂「は、はい!」

そんなに硬くならなくても。
私は憂のその選択を予想していたし、憂だって、私がそんなことでは怒らないとわかっているはずなのに。
それとも……わかっていても不安なのかな。なら、ちゃんと一から十まで言葉にしないとね。

唯「私は怒りもしないし、驚きもしないけど………でも、ごめんね」

律「……あぁ、なるほど」

唯「りっちゃんにも言わなくちゃいけないことだけど……私は、本当に、いろんな人の人生を狂わせてる。いくら謝っても足りないよ」

憂「お、お姉ちゃんが謝る必要なんてないよ!」

唯「ううん、やっぱり謝らないといけないんだよ。必要はなくても、理由はあるよ」

例えば今回の件。私は憂がその選択をすることを予見していたし、憂という子なら当然だろうと思っていた。妹なら当然、ではなく、憂なら当然、だ。私の知る憂なら。
でも逆に、憂の心には罪悪感があった。ただこれもまたややこしく、私ならそれを咎めないが、姉なら、世間一般の人なら咎めるであろう、という系統の罪悪感だ。
だって、憂も私の考えること、ちゃんとわかってるはずなんだから。
でも、それでも。

唯「私が留年してるのは不可抗力で、でも憂はそれに引け目を感じて留年した。そして憂は、それをちゃんと『間違った』ことだってわかってる」

あくまで世間一般から見て『間違ってる』選択、だ。
私はその選択を正しいとも間違っているとも言いたくない。憂が決めたことなら。二人きりの世界に生きていたら、絶対に何も言わない。
でもそんな世界に生きてはいない。私達は世間に『見られている』。外聞を気にして生活しないといけない。それを踏まえると、わかってくれる人こそいるけれど、それでも憂の選択は『間違っている』んだ。

唯「だから、私が間違った選択をさせたんだから、れっきとした謝る理由だよ、それは」

憂「で、でも――」

唯「でも、あのね、正直言うとね、私は思い上がってる。憂なら何も言わずとも私の気持ちをわかってくれてると思ってるし、りっちゃんは何でも覚悟の上だと思ってる」

律「…まぁ、私はここまで落ちぶれたんだし、後はもうどうにでもなれ、だな」

憂「わ、私だって姉妹だもん、世界にたった一人の姉妹だもん。お姉ちゃんのこと、ちゃんとわかってるよ!」

もちろん、そんな風に信頼してくれる二人を裏切り、傷つけることなんて絶対にしない。
ただ、きっとこの先の私には余裕が無い。復讐を始めたら、きっと仲間のことは二の次になってしまう。
大切な仲間なのに、そこまで気を配ってやれないかもしれない。もちろん極力そんなことがないようにはするけど、私は基本的に非力で、不器用だ。
……偉そうに言うけど、不安なんだ、私も。

唯「……だったら、さ。今ここで決めて欲しいな。こういう時、二人はちゃんと、私の考えを、気持ちをわかってくれる? 言葉にしなくても大丈夫?」

憂「…わ、私は――」

律「憂ちゃん、答えが出てるなら、同時に言わない?」

憂「は、はい」

律「じゃあ、せーの――」


憂「大丈夫!!」

律「わからん!」


……えぇー。

唯「……いや、りっちゃん、わからんって何さ」

律「いや、な。確かに覚悟はしてるし、唯のことも信じてる。でも私は…その、唯と喋るのがそもそも好きなんだよ。だから、どんな短い言葉でもいいから、言葉にしてから会話したいというか……」

あ、これはヤバい。りっちゃん可愛い。
リハビリの成果、見せる時が来たようだ。

唯「りっちゃ~ん!」ダキッ

律「ぎゃああああああぁぁあ!?」

唯「かわいいこと言ってくれますなぁ~うりうり」

りっちゃんの答えは私が求めていた答えとは違ったけど、可愛いからいいや。
この可愛さは、私の不安なんて吹き飛ばしてくれる。いつだって。

律「た、助け、憂ちゃん助けて!」

憂「ズルい! 私も混ぜて!!」ピョーン

律「やっぱりかぁぁぁ!」

……その後、看護師さんに説教されるまでりっちゃん愛でタイムは続いた。
新年早々これとは、実にめでたい。



律「――ムギは留年も確定したことだし、復讐の対象からは外そうと思うんだ」

新年度が近づいたある日、りっちゃんはこう結論を出した。
ムギちゃんも憂と同じく留年。私はまた一人の人生を狂わせてしまったようで。
ムギちゃんに対する償いの意味も込めて、一応はりっちゃんの意見に同意するけれど。

……内心、ムギちゃんをそう簡単に許すつもりは、私にはなかった。

一年だけといえど、実際はそれ以上に短かったといえど、ムギちゃんは澪ちゃん達の側についた。
澪ちゃん達と同じく、りっちゃんを置いていった。
澪ちゃん達より短い期間だし、今はきっと心はこっち寄り。だけど、だからといってりっちゃんを孤立させた人の一人であることには変わりはない。
りっちゃんを傷つけた人に復讐する、という私の目標からすれば、ムギちゃんだって大小の差異はあれど同罪なんだ。

でも、私はりっちゃんの意図に反することはしない。
私の行動原理がりっちゃんなんだから、それは当然だ。『しない』ではなく『できない』のだ。

だったらどうするか、と少し考え。

そして、私は一つ、汚いことを思いつく。


……ずっと気になってたこと、ムギちゃんで試してみよう。


――必要悪。何かを成すために、やむを得ず必要とされる悪。
私達の復讐もこれに含まれると私は考えているけど、それ以上に私達自身がそれである。それでないと成し遂げられない。
そして私は、みんなに大切にされて育ってきた私は、きっと悪からは最も程遠い。だから、ここいらで試しておこう。
私が、どこまでやれるのか。どこまで悪になれるのか。
やらなくちゃいけないんだ。私の目的の為に、りっちゃんの為に。
かつての友達も、平気で傷つけられるくらいにならないといけないんだ。

だからムギちゃん、あなたの立場、利用させてもらうよ。


――そう決意した私は、夜の誰もいない病室で、一人でずっと、静かに涙を流し続けた。


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最終更新:2011年06月10日 21:01