――そして退院後、私のその作戦は上手くいった。ムギちゃんは「仲間にして」と懇願してきた。思わず笑みがこぼれた。
その笑顔は、きっとすごく歪なその笑みは、今までの私に対する決別。

やれる。私は悪として、りっちゃんの為に振舞える――!

そう思うと、嬉しくて仕方なかった。
りっちゃんの優しさからくる反論も、ちゃんと冷静に受け止め、それでも私の主張も理解してもらった。
りっちゃんに嘘はつけない。だから、私のことはちゃんと理解してもらわないといけないから、この時は正直ホッとした。

でも。
やっぱり、そう何もかも上手くいくわけではないようで。


紬「――唯ちゃんはいつだって自分に素直だったけど、それでも進んで悪役になろうとはしなかった」

唯「そう、かな……」

変わったね、と、ムギちゃんは言う。
ちゃんと私の考えも理解してくれたはずのムギちゃんは、もしかしたら私の作戦も、私がムギちゃんに対して小さな悪意を潜ませていたことも、気づいてしまったのかもしれない。

……私の復讐は、完全にりっちゃんの為だ。私の全てはりっちゃんの為に。それが今の私の『在り方』だ。
更に言うなら、復讐という悪の行為を誰かの為とすることで、少なからず自分を正当化していた面もあった。
でも、その復讐とは直接関係のない今の私の行為は、完全に私の悪意によって引き起こされたもの。
りっちゃんが許したムギちゃんを、私が許せなかった。それに一見正当な理由をつけただけの、言わば私の暴走。私が私のために、自分が満足するためにやったこと。
少なくとも、りっちゃんは今の私の行動で喜ばなかった。納得こそしたけれど、微塵も喜んではいない。

そのことに、ようやく私は気づく。
私は、私自身の感情『だけ』に任せて行動した。確かに全体として見れば必要な行為で、これから先の展開も良くなるであろう行動だが、それでも私はりっちゃんの意思に反することをした。
同時に、私の『在り方』にも反することを。

私は間違いを犯した。
それも、決して許されない間違いを。

私は、侵した。
越えてはいけない一線を踏み越えてしまった。


イヤだ。

ごめんなさい。

助けて。

許して。


苦しい。胸が痛い。今すぐ泣き出してしまいたい。
ごめんね、りっちゃん。ごめんねムギちゃん。私は、私は――!


紬「でも、私はそんな唯ちゃんでも、私のことをまだ友達と思っていてくれるなら…それだけで充分なの」

でもそんな私に、ムギちゃんはそう言って笑いかけてくれる。
慈愛に満ちた、全てを包み込む、そんな笑顔。
きっと、澪ちゃん達にもそんな笑顔を見せていたのだろう。全てを大切にしたかったんだ、ムギちゃんは。
私とは違う崇高な思考。文字通り、私とは格が違う。それでもなお、私のことも、こんな汚い私の事も大切にしてくれる。
間違いを犯した私の事も……許してくれる。間違っても、先に進むことを許してくれる。
それに思い至った私は、謝るよりも、お礼を告げていた。

唯「…ありがと、ムギちゃん。ムギちゃんと友達で、本当に良かった……」





――久しぶりに食べる憂の料理は極上の美味さで、まさに天にも昇る心地だった。
みんなと仲良くおしゃべりしながら、そんな極上の料理を食べる。そこはまさに天国だったとも言える。

けど、いつまでも天国にいられないのが私達の現実であって。

憂「――来たよ、お姉ちゃん」

憂が着信を知らせる。あずにゃんからだったらしく、早々に替わってもらうと開口一番、怒鳴られた。
やっぱり変わらないね、あずにゃんも。
ま、今はちゃっちゃと進めよう。りっちゃんの為にも。

唯「――澪ちゃんも一緒だよね? 替わってくれる?」

律「………」

……やっぱり、ここで会話しない方がいいよね?
とりあえず出ていこう。りっちゃんに負担かけるわけにはいかないよ。


澪『……もしもし、唯か?』ゴゴゴゴ

唯「…み、澪ちゃん、やっほー」

しまった、いきなり気圧されてしまった。
でもしょうがないよ、あずにゃんみたいに怒鳴り散らしてくれたらまだやりやすいんだけど、こう、静かに怒りを湛えているような澪ちゃんは本当に怖い。

唯「…あの、怒ってる?」

澪『怒ってないと思うか?』

唯「……思いません」

電話の向こうでこれ見よがしに溜息一つ。

澪『…まぁ、いろいろ事情があったんだとは思うけど。正直、怒ってもいるけどそれ以上に落ち込んでる』

唯「え……?」

澪『唯の退院の時、隣に居たかった。図々しいかもしれないけど、喜びを共有したかった』

唯「澪ちゃん……」

澪『……もう、叶わないけど』

唯「……ごめん、本当に…」

涙が出そうだった。胸は間違いなく締め付けられているし、心は悲鳴を上げている。
本当なら、復讐のためにはこんな感情に左右されてはいけない。こんな状況をも利用して、次に繋げないといけない。


でも、私はさっきのムギちゃんとの一件を、間違いなく引きずっていた。

ムギちゃんは優しかった。高校時代と何も変わらず、いや、もしかしたらそれ以上に優しくなっていたのかもしれない。
だからきっと、澪ちゃんやあずにゃんもあの頃と何も変わっていない。二人とも、私が大好きだった二人のまま。
……復讐に目が眩んで、私はそんなことさえも忘れていた。みんなの優しさを忘れていた。


でも。

……でも。


違う。違うんだ。惑わされるな。過去に惑わされるな。現実だけを見るんだ。


……そうだ、現実では。
その、きっと優しいはずの二人も。


りっちゃんを見捨てて、先に行ったじゃないか。



唯「――ごめんね、澪ちゃん。本当に……澪ちゃん達の気持ち、無駄にしちゃったんだね、私…」

澪『…いや、もういいんだ。そこまで思い詰められると、私達が気持ちを押し付けたみたいじゃないか。さっき言ったこと、もう忘れてくれ』

……優しさの上に優しさを重ねてくる澪ちゃんは、本当に人間が出来てると思うよ。
なのに、なんで。

唯「なんで……」

澪『ん?』


「なんで、りっちゃんを置いて行ったの?」


……とは、さすがにここで口にするわけにはいかない。
ここで澪ちゃんに、私の悪意をぶつけるわけにはいかない。ムギちゃんのときと同じ轍を踏むわけにはいかない。
そんなことをしても何にもならない。何より、りっちゃんの想いが果たされない。

唯「…なんで、そう簡単に許すの? ダメだよ、私に償う機会をちょうだい、澪ちゃん」

澪『償うだなんて…大袈裟な』

ちょっとだけ危なかった。抱えている気持ちが少しだけ漏れていた。
私は澪ちゃん達がしたことをそう簡単には許さないし、償わせるつもりだから、ね。ちょっと生々しい言葉になっちゃった。

とりあえず、感情にだいぶ左右されちゃったけど、ここまではどうにか予定通り。

嘘の日付を教え、澪ちゃん達を怒らせ、私は素直に詫び、負い目を作る。
さて、ここからが問題だ。下手に出ながらも会話の行き先を誘導しなくてはいけない。
行き先は……澪ちゃん達と密着できる時間。それを作ること。情報を得るために、それが欠かせない。

今、情報を二人から一番聞きだしやすいのは私だ。
他の三人は皆、留年というカタチで目に見えて二人と亀裂を作ってしまっているから。私は留年してこそいるけどちゃんと理由があるし、だからこそやる気を見せれば二人とも快く協力してくれるのは目に見えてる。
……こうやって頭を使うのは得意じゃないけど、間違ってないと思う。

唯「ねぇ澪ちゃん、何か手伝わせてよ、私に。何か困ってることとかない?」

澪『えぇ? 急に言われても…』

唯「学校は来週から出ようと思ってるんだ。だから今週の間に、何か用事ない?」

澪『……勉強、とか?』

唯「それは……私じゃ力になれないかなぁ…」

澪『ははっ、わかってるよ。冗談だ』

唯「ぶー。人に言われるとなんか悔しい…」

何か……何かないの? 私にも出来ることで、澪ちゃん達が私の手を借りたい、と思えるような……

澪『……ん? なんだ、梓?』

ん? あずにゃん?

澪『ああ、そうか。なぁ唯、週末のパーティーだけど、何を買っていけばいい?』

唯「え、えーっと、考えてなかったね……っていうか澪ちゃん達が買ってきてくれるの?」

澪『唯の退院祝いなんだから、私達が準備するのは当然だろ?』

唯「あ、じゃあそれ手伝うよ! あずにゃんにナイスって伝えといて!」

梓『聞こえてますよ。でも唯先輩にやらせるわけには…』

唯「いいの! 私が手伝いたいの! せめてこれくらいやらせて? ね?」

澪『あ、ああ。それはいいんだが……その、二人ともバンド練習休むわけにはいかないから、明日と明後日で一人ずつ買出しに行く予定だったんだ』

唯「ふむふむ」

いい、いい流れだよそれ。これはもしかしなくても、意図せずとも――

唯「二人っきりってことだね!」

澪『ッ!?』

梓『ッ!?』

実に都合がいい。いろいろ情報を聞き出さないと……!

梓『私が明日行きますよ、唯先輩! 一緒に買い出し!!』

澪『あっ…ちょ、待っ――』

唯「おー、明日はあずにゃんとデートかぁ」

梓『なっ、何バカな事言って――あぁちょっと澪先輩、少し黙ってて! 携帯渡してください!!』

澪『ふ、ふざけるな、私の携帯――』

梓『シャー!!!!』

澪『爪ぇぇぇぇぇ!?』

……電話の向こうで何が起こってるんだろう。

梓『と、とりあえず明日は私、明後日が澪先輩です』

唯「う、うん、もちろん両方ついていくよ。買うものは分担してあるの?」

梓『土曜の人――澪先輩が食べ物関係、私がそれ以外ですね。正直、唯先輩が買うもの決めてくれると助かります』

唯「りょーかーい。よかった、楽しくなりそうだよ」

楽しく、ね。……ふふっ、いろいろ聞き出させてもらうよ。
あ、私今悪役っぽい!

梓『は、はい! 楽しくしましょう!!』

唯「? うん、まぁ、楽しみにしてるよ…でいいのかな? 一応私のお詫びなんだけど」

梓『いいんです、細かいことは! そ、それじゃ明日ですね! また!』ピッ

……なんであずにゃんテンション高かったんだろう?
っていうかあずにゃん、澪ちゃんの携帯なのに勝手に切ったし……

まぁいいや。りっちゃん達に報告に戻らないと。
デートとか、りっちゃんからすれば格好のからかいネタだよね。少しは元気になってくれればいいな。



――とか思ってたんだけどなぁ。言い方が悪かったのかな?
よくわからないけど、ごめんねりっちゃん。



翌日。午前中に憂と携帯ショップに行って携帯を購入。さすがに二年も経つと進化してるねー。スマートフォンってどのへんがスマートなの?
……まぁいいや、とりあえず新しい携帯の最低限の使い方だけ勉強して、待ち合わせ場所へレッツゴー。


唯「――ちょっと早かったかな」

今日は金曜、普通に学校がある曜日だ。あずにゃんもまだ学校で勉強している頃だろう。
……学校、かぁ。ちょっと不安だけど、りっちゃんが同学年、同学部だし大丈夫だよね。

そういえばりっちゃん、今日は何してるのかな?
あずにゃんと同じ頃までは大学にいるとしても、私達がデートしてる頃は何してるんだろ。ムギちゃんと一緒に遊んでるのかな?

まぁ、気にしてもしょうがないか。デートに集中しないと。
……そうだ、集中しないといけないんだ。いくら復讐の相手とはいえ、りっちゃんの許可無しに私は動くわけにはいかないから。
だから、今は――今日と明日のデートは、ちゃんと相手のことを考えて動く。何度も言うが、ムギちゃんの時みたいに感情に任せて行動してはいけない。
あくまで普通に、仲良く、楽しく振舞わないといけない。表に笑顔を貼り付けて、裏で爪を研がないといけない。
……本当にできるのかな、私に。そんなことが。

唯「……ううん、出来るのか、じゃない。やらないといけないんだ」

そう、他ならぬりっちゃんの為に。


……待ち合わせ時刻から10分過ぎた頃、あずにゃんが走ってくるのが見えた。
こう見ると……あれだね、あずにゃん全然成長してないね。可愛い。

梓「ゆ、唯先輩! ごめんなさい、遅れました! 待ちましたよね?」

唯「んーん、今来たところだよ。……って一度言ってみたかったんだよねー」

梓「す、すいません。メンバーの人に捕まっちゃって」

唯「あれ? 休むってちゃんと澪ちゃんから言ってあるんじゃなかったの?」

梓「あー、まぁ、いろいろあるんですよ……」

目を逸らすあずにゃん。
……あれかな、有名アマチュアバンドとはいえど一枚岩じゃないのかな?
もしそうだとしたらいきなり有益な情報だけど、こういう事は澪ちゃんに揺さぶりをかけたほうが良さそうだよね。
澪ちゃんが実質バンドのリーダーのはずだし。

唯「ま、いっか。ちゃんと来てくれたんだからそれだけで充分だよ。来なかったらどうしようかと」

梓「何があっても来ますよ。せっかく久しぶりに唯先輩と遊べるんですから」

唯「おー、ずいぶん素直だのぉ。可愛い可愛い」ナデナデ

梓「もう! 子供扱いはやめてください!!」

唯「……ん、そういえばそうだね、あずにゃんのほうが学年も経験も上なんだしね」パッ

別に変な意味じゃない。一年後輩のあずにゃんと、空白の二年を持つ私。実質追い越されているようなものだ。
私があずにゃんより優れているのは事故の経験くらいだろう。何の自慢にも得にもならないけど。

梓「あ……そ、その、そういう意味じゃなくて……」

唯「いいよ、行こっか」

梓「う…あ、や、やめないで!!」ダキッ

唯「おふぅ」

タックルで抱きつかれた。なんぞ。

梓「……もう、唯先輩のばか。調子狂うじゃないですか」

唯「…気まぐれなネコさんは扱いが難しくて、ね」

梓「普通に…普通に扱ってくださいよ。今まで通り、いつも通りでいいんです」

唯「いろいろ変わっちゃったけど……いいの?」

梓「いいんです。私達の関係は、変わってません」

……そうかな? いや、そうだね。変わってないね。
私自身はあずにゃん達に置いていかれたこと微塵も恨んでないんだし、関係自体は何も変わってないんだ。


変わったのは、私のあずにゃんを見る目だけ。
でも、今はそれは忘れておかないといけない。

唯「……じゃ、行こっか」ギュ

梓「あ……は、はい!」

久しぶりに握ったあずにゃんの手は、あの頃と変わらず小さかった。


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最終更新:2011年06月08日 02:56