澪「この辺にはちょくちょく来てるんだ。いい店も知ってるけど、どうかな?」
唯「んー、昨日あずにゃんにも誘われたんだけど、ごめんね。念の為外食はまだ避けるようにって言われてるんだ」
澪「あ、そっか……ごめんな」
唯「ううん、謝ることじゃないよ。謝るのはむしろ私だよ」
澪「いや、体調のことで念には念を入れるのは当然だよ。私の思慮が足りなかったんだ、唯は悪くない」
唯「うーん……」
澪「…ほら、落ち込んでないで次行こう?」
いや、どう見ても落ち込んでるのは澪ちゃんなんだけどね。
そういう反応まで昨日のあずにゃんと一緒で…昨日のあずにゃんも、純粋に私と食事を楽しみたいという気持ちから誘ってくれたんだとはわかってるんだけど。
澪「どこか行きたいところある? お詫びと言っちゃ何だけど、どこでも行くよ」
お詫びと称して主導権を私に譲る澪ちゃんは、きっと今の一件で萎縮してしまったんだと思う。
私の機嫌を損ねることを、私に気を遣わせることを恐れ、私の主導に従う方法を採ろうとした。
……手帳にいろいろメモして、待ち合わせ時間よりずっと前から来てシミュレートしてたはずなのにね。
唯「…澪ちゃんの行きたい所でいいよ」
澪「え、でも……」
唯「この辺り、ちょくちょく来るんでしょ? だったらオススメの場所とか教えて欲しいな」
澪「……私の主観だよ? 唯には合わないかも……」
唯「いいの! 澪ちゃんが好きなところなら興味あるし」
澪「そ、そっか。うん……じゃあ、行こうか」
唯「うん!」
……どことなく、高校時代を思い出す。
やっぱり澪ちゃんも、根っこのところは変わってない。
……昨日のあずにゃんとのデートでも感じたけど、本当に、二人はそんなに変わってしまったわけではなくて。
でも、内面は変わってないのに距離は変わってしまっていることが悲しくて、それ以上に理解できなくて。
みんな一緒にいたいという気持ちさえ変わってないはずなのに、今はみんな一緒ではなくて。
どうしてこうなってしまったのかといえば、やっぱり原因は私で。
だからこそ、私が元に戻さなくてはいけなくて。
……なんて、『みんなのため』を装おうとしたけど、心の奥底で私がそれを否定していて。
やっぱり私はりっちゃん側なんだ。どんなに昨日や今日が楽しくても、やっぱり私はりっちゃんがいないとダメで。
だからりっちゃんの為に、私はやるべきことをやらないといけない。
悲しむのも、悩むのも、全部後回しでいい。
今はただ、頑張るだけ。
唯「――そういえば澪ちゃん、今のバンドのことなんだけど、聞きたいことが――」
唯「――あ、楽器店だ」
もうそろそろ日も沈もうかという時間。たまたま見つけたその店に目が止まった。
高校時代によく行っていたあの店とは系列が違うのかな? 詳しくないから良くわかんないけど。
澪「あぁ、唯はこっちの方にはあまり来ないよな。私達が最近懇意にしてる店はここなんだ」
唯「へぇー。安いの?」
澪「いや、単に店員が学生バンドとかに協力的でさ。私達もイベント紹介してもらったりしてて」
唯「イベント?」
澪「うん。そうだ、もうすぐあるんだよ、イベント。見に来ないか?」
唯「澪ちゃん達が出るなら行かない理由はないよ!」
澪「もちろん出るさ。毎年出てるんだ、是非とも来てくれ」
唯「うん!」
友達としても純粋に見てみたかったし、二つ返事で了承する。復讐の案を考えるにしてもこれは有益な情報になるだろう。
ついでだからとそのまま楽器店に入ってちょっとだけ見て回った後、明日の食材を憂のメモに従って買い揃えて届けて解散になった。
唯「――はぁ、疲れた…」
憂の夕食を食べてお風呂に入り、パジャマに着替えてそのままベッドに倒れ込む。
もう動きたくない。本当に疲れる。身体より精神がやられてる気がする。
……実際、仲良しを演じながら内面でいろいろ考えるのは予想以上に苦痛だ。裏と表で頭も顔も使い分ける、という難易度の高い行為に、更に良心の呵責にも悩まされ続ける。
裏で考えてることを読まれないようにしながら、裏で胸の痛みに堪えてることに気づかれないようにしながら笑顔を振舞う。正直、いつまで耐え切れるか。いつまで我慢できるか。
そもそも私はそんなに頭が良いほうではない、というかぶっちゃけバカだ。絶対にどこかでボロを出す。
……でも、まだ泣き言を言う時じゃない。
枕元に置いてあるノートに鉛筆を走らせる。復讐用の情報を書き溜めたノート。この二日で随分とページは増えた。
ただ、寝る前の死にかけの頭と視界で書いているのでもはや自分にしか読めない字だけど別に内容が内容なのでそれでいいと思う。
唯「…あとは、ムギちゃん次第、か……」
ノートを読み返し、そう呟いたあたりで意識は自然と闇に呑まれていった。
――パーティー。なんといい響きだろう。そこはみんなが笑顔になれる場所。そう、みんなが。
私も、澪ちゃんも、あずにゃんも、憂も、ムギちゃんも、りっちゃんも。
……ちなみにこの順番が何の順番かというと、心の底から笑っていた順番。
澪ちゃんあずにゃんは疑いもしなかったのだから当然。憂はなかなかの演技派。ムギちゃんはやっぱり優しいから、どこか心の底から笑えてなくて。
りっちゃんの笑顔に至っては、完璧すぎて逆に不自然だった。それこそ、笑顔の写真を印刷して貼り付けたような。
澪ちゃんくらい付き合いが長いなら気づきそうなものだけど、逆に最近のりっちゃんが曇っていたせいで気づかなかったのかな。
「ようやく律に笑顔が戻った」――とでも思ってたのかな。
あ、私の笑顔が一番先にある理由は、またちょっと落ち込みたくなるものであって。
ええ、恥ずかしながら最近、非常に精神が不安定でして。
澪ちゃんあずにゃんとデートしたことで、楽しかった頃を嫌でも思い出してしまって。
望郷といいますか、何か違うね。憧憬? もっと違うね。郷愁? とりあえずあれだよ、過ぎ去りし日を懐かしむ気持ち。
セピア色の軽音部を、夢にまで見るくらいに懐かしんでしまって。
今朝、憂に起こされて、言われるまで泣いているのに気づかなくて。
心配した憂から「今日はひとまず全部忘れて、素直に心の底から笑って?」と言われて。
だから、私はそうしたつもりだから、きっと私が一番先に名前が上がるはずなんだ。そうでないといけないんだ。
唯「カルピスサワー最高!」
律「スクリュードライバーだろ、常識的に考えて」
澪「……ま、私達にはチューハイくらいが丁度いいよな」
なぜかりっちゃんが独断で買ってきたお酒を飲む。
別に私も(気づかぬ間に)ハタチにはなってるんだし、法的には問題ない。澪ちゃんは渋っていたが、ムギちゃんの後押しで渋々飲み始めた。
でも当のムギちゃんは飲んでない。というか憂とあずにゃんも飲んでない。いや、憂達はまだ未成年だっけ?
紬「のんべぇ三人、シラフ三人でバランスいいじゃない?」
澪「無理矢理飲ませたくせに飲兵衛扱いとは酷いな」
律「そう言っても楽しんでるじゃないか」ケラケラ
澪「……うるさい。私だって飲みたいときくらいある」
律「なら素直に最初から飲んでろよー、この天邪鬼ー」
澪「……うるさい、ばか」
梓「徐々に出来上がりつつありますね……唯先輩は大丈夫ですか? お酒、初めてですよね?」
唯「あずにゃんがいつもより可愛く見えます」
梓「大丈夫なのか判断しづらい」
正直、自分ではよくわからない。一応憂の監視の下で飲まされてるからペース配分とかは大丈夫だと思うけど。
憂「気分悪くなったらすぐ言ってね?」
唯「大丈夫だよー」
そしてそんな調子で少しだけ飲み進めた頃。
澪「……おい、律が寝てるぞ」
紬「あらあら」
澪「こいつ思ったより弱いんだな。さぁ唯、もう一本開けるぞー、自棄酒だー」ヒック
唯「あっはは、どんとこーい」ケラケラ
梓「あっダメそうだこの人達」
紬「仕方ないわねぇ……澪ちゃん、私じゃ不満?」
澪「ふむ…唯がいいけど無理はさせられないしなー……よしムギ、梅酒とハイボール、どっちか選ぶ権利をやろう」
唯「なんかりっちゃんみたーい」ケラケラ
憂「もうお姉ちゃんったら。はい、お水も飲もうね?」
唯「はーい」
貰った水を一気に飲み干す。お酒とはまた違う冷たさが胃に染み渡る。
気のせいかクリアになった気がする視界の端で、ムギちゃんが梅酒とハイボールをグラスに注いで混ぜていた。
――ムギちゃんが家の人に連絡して、大きな車を迎えに寄越した。
それを合図に、今日のパーティーはお開きとなる。
梓「澪先輩……大丈夫ですか?」
澪「うへぇ、だいじょび」
梓「大丈夫な人の返事じゃないですね」
澪「だいじょーブイ」ピース
梓「ほら、肩貸しますから。それじゃ唯先輩、憂。お先に失礼します。律先輩にもよろしくと」
憂「うん。梓ちゃん、またねー」
まだ寝ているりっちゃんと、どことなく立ち上がるのが億劫な私とは対照的に、憂は元気だ。これが若さか…
若い憂に見送られ、三人は車に乗り込んだ――と思ったら、ムギちゃんが慌てて戻ってきた。何か忘れ物かな?
紬「唯ちゃん、あとでメールするわね」ボソッ
唯「……ほえ? なんで?」
紬「情報収集係でしょ、私達」
唯「………」
ちょっとだけ、ボーっとしちゃって。
自分が定めた期限すら忘れていたことに愕然とし、勢い良く立ち上がる。
唯「ムギちゃん、ちょっと待ってて。手提げ袋持ってるよね?」
紬「う、うん」
ちょっとだけフラつく足取りで、自室とリビングを往復して。ムギちゃんの手提げ袋にノートを突っ込んだ。
紬「……ノート?」
唯「私なりに情報纏めておいたから」
すごいわぁー、と感心した顔のムギちゃんがパラパラとめくって、一言。
紬「読めない」
唯「ごめん」
結局ノートは私の手元に戻ってきた。おかえり。
まぁいいや、ムギちゃんが家に戻るのもまだまだ後だろうし、とりあえずは憂の片づけを手伝うことにする。
憂「いいよ、まだお酒残ってるでしょ?」
唯「危なくないことくらい手伝わせてよ。っていうか憂一人に全部押し付けるなんて出来ないよ」
憂「うーん……じゃあとりあえずはゴミとか纏めてくれる?」
唯「りょーかーい」
ちょっとだけボーっとするけど、燃えるごみと燃えないごみの違いくらいわかる。
もちろんペットボトルとビン、カンの違いもわかるよ。みんなもちゃんと分別して捨てようね。
唯「終わったよー……ってありゃ、もうほとんど片付いてる」
憂「こういうのは経験がモノを言うからね。量が多ければ多いほど」
唯「ほへぇ。さすがは憂」
憂「もうすぐ終わるから、ちょっと横になってたら?」
唯「そうするー」ゴロン
……と、ここで私の記憶はしばらく途切れる。お酒恐るべし。
――ピロリロリロ――ピロピロ――
唯「――はッ!?」
今のは……携帯の着信音?
随分とチャチい……いや、そうか、買い換えたばっかで設定してないんだ…
っていうかここリビングじゃん……なんでこんな所で寝て――
唯「じゃなくて、今何時!?」
素早く携帯を開き、時間を確認。丁度日付が変わるくらい。思ったより時間は経ってないけどヤバい、明日は学校だしあまり時間は無い。
ムギちゃんからのメールは……二通。30分くらい前のが最初。
最初は起きてるか尋ねるメールで、次のは寝てると仮定して長文で情報収集の結果を纏めてある。最後に「起こしたらゴメンネ」と添えられて。
実際起こしてもらっちゃったワケだけど、その優しさに甘えて寝たフリをしていたら復讐にも遅れが出る。それは許されない。
……あまり頭は冴えていないけど、気持ちだけは元通りだ。憂のアドバイスはいつも的確だなぁ、ホントに。
私が集めた情報は結果的にほとんどバンドの内情のようなものばかりだった。バンドは一枚岩ではなく、澪ちゃんはバンドを続けることに固執していて、あずにゃんは板挟み気味で。それでも二人とも私達三人が戻ってきてくれればいいと思っていてくれてる。
大学に軽音部がちゃんと存在することは…ムギちゃんなら知ってるだろうけど、一応。
あと一番大事なのが、澪ちゃん達が近々開催されるバンドイベントに出ようとしていること。昨日最後に運よく聞き出せたこれを忘れちゃいけない。
とりあえずその辺りを簡潔にメールしておく。『起きてたけどメールには気づかなかった』体を装って。
憂「あれ、お姉ちゃん起きた?」
唯「あ、憂。どこ行ってたの?」
憂「今日律さん泊まってくから、寝る場所を、ね。あ、律さんは今お風呂だよ」
唯「うん……私も後でお風呂入って寝るから、憂ももう寝たら?」
憂「そうだね、一番風呂貰っちゃったし……ここで寝ちゃダメだよ?」
唯「大丈夫……もう大丈夫だから、全部」
憂「……そっか。頑張ってね、お姉ちゃん」
憂を見送り、ムギちゃんのメールに再び目を通す。
ムギちゃんは外からわかるようなことを調べてくれていた。バンドのメンバーの名前、出身校、担当楽器、簡単な生い立ちや人間性……って怖いなぁ、なんか。どうやって調べたんだろ。
あと、有名バンドを擁するサークルであるにも拘らず、メンバーは5人きっちりで回しているということ。それ以上は軽音部の方に紹介しているらしい。ってやっぱ知ってるじゃん、部があること。
ともあれムギちゃんの情報は、親しい人に聞いただけの私と違ってちゃんと自分の足で調査したようなものが多かった。すごい。
と感心していると、ムギちゃんからメールの返信が来て。
冒頭から私の情報も褒めてくれていて、ちょっと嬉しくなって。
そしてその次の文は、凄く目を惹いた。
『私もバンドイベントのことは梓ちゃんに聞いたし、一年目は私自身も応援に行ったわ。そして今年のイベント、楽器店とかを回って裏を取ってみたんだけどね、澪ちゃん達は大トリで計画されてるみたい。
凄い人気よね。まさに積み重ねてきたものの大きさ、って感じ。澪ちゃん達、頑張ってたんだね』
読み進めていくだけで、少しの落胆から大きな驚喜へと感情が滑らかに移り変わってゆく。きっとムギちゃんもわかってて言ってるんだろう。
だから私は、嬉々としてその誘いに乗ってムギちゃんに電話をかけた。
……そしてもちろん、結論は短時間で出る。
『復讐』は、澪ちゃん達のその頑張りを、積み上げてきたものを、全て壊す方向に決定した。
最終更新:2011年06月08日 02:44