「あ~もう、どうしたらいいんだろ……」
私は悩んでいた。
かれこれ1時間はベッドの上でこうやって呻いている。
それもこれもただ一つ。
「……ムギ先輩に会いたい」
その悩みが解決しないからだ。
夏休みも半分を過ぎて、間もなく先輩たちは夏期講習が始まる。
毎日のように図書館で勉強をしてるのを考えると、邪魔しちゃいけない。
だから私は、自分からは連絡せずに先輩からの呼び出しや集合のメールを待つだけの身になっていた。
頑張っている先輩たちの邪魔にならない為に、私は自分を抑える必要が有ったのだ。
夏フェスに、パスポートの申請に、会える時に会って満足しているつもりだった。
『ウヒヒ~、金よこせ~』ダキッ
「あの時のムギ先輩、良い匂いだったなぁ……」
反芻する。でもその後には溜息。空しくなる。
一昨日、憂と純と行ったプールの帰り、図書館帰りの先輩たちと偶然会ったのがいけなかった。
初めは嬉しかった。
『偶然』ムギ先輩と会えた。
パスポートを申請してから先、先輩たちと会って別れた時は必ず『次会えるのは始業式』と思い込む様にしていた。
そう思い込む事で、9月になれば会えるからと我慢できていた。
でも『偶然』会ってしまった。
「……その所為でこれだもんなぁ」
期待してしまうんだ、二度目の『偶然』に。
『二度ある事は三度ある』という。
もう一度『偶然』会う事が出来たら、その後もう一回会えるんだ。
そんな言葉遊びを理由にしてまで、今日一日『偶然』を探して街をふらついてみた。
結局、律先輩が弟と買い物をしてるのを見かけただけだった。
「そりゃ、一言『遊びませんか?』ってメールすれば良いだけなんだけど……」
『偶然』を待つ事に疲れて、自身への抑制を外してまで『必然』を作ろうとしている。
でももし送ったとしても、一度断られたらもう誘う事も出来ない。
「そんな何度もメールしちゃ、先輩の事考えてないのと同じだもんね」
その一度しか無いだろうチャンスに、怖くて手を出す事も出来ない。
邪魔だとかそんな風に思う人じゃ無いって分かってるけど。
「私に合わさせちゃ駄目だ」
きっとムギ先輩の事だから、多少の無理をしてでも遊んでくれるだろう。
『実はこの夏祭りの為に、ひと足早く帰国したの。今度こそ焼そばが食べたくって』
そんな事を言って、焼そば屋さんに突貫していった先輩を思い出す。
「あの無邪気さが可愛いんだよね」
持ってるケータイは30分以上、メールを送信する直前で止まっている。
「『今度ムギ先輩がお暇な時に、気分転換にでも遊びませんか?』……文章おかしくないかな?」
送ろうか送るまいか、文章を考え直そうか。
思考を巡らせながら両手を上に上げて背を伸ばす。
と、同時に持っていたケータイが高らかに鳴り響いた。
「ん?え!?ムギ先輩?」
『着信 ムギ先輩』の文字に驚くも、急いで受話ボタンを押す。
「こんばんはムギ先輩」
何とか平静を保ちながら、電話に出る。
「こんばんは梓ちゃん。今大丈夫?」
ムギ先輩のいつものおっとりした声が聞こえる。
「はい!全然大丈夫ですよ!何かご用でしょうか?」
「あのね、週末にまた花火大会が有るの、知ってる?」
花火大会?そういえば今日寄った商店街にポスターが貼ってあった様な。
「あぁ~、神社で有るやつですか?」
「そうそう!それ~。でね、一緒に見に行かない?」
「え?でも週末って夏期講習始まってるんじゃ……」
「そうなの。だから皆には行かないって言われちゃって」
「まぁ……そうでしょうね」
特に二名、危ない人が居るし。
「だからね、二人でっていう事になっちゃうんだけどぉ……」
「二人で!?」
二人きりで!?
「やっぱり……嫌?」
「いえいえいえいえ!行きましょう!是非!」
そんなチャンス逃すわけにはいけない!
「ホントに!?」
「はい!ムギ先輩と二人で遊ぶとか、私楽しみです!」
「そう言ってくれると嬉しいわ~、ありがと~」
「いえ、そんな。じゃあどうしましょう?」
「それがね、神社に縁日も出るらしいの」
「じゃあ早めに行きましょうよ」
「そうね……5時に神社集合で良い?」
「はい、分かりました」
「あ、そうだ」
話がまとまった所で、ムギ先輩が思い出した様に言った。
「はい?」
「皆には内緒ね?」
「へ?」
「ほら、勉強しないといけないのに遊びに行っちゃダメでしょ?」
「そっか、皆さんに花火の話しちゃってるから」
「そうなの。私も行かない事になってるの」
「そうなんですか?」
「澪ちゃんに怒られちゃって。『幾らムギでも流石にそれはマズくないか……?』って」
「アハハ……澪先輩なら言いそうです」
「でしょ?だからその時は『分かったわ』って言っちゃったの」
「え?嘘吐いたんですか?」
「いえ、その時は我慢しようと思ったのよ?だけどやっぱり我慢出来なくなっちゃって」
「はぁ……」
「だから、内緒ね?」
「分かりました、誰にも言いません」
「ありがと~。日曜日の事は、二人だけの秘密ね」
「二人だけの……秘密」
その言葉に、心臓が高鳴る。
「そ。じゃあ日曜日楽しみにしてるね」
「はい!私も楽しみにしてます」
「それじゃあ、おやすみなさい」
「はい。ムギ先輩もおやすみなさい」
そう挨拶を交わして電話を切る。
「やった!やった!」
まさかムギ先輩の方から誘ってくれるなんて、こんな事ってないよ。
「どうしよ!どうしよ!」
電話してる時変じゃ無かったかな?おかしく思われなかったかな?
「どうしよ!これって……デート、だよね?」
二人で花火大会とか、最高じゃない?
「いやったー!」
バタン!
「梓!うるさいわよ!何時だと思ってるの!」
「あぁゴメン!そうだお母さん、浴衣有る?」
「有っても無い!おやすみ!」
バタン!
いけない、はしゃぎ過ぎた。浴衣は明日ちゃんと聞こう。
にしてもムギ先輩も、私と二人ででも行きたい位お祭りにハマっちゃったのかな。
まぁ折角だし、目一杯楽しんでもらわないと!
* * *
あっ、という間に日曜日。
今日の事ばっかり考えて何してたか覚えてないや。
午後4時、待ち合わせの一時間前。
私は既に神社の鳥居の前で、時間をつぶしていた。
前のお祭りでは急だったので着れなかった浴衣を着て、ムギ先輩を待っている。
家に居てもじっとしていられず、早すぎるとは思いながらもこんな早くから来てしまった。
さて、ムギ先輩が来るまでに落ち着いておかないと。
一つ大事な事は、今日はムギ先輩に私の気持ちを伝えない事。
これから受験まで、忙しい身の先輩にこれ以上負担をかけちゃいけないから。
「二人で一緒に遊べる後輩って、十分だよね」
受験が終わって、バレンタインも過ぎちゃうけど、もし伝えるにしてもそこまでは我慢だ。
だから今日は、ムギ先輩にお祭りを楽しんでもらう事だけを考えていよう。
ギュっと拳に力を込めて、気合いを入れる。
「よし!……ん?」
前を見据えると同時に、視界が真っ暗になった。
「だ~れだ?」
後ろから、可愛い声。
「……おはようございますムギ先輩」
「せいか~い。おはよう梓ちゃん」
振り向くと満面の笑み。そして、
「浴衣……」
髪を上に結い、水色の生地に白い花の舞う落ち着いた雰囲気な浴衣を着た、ムギ先輩がいた。
見惚れてしまい、言葉が出ない。
ムギ先輩は私が固まってるのを見て、怪訝そうに言葉を出した。
「変……かな?」
自身の姿を確認しながら、くるりと回る。
いいえ、最高です。
「いえ、綺麗ですよムギ先輩。お似合いです、髪飾りも」
「ありがと。この花ね、花水木なの」
「そうなんですか。それが何か……」
「ん?梓ちゃんも可愛いわ~」
あれ?今話をはぐらかされた?
「可愛いと綺麗は違うと思いますが……」
「似合ってるから良いじゃない。その浴衣」
「変じゃないですか?」
私も真似して、くるりと回る。
「梓ちゃんらしくて良いと思うわよ?牡丹と金魚」
「ちょっと子供っぽいかなとも思うんですけど」
「何ていうかね、抱きつきたい感じ?」
「な!?……唯先輩みたいな事言わないで下さいよ」
いきなりそんな事言われちゃ、ドキっとしちゃうじゃないですか。
「駄目?」
上目使いでそんな事言われちゃ、断れない。
「……ちょっとだけですよ?」
「じゃあ失礼しま~す」
ふわりと、あの時の様に良い匂いがする。
ムギ先輩は私を引き寄せ、頭を抱える様に私を抱きしめた。
「唯ちゃんの気持ちも分かるわ~」
「そうなんですか?」
「だって、いつまでだってこうしてたいもの」
「……」
何かリアクションを取ればパッと離れてしまいそうで、目を閉じてただこの状態を味わう。
抱き返したくなる衝動を必死で抑える。
ムギ先輩を楽しませる。
私の気持ちに気付かれる様な事はしない。
今日はそう決めたんだ。
少しして、ムギ先輩の体が離れた。
「堪能させていただきました」
「いえ、どうも……」
満面の笑みを浮かべるムギ先輩。何だか恥ずかしくて、まっすぐ顔が見れない。
「それにしても、梓ちゃん早いわね」
「ムギ先輩こそ。まだ四時過ぎですよ?」
「梓ちゃんとお祭りに行けるって思ったら、じっとしてられなくって」
そんな嬉しい事言わないで下さいよ。期待しちゃうじゃないですか。
「私もです。昨日なんか楽しみで夜も眠れませんでしたよ」
「それは大袈裟よ~」
……本当なんですけどね。
「じゃあそろそろ行きましょう」
「そうですね」
「まずは何からかしら?焼そばにたこ焼きに、輪投げに射的に型抜きに……」
指折り数えながら、ムギ先輩が歩を進める。
「まぁまぁ、お祭りは逃げませんから落ち着いて下さい」
やっぱりお祭りが楽しみでしょうがなかったんだ。
「駄目よ梓ちゃん。遅すぎると売り切れちゃうのよ」
「まぁ、経験しましたしね」
「じゃあ行くわよ梓ちゃん!花火が始まるまでに制覇するわよ!」
早々と石段を駆け上がるムギ先輩。
「ちょっ、待って下さいよムギ先輩~」
置いて行かれない様に、私はその後ろ姿を慌てて追いかけた。
* * *
「梓ちゃん、お腹空いてる?」
「いえ、まだそれ程は」
石段を上り鳥居をくぐると、参道を挟んで様々な出店が並ぶ。
花火まで二時間以上有るのに、客の入りも多い。
ムギ先輩は忙しなく首を動かし、周りを見渡している。
きらきらと輝くその瞳は、まるで初めてお祭りを見た幼子の様だ。
「じゃあ~、まずはアレね!」
ビシッと指し示した方向に走り出す。向かう先には『射的』の文字。
「おじさま、二人分下さいな」
「あいよ!おっ、可愛らしい嬢ちゃん方だ。よぉし、一発サービスしちゃおう」
「ほんと!ありがとうございます~」
「どうも、ありがとうございます」
「いいって事よ。さ、どれでも狙っちゃいな」
イソイソと弾を込め、銃口を前に向ける。
一頻り標的を品定めしたムギ先輩が狙い定めたのは、玉の様に丸い猫のぬいぐるみだった。
「あの、猫?ですか?」
「えぇ。行くわよ~……えい!」
一発目、当たらず。
「あぁ、残念」
残りは4発。
「今度こそ!」
二発目、鼻に命中。
「やった!やったわ梓ちゃん!」
しかし猫は揺れただけで、落ちるまで至らなかった。
「あ~嬢ちゃん残念。落ちなかったなぁ」
「え!?当てただけじゃ駄目なの?」
ムギ先輩の残念そうな顔。ルールを把握してなかったんですね。
「大丈夫ですよ、ムギ先輩。後何発か当てたら落ちますから」
「そんな事したら、あの子がかわいそうじゃない?」
「あの子をゲットする為ですよ」
「……そうね、私頑張るわ!」
ぐっと拳を握り、次の弾を装填する。
三発目、四発目と当てる事は出来ても落下まではいかない。
「あと一発……」
コルクをじっと見つめるムギ先輩の喉が鳴る。
お祭りの遊び一つに、ここまで真剣に挑む人も珍しい。
「これで!」
上手い事、おでこに命中。
大きく猫が揺れる。けれどこれじゃあ落ちないだろう。
ならばと、私がもう一撃を叩きこんだ。
駄目押しをされた猫はそのまま、頭から逆さまに落下していった。
「……連続攻撃はなぁ……」
おじさんが訝しげな顔をしている。
「駄目、でしたか?」
最終更新:2011年06月10日 21:07