気がつくと、私はその屋敷の前にいた

空には灰色の雲が広がって、雪が降っている

ギィ──ギィ──

視線を前に戻す。どうやら屋敷の扉がたてる音のようだ

風もないのに、どうして開いたり閉じたりしているのだろう

一歩前進してみる

ギィ──ギィ──

おいでおいでするように扉がまた鳴く

普段ならあんなところ絶対入らない。律と一緒でも嫌だな……


──バタン

私が中に入るのと同時に扉は閉じられた

屋敷の中は所々置かれている蝋燭で薄っすらと照らされている

だけど深い暗い闇を全部消し去ることなんてできなくて

闇の中に何かが息を殺して潜んでいるようで

とても怖かった

……誰か側にいてほしい

これほど強く思ったことはない。誰かが側に

律が側にいてほしいと強く思った

ゆっくりと歩をすすめる

……思えば小さい頃からいつも一緒だった

歩くたびに、ギシリギシリと床が薄気味悪い音を立てる

……同じ高校に入って、大学も同じ所に通って

蝋燭の炎が揺らめく

……これからもずっとずっと一緒だと思った

震える足に鞭打ってゆっくりゆっくりと

……だけど、ずっと一緒にはいられない

この先に、答えがある気がしたから

……一緒には……いられない

私は、屋敷の奥へ奥へと進んでいく

分かってた、分かってたよ

あの事故で改めて思い知らされた

律とだってずっと一緒にいられないこと、いつかくる別れのこと

逃げるように、私は屋敷の奥へ進む

この先に律とずっと一緒にいられる方法がある気がしたから

ムギがバスの中で言った儀式のことが分かる気がしたから

二人が……一つになる儀式……

それがどんな方法か知らないけど、律とずっと一緒にいられるなら私は

……気がつくと、目の前に赤い蝶が舞っていた


――――

ブルリと身を震わせた

窓の格子の向こうではしんしんと雪が降っている

ゆらゆら揺れる蝋燭の炎に照らされるのは、昔ながらの日本家屋の廊下

どうやら私も【眠りの家】に誘われてしまったらしい

そのうち私も、とは思っていたがこんなにも早くだとは夢にも思わなかった

 「ここに澪がいるんだよな」

奥へと進む理由を口にしてはみたが、足は動かない

怖いものは怖いのだ。叶うなら夢が覚めるまでここで時間を潰したいのだけど

 「そうも言ってられないか。私は澪に消えてほしくない……」

今度は足が動いた。少し震えているのは寒いからだということにしておこう


屋敷の中はまったくの無音だった

何もかもが死んでしまっているのだろう

音がない、という理由だけでどうして私はこんなにも怯えているのか

この首筋にねっとりとからみつくような視線は何処からくるのか

辺りを見回しても、当然誰一人いやしない……いるわけがない……

だけど、もしかしたら蝋燭に照らされていないあの暗がりに潜んでいるのかもしれない

あそこの曲がり角に

天井の裏に

縁の下に

──カツーン

音が聞こえる

──カツーン

何かを打ち付けるような

──カツーン

釘でナニカを穿つような

頭の中をよくないものが満たし始める

落ち着け。もしかしたら私と同じようにこの夢に囚われた人かもしれないじゃないか

──カツーン

そうだよ。この音だって何か事情があって

──カツーン

何かって何だよ。こんな不気味な屋敷でいったい何をしてるってんだ

──カツーン

こんな場所でこんな音を出してるやつなんて、気がふれてるか

……それはきっと

──カツーン──カツーン

ニンゲンジャナイ

いつの間にか、音がより鮮明に聞こえる

どうやってここまで来たかなんて覚えてない。知らず知らずのうちに歩を進めていたようだ

──カツーン

すぐそばで聞こえているのに、音の発生源が見当たらない

いっそ分からないままのほうがいい

だけど気持ちとは裏腹に、私は辺りを調べ始めていた

ふと思い立って、壁に耳をつけてみる

──カツーン

どうやら壁の中から聞こえるみたいだ

壁を伝ってぐるりと回ってみる

しかし、入り口らしいものは見つけることができなかった

壁周りの広さからするに、壁の中に小さな部屋があるのだろう

よくよく壁の周りを調べてみると、目の高さぐらいの位置に覗き窓があった

ここから中が見える

──カツーン

音は止まない。やめるなら今うちなのだろう

──カツーン

やめたいのに、やめるべきなのに私はどうして覗こうとしているのか

好奇心だろうか。それともあまりの恐怖に頭がおかしくなっているのか

理由はよく分からない

だけど、私はたしかにそれを見た


少女だった

10歳ぐらいだろうか。巫女服を着た少女が木槌を片手に一心不乱に

壁に何かを打ち付けている。後ろ姿だからそれが何のかはよく見えない

──カツーン

一定のリズムでよどみなく。少女は打ち続ける

……もういいだろ。答えは分かったんだ。今すぐここを離れよう

少女はなお打ち続ける

……早くここを離れるべきだ。さぁ行こう

音が止まる

ゆっくりと少女は後ろを振り返り、私を見た

その口元に笑みを浮かべながら

少女がこちらへ近づいてくるさまは、釣り糸の切れた人形のように思えた

カクリ、カクリ……そんな音を立てるように……

後姿からは見えなかったが、壁に打ち付けていたのは杭みたいだ

細長く、文鎮よりも少し太めの杭

切っ先が鋭く尖っている

一瞬だったけど、側面には奇妙な文様が刻まれているのが見えた

……なんでそこまで知っているのかって?

少女が今、私の左目にその杭を当てているから

あと1cmでも動かせば、私の左目は潰れてしまう

でもしない。まだしない

少女を見る。笑ってる。笑ってるよこの子

木槌を持った手を大きく振り上げる少女

逃げたければどうぞ。逃げられればどうぞ

足も手もまぶたも動かない動けない。どうしてどうしてどうしてどうしてどう……














振り下ろす




律「よっす」

梓「どうも」

律「昨日はどうしたんだ?部室にこないから心配したぜ」

梓「少し用事がありまして。心配かけてすみませんです」

律「ま、大したことないなら別にいーんだけどな」

紬「それよりりっちゃん大丈夫?今日はずっと具合が悪そうだったけど」

律「ちょっと夢見が悪かったんだよ。それだけ」

紬「ほんとにそれだけなの?」

律「ほんとだって。ムギは心配性だなー。私はこの通り大丈夫だぜー」

紬「そう……」

梓「あの、先輩方に相談があるんですけど……」

律「お金を貸してくれってのはなしな」

梓「……」

律「……それで相談ってのは?」

梓「昨日また唯先輩の家に行ってきたんです」

律「唯、ね……」

梓「少し話しをしたんですが……。気になることを言っていまして」

紬「気になること?」

梓「毎晩夢を見ると言っていました」

律「そりゃ誰だってみるだろ。私だって見る。昨日見たのは最悪の悪夢だったけど」

紬「どんな夢を見るって言ってたの?」

梓「憂に会う夢だそうです」




この夢を見始めたのはいつ頃だったか

憂が病気になってからだったかな?うーん、記憶が曖昧だ

そういえば憂っていつ病気になったんだっけ?

これもよく思い出せない。でも思い出せないってことは思い出さなくてもいいことなのだろう

今考えなきゃいけないことは憂を探すことだ

大きくて暗ーいお屋敷の中で憂は一人きりなのだから

きっと寂しい思いをしてるに違いない

だから私が探してあげるんだ。そうだよ、憂を探してあげなきゃ


お屋敷の中はどこまでも静寂が続いていた

私の息遣い、足音、心臓の鼓動がなければ

私がここに存在することすら疑わしく思えるくらいの静寂

こんな寂しいところに憂は一人ぼっちなんだ

そう思うだけで、自分のことのように胸が苦しくなった

壁伝いにゆっくりと歩く。ときおり揺れる蝋燭が怖いお化けを……

と言ってもただの陰なんだけど。お化けを作って私を怖がらせる

 「憂待っててね。今迎えにいくからね」

言葉にしてみると、少し気分が紛れた

それにちょっぴり勇気も出た気がする。うん、まだまだ頑張れるね


たくさんのお地蔵様が並ぶ中庭を横切って

注連縄が巻かれた気味が悪い木の周りを頑張って探して

だけど、憂は見つからない

憂の名前を呼んでも、空しくこだまするだけ

たしかにお屋敷の中へと入っていく憂を見たんだ

なのにどうして見つからないんだろう

私は膝を抱えてぺたりと床に座り込んだ

……

……

ああ、また寂しくなってきた

……っ

声が聞こえた。ほんのかすかだけど

顔上げて声がする方へ耳をかたむける

あっち……さっき調べた木の方から聞こえてくるようだ

そういえば御札がびっしりと貼られて、開かない扉があったっけ

もしかしたらあの奥だろうか?

一度深呼吸。そして足に力を入れて立ち上がる

ちょっとふらついた。でもまだ平気

行かなかなきゃ……

御札びっしりの扉をにらみつける。開かない

当然か。手で開けなきゃいけないのだけど、触って呪われたりしないだろうか

ええい、そんなもの関係ない。どうとでもなれ

取っ手に手をかけて、えいっ!っと思いっきり引っ張る

さっきはビクともしなかった扉が嫌な音を立てて開いた

扉を開けるとそこはお屋敷の外だった。砂利が敷き詰められていて

大きな鳥居があって、その奥にはお社があって。まるで神社みたい

お社の前で見知った人影を見る

 「……お」

私が何か言い終える前に、奥へと消えてしまった

一瞬だったけど、あれたしかに……

でもどうして行ってしまったのだろう

一人で寂しくないのだろうか

私はこんなにも側にいてほしいのに

きっと同じ気持ちだと思っていたのに

私は走り出した



3
最終更新:2011年06月15日 22:47