【プロローグ】

わたしはこの街ではじめて打上げ花火を見た。けれど、それはわたしにとっては眩しくて、うるさいだけだった。

「花火は小さなお星さまだよー」

あの人はそう言った。確か、二人で夜空を見上げていた時だったはずだ。
あれから、もう4年がたってしまった。

時は過ぎる、誰をそれをとめることはできない。




【第一部】

打上げ花火が上がる音が聞こえる。わたし――中野梓はカーテンを開き、外を眺める。地上から打ち上げられた緑色の閃光が空に向かっていき、そして破裂した。ドーンという音がして、大きな花が空に咲く。それが終わるか、終わらないかのうちに次の花火が上がり、見ている者を飽きさせない。

部屋に置いてあるテレビの天気予報は夏の終わりを告げていたが、この街はいっこうに落ち着く気配を見せず、それどころか異様な盛り上がりを見せていた。
それもそのはず、今日はこの街最大のイベントである花火大会の日だった。その内容といえば、花火を上げ続けるだけの単純なものだったが、花火の量が多く、そこに出店や出し物が加わり、国内でも有数の花火大会となっていた。


街のほうもこのイベントに力をいれていて、この日は街中の学校や会社が休みになるほどだった。

まあ、わたしには関係ないんだけどね。

わたしは3ヶ月前に勤めていた会社をやめた。理由は大したことじゃない、ただなんとなく嫌になってしまったのだ。そこにあの人の影響があるか、と訊かれればノーとは答えられないだろう。

幸い、わたしはお金を使うことも遊びに行く友達もなかったので、貯金がそれなりにはあった。だけど、それもそう長くはもたないはずだ。結局はまたどこかに勤めなければならない。充電期間なんだ、と純に言ったら笑われた。


純はこの街で唯一、わたしが気軽に話せる人間だった。わたしは人恋しくなると、純の家に突然押し掛けることにしていた。多分、純にすれば迷惑このうえなかっただろうなとは思う。純はわたしと違い、たくさんの友達がいたし、わたしはその人たちとうまく関わることができなかった。だから、わたしが純の家にいるときはひどく面倒な思いをしたはずだ。


わたしはそんなことを考えながら、なにとなしに部屋を眺めてみる。アパートの1部屋、わたしの世界のすべてだ。

小さなテレビはどこかの誰かのニュースを淡々と流していて、その横に毎日、狂ったように弾いているギターがある。わたしは部屋の中央に座っていて、リモコンでテレビを切り、ラジカセのスイッチを押す。すぐに『I want you』とボブディランのしわがれた声が流れ出す。少し、やるせない。


ふと、部屋の片隅に置いてある電話機が目に入り、それと同時に、昨日純から電話がかかってきたことを思い出す。普段電話なんてこないから、よく覚えていた。

『梓!元気にしてる?』その時の純の声はなぜか嬉しそうだった。

「どうしたわけ、そんな嬉しそうにしてさ。なんかいいことがあったの?」
『う~ん。どうだろ…。どう思う?』
「さあ、知らないよ」わたしは答えた。

『そんなことよりさあ、梓死なないでよ!』
「はっ?どういう……」
『だって、梓さーなんか仕事も辞めてもううつ病患者みたいになってるじゃん』
「…なってない」

『とにかく!生きてれば絶対いいことあるから』
「わかってるよ、わたし死ぬつもりないし。自分から仕事辞めたくらいだしね」
『うん、その方がよかったよ。梓はもっとビックなことをするやつだって』
「何それ、皮肉?」
『違うって、信用しなさい、わたしが保証する』
「信用できない」
『ひどっ!』

「まあいいや、バイバイ。はじめてセールス以外の人からかかってきて、電話も喜んでると思う」
『……また会えるよね』
「ぷっ、何それ」わたしはつい吹き出してしまう。
「まるでわたしが引っ越すみたいじゃん」『……うん』

「大丈夫だってー。また会えるよまた会える。自殺もしないしね」
『約束だからね!』
「わかったって。これでもわたし、約束だけは破ったことはないから」
『じゃあね、応援してるから!!』
「うん、一応エールもらっときます」

そう言ってわたしは受話器をおく。わたしは一つ嘘をついた。約束を破ったことはあった。最も大事な約束を―。


わたしは立ち上がって、外へ出る準備をする。聞こえてくる音だけで、色とりどりの花火が上がるさまを想像できた。

人混みは好きじゃない。だけど、あの人がいるかもしれないという予感がしていた。ただ、その予感はいつもこの時期になると感じるものでもあった。つまり、わたしはあの日からずっと、あの人に会いたいと強く願っていたんだ。

今も、目を閉じればあの人の姿を瞼の裏に思い描くことができた。あの人はあの時と同じ笑顔で……あの時と…あの時と……



【第二部】

あの人にわたしが会ったのは、四年前、蒸し暑い夏の終わりだった。わたしはその頃は別の町に住んでいて、なんとなく行った散歩帰りにいつもの道をいつものように1人で帰っていた。すると道端でギターを弾いている女の人がいた。それがあの人だったのだ。

わたしはなんとなく興味がわいて、そこへ寄ってみた。そして、見惚れた。ギターを弾く姿やその音色、歌声、表情、どれをとっても美しくて、気づくとわたしは三時間もそこに座って歌を聞いていた。

「お客さん、今日はもうおわりだよ~」

お客さん?そこでわたしは気づく、これは商売だったのだ。ちゃんとお金を入れる箱も置いてある。わたしは気が動転していて、こんなまぬけなことを言った。

「学割って効きますかね?」

 あの人はわたしがお金をほとんど持ってないことを聞いても、怒ったり、つかみかかったりはしてこなかった。
「そっか、こんなかわいい子なのに、なかなかやるねぇ」
「えっ、いや、ホントにすいません」
「えへへ~冗談だってー」
「あの、明日もここにいます?その時に代金は…」
「うーん、しばらくはいると思うけど。でも、気にしないでよっ。別に君みたいな子から、そこまでしてお金取ろうとは思わないしね」
「じゃあねー」とあの人は言って、置いてある寝袋を持って、公園に向かって歩き出す。

「ちょっと待ってください」気づくとわたしはその人を追いかけて、肩に手をかけていた。
「どーしたの?」
「まさか、その公園で寝るんですか?」
「そーだよ」あの人は何か問題があるの、という顔をしている。
「女の子が1人で危ないですよ」
「大丈夫大丈夫、いつもこうだからね」
「で、でも……わたしが大丈夫じゃないですよ」

そう言って、わたしはその人の腕を引っ張る。
「ちょっ、ちょっと、どこに連れていくのさ」
「わたしの家です。その…代金の分だと思ってくれればいいですよ」
すると、あの人はニコッと笑顔を見せて言った。

「女の子に誘拐される可能性は考えてなかったよ」

つられて、わたしも笑った。

家についた頃には、もうかなり遅い時刻なっていた。というのも、あの人がアイスを食べたいと言い出したからだ。
汚くて恐縮ですが、とわたしはあの人を家に上げる。

「今思ったんだけど、親に怒られない?」「親はいないです。事故で…」
「あっごめん…」
「大丈夫ですよ。わたしが小さいころですし」
「そっか…」
あの人は悲しそうな顔を見せたが、ムードを変えるためか、すぐに明るい声を出した。

「そうだっ!わたしたちまだお互いの名前も知らなかったね」
そして、指先を自分のほうに向けた。
「わたしは唯っていうんだ」
「唯ですか…いい名前ですね」
「天上天下唯我独尊の唯だよっ」
「長いし、面白くないです」わたしは冷ややかな目を向ける。

「ちょっと、ひどいよ!君には年長者に対する敬意はないのっ?」
「年長者ですか?なんか変です」
「これでも、わたしは国中を渡って歩くミュージシャンだよっ」
「誰も人いなかったじゃないですか」

「き、今日は調子が…」
そう言って、わざとらしく腹を押さえる。「ホントですか?唯先輩?」
わたしは学校のくせで、先輩と呼んでしまった。
「またひど……って先輩?えへへ~先輩って呼ばれてるー」
「先輩って呼ばれるのがそんなに嬉しいんですか?」
「だって、わたし学校行けなかったし。だから先輩って呼ばれてみたかったんだあ」「そうですか…」
地域によっては学校がなかったりするという話は聞いたことがある。自分だけが特別不幸なわけではないということだろう。

「それよりさ、君の名前はー?」
「ああ、わたしですか。わたしは梓っていうんですけど」
「あず…さ、どっかで聞いたような」
唯先輩は少しの間考えるようなそぶりをし、言った。
「あっわかった!あずにゃんだあー」
「あずにゃん?」

「うん!昔ね飼ってたんだけど、逃げちゃったんだよね~」
そんな縁起でもない名前、とわたしは言いたかったたが口には出さない。
「また会えたねー」
唯先輩が抱きついてくる。
「いきなりなんですかっ」
唯先輩に抱かれると暖かくて、心地よい。
わたしは人違いだ、と指摘しようと思ったが、気をきかせてこう言った。
「猫違いですよー」
「それを言うなら、犬違いだよっ」
唯先輩はなんでもないように言う。
「それは絶対おかしいです」
普通犬に、にゃんって名前つける?

こうして、わたしと唯先輩は一緒に暮らしはじめた。


唯先輩がわたしのところにいたのは、たった二週間程度だった。その二週間はあっと言う間に過ぎてしまったが、その間には、よくこれだけの短い時間に入りきるよなあと驚くほどのたくさんの思い出がつまっていた。


唯先輩はわたしがギターを弾けることを知ると、すぐにわたしを引っ張りだし、一緒に弾かせた。ギターを人前で弾いたことないわたしは最初こそひどく緊張したものの、すぐに慣れてしまった。多分、横で楽しそうにギターを弾く唯先輩を見て、緊張するのが、バカらしくなったのだろう。

唯先輩とギターを弾くのは、他の何より楽しかった。わたしのギターの音と唯先輩のギターの音が重なり、そこに唯先輩の声が加わって、ひとつの歌になる。その感覚がわたしは好きだった。まるで、肩に翼が生えてどこまでも飛んでいける、そんな気がした。

「唯先輩はすごいですよ。こんなに人が集まるなんて」

連日、たくさんの人がわたしたちの演奏を聞きに来てくれた。そう言うと、唯先輩はジーとわたしのほうを見つめて言った。
「いつもはこんなに人来ないんだよーきっとあずにゃんパワーだ」

唯先輩はその言葉の響きを気に入ったのか、あずにゃんパワー♪あずにゃんパワー♪とメロディをつけて繰り返している。

「そういえば、唯先輩って恋愛とかの曲って作んないんですか?」
わたしは前から少し気になっていたことを尋ねてみる。

唯先輩とわたしは、2人が知っているような有名な曲をいつも演奏しているのだけど、ときには、唯先輩が作ったオリジナルの曲をわたしが練習して、演奏することもあった。

唯先輩の曲はどれも明るい曲で、なんだか変な歌詞だった。

「そーかなあ、よくないかなー?」
「いえ、別にいい曲ですけど…ただ、なんでかなあと」
「だってー、そういうのよくわかんないし、生まれたときから一人だったからかなー」
「ああ」

わたしはこのままだと話が暗いほうに転がりそうだぞ、と思ったのでわざと言った。「だって、‘ごはんはおかず’ですよ」
ぷぷっ、とわたしは笑う。
「わらわないでよっ!あずにゃんのバカぁー」
唯先輩は意味も流れもなく、抱きついてくる。

思い返せば、唯先輩はことあるごとに抱きついてきた。それはちょうど某大国が何かと理由をつけて、どんどん他の国に軍隊を派遣していくのと似ていた。その理由は朝がきたからだったり、カラスがいたからだったり、なんでもありだった。わたしも口では「やめてくださいよ」なんて言ったりしていたが、嫌な気はしていなかった。

ただ、人前でも変わらず抱きついてくるのは恥ずかしかった。観客なんかも面白がって、口笛を吹いたり、歓声をあげたりするから困る。一度なんかはほっぺたにキスをされたこともあった。さすがにやりすぎだと思う。もう一回してくれないかなーと思ったりもしていたんだけどね。

唯先輩はよく自分が行った場所の話をしてくれた。わたしがその話を聞くのは大抵、2人で星をみあげながらアイスを食べているときだった。

わたしたちは毎日のようにそうしたのだけれど、唯先輩の話は尽きることなく、それでいて面白かった。例えば、それは、海で演奏していたら蟹に足を挟まれた話だったり、雪が3メートルも積もった町の話だったりした。

だから、あの日もわたしたちは唯先輩が最近行った町の話をしていた。

「それでね、その町で花火大会があったんだけど…」
「…花火って何ですか?」
「あずにゃん、花火知らないの?」
「はい、恥ずかしながら」
「夏と花火いえば、花火じゃん!」
唯先輩は「夏は花火、梓のころはさらなり」と枕草子の真似事をする。


「だから、花火って何ですか」
「花火っていうのはねー」
唯先輩は花火を思い出しているのか、目をつぶり、少しして言った。

「花火はね小さなお星さまだよー」

「…星ですかー」
わたしにはよくイメージできなかったが、夜空にたくさんちりばめられている星を見て、花火もきっときれいなんだろうな、とは思った。そして、なんだか損をしているような気持ちになる。

「唯先輩はいつから、そうやっていろんなところを旅してるんですか?」
「うーん、よくおぼえてないけど15歳くらいじゃないかな」
「すごいですね」
「そんなことないよ。これがわたしには普通だったし」

 うらやましい、とわたしは思う。けれど、もう一人のわたしが「あんたには到底ムリだね、こんな小さな町でさえうまく生きていけないじゃん。びびってるんでしょ?失うのは怖いよね」と言うのも聞こえた。

「ときどき、ひどく寂しくなるんですよ」わたしはぽつりと話はじめる。

「誰もいなくて、それなのに誰かが消えてしまいそうで……唯先輩にはそういう時、ないですか?」
唯先輩はちょっと首をかしげて言う。
「寂しいと思ったことはないなー。あっ、一度だけあずにゃんが逃げちゃった時は寂しいというか、悲しかった」
「……そうですか」

「あずにゃん!寂しいならこの唯先輩に抱きついてもいいんだよ」
そう言って、唯先輩は両手を広げる。
「遠慮しときます」

「強がるな、あずにゃんよ」

唯先輩は笑って、わたしの肩に手を置いた。何かが切れたような気がして、気づくとわたしは唯先輩に抱きついている。泣くまいと決めていたのに、涙をおさえることができなかった。

唯先輩は何も言わずに、ただただ、わたしを抱きしめてくれた。


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最終更新:2011年06月17日 00:09