ごろりと背中を向けて、お姉ちゃんは細くため息をついた。

 私は、喉に残るお姉ちゃんの感覚をいまいちど飲みくだす。

 白い背中に耳をくっつけて、そっと腕を伸ばして抱きついてみる。

 湿気のせいで汗ばんだ素肌の奥から、遠く、心臓の音が聴こえてきた。

 子供の秘密基地みたいな小さくて汚れた部屋で、私たちは裸のまま、汗にぐっしょり濡れていた。

 くすんだ窓から、橙色の光がさしこむ。

「おねえちゃん」

 ささやくように、私のためだけの名前でお姉ちゃんを呼んだ。

 できれば聞こえてほしくなかったから、本当にかぼそい声で。

「うん」

 けれど小さく、ただ呻いただけのようにお姉ちゃんは応える。

 そして、私のほうに胸を向けると、そっと頭を撫でて起き上がった。

「そろそろ帰らないとね……」

 この部屋でベッドを除き唯一の家具である洋箪笥を開き、

 お姉ちゃんはもと着ていた制服を私に渡した。

 コインランドリーで洗った下着をつけて、お姉ちゃんは私の制服に袖を通す。

 これはお姉ちゃんが言い出したことで、

 制服を毎日交換していつでもお互いを感じられるようにしようという作戦。

 本当は、もっとお姉ちゃんのぬくもりが欲しくなって寂しくなっちゃうだけなんだけど。

 色つきのタイだけそのままにして、私たちは制服に着替える。

「憂、髪なおしてあげる」

 窓のそばでお姉ちゃんが手招きする。

 ぐしゃぐしゃにされた髪はリボンで留めるだけじゃまとまらないから、

 私は素直に窓に向けて置かれた丸椅子に掛ける。

 この部屋にはまだ鏡が無いから、夕陽の射す窓が鏡がわり。

 お姉ちゃんはカバンから櫛を取り出して、私の髪を整える。

 髪の先までまっすぐになっていくと、お姉ちゃんに愛された感覚がすこしずつ薄れるようだった。

「……ういっ」

 お姉ちゃんもそれは同じみたいで、私を背中からぎゅっと抱きしめてきた。

 背中から心臓の音がとくんとくんと叩く。

 わたしの心臓も一緒に、だけど別々に、とくんとくんと鳴っていた。

「……おねえちゃん」

 今度は聞こえるようにささやく。

「今日ちょっと、いつもの帰り道に寄らない?」

 帰り道に寄る。

 ちょっぴり変な言い方をしてしまって、しょんぼりしてしまう。

「うん、私も行きたいって思ってた」

 お姉ちゃんはにこりと笑って、私の髪をぎゅっと縛った。

 それから耳に軽くキスをすると、私を抱き寄せて立たせた。

「えへへっ。……」

 私は振り返ってお姉ちゃんとキスをして、手を繋いで、黙りこむ。

 お姉ちゃんは繋いだ手を握って、わたしを廃アパートの玄関へと連れていった。

 しょうがないんだ。

 帰らないと、今度はほんとうにお姉ちゃんに会えなくなってしまう。

 それはわかっているのに、私は足をつっぱって抵抗した。

「憂……」

 お姉ちゃんに困った顔をさせてしまう。

 そんなふうに下がった眉も伏せた瞳も結んだ唇も、よく似てる。

「だいじょうぶ。また明日会えるから」

「……うん」

 お姉ちゃんが両手を重ねて、とつぜんキスをする。

 明日だって会えるんだ。悲しくなんかない。

 ほんとだったらいつまでも一緒にいられるけれど――

「今日はもうココ出ようよ、ね?」

 私は頷いて、お姉ちゃんといっしょに足を進めた。

「よしよし、いい子」

 いい子って、なんだろう。

 私はまた立ち止まりそうになったけれど、

 これ以上お姉ちゃんの困った顔を見たくないから、黙って部屋の外に出た。


――――

 お姉ちゃんが私の家からいなくなったのは、2年ほど前のことだ。

 朝から雨がふってじめじめしていたあの日はよく覚えている。

 蒸し暑かった日曜日。

 当時中学2年生だった私は、わたしたちの寝室でごろごろしていた。

 いつでもお姉ちゃんと一緒がよかったから、

 お姉ちゃんの部屋と私の部屋ではなくて、勉強部屋と寝室というふうに部屋を分けていた。

憂「ふぁー……」

 お姉ちゃんは朝から友達と遊びに行っていた。

 お母さんたちはお休みなのにお仕事。

 私は予定もなくて、お姉ちゃんのベッドで休ませてもらっていた。

 ベッドに残ったお姉ちゃんの匂いが大好きで、

 こうして雨が降ってしまった日曜日は、シーツを洗わずにたくさん匂いをかいでいた。

 枕に顔をうずめて鼻からいっぱい息を吸い込む。

 羽毛のほこりっぽさと一緒にお姉ちゃんの匂いが頭の中を突き抜けて、

 心が幸せで満たされる。

 それからお姉ちゃんの匂いにくるまれて少し眠り、昼前になったころ。

 お姉ちゃんがいくらか雨に濡れながら帰ってきた。

唯「ういー、ただいまー」

 ベッドの中の私をゆさぶって、お姉ちゃんは言った。

 それまで眠っていた私はやっと起きて、髪の先とかを濡らしたお姉ちゃんにおかえりを言う。

唯「もっと遊ぶつもりだったけどね、雨がひどくなっちゃって」

 お姉ちゃんはてれくさそうに笑って、雨粒がところどころにしみた服を脱ぎ始める。

 私はそれを何も言わずに眺めながら、きれいなお姉ちゃんの下着姿に胸が高鳴るのを感じていた。

 お姉ちゃんと私は姉妹だから、ほんとうによく似ていると思う。

 茶色の瞳も小さなくちびるの形も、手の大きさや指の長さも同じ。

 だから、はじめにその気持ちを感じたころはおかしいと自分のことを思っていた。

 こんなに自分に似た、自分の姉を好きになるなんて許されないことだと。

唯「……ういー?」

 お姉ちゃんが顔を赤くして振り返る。

唯「もー、そんなにじろじろ見ないでよ」

憂「ごめんね」

 でも、そのころから思い始めていた。

 許されるとか許されないだとかいうけれど、無宗教のわたしが、誰に許しを乞うというのか。

 ただそっけなく、謝った。

唯「心がこもってない!」

 お姉ちゃんは下着姿のままこっちを振り向いてしまう。

 わたしは興奮の表情を隠そうとするけれど、どうにも口が開いてしまう。

 顔がかあっと熱くなって、目に血が集まるのを感じた。

 そのぶん、心臓のリズムも早くなる。

唯「憂、どうしたの? もしかしてお姉ちゃんの裸に興奮してたり、とか?」

 どこかで聞いたような言葉をいいながら、

 お姉ちゃんはブラジャーのところを腕で見えないように隠す。

 お姉ちゃんがさらに一枚脱いだように見えた。

 興奮で頭がおかしくなりそうで、さらに呼吸をするたびお姉ちゃんの匂いが体にしみこんでいって。

憂「してるよ。しないわけないじゃん……」


 お姉ちゃんはベッドでひとり、息も絶え絶えになっている私を見おろした。

唯「……う、」

唯「憂のエッチー!」

 お姉ちゃんは大声でわたしを罵って、ベッドに飛び込んできた。

 ほとんど裸のままのお姉ちゃんが、胸元にすり寄る。

憂「……」

唯「こ、こんなんでっ、どうなのっ!?」

 激しい雨の中を帰ってきたというわりに、お姉ちゃんの体は熱かった。

 しめっぽい空気と雨の匂いに乗って、お姉ちゃんの匂いが全身を駆け巡る。

 お姉ちゃんが私を抱きしめると胸がくっついて、心臓の音がよく感じられる。

唯「ねぇ……」

 お姉ちゃんがささやいた瞬間、私はお姉ちゃんに襲いかかっていた。

唯「やっ、憂!?」

 首のあたりに手をかけて掴み、力を込める。

 雨と汗でつるりと滑りながら、なんとかお姉ちゃんを仰向けに押し倒した。

唯「うい、ういっ、ごめんっ! ちがうの、わたしっ」

 涙を浮かべてお姉ちゃんは言う。

 ごめんなさいは私のほうなんだけれど、

 そのときのわたしにはそんな気の効いたことは言えそうになかった。

 お姉ちゃんがバタバタ足を跳ねさせて抵抗する。

 だけど、上から体重をかけてるおかげか押さえこむのは簡単だった。

 わたしは体ごとお姉ちゃんにのしかかり、くちびるを狙って吸いつく。

唯「ん、んっ! ……」

 ちゅぱっ、と音を立てて離れて、今度は舌を伸ばす。

憂「おねえちゃん、すき、すきぃっ!」

唯「ん、っ?」

 夢中でお姉ちゃんのくちびるをしゃぶりながら、

 お姉ちゃんの体を両手でまさぐっていた。

唯「ん、ぁっ……」

 ブラジャーの裾からお姉ちゃんの胸に触れて、お姉ちゃんがぴくりと動いた時、

 ようやくお姉ちゃんの抵抗がすっかり止んでいるのに気付いた。

憂「おねえちゃん……?」

唯「……うい、私もだよ」

 突然そう言われて、なにがなんだか分からなかった。

憂「どういうこと?」

唯「だから。私も憂が好き」

 くちびるに暖かい感触。お姉ちゃんにキスされた。

唯「ちゅっ……ね、続けてよ」

憂「……おねえちゃんっ!!」

 それきり頭が真っ白になって、私たちの初体験はよく覚えていない。

 ただ気がついたら夜で、私たちは裸のまま乱れているところをお母さんに発見された。

 わたし達はそれでも、むりやり剥がされるまでお互いの体を抱きしめて、

 最後には人形を奪われた子供のように泣き叫んでいた。


2
最終更新:2011年06月26日 21:05