紬に言われるままひたすら走り続けた唯は、道中、これからどうすべきなのかをずっと考えていた。

(ムギちゃんから連絡来ないなぁ……なんか作戦があったみたいだけど、ダメだったのかな……。
憂……どうして、こんなことになっちゃったんだろ)

いまだに、現状を信じきれない。憂、和、そして梓の親友の純に見つかってしまった。その三人を、本来なら殺すなり監禁するなりしなければならない。
しかし、そんなことはできるわけがない。

(わたしたちが捕まっちゃったら、牢屋から出てくるまでは安全だけど……出てきたら、狙われるよね。
憂たちも、私たちをかくまおうとしたら……きっと)

秘密を知っただけでもこれから暗部に付け狙われる可能性が高いのに、憂たちは一緒に暮らす気だった。
そんなことをすれば当然、暗部からの激しい襲撃を受けるに違いない。

(逃げ切ったとしても、わたしたちは任務失敗でクビになっちゃうよね。文字通りに。
憂たちもあきらめる気なさそうだし、たぶんまた暗部に首をつっこんできて……やられちゃう)

どう考えても、憂たちは暗部の攻撃を受けることになる。ならば、最も被害が少なくて済む方法はどれか。

(憂が……わたしのこと嫌いになればいいのかな)

憂たちが唯たちに興味を失えば、これから暗部に関わってくることもないだろう。
暗部からの初動の攻撃をなんとかしのぎ切れば、その先は危険にさらされることはないかもしれない。

(そうだ、それがいいよ。憂や和ちゃんに嫌われるのは悲しいけど、それで救われるなら、わたしは――)

「――先輩、唯先輩!!」

先ほどから梓が呼びかけていたが、考え事に集中していた唯は気づいていなかった。

「……え?」

「唯先輩……聞いてください」

「……何、あずにゃん?」

「……自首しましょう」

梓は、唯がまったく考えていなかった選択肢を提案してきた。

「あずにゃん……何を言っているの? そんなことしたら……憂たちもやられちゃうんだよ?」

「他に何があるんですか!? このまま逃げたって、同じことです! だったら、憂たちと一緒に暗部と戦ったほうが……!」

まだ暗部に入って日の浅い梓は、学園都市の恐ろしさをよく知らない。上に逆らって成功した者は、今だかつて存在しない。
レベル5ですら、五体満足で上層部を打倒することは難しいだろう。

「ムリだよあずにゃん! そんなの、自分から憂たちを殺しに行くようなもんだよ……!」

「やってみなきゃわからないじゃないですか! 私たちは今まで暗部で戦ってきて、ずっと負けなかったんですよ!? 
レベル5の憂も、レベル4の純と和先輩もいます!」

「そんなに甘くないよ、あずにゃん!!」

甘いことを言う後輩に唯はついムキになってしまう。

「……っ! もう唯先輩なんか知りません! 私は戻ります!!」

「……行かせないよ!!」

唯が素早くギターをカッティングすると、事切れたように梓がその場に倒れた。
梓は唯の能力により、深い眠りに落ちた。

「ごめんね、あずにゃん……」

梓が倒れたことにより、唯はその場から動けなくなってしまう。
突っ立ったまま、静かに「その時」を待つ。


(……来た)

100メートル先に、憂、和、純の存在を感じ取る。建物の影から三人が現れ、憂と目が合った。

「……お姉ちゃんっ!」

憂は足を引きずりながらもこちらへ駆け寄ってくる。和と純も、痛みに耐えているように見えた。
そして、唯の足元に倒れている梓を見つけてそれぞれが驚愕の表情を浮かべる。

「あ、梓……!」

純の表情が驚きから怒りへと変わり、唯を睨み付ける。

「……唯。その子をどうしたの?」

「寝て……いや、わたしが、殺した、よ」

唯は憂たちの気持ちを遠ざけようと、非情な殺人犯を演じようとする。

「そんな……! 梓ぁっ!」

純が唯に向けて能力を発動しようと一歩踏み出す。それを見た憂が慌てて純の腕を掴み、制止する。

「純ちゃん、落ち着いて!」

「こんなの落ち着いてらんないよ! 梓が、友達が殺されたんだよ!? いくら憂の姉ちゃんだからって、いくら深い事情があったって……許さない!」

純が憂の制止を振り切り、能力を発動する。純の前方の地面が爆発を起こし、周囲に無数のダイヤモンドの結晶が現れ、唯に襲いかかる。
しかし、唯のバリアーで防がれ、結晶は唯の足元に落ちた。

「ちっくしょおおお!!」

怒りに狂う純が攻撃を連発する。がむしゃらに能力を発動したため、だんだんとダイヤモンドは黒鉛が混ざって黒ずんでいく。唯のバリアーにヒビが入り始めた。
さらに、和も前へ出る。

「唯。真偽はともかく、私は風紀委員としてあなたを拘束するわ。覚悟してちょうだい」

和が冷たい声で宣戦布告する。唯は黙ったままだった。

「……なんか、なんか言ったらどうなの、この人殺し!」

純がまくし立てるが、唯は俯いたまま応えない。

「このっ…!」

「行くわよ、唯」

二人が能力を発動しようと構えるが、憂が制止する。

「待って、純ちゃん、和ちゃん!」

「なによ、憂! まだ言うの!?」

「梓ちゃんは……まだ死んでないよ」

「えっ!?」

「感じるもん……梓ちゃんの『自分だけの現実』。すごくうっすらとだけど……多分、深く眠っているんじゃないかな」

「唯が眠らせたって言うの?」

「うん、多分……お姉ちゃんの能力で。お姉ちゃんの能力、何でもできるから」

憂は二人の前に出ると、唯をまっすぐに見つめる。

「ねぇ、お姉ちゃん……何で殺したなんて嘘をつくの? お姉ちゃんは、友達を傷つけることなんてできない、よね?」

「……う、うるさい……憂、さっき見たでしょ? わたしは、人殺し、なんだよ」

唯がついに口を開く。表情は前髪に隠れて伺い知れないが、声は明らかに動揺していた。

「そうしなきゃいけない事情があったんだよね、お姉ちゃん。じゃなきゃ、優しいお姉ちゃんがあんなことできるはずないもん」

やはり、この妹はこれくらいでは唯のことを嫌いになることはないようだ。どんなに唯が闇に堕ちても、手を差し伸べてくる。

(ダメ、憂に嫌われなきゃ……嫌われなきゃ……)

憂たちに嫌われ、これ以上関わらせないようにする。唯の最後の悪あがきが、早速失敗の危機を迎えている。
混乱し始めた唯は、ひたすら嫌われることだけを考えていた。

「ね、お姉ちゃん? だから一緒に――」

「――うるさい! わたしは、人殺しだよ? 友達も、妹も、傷つけてもなんとも思わない……人殺しだよ!!」


「はあ、はあ……憂、わかったでしょ。わたしは、悪い人になっちゃったんだよ?」

「……」

憂は黙ったまま、ゆっくりと唯の方を見る。

「――ひっ!?」

その視線に射抜かれた唯は恐怖を覚える。その目を、唯は知っている。憂は、完全に怒っていた。

「信じてるよ、お姉ちゃん。私を遠ざけるためにこんなことしたんでしょ? 今だって、手加減してくれたもんね。
でもね、お姉ちゃん……? だからって、友達を攻撃するのは――」

憂が手を前に出し、親指を突き立てる。

「――めっ」




――ドゴオォォォォォォォォォッッ!!!


「きゃああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」

憂と唯の間の空間で大爆発が起こり、唯はとっさにバリアーを張るも一撃で破られ、吹き飛ばされる。
憂は和の『温度操作』を使い、空気の温度を瞬時に1000℃まで加熱。空気が一気に膨張し、衝撃波とともに爆発を引き起こした。

「あうっ……!!」

勢いよく飛ばされた唯はゴロゴロと転がっていき、ギターが何度も地面に打ち付けられるが、ギターは無傷だった。
唯が起き上がると、憂が無傷でこちらへ歩いてくるのが見える。
憂の向こう側には爆発の形跡がない。憂は、自分側の空気は瞬時に冷却することで、爆風を防いでいた。

「こ……来ないで!」

唯は再びバリアーを張り、後方へと逃げ出す。

「逃がさないよ、お姉ちゃん」

憂は背後に液体空気を作り出すと、それを一気に常温まで加熱。ジャンプして常温の爆風に飛び乗り、唯のもとへ一気に詰め寄った。
すぐさま純の『炭素粉刃』をコピーすると、逃げる唯の前方の地面が広範囲にわたって爆発を起こし、唯を足止めする。
間髪いれずに、上空に発生した無数のダイヤモンドのつららが、雨のように唯のバリアーに降り注いだ。

「くうっ……!!」

最後のダイヤモンドが突き刺さった瞬間にちょうどバリアーが割れる。どうやら、憂は唯がギリギリで防げる威力の攻撃を行っているようだ。


「来ないでって、言ってるでしょ!」

唯は憂の方を振り向くと、威嚇のためレーザーを放つ。
しかし、威嚇だとわかっている憂は避けようともせず、そのまま近づいてくる。

「ひっ……! わ、わたしは……妹を傷つける、悪者なんだからね!!」

唯がついに憂に当たるように光弾を発射する。憂は梓の『空中回路』をコピーすると、近くの建物に磁力を用いて飛び移り、避けた。

「だから! 来ないでよお……! わたしのこと、嫌いになってよお!!」

唯がめちゃくちゃにレーザーを発射し始める。憂はそれを器用にかわしながら、あっという間に距離を詰め、唯のギターをがっしりと掴んだ。

「い、いや! やめてよ! ギー太を返して!!」

「ダメ! ギー太は没収だよ!!」

唯はピックを持った右腕も掴まれ、能力を発動できない。

「やめてええ!!」

唯が叫ぶと、ギターを弾いていないにも関わらず、能力が発動。ギターから謎の爆風が発せられ、憂を吹き飛ばした。

「きゃあっ!?」

その隙に、唯は全力で走って逃げ出す。

「……待ってよ、お姉ちゃん!」

憂は建物の壁に飛び移ると、磁力で加速しながら壁の上を駆けていく。すぐに唯に追いつき、飛び降りようとした瞬間。
憂は突然壁から落下し、地面に打ち付けられた。

「ううっ!!」

「――えっ?」

唯が振り向くと、憂は地面に倒れ伏していた。走っているうちに、憂の能力範囲から梓たちが出てしまい、コピーできなくなっていた。

「う、憂……コピー、できなくなったんだね?」

「……」

憂は無言で立ち上がるが、先ほどの紬との戦闘で受けた足のダメージがさらに悪化したようで、苦痛に顔をゆがめながら何とか立っている状態だった。

「憂……もう、あきらめてよ……わたしは、憂に傷ついてほしくないよ。もう、暗部なんて関わらないで。わたしのことなんか、嫌いになって、忘れてよ……」

「いやだよ、お姉ちゃん」

憂は能力を使えなくなったにもかかわらず、まったく臆することなく近づいてくる。

「どうしてわかってくれないの!? わたしと憂が一緒にいたら、みんな殺されちゃうんだよ!?」

「守って、みせるから……私は、お姉ちゃんと一緒にいたい」

憂はまっすぐと唯を見る。

「ひっ……!」

唯のギターから黒いオーラが噴出し始める。

(わたしのせいで、憂が……わたしのせいで……。嫌われなきゃ、嫌われなきゃ)

混乱している唯はもはや、嫌われることしか頭にない。しかし、いくらやっても憂は嫌いになってくれない。
そして、その間にも憂がどんどん傷ついていく。憂を救うためにやっているのに、自ら傷つけてしまっている。唯のストレスが、限界に達していた。

「う、うい……はは、あはは……
あは、あははははははははははは!!!」


ついに唯は発狂し、能力が暴走する。
『自分だけの現実』を吹き飛ばす、不可視の衝撃波が憂を襲う。

「っ!?」

強烈な違和感を感じた憂は、本能的に、即座に自らの『能力吸収』を発動する。それにより、『自分だけの現実』が飛ばされることは免れた。
そして、ついに憂は唯の能力の正体を理解した。

(お姉ちゃんの能力……私と、同じだったんだ!)

まったく同じ能力で、符号が逆。唯の能力は『能力放出(AIMリパルジョン)』だった。
現実世界のゆがみを増幅し、AIM拡散力場を広げる。違うのは『自分だけの現実』を引きつける引力場なのか、反発する斥力場なのかだけ。
憂は唯の能力をコピーすると、引力と斥力が打ち消しあってAIM拡散力場が消えてしまうため、使用することはできなかった。
そして今も、暴走しホワイトホールと化した唯から発せられる斥力をある程度打ち消したため、『自分だけの現実』を飛ばされることはなかった。

(ここは……お姉ちゃんの『自分だけの現実』の中? なつかしい……昔、ギターを弾いてるお姉ちゃんに抱きついたときの感じだ……)

あたりは黒いオーラが吹き荒れ、地獄のようになっているが、憂はあたたかさを感じていた。

(そっか。この中はお姉ちゃんの思いのままの空間。だから何でもできたんだね)

斥力により膨張した唯の『自分だけの現実』は、唯の周囲の空間を覆い、あらゆる現象を思いのままに引き起こすことができる。
さらに、その周りの空間も強い影響を受けるため、発射したレーザーなどをある程度制御することができる。

そして、暴走によりさらに膨張した『自分だけの現実』は、激しい斥力によりだんだんと蒸発していく。

(このままじゃお姉ちゃんが……助けなきゃ!)

いつのまにか、足の傷は治っていた。憂は唯のもとへと駆け寄る。

「お姉ちゃん!」

「あはははは!! 来ないでよ、憂!! 来たら、わる~いお姉ちゃんが、殺しちゃうよ!?」

憂めがけて黒いオーラが吹き荒れる。一瞬たじろぐも、憂は再び歩みを進める。

「……お願い、やめてよお姉ちゃん!! このままじゃ、お姉ちゃんも……!」

しかし、憂の声は唯に届かない。謎のオーラによって作られた大きな「手」が、憂の首を絞め、持ち上げる。

「うぐぅっ……!!」

「あはははは!! 憂、わたしはこんなことしちゃうんだよ! 妹を殺してもなんとも思わないんだよ!
ねえ、嫌いになったでしょ!? あは、あはは!」

「う……ぐ……!!」

憂は必死に言葉を発しようとするが、首を締められているため声にならない。だんだんと、意識が朦朧としてくる。

(お姉ちゃん……殺すだなんて、嘘。こんな弱い力じゃ、死なないよ?
こんなになってまで、私のこと、考えてくれる、優しい、お姉ちゃん……大好き、だよ)

意識が薄れてくるのは、首を絞められたことによるものなのか、それとも唯の能力なのか。
そのまま、憂は意識を失った。



「あはは……え?」

あたりをうごめいていたオーラが、時間が止まったように一斉にストップする。
憂の首を絞めていた「手」が消え、憂の体がドサッと落下する。

「うそ……わたし……なんて、ことを」

オーラは霧散し、唯がフラフラした足取りで憂に近づく。揺さぶっても、反応がなかった。

「あ……ああ……憂……」

唯の顔から血の気が引いていく。まだ憂は生きているのだが、ショックで気が動転してしまった唯はそれに気づいていない。

「あはは……バカだよ……わたし。憂を助けようとして、憂を殺しちゃった。これで、本当に嫌われちゃったね」

唯は後ずさりしながら、憂から離れていく。

「もう、そっちに逝っても、会えないよね? わたしは本当に、わるい人になっちゃったんだから。
いいんだ。もう憂とは会わないって決めてたんだから……」

唯がギターを構え、ピックを持った右手を上げる。

「憂……ごめんね、ごめんね……!! バカなお姉ちゃんで、ごめんね……!
永遠に、お別れだよ。さようなら、憂――」

唯が渾身の力を込めて、ギターを弾く。
しかし、和音が鳴り響くことはなく、すべての弦がブチッ、と切れた。

人形のように生気を失った唯の体は、そのまま仰向けに倒れた。


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最終更新:2011年06月28日 04:17