とある、ちょっぴり暑い日の夕方のこと。
お部屋ですこしぼーっとしていると、
下の階からガチャンと大きな音と、お姉ちゃんの悲鳴が聞こえてきた。
憂「お姉ちゃん!?」
慌てて下に降りると、台所でお姉ちゃんが泣きべそをかいていた。
唯「う、うい……」
憂「わっ、お姉ちゃん」
お姉ちゃんは私を見つけると、駆け寄ってきて抱きつく。
震えているお姉ちゃんの頭を撫でてあげながら台所の様子を見ると、
それはそれは、私の想像以上の惨状だった。
憂「お姉ちゃん、あのお皿割っちゃったの!?」
唯「憂ぃ……」
見事に砕け散ったお皿の模様には覚えがある。
あれは家にあるものでいちばん高い、大きな大きな焼き物。
大正時代の有名な職人さんの傑作だとかいう自慢をお父さんにされたことがあって……
たしか、お父さんの家の家宝だとか……
値段はいくらだったか、ひゃくまんだとかいっせんまんだとか……
憂「……」
お姉ちゃんをぎゅっと抱きしめる。
もうおしまいだ。
わたしたちはお皿の代償としてお父さんに売られるんだ。
そして知らない人のところで奴隷にされそうなって、だけどすんでのところで紬さんあたりに助けてもらって召し使いになって忙しいながらも幸せに暮らしてたんだけど突然紬さんに「憂ちゃん、お姉ちゃんと絡んでみない?」とか言われるんでしょ?
そんな感じの展開のニオイがするもん。
憂「……」
そんな、そんな運命は受け入れない。
わたしはお姉ちゃんと、誰かの前で、誰かのために結ばれたりするのは嫌だ。
憂「お姉ちゃん、まずはあれを片付けよう」
憂「なんとかして、割ったことをバレないようにしないと……」
唯「う、うん……」
お姉ちゃんをぽんぽん撫でて、台所へ行く。
破片を集めて、袋に入れるんだ。
捨てる場所は近くのコンビニとかだって問題ない、別に死体じゃないんだから。
ただ、お父さんかお母さんが帰ってくる前に済ませないと。
憂「お姉ちゃん、手伝って。ビニール袋を2枚持ってきてくれる?」
唯「わ、わかった。ごめんね、憂」
私はちりとりとほうきを取って、欠片を集めて重ねるとお姉ちゃんを待つ。
憂「ハァ、ハァ……」
心臓がばくばく跳ねまわって、死にそう。
唯「ういっ、持ってきたよ」
憂「ありがとう、お姉ちゃん!」
袋を二枚重ねて、チリのように細かい破片まで全部残さず掃除する。
ひとまずはこれで、あとで掃除機もかけておかないと。
憂「じゃあ私はこれ捨ててくるから」
憂「その間にお父さんとか帰ってきても私は友達のところだって言っておいてね」
お姉ちゃんに指示を渡し、玄関へと走り降りる。
唯「あっ、憂ー!」
大丈夫だ、間に合わないなんてことはない――
靴をひっかけドアノブを掴み、玄関のドアを開けようとした。
けれどドアはその一瞬前に「かちゃり」と言ったし、それにやけに軽くって。
母「あれ、憂なにやってるの?」
父「なんだその袋? おみやげか?」
奴隷商人、ダブルで帰宅。
憂「あ、ぁ……」
まともに喋ろう、
普段通りにしてたら何も怪しまれないでコンビニくらい行けるはず、
憂「あ、あのっ、えっとっ」
動いて、私の口、
はたらいて、私の頭、
じゃないと、じゃないと。
憂「……ごめんなさいお父さんっ! 大事なお皿割っちゃったの!」
唯「おぉ……」
ごめんなさい、お姉ちゃん。
お姉ちゃんを守れなかったよ、私。
父「皿って……これは!」
事情をのみこんだお父さんたちは、私たちを居間で正座させた。
父「……これ、いくらしたか分かるか?」
お父さんは私を睨む。
憂「わ、わからない……です」
父「……はぁ。とにかく、割ってしまったものは仕方ないな」
憂「……」
仕方ないよね。
何百万だなんて、私たちの命で弁償しないと……
父「だが……」
と思っていたけれど、お父さんは逆接でつなげた。
父「何より、割ったことを隠そうとしたのが父さんは気に入らない」
憂「……」
憂「……うん?」
えっと。この人、何言ってるんだろう。
母「うん? じゃないでしょ憂」
憂「あっ、ご、ごめんなさい」
どういうこと。
お皿を割ったことはどうでもいいんだろうか。
混乱しつつもお父さんの声をしっかり聴く。
少しして、重たげにため息をついたお父さんはこう問った。
父「お皿を割ったのはどっちだ?」
憂「私っ」
即座に答える。
せめてこうなった以上、お姉ちゃんだけは。
唯「憂じゃないよ、私が割ったの」
けれど、横でお姉ちゃんはまっすぐな瞳をして言う。
憂「そんな」
父「じゃあ、」
お父さんは言いかけた私の言葉を大きな声で遮る。
父「割ったことを隠そうと言い出したのは?」
憂「それも私!」
唯「ちがうよ、それも私!」
お姉ちゃんがかばってくれる。
嬉しいけど、お姉ちゃんはそんな嘘ついちゃだめだよ。
母「……やれやれ」
父「参ったな。これじゃ……どうしたもんか」
お父さんたちは頭を抱えて、しばらく考え込んでいた。
父「……しょうがないな。かくなる上は」
唯「上は?」
父「唯と憂、両方とも一晩地下室行きだな」
憂「……?」
地下室?
それってあの、子供のころたまに閉じ込められた、あの暗いところ?
お姉ちゃんと和ちゃんとたまに探検した、倉庫代わりになってるあそこ?
憂「……えっ、奴隷は? 紬さんのメイドに襲われる展開は?」
唯「憂、お父さんたちの前でなに言ってるの?」
母「ほらほら、ご飯はあとで持っていくから。唯、さっさと地下室行くの」
唯「はーい」
憂「ちょっ、ちょっとー!?」
かくしてお姉ちゃんに引きずられ、私は地下室に閉じ込められる次第となった。
――――
憂「どういうことなの……」
ほこりっぽい床に体育座りをして、私は嘆息した。
あれから少し落ちついて分かったのは、
とりあえずお皿を割ったことに対する罰はこの折檻くらいで、
まず家のお父さんが奴隷商人とつながりなんてありえないってことと、
この晩は壊れたベッドが一つ置かれているだけの地下室で過ごさないといけないということ。
唯「憂、さっき言ってたムギちゃんのメイドって?」
ろうそくの火の向こうで、お姉ちゃんは不思議そうな顔をしていた。
憂「なんでもないの。忘れてお姉ちゃん」
唯「気になるよ……」
憂「それより、このままで大丈夫かな?」
そんなことよりも、ここで一晩過ごすことのほうが重要だ。
子供のころは、ここに閉じ込められるのは長くても1時間だった。
しかし一晩となると困ったことになる。
唯「大丈夫かって?」
憂「たとえばそれだって、到底ひと晩中はもたないでしょ」
私は赤い火をゆらすロウソクを指差した。
地下室に入れられるとき、ライターと一緒に一本だけ手渡されたものだ。
その胴は血のような赤色……ではない。真っ白だ。
唯「でも、ご飯食べる時までもてば十分だよ」
憂「それからずっと真っ暗は怖いよ……」
唯「だーいじょうぶ! お姉ちゃんがついてるから!」
お姉ちゃんが後ろからどんっと抱きついてくる。
唯「ね?」
ひょこんと横から顔を出して、お姉ちゃんはにこりと笑顔を向けた。
憂「……うんっ」
なんだか、子供のころにかえるような気持ちだった。
唯「ほら憂、床なんか座ってたらばっちいから、ベッドに座ろうよ」
お姉ちゃんが手を引く。
連れられて立ち上がり、半ば押し倒されるような形でベッドのへりに座る。
倉庫がわりと言っても大抵の荷物は棚や引き出しに仕舞われているから、
ちゃんと座れてクッションにもなるのはこのベッドぐらいだ。
ベッドは長らく使っていないはずだけれど、二人で勢いよく座ってもホコリは舞わなかった。
ほこりっぽいとお姉ちゃんが体を悪くしかねないから、これは嬉しかった。
ぼーっとロウソクの火を見つめていた。
これが消えたら、部屋はすっかり真っ暗になってしまう。
換気がないせいで、少しばかりの湿気が肌にまとわりついている。
この分だと、夜から蒸し暑くなってきそうだった。
地下室には窓も光源も無い。
本来だったら蛍光灯があるんだけれど、ずいぶん昔に切れてからは懐中電灯だのみだ。
もちろん今日は懐中電灯なんて渡されていない。
憂「……はぁ。退屈だなぁ」
唯「そだねー。お腹もすいた……」
何より辛いのが、携帯を奪われて時計もないこと。
罰なんだから辛くて当たり前だけど、時間の感覚がないのは困る。
あとどれぐらいこれは続くのかとか、
自分の眠気や空腹の感覚がほんとに正しいのかとか、わからなくなる。
唯「……ろうそく、もう半分くらいになっちゃったね」
憂「うん……食事に間に合うかな?」
言ったところで、ドアがノックされる。
唯「あっ、なぁに?」
お姉ちゃんが答えると鍵が開かれる音がして、人型の影と一緒に強い光が射した。
憂「んっ……」
母「唯、憂、ご飯持ってきたから食べなさいね」
唯「ありがと、お母さん」
ひとつの深皿に盛られて運ばれたのは、どうやらカレーライス系の食べ物だ。
匂いからしてビーフシチューか、ハヤシライスか。
ロウソクの明かりのもとではよく見分けがつかない。
母「あとこれもね。お茶。こんなにいらないかもしれないけど2Lね」
1Lのペットボトル2本がお姉ちゃんに渡された。
母「それじゃ、朝になったらとりにくるから」
それだけ言ってお母さんは出ていってしまった。
本当にこれから朝まで閉じ込められるんだ。
がちゃりと鍵のかかる音がする。
唯「器がプラスチックだね……」
憂「プラスチックのほうがいいよ。また割っちゃうと大変だし」
器を膝に乗せて、ペットボトルはベッドに倒し、ロウソクを近くに引き寄せる。
憂「……あれ?」
そこで、ようやく気付いた。
唯「うん?」
憂「スプーンが一個しかないや……」
唯「えっ」
憂「……」
器をお姉ちゃんに託し、扉に近づく。
まずはそっと、ノックする。
憂「おかあさーん?」
さすがにこれじゃ返事はないよね。
もう少し強く叩いて、お母さんでもお父さんでもどっちでもいいから呼びよせる。
憂「おかーさーん? スプーン足りないよー!」
まさか、ね。
扉を思いっきりバンバン叩いてみる。
憂「おかあさんってば!」
唯「憂、あきらめよう……」
お姉ちゃんが静かに言った。
唯「どっちかが体調崩すとかでもない限り、お母さんたちは開けてくれないよ」
憂「……やっぱりそうかな」
唯「だと思う。それより、冷める前に食べたほうがいいよ」
憂「……そうだね」
仕方なくベッドに戻り、お姉ちゃんの横に座る。
仮病を使ってお母さんたちを呼ぶこともできたけれど、
もしそれで仮病だとバレようものならこの折檻はさらに延長される可能性がある。
しかも、私ひとりでだ。
そうなったら本当に耐えられない。
最終更新:2011年06月30日 21:21