そのとき。
律先輩の腕が私の後ろに回って、そのまま肩を抱き寄せられる。
律先輩の温もりに包まれる。
梓「りつせんぱぁい……」
金縛りに遭ったようになっていた体がいつの間にか自由に動く。
口が、舌が、ちゃんと動かせる。
今を逃したら、もう二度と言う機会がない。
そう思った私は、初めて自分の中の思いを吐きだした。
梓「……律先輩と離れたくない」
まるで鱗が落ちるように、言葉が口からこぼれ落ちた。
そうかと思うと、また何も言えなくなる。
律先輩に抱かれたまま、その胸に顔を埋めて泣き出してしまった。
律先輩は私が泣きやむまで、ずっと抱きしめていてくれた。
やがて私が落ち着くと、真剣な表情になる。
律「そんなに離れるのが恐いか」
梓「はい、当たり前です」
律「別に一生会えなくなる訳じゃないだろ」
梓「そうですけど! このまま離ればなれになって、律先輩に……」
律「私に?」
梓「……そのうち別れを切り出されるんじゃないかって」
律「ばっか、そんなことするわけないだろ」
梓「不安になったものは仕方ないじゃないですか!」
律先輩は呆れたようにため息をつくと、頭をぼりぼりと掻いた。
律「梓、聞いてくれ」
両肩に手を置かれてまっすぐに見つめられる。
あまりに真剣な表情に思わずたじろぎそうになる。
こんな顔をする律先輩は一度しか見たことがない。
私の告白を聞いてくれたときだ。
律先輩は私と目を合わせて、ゆっくりと口を開いた。
律「約束するよ」
梓「……」
律「私は絶対梓を裏切らない。梓と別れたくないから」
梓「……」
律「私は、これでもかなり梓に感謝してるんだぜ?」
梓「へっ?」
律「受験時代にすごく支えてもらったし、軽音部の部長としても色々助けてもらった」
梓「……」
律「何より、お前が……生意気でわがままだけど、可愛い梓が、その……好き、だから」
梓「律先輩……」
律「そんな梓を裏切るわけないだろ。第一、そんなことしたら澪たちに半殺しにされちゃう」
梓「……くすっ」
律「それから、梓が不安にならないようにちゃんと連絡するよ」
梓「はい」
律「メールなり電話なりするし、どんなに忙しくても一月に一度は会おうな」
梓「はい、約束ですよ」
律「梓が忙しいなら私の方から会いに行くから」
梓「……」
律「だから、もう不安がったりするな」
梓「……」
梓「ぷっ……くすくす」
律「な、何で笑うんだよ」
梓「だって律先輩、さっきから臭いことばかり言ってるから」
律「なっ! 私はお前のために……」
梓「似合わないです」
律「中野ぉ!」
梓「でも、すごく嬉しい」
律「……」
梓「ありがとうございます」
律「梓……」
電車の到着を予告するアナウンスが鳴る。
私と律先輩は顔を見合わせる。
律「もう大丈夫か?」
梓「はい、元気いっぱいです!」
律「ふふっ、そりゃよかった」
ずっと向こうの方に電車が見えた。
ゆっくりと、着実に近づいてくる。
律「もうすぐだな」
梓「そうですね」
目を合わせると、お互いに微笑みを交わす。
律先輩に抱きしめられる。私も、抱きしめ返す。
短く汽笛が鳴って、まもなくの到着を告げる。
律「梓はあったかいな」
梓「そうですか?」
律「うん、ちっちゃな体なのにすごくあったかい」
梓「ちっちゃいは余計です」
律「ごめんごめん。でも、本当」
梓「……律先輩だってあったかいですよ」
律「そうなのか?」
梓「はい!」
この温もりにどれだけ救われただろう。
律先輩に手を握られるのも、肩を組まれるのも。
腕を組まれるのも、抱きしめられるのも。
みんなみんな大好き!
車両がプラットホームに入ってくる。
律「……あっ」
そろそろ体を放そうかと思ったとき、律先輩がつぶやく。
律「しまった、言い忘れてた」
梓「何をですか?」
首をかしげる私に向けて、にっこり笑う律先輩。
律「もう一つの約束」
――――
純「おっす、二人とも」
憂「純ちゃんおはよう」
梓「おはよ、純」
憂「これでみんな揃ったね」
梓「それじゃ、新生軽音部の初活動を始めますか! おー!」
憂「おー!」
純「お、おー」
純「梓、気合い入ってるね」
梓「そう?」
純「それに、何だかすごくいい笑顔してる」
憂「さっきからずっとこんな感じなんだよ」
純「ふぅん」
梓「そ、そりゃ今日から新しい軽音部のスタートなんだし」
憂「それにしては、機嫌よすぎるよ」
梓「そんなことないよ」
憂「うぅん、さっきから顔がにやけっぱなし」
梓「へっ!?」
純「こりゃきっと、何かいいことでもあったな」
憂「やっぱり純ちゃんもそう思う?」
梓「ふ、二人とも、練習始めるよ!」
純「まあ、梓の機嫌がよくなりそうな理由なんて限られてるけど」
憂「うんうん、り……」
梓「わーわー!!」
気づいてみれば、何も難しくはなかった。
私はただ、絆を確認したかった。
そのための言葉を律先輩からもらいたかっただけなんだ。
律先輩はちゃんとこれからのことを考えていてくれた。
私との未来を思い描いていてくれた。
だから、何も心配ない。
大丈夫、約束したから。
もう、不安になったりしない。
梓「ほら、早く楽器の準備して」
純「梓、その前に……」
梓「どうしたの?」
純「先にしようよ、ティータイム!」
憂「私も賛成!」
梓「……仕方ないなぁ、もう」
律先輩とのデートも……キスも。
まだまだ数えるほどしかしてない。
私と律先輩の関係も、新しい軽音部も、まだまだこれからだ。
でも、私はどっちもマイペースでやっていこうと思う。
たとえそれが、ゆっくりと歩くような速さでも。
憂「お茶入ったよ」
純「おぉ、さすが憂!」
梓「ありがとう」
憂「でも、ムギさんのティーセット勝手に使っちゃっていいのかな」
純「気にしない気にしない」
梓「……」ズズ
憂「お味の方はどう?」
梓「うん、美味しいよ」
憂「ありがと、ムギ先輩のお茶には敵わないと思うけど」
梓「そんなことないよ、すごく上手」
憂「えへへっ、嬉しいな」
今年一年部長を頑張って、新入部員を獲得して軽音部を存続させて。
それから受験勉強もちゃんとして、必ずN女子大に合格します。
それが律先輩への約束。
律先輩にしてもらった大切な約束へのお返し。
梓「じゃ、お茶も飲んだところで練習始めよっか」
純「よぉしっ」
憂「了解!」
梓「新歓ライブに向けて、頑張ろう!」
純憂「おー!」
私、頑張ります。やってやります。
きっと達成してみせます。
だから律先輩も、ちゃんと約束守ってくださいね。
――梓が来年合格して、卒業したら。
一緒に暮らそう。
Fin
最終更新:2011年07月01日 20:45