3月下旬。

無事にN女子大への入学を果たした私は、自室に籠もり入寮に向けての準備を進めていた。

辞書や部屋着等の荷物を無理矢理バッグに詰め込み、チャックを閉じる。
しかし、なかなかチャックは締まりきってはくれなかった。

数十分の試行錯誤の末、なんとかスーツケース一つとボストンバッグ一つに荷物は収まった。

紬「ふぅ」

手の甲で額を拭うとじんわりと湿っていた。
何時の間にか汗をかいてしまったようだ。

暑さを紛らわす為、ベランダに出てみると肌寒い風が私の火照った体を包み込んだ。

汗が蒸発し体温が下がってゆく感覚がとても心地良い。

ベランダから望む庭園の大部分を占める花壇に目を向けると、気の早い花達が早速自己主張を始めていた。

色とりどりの花が咲き乱れその様子はまるでカラフルな絨毯のようだ。

風が吹く度に模様を変えるその絨毯は、なんとも儚げで、これから始まる新しい生活への不安を更に煽った。

高校三年間を共に過ごした親友達の顔を思い浮かべると、不思議と不安は和らいだが、次第に漠然とした虚無感が押し寄せてくる。

紬「誰かに会いたいな……」

寂しさに胸を圧迫され、自然と口からそんな台詞が漏れた。

……少し涼み過ぎたようだ。
部屋に戻ろう。

ベランダから戻り改めて自室を眺めるとそこはもう私の部屋ではなかった。

幾年か私のプライベートを守っていたこの部屋はすっかり片付き、生活臭は消え失せている。まるでモデルルームだ。

紬「……」

いきなり世間に放り出されたような気分になり、寂しさが限界を迎えた。

誰かに電話を掛けようと携帯を取り出すと、丁度着信を知らせるランプが光った。
私はワンコールで応答する。

紬「はい、もしもし」

電話の相手は父だった。

声に雑音が混じり忙しい様子が伝わってくる。
父は数分間、一方的に要件を話し電話を切ってしまった。

父の話を要約すると『ある女の子の面倒をみてくれ』とのこと。

その後携帯にメールが届き、女の子の詳細な情報を知った。
そして添付された画像にて女の子の容姿を知った。

紬「斎藤……?」

いつの間にか寂しさは女の子への興味に擦り変わっていた。

名前の漢字が読めなかったので調べてみると菫とは「すみれ」と読むらしい。

幼稚園の組み分けにありがちな名前だ。
確か私のクラスもすみれ組だった。
いやひよこ組だったか。

幼稚園の頃の私はとても社交的とは言えない内気な女の子だった。
そんな私を大きく成長させてくれたのは言うまでもなくHTTのみんなだ。

あの4人と同じ大学に通えることを本当に嬉しく思う。

そんなことを考えていると不随意に目頭が熱くなってしまった。

閑話休題。


容姿は金髪に碧眼と私が言うのもなんだが日本人離れしている。
どうにも他人とは思えない。

歳は私の3つ下……?

その瞬間携帯を握る手が汗ばんだ。

断っておくが私はロリコンではない。

ロリコンではないのだが、この少女と仲良くなりたいと思ってしまったのだ。

人生は一度切り。

常に一期一会の精神でご縁のある女の子には全力で向かい合わなくてはならない。

しかし歳下の女の子との接し方など心得ていない……。

致し方ない。
あの御仁にご協力願おう。
歳下キラーの異名を持つあの方に……。



唯「うーん、よくわかんないケド、私に白羽の矢が立ったんだね」

紬「そうなの、こんな事を頼めるの唯ちゃんしかいなくて。忙しい所ごめんね」

唯「準備は憂が手伝ってくれたがら全然忙しくないよ。とにかくあずにゃんと普段通り遊びに行けばいいんだね?」

紬「えぇ、お願いできるかしら」

唯「任せて~あずにゃんに電話してくる」

そう言って携帯を取り出し行ってしまった。
流石、後ろ姿にも貫禄がある。

唯ちゃんが電話を終え、二十分程経った頃、梓ちゃんが待ち合わせ場所の公園にやってきた。

二人はベンチに座り話し始めたようだ。

私は襤褸に身を包み二人の観察に専念した。

耳をすまし二人の会話を断片的に拾ってゆく。

唯「あずにゃん久しぶり~」

梓「お久しぶりです。それより遊んでて大丈夫なんですか?」

唯「1日くらい大丈夫だよ~」
会話に全く乱れがないので気付かなかったが、少し目を離した隙に早速抱きついている。


その無駄の無い洗練された抱き付きはここが公の場である事を忘れさせる。

対する梓ちゃんはすました表情をしているが、抵抗は見られない。

寒空の下で唯ちゃんの体温を享受しているのだろうか。

梓ちゃんの服装からは気合いが伺えた。
ギンガムチェックのプリーツスカートで太腿はいつもより露出している。

暫く体温を分け合った後、二人はベンチを立ち上がった。
次はショッピングに行くらしい。

いつもの商店街まで足を運ぶと二人は手を繋いだままデパートに入店した。

梓ちゃんは入り口から直ぐの場所に店を構えるアクセサリーショップに興味を示したようだ。

ここから梓ちゃんのテンションの上がりっぷりが顕著になる。
はしゃいでいると形容しても問題ないだろう。

梓「この指輪可愛いですね!」

唯「だね。あずにゃんの指は七号位かな」

梓「あ、薬指にぴったり……」

唯「私は八号かな~」

そんな微笑ましい会話に聞き耳を立てていると警備員さんに声をかけられてしまった。

怪しい者ではない証明に手こずってしまい。
解放される頃には完全に二人を見失ってしまった。

七階建てのデパートで二人を探すのは非常に困難だ。
疲労困憊の私がトイレで休憩していると、携帯に連絡が入った。

紬「はい、紬です」

唯『あ、ムギちゃん?これからあずにゃんが夕飯作ってくれるみたいだから家に行くんだケド』

紬「そう、私の我が儘に付き合ってくれてありがとう。梓ちゃんにもお礼を言いたいから、替わってもらっていい?」

唯『うん、あずにゃん、ムギちゃんがお礼言いたいってさ』

梓『え?ムギ先輩が?』

私が事情を話すと梓ちゃんは唯ちゃんを攻撃し始めた。

梓『ゆーいーせーんーぱー』

そこで通話は途切れてしまった。
この埋め合わせはいつかするつもりだ。

今日1日で沢山の収穫を得た私は自宅に戻り復習を始めていた。

唯ちゃんと梓ちゃん。
一見対照的なこの二人はなんだかんだで息がぴったりである。

遊びにも一生懸命な頑張り屋の梓ちゃんは唯ちゃんの世話を焼くことで癒やしを得ているようだ。

同様に唯ちゃんは背伸びをして時たま空回りする可愛い後輩を可愛がることで癒やしを貰っているのだろう。
打算の無い唯ちゃんだからこそ梓ちゃんに幸せを運べるのだろうか。

とにかくスキンシップや誉め言葉等、その愛情表現の方法は多岐にわたる。

その愛情表現の一つひとつが、梓ちゃんにとってくすぐったくもあり、心地良くもあるのだろう。

紬「うーん……」

なにか単純で根本的なことを忘れている気がする。
二人を繋ぐ見えない根っこのような物が別にある筈なのだが、上手く頭に出てこない。

どんなに記憶を辿っても結局解らず終いで、菫ちゃんがやってくる日を迎えてしまった。

知らさせた時間を過ぎてもなかなか菫ちゃんが来ないので、そわそわと家の中を徘徊していると、防災さんの宿直室から話し声が聞こえた。

扉が開いていたので中を覗いてみるとそこにウチの警備員と菫ちゃんを発見した。

私は慌てて中に入り事情を訊くと、菫ちゃんは正面玄関から敷地内に入り警備員に捕らえられてしまったらしい。

紬「正面玄関はお客様と琴吹家の人間用の通路だから、今度から裏口から入ってね」

菫「は、はい、ごめんなさい……」

「すみません」でも「申し訳ありません」でもなく「ごめんなさい」と言う所が既に可愛い。

菫「あ、あの、始めまして。斎藤菫です」

菫ちゃんはそう言ってぺこりと頭を下げると綺麗な髪を靡かせた。
写真ではわからなかったが、想像以上に背が高い。

素晴らしき哉、新女子高生の初々しきこと。
できておる喃、菫は。
儂は心の奥底で感嘆した。

紬「事情は聞いてるわ、私は紬。よろしくね」

菫「はい、紬お嬢様ですね。宜しくお願いします」

早速私の名前を手帳にメモっていた。
紬お嬢様とは呼ばれ慣れているが、なぜか鼻血が出そうになった。

それより気になる事が一点ある。

紬「菫ちゃんは何故桜高の制服を着ているの?」

菫「あ、私服は貸していただけると聞いたので制服で来たのですが」

紬「?」

菫「……?」

紬「もしかして今春から桜高に通うのかしら?」

菫「えぇ、はい」

きょとんと首を傾げる菫ちゃんが可愛いのは言うまでもないのだが、まさか桜高に通うとは思わなかった。

曲がりなりにも令嬢の通っていた高校なのだが……
私は無性にかきふらいが食べたくなった。

紬「じゃあ私の後輩になるのね。桜高は良い高校よ」

菫「紬お嬢様って桜高のOGなんですか。偶然ですねー」

なるほど、この子は紛うことなき天然だ。
それ以外の形容詞が見つからない。

紬「えーと、お父様から何か指示とか聞いてる?」

菫「はい、紬お嬢様に家の中を案内して貰えと」


私に投げたか。

菫「あと、このメモを渡せって言ってました」

そう言って一枚のメモ用紙を私に寄越した。

用紙には事細かに菫ちゃんの屋敷での立場が書かれていた。
居候兼お手伝い。

紬「居候……寝る所は?」

菫「紬お嬢様の寝室だそうです」

紬「ぶふっ」

従業員ではないので従事者の寮に入れることはできない。のは理解できるが、客室にいくらでも余っている部屋があるだろう。
態々私の部屋で寝かせる事もあるまい。

紬「えぇ、まぁ、わかったわ。お腹は空いてない?まずは休憩にしましょ?」

菫「大丈夫です!何かお手伝いできる事は無いですか?」

菫ちゃんはふんすと鼻から空気を吐いて拳を握りやる気アピールを始めた。

紬「お腹は空いてないのね」

私はメモ用紙にもう一度視線を落とした。
菫ちゃんの服がリネン室に届いているらしい。

紬「じゃあまずはお洋服を取りに行きましょうか」

菫「はいっ!」

うん、返事も可愛い。

指定の場所に移動すると大きく『斎藤菫』と書かれたタグを見つけた。

このハンガーラック一帯が菫ちゃんのエリアらしい。

そこでまず目を引いたのが三着のメイド服だ。

紬「……」

それは琴吹家のエンブレムが肩に刺繍された見慣れないデザインのメイド服だった。

菫ちゃんは目を眩しい程に煌めかせ私の指示を待っている。

紬「メイド服に……着替えようか」

菫「はいっ!」

私は透明なビニールを破き新品のメイド服を空気に晒した。

菫「わぁ!可愛いですねっ」

紬「可愛いね」

はしゃぐ菫ちゃんにハンガーとメイド服一式を手渡し隣の試着室に移動させた。

十分程待っただろうか。
漸く菫ちゃんが扉を開けた。

菫「紬お嬢様ぁ……」

扉の隙間から顔だけ覗かせた菫ちゃんは何故か涙ぐんでいた。


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最終更新:2011年07月04日 22:00