憂「そろそろ起きてお姉ちゃん、お仕事遅刻しちゃうよ」

唯「うーん……おはようういー」

 ぴんぽーん

憂「お客さんだ、私朝食の用意で手が離せないからお姉ちゃん代わりに受け取ってきてもらえるかな」

唯「おっけー」

唯「今でまーす、どなたですかー?」

ケーキ屋「おはようございます。○○洋菓子店ですが」

唯「おはようございまーす。あれれ?クリスマスケーキなんて私頼んだっけ……」

ケーキ屋「えーと、去年受けた注文では確かにこの家宛だったはずですが……平沢唯さんのお宅ですよね?」

唯「はい、そうですけど。確かに私宛ですね。あっ、送り主の名前が……」

ケーキ屋「心当たりありませんか?」

唯「いえ、確かにこのケーキ、私宛に送られた物です」

ケーキ屋「いやーよかった。住所間違えたらどうしようかと思いましたよ」

唯「わざわざありがとうございました」

ケーキ屋「ようやく肩の荷もおりたので、私はこの辺でお暇しますね」ばたん

――

唯「憂、クリスマスケーキが届いたよー」

憂「え?お姉ちゃんクリスマスケーキなんて頼んでたの?」

唯「ううん、私は頼んでないよ。ただほら、見て見てよ憂、このケーキを贈った人の名前」

憂「ん?誰かからのプレゼントなの?……えっ!?これって……」

憂「そっか……それじゃあ今夜パーティしよっか。みなさん呼んで」

唯「うん!」

憂「さ、早くご飯済ませてお仕事いかなきゃ」

唯「そだねー」

 私はテーブルにケーキの入った箱を置いて窓から外を見る。
 今年の冬は暖冬だと言われていたせいか窓の外は本来降る筈の雪が降ることなく生憎の雨模様だった。
 それ程激しくない雨、いわゆる霧雨が静かに降り続いていた。

唯憂「いってきまーす」

 朝食も済ませた私達姉妹は2人で一緒に家を出てそれぞれの職場へと向かおうとしていた。
 雨の中、私はふとこの雨とさっきのケーキである事を思い出して半ば衝動である場所へと向かう。
 そこは家の裏山にある森に囲まれた古い神社だった。
 うっそうとした木々に囲まれ街の喧騒から隔離されたような静かなこの空間は、私にとっては思い出の場所。
 ここで私の頭の中に去年起きたある出来事が鮮明にフラッシュバックしてくる。

 去年のあの日、雨の季節に私達に訪れた奇蹟は、この森から始まった。
 たった6週間の奇蹟。
 もしかしたらあれは霧の向こうの幻だったのかもしれない。
 けど、私達は確かにあの子にまた会えたんだ。


―― 話は1年前の6月、私が25歳の時に遡る 

 ここは桜ヶ丘郊外にある墓地。
 その中にあるまだ真新しいお墓の前、線香の香りの漂う中、私は憂と軽音部のみんなと手をあわせて拝んでいた。
 墓石には「中野家」と書かれている。

律「さて……そろそろ行こうか」

澪「そうだな」

 お墓参りも終わりみんな帰る準備をしていたけど私達姉妹は帰るそぶりも見せずただその場に座り込んでじっとお墓を見つめていた。

澪「梓が亡くなってからもう1年か……」

律「長かったよなこの1年、色々ありすぎてさ……」

紬「大丈夫なのかしら唯ちゃんと憂ちゃんは……2人共あんなんだし」

澪「それでも1年前のあの頃に比べたら大分立ち直れてきているようだけど……やっぱりまだ辛いんだろうな」

律「突然だったもんな、無理もないって。私だって未だに信じられないし」

 私が19歳の時に私とあずにゃんは本格的に恋人関係になった。
 そしてあずにゃんが大学を卒業したのを契機に私達2人は安い一軒家を借りて一緒に生活を始める。
 だけど今から1年前のある日、あずにゃんは急な病で突然倒れて病院に運ばれてしまう。

 一時は意識を取り戻したものの、それから2日後……容態が急変しあずにゃんは私達に見守られながら静かに息を引き取った。
 それはあまりに突然の出来事で私は勿論、他のみんなも現実を受け入れるなんて到底できるものじゃなかった。


―― それから数日後

 私は同居人のいなくなった家で今も1人で生活をしていた。
 実家に帰るという選択肢もあったけど、思い出の詰まったこの部屋を去る気にはならなかったから。

 ちなみに時々憂が私の家を訪れては色々と世話をしてくれている。
 元々ズボラな性格もあったけど、一番の理由は今の私の身体にある問題があったからだ。

憂「お姉ちゃん、朝ご飯できたよ」

唯「うん」

憂「さ、早く食べて仕事いかないと」

唯「悪いね憂、いつも世話かけさせちゃってさ」

憂「そんなことないよ。お姉ちゃんの身体が心配だし」

 あずにゃんがいなくなってからというもの、家事も満足に出来ない私の部屋は荒れ放題だ。
 だけど憂は文句一つ言わずにいつも私の世話をしてくれている。

 今の私達姉妹には1年前から待ち続けている「ある事」があって、多分それが心の支えになっているからなのかもしれない。

唯「憂」

憂「どうしたの?」

唯「やっぱりあの話、憂は信じてるの?」

憂「あの話って……雨の季節になったら梓ちゃんが帰ってきてくれるって話だよね」

唯「うん……」

憂「私は信じたいな。だって私も梓ちゃんにまた会いたいから……お姉ちゃんはどうなの?」

唯「そりゃあ私もあずにゃんに会いたいよ。でも何であんな事言ったんだろ」

 1年前、病院であずにゃんは亡くなる直前に私達の前でこう言った。

~~~~ 回想 病院にて

梓『泣かないで唯……私、来年の雨の季節になったら必ずまた戻ってくるから』

唯『……え?』

梓『約束……するから……だから絶対私を信じて、ね?』

~~~~

憂(あれから1年……もうすぐ雨の季節、か。あの時梓ちゃんはああ言ったけど、なんかワケがあるのかな)

憂(でも私は信じてる。確証なんかないけど……絶対に梓ちゃんは雨の季節と共に帰ってくるんだ)

唯「ういー、どったの?」

憂「あ!ううん!なんでもないよ」

――

唯「それじゃ、いってきまーす」

憂「いってらっしゃいお姉ちゃん」

 今日は朝から青空が広がっている。
 そんな中私は自転車に乗って少し離れた距離にある職場へと向かう。
 本当ならバスや車やバイクで通勤するのが楽なんだろうけど、今の私は訳あって乗り物や人ごみが駄目な身体になっていた。
 自転車で職場への道程を急ぐ私、頭上には青空が広がっているけど遥か西の空には黒い雨雲がでていた。
 もうすぐ雨の季節が来る、そう予感せずにはいられない――


―― 竹達司法書士事務所

 私は町外れの小さい司法書士事務所で事務雑用で働いている。

唯「おはよーございまーす!」

 大学を中退した上に人ごみや乗り物も駄目な私が就ける仕事は、このご時世そんな簡単に見つかるわけがない。
 そんな中、この事務所は私を採用してくれた。
 ここで働いている人は私を含めてもたったの4人、いい人ばかりだし最適な職場環境だ。

澪「おはよう唯」

唯「おはよう澪ちゃん」

 私と澪ちゃんは同じ職場で机を隣同士にして一緒に働いている。
 この職場に入れたのも、ここで前から働いていた澪ちゃんの紹介があったからだ。

竹達「Zzz……」

唯「所長さん今日もまたお昼寝してるね」

澪「そうだな、まぁそっとしておいてやろう。とりあえず私達は今日の分の書類を今のうちにまとめておこうか」

唯「そだねー」

――

澪「――うん、ここはそうやって……こうした方が早いし楽だと思う」

唯「ふむふむ……なるほど、確かにそうした方がよさそうだね」

唯「とりあえずメモしておこうっと」

 私の記憶力は昔に比べて明らかに落ちていて、こうやっていちいちメモを取らないとすぐに忘れちゃうようになっていた。

唯「澪ちゃんいつもいつも本当にありがとう」

澪「いやいいんだ、私は別に大したことはしてないしさ」

唯「ねえ澪ちゃん」

澪「どうした唯」

唯「今週末の土曜日、お祭りなんだよね」

澪「そういえばそうだったな。憂ちゃんと行くのか?」

唯「うん……憂も私の前では明るく振舞ってるけど、絶対寂しがってると思うんだ。だからたまにはさ……」

澪「でもさ唯、お前人ごみ大丈夫なのか?」

唯「そうなんだよね。私のこの身体さえ平気だったらなぁー」

TV「―― 一部、雨が強く降る恐れもあります」

 オフィス内で垂れ流し状態のTVから天気予報のキャスターの声が聞こえてきて私の視線はそっちに注がれる。
 「雨」という単語に最近やたらと敏感になっているから。

TV「しかし、前線が近づいてくるということはいよいよ梅雨入り間近、雨の季節到来という事になります――」

唯「いよいよ梅雨入りかぁー」

澪「なんだか嬉しそうだな唯。やっぱり信じているんだあの事」

唯「うん!そりゃあありえない話だと思うけどさ、やっぱり心のどこかで期待しちゃうんだよね」

澪「ところでさ……」

唯「ほぇ?」

澪「この調子じゃ土曜日雨かもな……」

 梅雨入りはもうすぐそこまで来ている。
 実際この後どうなるのかは正直なところ私にも分からない。

 けど、出来るなら……もう1度、あの子に会いたい。
 1度でいいから会って、話がしたい。


 その日の夕方 平沢家(実家)

純「やっほー、憂いるー?」

憂「いらっしゃい純ちゃん。あがってあがってー」

純「それじゃ、お邪魔しまーす」

――――――

――――

――

純「ういー、なにやってたのさ?」

憂「ちょっと、てるてる坊主を、ね」

純「ああ、週末のお祭りが中止にならないようにって事だね……ってええ!?」

憂「?」

純「吊る下げられてるてるてる坊主、全部逆さまじゃん。まさかこれ、雨乞いのつもり!?」

憂「うん、もうすぐ梅雨入りだからね、早く来て欲しいんだ」

純「そっか……もうすぐ梓の言ってた雨の季節か」

憂「うん」

純「会いたいよね梓に……ロクにさよならも言えずにいなくなっちゃったからさ」

憂「そうだよね……ねえ純ちゃん」

純「何?憂」

憂「私今でも思うんだよ。あの時もっとちゃんとお姉ちゃんと梓ちゃんを見てあげてたらって」

憂「お姉ちゃんは大学生の時にあんな身体になって、梓ちゃんはそんなお姉ちゃんにずっと付き添ってた。きっと大変だったと思うんだ」

憂「だから私がもっと早くに梓ちゃんの異変に気付いてあげてたら……お姉ちゃんが今こんな辛い想いし続けなくて済んだのかもしれないって」

純「それは違うって憂」

憂「え?」

純「先がどうなるかなんて誰にも分からないし、こうなったのも憂1人のせいなんかじゃないから。それにさ……」

憂「それに?」

純「唯先輩は今も不幸せじゃないよ、きっと」

憂「どうして?」

純「憂がいるから……妹であるあんたがこうやっていてくれるからこそ唯先輩は今も頑張っていられるんだよ」


―― 同時刻 ファミレス

 この日は軽音部のみんなとここで待ち合わせしてお話をすることになっている。
 私と澪ちゃんは仕事を上がると一緒に待ち合わせ場所のこのお店へ行って、そこでりっちゃんとムギちゃんと合流した。

唯「最近あずにゃんのことで思い出せない事が増えてきてるんだよ。ビデオや写真の中でしかあずにゃんを感じることができないんだ」

唯「でもね」

紬「でも?」

唯「あずにゃんは戻ってくるんだよ、もうすぐ」

律「雨の季節に戻ってくるって言い残してたんだよな?」

唯「そだよー」

律「信じているのか唯?」

澪「さっきも仕事中その話しててさ、唯は信じてるんだ。勿論憂ちゃんも」

律「そっかー」

唯「みんなはこの話、ありえないと思う?やっぱり」

紬「まあ、科学的には……ね」

唯「やっぱりそうだよねぇ」

澪「唯は梓に戻ってきて欲しいんだよな?」

唯「うん、私はあずにゃんを幸せにしてやれなかったから、全然ね」

紬「本当にそうなのかしらね……」

唯「私がこんなんだからあずにゃんに負担ばっかりかけちゃって。最初から最後まで」

律「お前やっぱり自分の身体の事をまだ……」

唯「一度でいいからさ……私と一緒に生きていて良かったって思ってもらいたかったよ。だからもし戻ってきたらそんな思いをさせてやりたいなーって思うんだ。普通の恋人同士みたいに一緒に旅行に行ったりとかさ」

澪「なるほどな……」


―― その夜

 この日も憂は私のとこに来て家事を手伝ってくれていた。
 自分の時間をわざわざ割いて来ているのに満面の笑顔を浮かべて嫌な顔1つしないで接してくれているその姿が正直見ていていたたまれない。

唯(いつもいつも憂には迷惑かけっぱなしだなぁ……たまには気分転換させてあげたいなー)

憂「お姉ちゃーん、お風呂はいったよー」

唯「はーい」

唯(そうだ!いいこと思いついた!)

憂「どうしたの?」

唯「あのね憂、今度の土曜日さ、お祭り行こうよ」

憂「え!?」

唯「ほら、前にも軽音部のみんなと一緒に行ったじゃん。楽しかったからさ、だからまた行こうよ、ね?」

憂「で……でもお姉ちゃん、身体大丈夫なの?人混みとか駄目じゃなかったっけ」

唯「へ?いやいや大丈夫大丈夫!まっかせなさい!!」

憂「そうなんだ。じゃあ今度も軽音部の皆さん誘って行こうよ」

唯「それがいいねぇ。じゃあ後でみんなに連絡しておくよ」

唯(場のノリで大丈夫なんて言っちゃったけど……平気だよね、うん!)

 憂や軽音部のみんなには笑顔でいて欲しい。
 あずにゃんを失ってしまった今、みんなの存在は今の私にとっては生きる糧なのだから。


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最終更新:2011年07月05日 01:32