海!

 海まで出てきた私達だけど、正直今日は天気も曇っててちょっと肌寒いから海にどっぷり入るのはやめていた。
 なのでみんなそれぞれ波打ち際で遊んでたり貝を拾ってたり砂浜に寝転んだりしてゆったりしている。


律「おーい、梓、ちょっとこっちこっち」

梓「どうかしました?」

律「そこにいる澪にな、ちょっとこの伝言を伝えてきてくれ」

梓「え?」

律「耳貸してみ?ほらほらー」

梓「は、はぁ……」

――

梓「澪せんぱーい」

澪「ん?どうした?梓」

梓「律先輩から伝言があるんですけど……」

澪「律から?」

梓「はい、えっと……フジツボの話をきry」

澪「ひいぃぃぃぃぃぃっ!!」

梓「ええっ!?」

梓(一体何が起きたんだろう……)

――

澪「りいいぃぃつううぅぅぅっ!!」

律「え!?い、いや……その……こ、これは若気の至りっつー奴でー……」

澪「問答無用!」ズガーン

律「すいませんでした……ってか梓!律先輩からってのが余計だー!」

梓「ぷっ!ぷははっ」

律「なあかぁのおぉぉぉっ!」グリグリ

梓「あはははっ、もう、やめてくださいよっ、ぷぷっ」

 私はこの時、りっちゃんとあずにゃんがじゃれ合ってるのを、少し離れた場所でムギちゃんと一緒に砂浜でくつろぎながら見ていた。
 あんまり激しめな運動はできないから今はこうしているしかないけど、ただこうやって見ているだけでも何か楽しい。

紬「楽しそうよねぇ、りっちゃんも梓ちゃんも……それに何だかんだで澪ちゃんもかなり楽しそうだし」

唯「そうだね、やっぱりみんな嬉しいんだよ。あずにゃんと喋ったり遊んだり出来ることがね」

紬「それは唯ちゃんもでしょ?」

唯「えへへっ、まあねー」

紬「私ね、知ってたんだ、高校生の頃から唯ちゃんはずっと梓ちゃんの事見てたの」

唯「え?」

紬「人は、1人の人をこんなに真っ直ぐに好きになれるんだって、唯ちゃんを見てて感動したの。そして梓ちゃんが一度いなくなった後でも唯ちゃんはその気持ちを変えようとはしなかった」

唯「……うん」

紬「だからわざわざ言う必要も今更ないとは思うけど……これからも梓ちゃんを大切にしてあげてね?梓ちゃんを幸せにしてあげられるのは唯ちゃんだけなんだから」

唯「私は元々そのつもりだったよ。今までしてあげられなかった分、もし本当に雨の季節が終わってあずにゃんがいなくなっちゃう日が来ても、私はその時までずっとあずにゃんの傍にい続けるよ」

紬「ふふっ……もう完全に元通りの唯ちゃんね」

 私とムギちゃんが2人で話していると、空からぽつぽつと雨粒が降ってきた。
 天気があんまりよくないと思ってたから降ってきそうな予感はしてたけど、傘も合羽も持ってきてないのですぐに別荘に戻ることにした。
 そういえば海に来て雨に降られるの、今年が初めてだな……梅雨時に来たっていうのもあるけど。

律「だーっ!こんな日にいきなり降ってくるなんて空気読め雨ーっ!」

紬「まあ今日は元々降りそうな空だったからしょうがないわよねぇ」

梓「そうですね、それよりこれからどうします?」

澪「うーん、流石に夕食にはまだ早いしなぁ……」

唯「それならいい考えがあります!」

梓「なんですか?」

唯「練習しようよ練習!せっかくスタジオあるんだし!」

梓「それいいですね!賛成です!」

澪「合宿に来たわけじゃないのに練習、か……だからみんなわざわざ楽器持ってきてたんだな」

律「そういう澪だってちゃっかり自分のベース持ってきてるじゃんか」

澪「う、うるさい!」


 すたじお!

梓「うわぁ……広いスタジオですねぇ……設備もいいし」

澪「まあな……前にもここでこうやって練習したことあったし」

律「ほらー、早く始めるぞー!準備準備!」

梓「律先輩、はりきってますね」

澪「あいつにしても唯にしてもさ、今まで何度も合宿きてて自分から練習しようなんて言い出すの初めてなんだよ」

梓「そうだったんですか……まあ何となくわかりますけど」

澪「いつもは練習なんて一番嫌がるクセにな。大体私か梓にうるさく言われてしぶしぶ始めるのがお約束なんだ」

梓「なんか先輩達らしいですね」

澪「そうだな……」

唯「ほらほら澪ちゃんにあずにゃん!準備準備ー」

澪「ふふっ、それじゃやるか梓」

梓「はいです!」

 あずにゃんのギターは本来とまではいかなかったけどかなり上達していた。
 暇さえあれば家で私とギターを弾いてるからっていうのもあるけど、やっぱりあずにゃんの体に染み付いてる才能の所以なのかもね。

 練習も終わった頃には雨も上がってたのでみんなで露天風呂へ入り、その後少しお茶を飲んだ後それぞれ寝室へ向かっておやすみの時間になった。
 だけど私は寝付けなかった、久しぶりにみんなで騒いで体が興奮気味だったから……
 なので少し夜風に当たろうと別荘のすぐ真正面の砂浜で座り込んでぼーっと夜空を見上げていた、ただ何をするでもなく。
 どれくらい経ったんだろう、背後に人の気配を感じた。

梓「せーんぱいっ♪」

唯「おっ、あずにゃーん」

梓「どうしたんですか?こんなとこで」

唯「ちょっと寝付けなくてね、あずにゃんもそう?」

梓「ええ、なんか楽しすぎてちょっと興奮気味で……」

唯「それじゃちょいとお話しよっか」

梓「そうしましょうか」

 ――

 私とあずにゃんは砂浜に寝転んで空を見ている。
 さっきまで雨が降っていたのが嘘のように視界には満天の星空が広がっていた。

梓「綺麗ですよね……こうやって明かりのない場所で見る星空がこんなに輝いて見えるなんて思いもしませんでした」

唯「うん……」

 この時、雨の季節が終わったらあずにゃんは、その星空の中の星の1つに行ってしまうんじゃないか、と一瞬想像してしまった。
 だけどすぐに頭の中身を切り替えた。そんなの考えるより前に今のこの現状を楽しまなきゃ、そう思えたから。

梓「ねえ唯先輩」

唯「何?あずにゃん」

梓「私思ったんです。もしこのまま……このまま記憶が戻らなくても別にそれでいいんじゃないかって」

唯「え?」

梓「唯先輩も軽音部の先輩達も憂や純のこともみんな好きです。このまま皆さんと楽しく過ごせられれば、それでいいんです」

梓「そして、あなたとずっと一緒に、ずっと恋人でいられれば他にはもう何もいらないんです」

唯「そっか……ねぇ、あずにゃん……」

梓「どうかしましたか?唯先輩」

唯「その……ちゅーしていいかな?」

梓「……」

唯「やっぱり嫌?」

梓「……いいえ」

 そう呟くとあずにゃんは私の方に顔を寄せてきて目を瞑る。
 私もそれに応えるように顔を近づける。

唯「それじゃあ……いくね」

梓「……はい」

 私はあずにゃんと唇を合わせ、しばらくの間その体勢のままでいた。
 唇を離した後も私達の顔は間近で向かい合って互いに見つめあっている状態だ。
 そこでのあずにゃんの顔は何やら怪訝な、何か疑問を感じているような表情だった。

唯「どうしたの?嫌だったの?」

梓「いえ……別にそうではないんですが……なんか、不思議な気分です」

唯「どんな?」

梓「初めてのキスみたいな感覚がしたんです」

唯「記憶がないんだもん。そりゃそうだねー」

梓「ふふっ」


 それからの私は、前にも増してあらゆることに精が出るようになっていた。
 仕事の方も前にも増して順調で上手く行き過ぎてるくらいだ。
それから時は流れ、7月に入っていた。

唯「澪ちゃん、この書類の整理終わったから確認のハンコくださいっ!」

澪「ああ、助かるよ唯。最近ホント仕事に精が出てるみたいだな」

唯「そんなことないよー。あっ、まだ残ってる書類あったんだっけ。すぐ持ってくるからそれも確認お願いね」

澪(……まるで別人のように見違えたな今の唯は。いや、これが元々の唯なんだけどさ……)

TV「――丁度勢力が同じぐらいなんですよね。したがってこの前線の活動も活発になっています。という事は今年の梅雨は長引く恐れがあるんですね。で、この前線の下では特に激しく雨が降る可能性が……」

唯「おおっ!梅雨が長引くんだ!」

 私は小さくガッツポーズをとり、澪ちゃんはそんな私をにこやかな顔で見つめている。
 日本中探しても梅雨が長引いてこんなに喜んでいるのは多分私くらいなものだろう。

澪(本当に嬉しそうだな唯。まあ私達全員そうなんだけどさ……)


 その頃、唯の家――

梓「今日の夕食は何にしようかな……うーん、そうだ!焼肉でいいかな」

梓「確かホットプレート押入れの奥にしまってあったよね。えっと……」

 ホットプレートを探すため押し入れの中を物色し始めた私は、押し入れの奥の方で固く封をされているダンボール箱を見つけた。
 表と裏、両方をガッチリとガムテープで固定されたそのダンボールはまるで中を見ることを拒絶するかのようにも見えた。

梓「なんだろうこれ……引越ししてきた時に出すの忘れてた荷物なのかな。唯先輩ならありえるかもね」

 最初はそう思っていたけど、よく見るとダンボールの側面に「AZUSA」と太いマジックで書かれているのが見える。

梓「私の名前が書いてあるし、これ私の私物なのかな……」

梓「うーん、気になるなぁ。記憶がなくなる前の私、何を入れたんだろ」

 箱を覆っているガムテープに手を伸ばそうとしたその時、玄関のベルが鳴りそちらへ注意が向く。

憂「こんにちは梓ちゃん」

梓「いらっしゃい憂。さ、あがってあがって」

憂「お邪魔しまーす」

梓「ちょっと探し物してて散らかっちゃってるけどごめんね」

憂「何を探してたの?」

梓「ホットプレートなんだけどね。それで押入れの中を探してたらこの箱が出てきたんだ」

憂「AZUSAって書いてあるね。何だろうこれ……梓ちゃんの物なのかな」

梓「憂も知らないの?この箱の中身」

憂「うん……お姉ちゃんと梓ちゃんがここへ引越ししてくる時、私も手伝ってあげたんだけど、その時はこんな箱なかったよ」

憂「――そうだ、開けてみようよ!」

梓「いいのかな、勝手に開けちゃって……」

憂「もしもこれがお姉ちゃんが片付けた箱だったとしても、梓ちゃんが中身を見たんならお姉ちゃんは何も言わないと思うよ。多分中身は梓ちゃんの物だし」

梓「……それじゃ開けてみよっか」

 固く封をされていたガムテープを端からゆっくりと剥がしていき、上面を広げてみる。
 中からは私が色々な人と写った写真の山が出てきた。
 その更に下、箱の底の方から1冊の本が姿を現す。表紙には「Azusa's Diary」と書かれている。
 表紙をそのまま読む限りだと、どうやら私の日記帳のようだ。

梓「Azusa……これ私の日記帳だ……」

憂「何でこんな場所にあったのかな……」

梓「分からないよ。でも記憶が無くなる前の私は何か理由があってこんな人目に付かない場所にしまっておいたんだと思う」

 そう言って日記帳の表紙をめくろうとした時、外の方から雨水が地面と屋根を叩く音が聞こえてきた。
 その雨音はあっと言う間に激しくなり外は雷混じりの土砂降りの荒れ模様となってしまう。

梓「今朝の天気予報だと今日は確率10%って言ってたから唯先輩雨具持っていかなかったんだっけ……どうしよう、今から迎えに行っても多分間に合わないし……」

憂「丁度この時間、お姉ちゃんが帰ってくる時間だよね。大丈夫かな……ただですらあんな身体だし……」

 私達2人が途方に暮れていると、外から大きな物音がした。
 なにか金属混じりの重い物が倒れるような……そんな音が。

憂「な、何今の音!?」

梓「庭の方だよ!行ってみよう!」

 縁側の戸を勢いよく開けて外を見ると、雨の中びしょ濡れになった唯先輩が庭の中で気を失って倒れていた。
 その傍らに自転車が倒れているのを見る限り、ここまで走りこんできて自転車に乗った状態で気を失って転倒してしまったんだろう。

憂「お姉ちゃん!!」

梓「唯先輩!大丈夫ですか!先輩っ!!」

 私は傘もささずに庭に飛び出し唯先輩を抱き起こす。

梓「唯先輩!しっかりしてくださいっ!!」

憂「私タオル取ってくるね!梓ちゃんはお姉ちゃんを家の中に入れてあげて」

梓「分かった!」


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最終更新:2011年07月05日 01:43