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唯先輩を家の中に入れた私と憂はすぐにタオルで身体を拭いて、パジャマに着替えさせてベッドに寝かせた。
大事には至らなかったようだけど……正直、肝の冷やしたとはこの事だ。
それからしばらくの間、私はずっとベッドで眠っている唯先輩の横に座り込んで付き添っていた。
ひたすら眠り続ける先輩の寝顔をじっと見つめながら私は考え事に耽っている。
梓(最初は風邪の症状だと思ってたけど……よく考えたらこれって風邪じゃないよね。じゃあ一体何の症状なんだろ……)
梓(後で先輩に訊いてみようかな……)
しばらくの間、1人で色々想像をしていると、唯先輩の瞼がかすかに動いてゆっくりと目が開いた。
唯「あ……あれ?あずにゃん?それにここ、私の部屋だ……そっか、私さっき……」
梓「先輩!唯先輩!もう、心配したんですよ!!」
唯「ごめんねあずにゃん、また心配かけさせちゃったね……」
梓「急に雨が降ってきたと思ったら家の外でびしょ濡れで倒れてるんですもの、いくらなんでもびっくりしますよ」
そう会話していると、部屋のドアが開いて、憂がお粥を持ってはいってきた。
憂「お粥持ってきたよ。お姉ちゃん目が覚めたんだね、よかったぁ……」
唯「そっか、憂にも心配かけさせちゃったんだね……ごめんね憂」
憂「気にしないで。お姉ちゃんが無事でいてくれてるのならそれだけで安心できるから」
唯「……うん」
憂「でもお姉ちゃん、ほんとに身体大丈夫?」
唯「大丈夫だよ。今回のは軽い発作だけだし少し寝ればすぐによくなるよ」
憂「それならいいんだけど……」
憂「とりあえず、私はちょっと疲れちゃったから後片付けを終わらせて少し休んでおくね。梓ちゃんはもう少しお姉ちゃんについててあげて」
梓「わかった」
憂「じゃあ、お姉ちゃんも梓ちゃんもおやすみ」
憂が部屋を出て行って、この場には私と唯先輩が取り残された。
梓「……どうして何も言ってくれなかったんですか?」
唯「最初にちゃんと言っておかなかくてごめんね。私、たまにあるんだ……こういう事がさ」
梓「病気だったのを隠してたんですね……ズルいですよ、隠し事をしてるなんて、最低ですっ」
唯「あずにゃんに余計な心配かけさせたくなかったから……」
梓「……もう、今後はこういうのは無しですからね?」
唯「うん……」
梓「それじゃあもう辛気臭いのはヤメにしましょうか」
唯「そうだね」
唯「そういえばあずにゃんや」
梓「なんですか?」
唯「よければこっちに来ない?」
梓「何ですかそれ」
唯「ほれほれー遠慮なさらずに」
梓「……しょうがないですね、今回だけですからね」
とか言ってはいるものの、内心ではこう言われてとても喜んでいる私がいる。
本心と逆の発言をしちゃうこの性格、ひょっとして記憶が無くなる前から私ってこんなんだったのかな。
梓「……それじゃ、お邪魔しますね」
唯「どうぞどうぞ、ご遠慮なくー」
私はベッドに乗り、唯先輩に促されるままに、その隣に横になる。
唯「なんかうまく寝付けないや。いつもはあずにゃんが隣にいてくれればすぐに寝れるのになぁ」
梓「それなら少しお話しましょう」
唯「そうだね、何からお話しよっか」
梓「うーん……そうだ!この前学校でした話の続き聞かせてくださいよ」
唯「え……!?」
梓「あのデートの後、私達どうなったんですか?」
唯「えっとね……実は私達あの後一度別れちゃったんだ……」
梓「え!?私達に何があったんですか!?」
唯「この身体のせいなんだ」
梓「どういうことですか?」
唯「大学1年の冬頃かな、私の身体に異変が起きたんだ」
梓「どんなですか?」
唯「何ていうのかな……何もしてないのにやたらと身体が疲れたり、微熱が続いたり、変な症状が年末頃から出るようになったんだよね」
梓「風邪……ではないですよね」
唯「うん。いつの間にか食欲もなくなって寝不足にも悩まされるようになったんだ。でも不思議と勉強とか何もかもすごくいい感じで、全てが順調だったんだ。だから私は身体の異変をただの疲労と思い込んで無視した」
唯「そうしている内に私の身体のネジは少しづつ壊れていったんだよね……」
梓「それで……どうなったんですか?」
唯「年が明けてすぐの頃だったかな。とうとう「パチン」と音を立てて切れてしまったんだ」
唯「すぐに病院に運ばれて検査を受けた。けど特に異常はなく、すぐに退院できて、結局只の疲れだったって最初はそう思い込んでたんだ」
梓「でも実際は只の疲れじゃなかった……と」
唯「そうなんだよね……退院してからの私はしばらく大学を休んで疲れを取ろうとした……けど全くよくならなかった。気になった私は、大きな病院をあちこち廻ってみたんだ」
唯「それでいくつかの病院で検査してもらって分かった事は、どうやら私の体をコントロールしている脳の中の化学物質……ていうのかな……で、それが、でたらめに分泌されるようになっちゃったみたい……ってことだった」
唯「原因は正確には分からないっぽいんだけど、一番ありえる話がストレスから発症した可能性が高いってことかな。多分、何もかも初めてな都会暮らしや、アパートを借りての慣れない1人暮らし、毎日忙しい勉強やアルバイト辺りがきっかけになったんじゃないのかな」
唯「でもこんなストレス抱えてたのは私だけじゃなくて他にも一杯いたし、たまたまそれが私だった……当たり所が悪かった、っていうのかな」
梓「……」
唯「その間もあずにゃんからの手紙は届き続けたよ。この頃は私の方から全く書かなくなったし、返事も書かなくなってたんだ。そのせいか段々手紙の内容も私を心配している内容になっていったんだけど、この時の私にはそれが辛かったんだよ」
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唯先輩へ
最近、手紙が来ないので、ちょっと心配しています。
大学生活はどうですか?勉強も部活もちゃんとやれてますか?
先生になるための勉強ってすごく大変なんですか?それに今は時期的に一番忙しそうな頃ですし。
それとも先輩……何かあったんですか?気になって色々考えてしまいます。
私でよければ、何でも話してくださいね。
声だけでもいいから聞きたいです。
では、また書きますね。
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唯「確実に分かったことは1つ……それは武道館のステージに立つ事も、先生になる夢も、何もかも取り上げられたって事……」
唯「人ごみも乗り物も駄目になっちゃって、ずっと大学に出てこれない毎日が続いて、結局留年しちゃってね。それで全てに絶望して大学を辞めちゃったんだ」
梓「私はその事を教えてもらえなかったんですか?妹である憂から聞かされてなかったんですか?」
唯「大学を辞めた事は憂から聞かされてたみたい。ただそれ以上のことはこの時は黙ってたんだ」
梓「病気のことは言えなかったんですね」
唯「うん、言い出せなくって……この時憂とお父さんとお母さん以外には誰にも話してなくてさ、違う大学に行った他のみんなには連絡しなかったし、いずれ私の口から直接みんなに話すって事で誰にも言わないように頼んでたんだ。結局みんなに話したのはその年の夏になってからだよ」
梓「それで、私はどうなったんですか?」
唯「普通の病気とは違っていたし、私は普通の人ができることの半分も満足にできない。将来の見通しは暗かった。そんな私の人生に、あずにゃんを付き合わせるわけにはいかない。だから私は決めた……あずにゃんの前から静かにいなくなろう、って……」
梓「そんな……」
唯「そして私は大学に退学届を出した日に、あずにゃんにお別れの手紙を書いたんだ」
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あずにゃんへ
のっぴきならない事情で、これから先、あずにゃんへ手紙を送ることが出来なくなるかもしれません。
もう会う事も話す事も出来ないかも。
いきなりでごめんね……さようなら、元気でね。
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唯「大学を辞めた私はこの町に戻ってからすぐに、今もお世話になってる主治医の先生と知り合って病気と向き合うようになれたんだよ」
唯「あずにゃんは私が通ってた大学に進学したんだけど、憂は私が放っておけないからって大学行くのやめて地元に残ってくれたんだ。私のことを気にしないように言ったんだけど聞かなくて……」
唯「それからの私は、特にやりたい事も見つけられずに何もしない日々だった。いつも近くの公園か自分の部屋で何もしないで、只ぼーっとしてるだけ、この時の私は人生投げかけてたんじゃなかったのかな……。でも、そんなある日、いつものように公園でぼんやりしてたら、いきなりあずにゃんが私の前に現れたんだ」
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梓『唯先輩、すいません突然押しかけて』
唯『あずにゃん、いきなりどうしたの?』
梓『この前の手紙の中身が気になって直接会って話を聞きたくて。その……迷惑でしたか?』
唯『うっ……』
梓『いきなり先輩が大学辞めてこっちに戻ってきたって話聞かされてびっくりしましたよ。何かあったんですか?』
唯『その……うん、いろいろ計画があったからね。だからさ……もう会えないんだよ』
梓『どうして急にそんな……何か話しにくい事情でもあるんですか?話してくださいお願いします!私、先輩の力になりたいんです』
唯『いつかまた会えるといいね。また軽音部のみんなで集まってお茶したりとかさー。その頃にはもうお互い結婚しちゃってたりなんかしてー、えへへ』
唯『……幸せになってもらいたいんだよ、あずにゃんにはね』
梓『何で急にそんなこと――』
唯『――じゃ、私これからちょっと用事があるから!!』
梓『ちょっ!待ってください唯先輩!そんなんじゃ私……』
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唯「私はあずにゃんが何か言いかけてるのを遮るかのように、逃げるようにその場から去ったんだ」
唯「せっかく会いに来てくれたあずにゃんに私は酷いことをしちゃった。でもこれでいいんだ、そう自分に言い聞かせてたんだ。こうしてあっけなく私達の恋は終わろうとしてた」
梓「でも一方的すぎませんか?話してしまった方が楽になるかもしれなかったですよ?」
唯「あずにゃんを巻き込みたくなかったんだよ。こんな私とこれ以上付き合わせて迷惑なんてかけれないもん」
梓「酷いですよ!それなら尚更一緒にいてあげたいじゃないですか!それに大体、迷惑だなんてこれっぽっちも思いませんよ!」
唯「だからだよ……あずにゃんは自分より他の人の事ばかり気にかけちゃう上に責任感も強いし、1人で何でも背負い込んじゃう子なんだもん。私が病気だよって告白したら絶対無理矢理にでも付いてきちゃうじゃん」
唯「それじゃあずにゃんは幸せになんてなれない……私はあずにゃんに不幸になってもらいたくなかったから」
梓「……私達、それで終わっちゃったんですか?そんなの悲しすぎます!あんまりですよ!」
唯「まあまあ落ち着いて。そこで本当に終わっちゃってたら、今私とあずにゃんはこうして一緒にいない筈だよね?」
梓「……あ」
唯「公園での出来事からしばらくしても、私はまだあずにゃんの事を忘れられなかったんだね。やっぱり……もう一度会いたいって。自分勝手なのは分かってたけど、もう一度あずにゃんに会いたかった」
梓「それで、どうしたんですか?」
唯「会いに行ったんだよ。今度は私の方からね」
唯「すぐに夜行バスに乗って一人で東京に向かったよ。でもそれは、その頃の私には考えられないくらい無謀な行動だったんだけどね。そんな行動に出ちゃう位に、どうしても我慢できなくてさ……どうしても、あずにゃんに会いたくて体に無理があるのを分かっていながら行ったんだ」
唯「その日は夕方頃から強めの雨が降っていたかな。大学に着いた私はすぐにあずにゃんを探した。簡単に見つかるわけないよねとか思ってたのとは正反対に簡単に見つけることが出来たんだけど……」
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梓『……』
唯『おっ、あずにゃん発見!あのキャミソールはやっぱり目立つなぁ』
唯『おーい、あっずにゃ……えっ!?』
あずにゃんの元へ駆け寄ろうとした私だけど、直後に衝撃が走った。
そのショックで私の足も口を本能的に止まっちゃったんだ。
モブ『おっ、キミこの大学の生徒さん?』
梓『ええ』
モブ『見かけない顔だね、もしかして今年入った新入生の子?』
梓『そうですけど……』
モブ『ならさ、これから新入生の歓迎コンパがあるんだけどキミもどう?』
……
唯『あずにゃん、知らない人といつの間にかあんなに楽しくお話してる……やっぱり私じゃないんだよね』
あずにゃんにふさわしいのは私のような人間じゃない、そう思ったんだ。
私じゃあ無理なんだって……そう思って私はあずにゃんに話しかける事もしないで静かにその場を去ったんだ。
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唯「これで良かったんだ、この方があずにゃんにとっては幸せな選択なんだって私は自分にそう言い聞かせてた。そして私が東京へ出てくるのも、もうこれが最後かもしれないって……」
梓「……」
唯「そのあと私から連絡することはなかった。あずにゃんからの連絡もなかった。きっと私のことはもう忘れたいんだよ、そう思ってた」
唯「でも、2ヶ月近くたったある日突然電話がきたんだ。手紙でもメールでもなく電話が……」
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梓『もしもし唯先輩ですか?梓ですけど、ちょっと先輩に大事な用がありまして』
唯『私に?』
梓『少し唯先輩にお話があるんです』
唯『え?どうしたの突然お話って』
梓『今こっちに来てるんですよ。少しでいいんです、会えませんか?』
唯『うん、分かったよ。それじゃ明日会おっか』
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唯「翌日、私とあずにゃんは近所のヒマワリ畑で待ち合わせする事にしたんだ。この日は今でも忘れてないよ。梅雨明け直後の雲1つない青空で、太陽の光がとても眩しかった日だった」
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ヒマワリ畑の真ん中で私は1人佇んで待っているとあずにゃんが現れたんだ。
そして私を見つけるとにっこりと微笑んでくれてた。
梓『お久しぶりです、唯先輩』
唯『うん……』
私はこの時、あずにゃんへの申し訳なさで自然と涙が出て顔がぐしゃぐしゃだった。
そんな私の元へあずにゃんはゆっくりと近寄ってきて優しく話しかけてきてくれてね……
梓『もう……なんて顔してるんですか』
唯『だってさ……』
梓『病気のことなら知ってます。だからもう気にしないでくださいね』
唯『え……何で病気のことを?』
梓『ふふっ、何ででしょうねっ』
梓『唯先輩にそんな顔は似合いませんよ?いつも笑顔で元気一杯の、ありのままの先輩が私は一番好きなんですから』
唯『だって……私は、あずにゃんにはふさわしくないって思うから……」
梓『そんなことある訳ないじゃないですか、バカですよ先輩は……もう』
あずにゃんはそう言った後、私の背中に両腕をまわして抱きついてきてね……
私の胸元に頬を摺り合せるかのように顔をつけて、まるで小さい子を諭すかのようにこう言ったんだ。
梓『大丈夫……大丈夫ですから、私達はきっと幸せになれますよ』
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唯「なんだかあずにゃんのその自信に圧倒されて、私は頷いたんだよ。でもその言葉は、あずにゃん自身が自分に言い聞かせているようにも思えたんだ。その自信に満ち溢れた顔を見て、この子とならこの先何があっても一緒に乗り越えていける、そう確信したんだよ」
唯「その後、あずにゃんが大学を卒業したのをきっかけに、私達はこの家に2人で住み始めたんだ」
梓「それからの私達は幸せだったんですよね?」
唯「うん」
梓「これからもずっと幸せですよね?」
そう尋ねられた私は、何も言わずにあずにゃんの両肩の裏に手を伸ばし抱き寄せる。
あずにゃんも一瞬戸惑ったものの、すぐに理解して私の胸に頬を乗せて、空いている私の手を握り締めた。
梓「なんか、すごく落ち着きます……」
その顔はとても安心したような、心地よさげな顔をしていて、口に出さなくても心底落ち着いてるのがすぐに分かった。
唯「今の私達、ベストポジションって奴なんだよ?」
梓「何ですかそれ」
唯「私の肩先に、あずにゃんの髪があって、私の腕の中にすっぽりくるまって、私達のベストポジションなんだよ」
最終更新:2011年07月05日 01:44