―― 喫茶店

澪「――そうか、梓の記憶が……」

紬「私もさっき知ったばかりなのよ。梓ちゃんから電話があった時に直接聞かされてね」

梓「純と律先輩にはこの前話したので、澪先輩とムギ先輩にも話しておくべきかな、って思ったんです」

澪「それでか……ようやく分かったよ。最近の律の態度が何かおかしかったからさ」

紬「それで、唯ちゃんと憂ちゃんはまだ知らないのよね?」

梓「まだ言ってません。でも2人にもなるべく早くに言うつもりです」

澪「それで……本当に雨の季節の間しかここにいられないのか?」

梓「はい、だから心配なんです。唯先輩と憂が私がいなくなったらどうなるんだろう……って。特に今の唯先輩は生きていく上での色んな力が弱いから、それがどうしても気がかりなんです」

澪「そうだな、気持ちは分かるよ。もし梓がいなくなって、あの2人がまた1年前の時みたいに落ち込む毎日になるかもしれないと考えると私も正直不安だし」

紬「そうね、唯ちゃんも憂ちゃんも梓ちゃんが帰ってきてからすごく幸せそうだったもの。だからその反動があるのかと思うと、ねぇ」

梓「本音を言わせて貰うと、唯先輩には早く新しい人をみつけて幸せになって貰いたいんです。あの人が私を精一杯愛してくれたように、新しい人にも同じようにしてあげてほしいんです」

 澪先輩とムギ先輩は私の言葉を聞いて、何も言わずに只黙って私を見つめている。
 しばらくその状態で沈黙が続いた後、突然私の両目から涙があふれてきた。

梓「ああ、だめだ……私、そんな立派なこと言えるような人じゃないや……」

 思わず顔をおとして両手で顔を隠す、けどそれでも涙が止まらなかった。

梓「確かに新しい人を見つけて早く幸せにはなって欲しいです。でも反面、もしその新しい人を私が見たとしたら嫉妬してしまうかもしれないんです。唯先輩のことは心配ですけど、他の誰かといるのは嫌なんです。他の誰かを愛するようになるなんて、考えられないんです」

梓「私酷いですよね!あれだけ唯先輩に幸せになって欲しいなんて言っておいた側からこんなんですから。最低ですよ、私」

澪紬「……」

梓「……すいません、今の話、忘れてください……」

澪「大丈夫、心配しなくていいと思うよ」

梓「え?」

澪「梓も知ってると思うけどさ、あいつは1つの事に集中すると他の事は全部忘れちゃう性格だったろ?それは多分音楽や勉強だけじゃなくて恋愛でも同じなんじゃないのかな」

紬「そうね、唯ちゃんは梓ちゃんに初めて会った時からずっと気にかけてたみたいだったし」

梓「それは前にあの人から直接聞きました。私達が出会った時からの話を。みなさん知ってたんですね」

紬「ええ」

澪「だから唯が梓以外の誰かを本気で愛することはないよ。他の誰かを梓と同じように愛するなんてありえない、唯のことを幸せに出来るのは梓だけなんだよ」

紬「唯ちゃんと梓ちゃんは高校の頃から今までいつも仲良しで幸せそうで、周りから見ても羨ましくなる位だったもの。梓ちゃんが亡くなった時もこっちが心配になる位落ち込んでたし、戻ってきた時はすごく嬉しそうだった」

紬「私の目には、一緒になってからのあなた達の姿は、同性だからという後ろめたさとかがまるでなかったかのように見えたわ。あなた達にとってはそんな物は些細な問題に過ぎなかったのかもしれないし、一緒に乗り越えていける自信もあったのかもね」

澪「あそこまで1人の人間を一途に愛し続けられる人なんて中々いないよな」

梓「……そう言ってもらえて何かほっとしました。すいません、私の為に色々考えてもらって……」

紬「当たり前よ。私達にとっても梓ちゃんは大切な子なんだから……」

澪「そうだぞ、だからそんなに心配しなくても大丈夫!」

紬「……しかしそれにしても、私達、今梓ちゃんと話してるのよね?昔の記憶も全部ある、ありのままの梓ちゃんと……」

梓「唯先輩から聞いています。澪先輩と唯先輩、同じ職場で働いているそうですね。いつも色々面倒みてもらっているようでありがとうございます」

澪「お礼を言われる程のことはしてないよ。それより……改めて、久しぶりだな梓。また会えるなんて思ってもいなかったよ」

梓「お久しぶりです澪先輩」

澪「私のこともちゃんと覚えているのか?」

梓「はい、先輩が1年の時の学園祭ライブのことまでちゃんと覚えてますよ」

澪「思い出さなくていいネタまで思い出すなよ……」

梓「ふふっ、すいません。ちょっとからかいたくなっちゃいましたので」

梓「そうだ!話さなきゃいけないことがあったんだっけ。あの……先輩方お2人、今夜時間空いてますか?」

澪「え?今夜?」

梓「はい。実は――」


 その夜――

唯「あれ、あずにゃんどったの?このケーキ、クリスマスケーキだよね?」

梓「そうですよ。今日は他のみなさんとクリスマスパーティをしましょうよ」

唯「え?クリスマスって……今7月だけど?」

梓「いいんです!どうしても今日やりたくなったんですから」

 それから数分後、玄関のベルが鳴った。
 どうやら軽音部のみんなが来たようだった。
 事前にあずにゃんがみんなにお誘いをかけてたようだ。

憂「え?クリスマスパーティ?」

梓「そそ、急にやりたくなっちゃったからみんな誘ってみたんだけど、迷惑だった?」

憂「ううん!そんなことないよ!」

梓「よかった。それじゃあみなさんもう少し待っててくださいね。もうすぐ準備終わりますから」

憂「あっ!それなら私も手伝うよ」

律「よし、じゃあ私も可愛い後輩の為に一肌脱ぎますか!」

梓「ありがとう憂、それに律先輩も」

 ――

梓「それでは、半年早まっちゃったけど……」

全員「メリークリスマース!」

 みんな一斉に乾杯をし、クラッカーを鳴らしたのを皮切りに季節外れのパーティが始まった。
 外は雪じゃなくって雨、それでも今日は本当に12月24日じゃないかって錯覚する位にみんな楽しんでいた

唯「ねえみんな、今日はこうやってパーティやるって知ってたの?」

律「ああ、昼過ぎに梓から誘われててな。最初何かと思ったよ、季節外れもいいトコだもんな」

梓「ふふっ、今日になっていきなり思いついたんですよ。まあ確かにちょっと急でしたね」

紬「それで私は昼間、梓ちゃんのケーキ選びに付いていってあげてたのよ」

澪「なるほどな、だからさっき一緒に歩いてたんだな」

憂「みなさーん、おかわりならまだまだありますからね!」

唯「あっ、シャンパン切らしちゃったー。あずにゃん、買い置きしてあったっけ?」

梓「あっ、もう残り少ないですね。そろそろ追加買ってきた方がいいかもですね」

純「そんなこともあろうかと、ちゃんと飲み物買って来ましたよー!」

律「おっ、気が利くじゃないか鈴木さん。じゃあ私はこのワンカップな」

澪「ていうか、全部酒じゃないか……」

梓「あんまり飲みすぎてへべれけにならないでよね、純」

純「いいじゃんいいじゃん!今日は無礼講だって!ほら、梓もこっちおいでよ」

梓「はあ……私は飲めないからね」

 食事が一段落した後、澪ちゃんが持ってきたカメラで記念写真を撮る事になった。
 前列真ん中に私とあずにゃんが座って、そこを囲むようにみんなが入る。
 そして正面に三脚付のカメラをセットして、澪ちゃんがシャッターを覗きながら調整を済ませている。

澪「よし……と、ちょっと入りきらないからみんなもう少し真ん中に寄ってくれ」

純「ほら梓、もっと真ん中!真ん中!」

梓「な、何いってるの!」

唯「そうだよー、ほらおいでおいであずにゃーん」

梓「もう!唯先輩まで……」

律「梓、今日の主役はお前なんだぞ?ほらほらー」

 しぶしぶ言いながらもあずにゃんは真ん中……つまり私の方へ寄り、肩と肩がぴったりとくっつく。

純「梓、顔真っ赤だよ?なんだかんだで、まんざらでもなさそうですなー」

梓「うっさい!」

澪「よし、全員入るな。準備はいいかー?」

唯「いつでもおっけーだよ!」

 みんな口々にOKサインを出す。

澪「じゃあ撮るぞー」

 澪ちゃんがカメラのスイッチを弄ると、機械音を出して動き始めた。
 どうやら5秒後に自動的にシャッターが切れるようにセットしてあるようだった。

律「ほらー、早くしろー澪ー」

澪「ああもう!わかってるって。ほら律、横空けろって、私が写れないだろ」

律「へいへい」

 りっちゃんに茶化されるように急かされた澪ちゃんがあわててりっちゃんの横に入り、正面を向いたと同時にカメラのフラッシュが焚かれ、シャッターがきれる音がした。

 この時私は考えていた。
 まるであずにゃんは、やれる事は今のうちにどんどんやってしまおうって、まるで焦っているように見えていたから、もしかしてもうすぐ自分が消えてしまうかもしれないって分かっているのかもしれないと、そう考えていた。
 でも、だからといって貴重な時間を悲しみに浸って費やすなんて勿体無いことはしたくはなかった。
 例えあずにゃんの記憶が戻っていてもいなくても、私がするべきことは決まっているのだから。

 楽しいパーティもお開きとなり、静かになった部屋で私は1人、窓から外の雨を物思いに耽りながら眺めていた。
 どうしてもさっきの事を思い出してしまう、記憶が戻っているのを訊くのが怖い、もし「記憶が戻っているの?」と訊いてみて否定されなかったらどうすればいいんだろうと悩み、何も言えずにただこうしているしかなかった。


 後ろから声が聞こえて、そっちへ振り向く。

唯「あずにゃん……」

梓「私、唯先輩に謝らなきゃいけないことがあるんです」

唯「……え?」

梓「もう、1人で悩まなくてもいいんですよ」

唯「どういうことなの?」

梓「私、自分の日記を見ちゃったんです。その――」


梓「私、本当はここにいない筈なんですよね?」

 突然の告白に私は言葉を失った。
 予感は当たっていたんだ。
 外の雨足は一層強まっていって、静かな部屋の中に雨音が強く響いている。

唯「あずにゃん、私――」

梓「――何も言わないでください」

梓「辛いこと全部1人で引き受けて私を守ってくれてたんですよね。本当にありがとうございます。私なら大丈夫ですから」

唯「……」

梓「真夏のクリスマス、悪くなかったでしょ?少しは楽しんでくれました?」

唯「あずにゃん、もしかして雨の季節が終わったら……やっぱり……」

梓「……はい」

 困惑する私に、あずにゃんは近寄ってきてそっと手を握ってきた。
 その顔は全てを悟りきったような、とても穏やかな表情だった。

唯「私は奇跡を信じたいんだ。一度起きた奇跡は2度起きるかもしれないから。私も憂も、みんなもまた奇跡が起きるって信じてるんだよ?だから……あずにゃんも信じてほしいな。あずにゃんを何処にも行かせたくないんだよ!」

梓「私も、ずっとこのままいたいですよ……あの、唯先輩」

唯「ん?」

梓「1つ、お願いがあるんです」

 今私達は居間にある鏡台の前に立っている。
 目の前には1個の指輪が置かれていた、あずにゃんと初めてお出かけした時、ペアで分け合ったあの指輪だ。
 指輪の横には私とあずにゃんが2人きりで並んで写っている写真がある。これは写真屋さんに行ってしっかりと撮ってもらった物だ。

梓「……お願いします」

 あずにゃんはそう言って左の薬指を私の方へ差し出してくる、その手を私は左手で握ると、空いた右手で指輪を持つ。

唯「じゃあ……つけるよ」

梓「はい……」

 私は手に持った指輪をあずにゃんの薬指にはめ込む。引っかかることもなく、それはすっぽりとあずにゃんの指へ収まった。
 自分の薬指にはまった指輪をじっと見つめたあずにゃんは、何も言わずに笑顔を浮かべ私を間近で見つめている。
 その顔を見つめた私は突然心苦しくなって、視線を逸らすように下を向く。

梓「どうしたんですか?」

唯「私はいつもあずにゃんのおかげで……そんな私と一緒になって、あずにゃんは本当に――」

 遠慮がちにそこまで言った私を、あずにゃんは突然抱きしめてきた。
 突然に行動に私は声を失い、その先を言うのを躊躇ってしまう。

梓「何も言わないで。しばらくこのままで……このままでいさせてください」

唯「うん……」

 私もあずにゃんの背中に手を廻し、あずにゃんに負けないようにより強く抱きしめた。
 温もりたっぷりの身体と、シャンプーの香りで今私の中にあずにゃんが居てくれる事を改めて実感する。
 やっぱり私にはあずにゃんが必要だ。この子がどんな時も私の傍にいてくれたお陰で私は今まで幸せで、この身体とも向き合ってこれたんだ。

唯「あずにゃん」

梓「はい」

唯「――好きだよ」

梓「はい……私も大好きです、唯先輩」

唯「愛してるよ、ずっと、ずっとね――」

 こうして私とあずにゃんは、2度目の恋をして、2度結ばれた。
 それはあずにゃんが私達の前に戻ってきて、丁度6週間目の夜の出来事だった。


 ―― 翌日

 夜中降り続いていた雨は朝には上がったものの、空はまだ厚い雲に覆われていた。
 雨音はもうなく、残った水滴が軒先から滴り地面に落ちる音だけが、ただ聞こえている。

 それは、その日の午前中に起きた。

 ―― 平沢家

純「憂!ちょっと憂!」

 この日はお休みで、家でお姉ちゃんと梓ちゃんに持っていくお菓子を焼いていた私の元に、純ちゃんが血相を変えて飛び込んできた。

憂「どうしたの純ちゃん、そんなに慌てて」

純「どうしたのって……外見てみなって!外を!」

憂「え?外?」

 純ちゃんに言われるがままに、私は窓の外を見た。
 すると、今朝まで空を覆っていた厚い雲はすっかり消え、青空が広がっていた。
 昨日まで聞こえることのなかったセミの鳴き声の合唱が耳に入ってきて、強い日差しが部屋の中に差し込んできている。

憂「純ちゃん……これってまさか!?」

純「言い忘れてたけど……梓ね、記憶が戻ってたんだよ。自分の日記を読んでね」

憂「え!?」

純「梅雨が終わったら去らなきゃいけない、前に梓はそう言ってた」

憂「じゃあもしかして……」

純「梅雨が明けちゃったかもしれないよね、この天気。とにかく嫌な予感がするんだ」

憂「こんなことしてられないよ!私、梓ちゃんのとこ行ってくる!」

純「私も行くよ、とにかく急ごう!」

 ――――――

 ――――

 ――

 私と純ちゃんはとにかく大急ぎでお姉ちゃんの家へ向かった。
 もう既に梓ちゃんがいなくなってたらどうしようと頭の中で考えてしまうけど、すぐに考えるのをやめた。
 絶対に梓ちゃんはいなくなったりしない、私は自分にひたすらそう言い聞かせた。

 お姉ちゃんの家の玄関は鍵がかかっていなかったので、私と純ちゃんはまるで殴りこみでもかけるかのように部屋の中へなだれ込んだ。
 居間には誰もいなかった。ただ部屋の中がいつも以上に綺麗に片付いていた。


純「あずさぁっ!!」

憂「梓ちゃああん!!」

憂「もう、いなくなっちゃったのかな……」

純「そんな訳ないって!絶対に梓はまだいるって!」

 かすかな希望を信じて2人で大声を出して家中探し回る。
 するとその予想に反して、家の奥のドアが開いて中から梓ちゃんが現れた。

梓「憂、純、どうしたの?」

憂「あ……梓ちゃん……よかった……」

純「よかったぁー、一時はどうなるかと思ったよ」

梓「何かあったの2人共。ん?外がさっきより明るい……」

 梓ちゃんは窓の外を見ながら、どこか寂しげな表情を浮かべていた。

梓「……そっか、晴れちゃったんだね」


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最終更新:2011年07月05日 01:48