一方その頃、唯の職場――

澪「おい唯!唯ってば!!」

唯「どったのー澪ちゃん」

 トイレから出てきた私を、澪ちゃんはまるで一大事でも起きたかのように大声で呼んできた。
 私はそんなことも露知らず、抜けた返事をしながら澪ちゃんの下へと向かう。

澪「唯!外見てみろ、外!」

唯「え?」

 私が窓から外を見たのと同時に、TVから天気予報のキャスターの声が聞こえてきた。

TV「今日気象庁は、関東甲信地方の梅雨明けを発表しました。先日、梅雨明けは来週以降になるとお伝えしましたが、一週早まったようです。嬉しい誤算といったところですね。本日からしばらくの間は、30度越えの真夏日が続くと思われます」

唯「うそ……梅雨明けって今年は遅くなるんじゃなかったの!?一週早まるなんて聞いてないよそんなの!」

澪「早くいけ唯!所長には私から伝えておくから、お前は早く梓のとこへ!」

唯「え?でも……」

澪「頼む、行ってあげてくれ!梓の奴、きっと黙っていくつもりなのかもしれない」

唯「分かったよ……ありがとう澪ちゃん!私行くよ!」

 私は澪ちゃんにお礼を言うと、荷物も持たずに大急ぎで会社を飛び出していく。

竹達「おや?平沢さん早退かね?随分慌ててたようだったけど」

澪「はい、遠くから会いに来てくれていた大事な人が今日帰ってしまうんです。だからせめて見送りだけでもさせてあげたかったので無理にでも帰すことにしたんですけれど」

竹達「そうかそうか」

澪「私の独断で無理矢理行かせたんです!唯は悪くありません。勝手なことしてすいませんでした!」

竹達「いいよいいよ、それに、その会いに来てくれた人って秋山さんにとっても大事な人なのかね?」

澪「え、ええ……その、昔からずっと付き合いのあった古い友達ですから」

竹達「なら君もいっておいで」

澪「え?でも私は……」

竹達「平沢さんも秋山さんもずっと真面目にやってきてくれてたからね、たまの早退くらい何とも思わんさ。早く行ってあげるといいよ」

澪「は、はい……!すいません、ならお言葉に甘えて失礼します!」

竹達「若い内の青春っていいもんだねぇ……」

竹達「おっ、何か眩しいと思ったら外が晴れてるじゃあないか!いよいよ夏だなぁ」

prrr

澪「電話!?律からか、もしもし?」

律「澪か!天気予報見たか!?」

澪「ああ、今さっき知って唯と一緒に会社早退させてもらったんだ」

律「今どこにいるんだ?」

澪「まだ会社出たばっかだ。ちなみに唯は一足先に行かせたよ」

律「よし、丁度今ムギとそっちに迎えに行ってる途中だ。すぐ着くからそこで待ってろ、いいな?」

澪「ああ、頼む」

唯「はぁっ……はあっ……」

 私は、滝のように汗をいっぱい流しながら必死に自転車を漕いでいた。
 空は雲が全くない青空が広がり、遠くには入道雲が立ち昇り、太陽の光がいっぱい私に降り注いでいる。
 両耳にはセミの鳴き声が、まるで急かすかのように聞こえてきていた。
 午前中は涼しかった気温もグングンと上がって、今は完全に夏と呼べるような、そんな暑さになっていた。

唯「あずにゃん……私が行くまで……待ってて……」

 そう祈るように自転車を漕ぎ続け、ようやく家に着いた私は自転車を玄関前に乗り捨てて家の中に駆け込む。

唯「あずにゃんっ!!」

 家中をくまなく探しながら声をかける。

唯「あずにゃん、いたら返事して!!」

 ひたすら呼びかけたものの、返事はなかった。
 もうあずにゃんはいなくなっちゃったのかな……そう諦めようとした時、電話が鳴った。

唯「もしもし?」

澪「唯か!今どこだ!?」

唯「私の家だけど……澪ちゃんは今どこ?もしかして会社早退できたの?」

澪「ああ、所長が帰してくれたんだ。それで今は律の車でそっちに向かってる!」

唯「ねぇ聞いてよ!あずにゃんがいないんだよ、どこにも……」

澪「え?」

唯「家中探したけど何処にもいないんだよ!どこいっちゃったんだろ……」

澪「落ち着け唯!……え?ムギ、何だって?」

唯「どうしたの?」

澪「あ、いや……ちょっとムギに電話代わるぞ」

紬「もしもし唯ちゃん?聞こえる?」

唯「うん」

紬「いい?よく聞いて!梓ちゃんと初めて会った場所は何処?」

唯「えっと……高校の部室だけど……」

紬「そうじゃなくて、記憶が無くなった梓ちゃんと再会した場所よ!」

唯「うーん、確か……家の裏山の神社だったかな」

紬「ならきっとそこに向かったのかも。唯ちゃんはすぐに裏山に行って!私達もすぐ後を追うから!」

唯「うん!わかった」

 通話を終えた私はすぐに家を出て、もう1度自分の身体にムチを打つかのように裏山の方向へ全力で駆け出した。


 ―― 裏山

 私は梓ちゃんと純ちゃんの3人で神社の前まで来ていた。
 この森は、頭上まで枝と葉っぱに覆われちゃう位うっそうとした場所で、本当なら大量に降り注ぐはずの陽の光は、葉っぱに遮られてちょっとしか差し込んでこない、少し薄暗い場所だった。
 そして目の前に佇んでいる古い社の扉は6週間前と同じように開け広げてあった。
 だけど吹き付ける風で、その扉はグラグラと、揺れ動いている。

梓「ねえ憂、純」

 社の正面まで来た所で、梓ちゃんは足を止めて話しかけてきた。
 私達2人は何も言わずに、ただ黙って梓ちゃんの目を見つめる。

梓「2人に言っておかなきゃいけない事があるの。私ね――」

憂「……嫌だよ」

梓「え!?」

憂「嫌だよ!折角また梓ちゃんと会えたのにまたお別れしなきゃいけないだなんて……私、そんなの嫌だよぉ……ぐすっ」

梓「ごめんね憂。大事なことなのに最後まで黙ってて……本当に悪かったと思ってる」

憂「だっだら……ヒック……何処にも行がないでよぉ……ぐすっ……行がないでっで前に約束したよね?」

梓「うん……でも、どうしてもお別れしなきゃいけないんだ……私も憂や純と会えなくなるのは辛いけどね」

 梓ちゃんは申し訳なさそうにそう言うと、私の目尻についた涙を自分の指でそっとふき取ってくれた。

憂「ねぇ梓ちゃん」

梓「何?どうしたの?」

憂「ごめんね……私がもっとしっかりしてれば梓ちゃんは死ななくて済んだのかもしれないのに……本当にごめんね梓ちゃん……」

純「憂はさ……梓が死んじゃったのをずっと自分のせいだと思い込んでたんだよ。自分がしっかりしてたら、あんたの異変に気がついていれば、こうはならなかったって……」

梓「そんなことないよ。これっぽっちもないから!」

憂「え!?」

梓「私はね、高校に入ってすぐに憂や純と友達になれてすごく良かったって思ってる。2人がいつも私を支えてくれてたお陰で私は楽しい毎日を送ることが出来たんだからさ。だから憂が謝る必要なんてない、むしろ私からお礼を言いたい位なんだよ」

憂「梓ちゃん……」

梓「それに、新歓ライブのあったあの日に憂に出会ってライブに誘ってくれたから私は軽音部に入ることが出来たし、みんなと出会うこともできたから……だから、本当にありがとう、憂」

 私の視界は既に涙でぐしゃぐしゃで何も見えなかった。
 だけど梓ちゃんが私の両手をしっかりと両手で握ってくれているのは感触でよく分かった。

憂「ううっ……ヒクッ……グズッ……梓ちゃあん……」

梓「ほら、もう泣かないで、ね?」

憂「う、うん……」

純「梓……」

梓「純……思えば今までずっと私、純に助けられっぱなしだったよね」

純「やめてよ……別に私、梓にお礼されるようなこと何もしてないって」

梓「いつだって純はそうだった。マイペースでいい加減でふざけてばかりだったけど、いつも私のことを黙って見てくれていて、私が困ってると背中を押してくれてた」

純「だからやめてってば……私、そんなんじゃないから……それ以上言われたら私、梓のこと笑顔で見送れなくなっちゃうじゃないの……」

梓「私にとって純は、腹を割って話せる一番の友達だったから……その、今までお世話になりました。ありがとう、純」

純「もう、何なの、そのベタな台詞は……バカ梓っ!……ぐすっ」

梓「ふふっ」

純「全く……少しは感謝しなさいよ?折角この私がわざわざ見送りに来てあげてるんだからさ」

梓「はいはい、そういう事にしといてあげる」

純「最後の最後まで……でも……梓らしいといえば梓らしいや……」

梓「人のこといえないでしょ?」

純「う、うるさいっ!あ、でも最後に私からもあんたに言っておきたいことがあるんだ」

梓「なに?」

純「その……ありがとう梓、また戻ってきてくれて……」

梓「うん、純も元気でね」

憂「それはそうと、お姉ちゃんには会わないの?」

梓「どうなのかな……多分今こっちに向かってるんじゃないのかな」

憂「お姉ちゃん、間に合うのかなぁ……」

純「大丈夫だよ憂、唯先輩なら必ず来る、来ない理由がないんだから」

梓「そうだよね。そういえば思い出すなぁ……前にもこんな事あったよね。学祭で唯先輩がギターを忘れて家に取りに戻って、何とかギリギリで間に合ったあの日のライブ。あの時は間に合ったんだから今回も絶対に来るよあの人は」

 梓ちゃんがそう言った直後、麓の方から誰かが上がってくるのが見えた。
 私はお姉ちゃんが来たかと思って、そっちの方を向いた。
 だけど上がってきたのはお姉ちゃんじゃなくって、軽音部の皆さんだった。

律「はあっ……はぁっ……ふぅ……何とか間に合ったようだな」

 軽音部の皆さんは息も絶え絶えに大急ぎでここに走りこんできた。
 だけどやっぱりお姉ちゃんはいない、どこに行ったんだろう……

憂「あの、お姉ちゃんは一緒じゃなかったんですか?」

澪「唯なら私より一足早く帰らせたんだけどな……電話でこっちに向かうって話はしてたんだけど、一体どうしたんだろう」

憂「あの、もしかしたらまだ家にいるかもしれないので、私ちょっと家見てきますね!」

純「待って!それなら私も付いてくよ」

 私と純ちゃんは、お姉ちゃんを迎えに行くために大急ぎで山を降りて家へ向かった。

梓「ちょっと!憂!純っ!」

紬「いっちゃったわね、憂ちゃんと純ちゃん」

梓「ええ……」

梓「先輩方にもお礼を言っておかないといけませんね。私、軽音部に入って、みなさんと演奏できてよかったです!本当にお世話になりました!」

律「もう、よせよっ……くっ」

澪「なあ梓、本当に何とかならないのか?このまま何処にもいかないでずっとここに居られる方法とかあるんじゃないのか?」

梓「すいません……私もずっとここに居たいんですけど、どうにもならないんです。雨の季節が終わったら去らなきゃいけない……日記にそう書いてあって、あらかじめ決められてた事みたいなんです」

律「そっかぁ……また寂しくなっちゃうけど、短い間だったとはいえお前に会えたんだから……それだけでも十分私等は幸運だったんだよな」

梓「かもしれませんね……でもみなさんと最後に演奏することなく去らなきゃいけないのはちょっと心残りですけどね」

紬「そうね、せめてあと1回、梓ちゃんと演奏したかったわ」

梓「みなさんが歳を取って、私のとこに来れたらまた演奏しましょう。待ってますからね」

律「何十年先になるか分からないけどなっ」

梓「そうですね。その頃には先輩方みんなもうお婆ちゃんになってるのかな?ふふっ」

紬「もう!梓ちゃんったら……」

澪「それにしても……唯の奴遅いな……」

律「ちゃんとここに来いって教えたのか?」

澪「私はちゃんと伝えたぞ!」

紬(お願い、唯ちゃん……間に合って……早く)

唯「はぁっ……ふぅっ……ひぃっ」

 その頃私は山道を走り続けていた。
 急な上り坂を全力でダッシュしてるせいで、呼吸が困難になり頭の中もフラフラしてきて足元がおぼつかなくなってきていた。

唯(あずにゃん……まだ行っちゃだめだからね)

 私は何度も転びながら必死に頂上を目指した。
 別にこの身体がどうなってもいい。今急がなかったら私はこの先の人生、後悔しながら過ごす事になるから。
 そして私は走りながら力の限り叫んだ。

唯「あずにゃああああんっ!!」

 ――

律「!?今の声!」

澪「ああ、やっと来たか!」

梓「……唯先輩」

 私が神社に着くと、そこには軽音部のみんなとあずにゃんがいた。
 じっと丸太の上に座ってたあずにゃんは、私の姿を見ると立ち上がってこちらを嬉しそうに見つめてくれてた。

梓「よかった……間に合ったんですね」

 あずにゃんは、自分の目の前で膝に手を付いて息を切らしている私に、穏やかそうな顔でそう話しかけてきた。

澪「唯、憂ちゃん見なかったか?」

唯「え?見なかったけど……憂がどうかしたの?」

澪「憂ちゃんと鈴木さんがさ、唯が来ないからもしかしたら家に居るんじゃないかって迎えに行ったんだよ」

唯「もしかしてどこかですれちがっちゃったのかなぁ」

梓「最後くらいみんな一緒にいたいのに……憂も純も早く戻ってきてくれないかなぁ」

澪「よし、それじゃ、私等はちょっと離れてるか」

紬「そうしましょう」

唯「みんな……」

律「私達はあっちにいるからさ、お前は梓としっかり話をしとけよ。今度こそ心残りのないようにな……」

唯「うん、わかった」

 私とあずにゃんは社の前の階段に2人で並んで座っていた。
 ただ何も言わずに私を笑顔で見つめてくれているあずにゃんの姿を見てたら、熱いものが段々とこみ上げてきそうになる。

唯「あずにゃん、私ね――」

梓「待ってください!」

梓「唯先輩、昨日の夜、言いかけててやめた言葉があったでしょう?こんな私と一緒にいて本当に幸せだった?て多分そう言おうとしてたんですよね」

唯「うん……ごめん、本当にごめんねあずにゃん。私、あずにゃんを幸せにしてあげたかったんだよ……こんな駄目な先輩で本当にごめんね……」

梓「もう、何言ってるですか!ほんっとよく似た姉妹ですね」

唯「え!?」

 あずにゃんはそう言って目を真っ赤に腫らせた私の顔を触りそうな位近い位置で見つめ、両頬を両手でさするように触ってきた。
 私は何もすることなく、ただ泣くのを堪えながらじっとあずにゃんの顔を見つめ続けた。

梓「幸せだったんです、私は。ずーっと幸せだったんですよ?あなたを好きになってから、ずっとね」

梓「私の幸せは、唯先輩なんですよ。先輩の傍にいられた事が、私にとっての幸せだったんです」

 よく見たらあずにゃんの目も潤んでいた、泣きたいんだろうけど、それを我慢しているのが分かった。

梓「出来るなら……ずーっといつまでも、唯先輩の隣にいたかったです」

唯「あずにゃん、今からでも何とかならないの?1度起きた奇跡は2度起きるかもしれないって、前にも言ったよね?」

梓「それは無理みたいなんです。どうしても戻らなきゃいけないんです」

唯「そっかぁー、残念だなぁ……」


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最終更新:2011年07月05日 01:49