いつのまにか私の目からは、溢れんばかりの涙が流れ出していた。
 2度目の奇跡はない事を知り、2度目のお別れが目の前に迫っている今、もう我慢なんか出来るもんじゃなかったから。

梓「先輩、1つ聞きたいことがあるんです」

唯「なに?」

梓「唯先輩こそ、私なんかと一緒になって本当に良かったんですか?」

唯「どうしてそんなの訊くの?」

梓「だって私と一緒になったせいで、唯先輩も、他のみなさんもこうして辛い想いをしなきゃいけなくなったから……私に会わなければこんな悲しい目に会わなくて済んだはずですよね」

唯「そんなことある訳ないじゃん!」

梓「え?せ、先輩?」

唯「あずにゃんがいたから、私は今までやってこれたんだよ!あずにゃんが私を支えてくれたからこそ、私は自分の身体と向き合うことが出来たんだよ!だから私は後悔なんかしてない、あずにゃんに出会えて本当に良かったって……だからそんな事言わないで、ね?」

梓「……はい。そう言ってもらえて嬉しいです」

 そう言った時、私はあずにゃんの手に異変を感じた。
 見間違いならいいけど、手が透けて見えたんだ。

唯「あっ!あずにゃん、その手……」

梓「えっ!?」

 あずにゃんは左手を空にかざして、じっとそれを見つめる。
 気のせいじゃなかった……あずにゃんの手の向こうには、新緑の葉っぱが映りこんでいたんだ。

梓「どうやら時間みたいですね」

 その直後、突然季節外れの冷たい風が突風になって私達に吹き付けてきた。
 その風はまるで、社の中へと流れ込むように吹いているように感じられる。

梓「ねぇ唯先輩?」

唯「どったの?あずにゃん」

梓「……寒いですね」

唯「……だね」

 私達は立ち上がって扉の方向に向かって並んで立って、私とあずにゃんは手を握り合う。
 そしてその握り合った手を、私はスーツのポケットに引き入れた。
 そう……あの寒い夜、駅のホームでやった時と同じように……

 昨日の夜、私がはめてあげた指輪の冷たい感触が暖かいポケットの中から直接私の神経に伝わってくる。
 あずにゃんの頭が私の胸に寄りかかってきて、私は強く抱き続けた。

梓「ありがとうございました……唯先輩――」

梓「あなたの隣は、居心地がよかったです……」

 その直後、社の扉がゆっくりと音もなく閉じていく。
 まるであずにゃんを迎えに来たかのように――

憂「梓ちゃーん、お姉ちゃん結局見つからなかったよ」

純「って、あれ、唯先輩来てるじゃん」

 憂と純ちゃんがやってきたのはその直後だった、まるで入れ違いのように。

憂「ねえお姉ちゃん、梓ちゃんはどこ?」

 一部始終を何も知らない憂に対し、私は背中を向けながら言った。

唯「ごめん憂……あずにゃん、もう居ないんだ……もう、帰っちゃったんだよ」

憂「え……!?嘘……だよね?お姉ちゃん、嘘なんでしょ?」

 黙って首を横に振る。

純「そんな……梓……なんでっ!」

憂「嫌だよ……そんなの絶対嫌だよ……梓ちゃん……」

憂「あずさちゃああああんっ!!」

 憂の叫び声がセミの鳴き声以外何も聞こえない森に響き渡る。
 私は何も言わず、ただその場に立ち竦むしかできなかった。
 でも、ポケットの中……あの冷たい感触、あの指輪は私のポケットの中に残ってた。


 ―― 翌日

 この日私は、部屋で何をするでもなく、ただ1人でぼーっとしていた。
 昨日まではこの部屋にあずにゃんもいたけど……今はもう私しかいない。
 じっとしていればしているほど寂しさがこみ上げてくるから、何かしようと思って立ち上がろうとしたその時……

唯「あれ?このダンボール……」

 私の目に見慣れないダンボールが映る。
 そこには「Azusa」と書かれてあって、あずにゃんの残した物だというのがすぐに理解できた。

唯「あずにゃん、私に内緒でしまっておいたんだね……私に隠してまで何を入れてたんだろう」

唯「ちょっとぐらい中見てもいいよね?このままじゃ気になって眠れないもんね」

 中を見ると、私や軽音部のみんな、憂や純ちゃんとの今までの思い出の品々が入っていた。
 そこには、学生時代に私が送った手紙の便箋も含まれてた、それも全部。

唯「懐かしいなぁ……あずにゃん、私の手紙捨てずにとっておいてくれてたんだ……あれ、これは?」

唯「日記帳?そういえば一昨日の夜、これを見て記憶が戻ったっていってたよね。一体何が書いてあるんだろ」

唯「うぅーん、気になる!気になるなぁー。常識で考えたら見ちゃいけないんだけど、やっぱり見たいなぁ……」

唯「やっぱり我慢できないや!少しだけ読ませてもらいます、あずにゃん」

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 4月22日

 今日、私は知り合ったばかりのクラスメイトの子に連れられて新入生歓迎会に行った。
 そこで私は、気になる人を見つけてしまった。
 軽音部の紹介のライブ演奏中、私はステージ真ん中でギターを弾いている人に目がいってた。
 それからというもの、その人の事ばかり思い出してばかりいる。
 もしかしたら、女の子同士なのにその人の事が好きになってしまったのかもしれない。
 変かもしれない、いや、かなり変だ。でもそう思わずにはいられない。

 一緒に新歓に行った知り合ったばかりの子が言うには、どうもそのギターの人は、その子の実のお姉さんらしい。
 なんていうか、すごい偶然かも。
 高校に入って初めて出来たその友達の名前は平沢憂
 私と憂はすぐに打ち解けることができた。もしかしたら彼女とは、これから長い付き合いになるのかもしれない、そんな気がする。



4月23日

 放課後、私は軽音部の部室である音楽室へ行った。
 勿論、入部届を出す為に。
 部室に入るや否や、いきなり部長さんに飛び掛られてしまった。
 正直びっくりだ、一体どんな部活なんだろうか、ここは。
 目の前には、ギターを弾いていたあの人がいる。この時の私は正直ちょっと緊張してたかも。
 でも、見た感じ憂の言ってた通りとても優しそうでいい人そうだ。

 彼女の名前は2年2組、出席番号2X番、平沢唯

律『てことは、ライブでの私等の演奏聴いて入部を決めてくれたんだ』

梓『はいっ!私、新歓ライブでのギターの先輩の演奏がすごく印象に残ってここに入部するって決めたんです!』

澪『だってさ、唯』

唯『ふぇー?』

梓『よろしくお願いします唯先輩!』

唯『先輩……唯先輩……』ほわーん

 唯先輩、私に声を掛けられてなんだか心がどっかにいっちゃったようだ。
 なんか想像と違って変な人だなぁ、今まで見たことがないタイプの人だ。

 それからは毎日練習の日々、だと思ってたらそんな予想は見事に裏切られた。
 毎日楽器すら触らないでお茶飲んだりお菓子食べたり、本当にここ軽音部なのかな。
 律先輩は部長なのにすごいだらけてて、私の憧れの人だった筈の唯先輩はそれ以上にだらけてて、すぐ抱きついてくるわ私の事を「あずにゃん」とか勝手にあだ名をつけてくるわ、あのステージでの姿は一体なんだったんだろう、まるで別人だ。
 はたから見れば変な人だけど、それでも突き放す気分にはなれない。
 何をされても許せてしまう、口では色々言ってるけど、内心はそれ程まんざらでもないし、不思議な人だ、この人は。



 8月15日

 この日は海にあるムギ先輩の別荘に泊まりこみで合宿をした。
 私にとっては、この日はとても忘れられない夜になってしまった。

 夜中、トイレに行った帰りにスタジオに明かりが付いてたのを見て、気になって様子を見に行ってみると、唯先輩が1人で練習をしてたんだ。
 唯先輩、ギターを弾くのに夢中になってて私が見ているのに気が付かないみたい。
 正直、唯先輩がこんなに熱心に練習してるなんて思いもしなかった。
 考えを改めさせられた。この人はただふざけて怠けているだけの人じゃないんだ。むしろ人一倍頑張っている人なんだと。
 今の私にはこのまま黙って部屋に帰るなんて出来ない、どうしても唯先輩の事が放っておけない。
 唯先輩と一緒にギターを弾きたい、もしかしたら練習なんて口実なだけなのかもしれない。

唯『ごめんねあずにゃん、こんな夜遅くに練習付きあわせちゃって』

梓『いいんです、気にしないでください。私も唯先輩と一緒にもっと練習したいと思ってましたから』

 もっと練習してたい……この人は楽譜は読めないし用語も知らない、コードも覚えてないし何でこんなんで今までやってこれたのか疑問しか出てこない人だけど、それでも私は唯先輩にギターを教えるのが苦じゃなかった……いや、むしろ楽しかった。

唯『私、あずにゃんに出会えて良かったよ!』

梓『えっ?うわわっ!』

 私が教えた甲斐もあって、今まで出来なかった部分が出来るようになった唯先輩は私に抱きついてきて、その反動で床に押し倒される形になった。
 先輩からすれば、出来なかった事が出来る様になった嬉しさと感謝の気持ちがああいう形になっただけなんだろうけど、私にとっては正直心臓が止まるかもしれない衝撃だった。

 やっぱり、私は唯先輩のことが好きなんだ。
 でも、唯先輩は私の気持ちを全然知らないかもしれない、というか女の子同士、知るわけがない。
 いわゆる片思いってやつなのかな。



 10月1日

 学園祭が間近に迫ってるっていうのに、唯先輩はさわ子先生が作った衣装を着て一晩過ごしたせいで風邪を引いて寝込んでしまった。
 澪先輩からはリードの練習もしておいてくれって言われたけど、唯先輩の代わりなんて他の誰も務まるわけがない。
 というより唯先輩抜きのライブだなんて私には耐えられない、辞退した方がマシだ!と思うだけなら良かったものの、ついうっかり口に出してしまった。
 心配で最近は夜もロクに眠れてない私にとってはそれ位切実なんだ。



 10月5日

 今日は学園祭!なんと本番直前になって唯先輩が部室に戻ってきた。
 どうやら風邪が治ったらしい、私はこの時本当に嬉しくて半分泣きがはいってたのかもしれない。
 唯先輩は私に「ごめんね」と優しく、そして本当に申し訳なさそうに声をかけてきてくれた。
 それならそれで素直に喜べばいいのに私は心にもない事を言って、挙句の果てには頬を引っぱたいてしまう。
 むしろ唯先輩じゃなくって、肝心な時に意固地になる私自身を殴りつけてやりたい。
 でも……本当によかった……



 翌6月28日

 期末試験も迫ってるっていうのに、唯先輩は隣のお婆さんの為に演芸大会に出ようとしてるらしい。
 それも本番は試験の翌日……一体何を考えてるんだろうあの人は。
 お世話になったお婆さんへの恩返しのために出るらしいって憂は言ってたっけ……唯先輩らしいな、そこがあの人のいい所なんだよね。

 放課後、私はお母さんからお使いを頼まれたついでに唯先輩を探した。
 部室は使用禁止だし、家じゃ憂に気を使って音は出せないだろうし、どこか外でやってるんじゃないかなって予想して気になった場所を見て回った。
 以外とあっさり見つかった、近所の河原で1人でギター持って練習してるのを見つけると、私はさも偶然を装って先輩に声を掛けてみる。
 私は唯先輩に演芸大会に一緒に出たいとお願いしてみた。
 先輩はすごく嬉しそうにOKしてくれた。何でも言ってみるもんだね。
 正直この人は見てて危なっかしくて放っておけないから……というのはまあ確かに間違ってないけど、本当の理由はもっとシンプルだ。

 ぶっちゃけ、理由なんかどうでもいい。
 私は唯先輩の隣にいられるだけでいい。
 隣にいて、唯先輩の喜ぶ顔が見たい……それだけで、ちょっと幸せ。



 8月14日

 さわ子先生がチケットを持っていたお陰で、私達軽音部は夏フェスに行くことになった。
 確かにバンドの演奏を聴くのは楽しかったけど、私の中にはモヤモヤする物があった。
 それは当然あの人のことだ。
 もうすぐ先輩達は卒業してしまう、そうなれば会う機会も減ってしまう。
 いや、会えるかどうかの保証もない。
 だから唯先輩に想いを伝えることができる時間はもうあまり残ってない。
 幸いこの日の夜、唯先輩は1人でライブ会場の音楽を聴いていた。
 シチュエーション的にも最高だ、今しかチャンスはないんだ。

梓『せーんぱい』

唯『あっ、あずにゃーん』

梓『こんなところで何してるんですか?』

 何となく平静を装って近づく、なんかすっごい緊張してくる。

唯『遠くから聞こえる曲、聞いてたの。本当に一晩中やってるんだねー』

唯『まー座りんさい』

梓『あ、はい』

梓『じっとしてたら蚊に刺されませんか?』

唯『大丈夫、虫除けバンド両手にしてるから』

梓『はぁ』

唯『一個あげよう』

梓『どうも』

 貰った虫除けバンドを腕にはめて、私は唯先輩の顔をじっと見つめる。
 今しかない!こんな時に勝負をしなくていつ勝負するんだ私!

 覚悟を決めた私は「あの」と言い出した……つもりだった。
 けどその空気は突然思いもよらない形で破られることになっちゃった。

律『あーらお2人さん、こんな所で内緒のお話ぃ?』

 肝心なとこで律先輩とその他先輩方が現れ、私のチャンスは見事に潰えた。
 正直残念だった。けど……私は自分に言い聞かせる。
 もう半年しかない!じゃなくて、まだ半年あるんだ!と。
 まだチャンスならある、作ってみせなきゃ。
 すぐに頭を切り替えよう。
 唯先輩だけじゃなくて軽音部の先輩方全員と楽しめる最後の夏なんだからね。

 それに、こうしていられるだけでもやっぱり幸せであることに変わりはないんだから。

 唯先輩、あなたのことをもっと知りたいです。
 あなたはなんの本を読んでるんですか?
 どんな音楽が好きですか?
 どんな色が好きですか?
 どんな……人が好き?

 あれから私は何度も唯先輩に自分の気持ちを打ち明けようとした……けど、どうしてもできない。
 やっぱり変だから……女の子同士なんて禁断の愛、こんなの先輩に言っても気持ち悪がられて逆に軽蔑されるのがオチだ。
 だから怖くて言えなかった……素直じゃない上に度胸もない……こんな自分が時々嫌になる。

 何も始まらないまま、ついにお別れの日が来てしまった。
 どうしよう。
 どうしたらいいの?


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最終更新:2011年07月05日 01:52