子供の頃のことでした。

 私は和ちゃんと憂と、すこし遠くの丘にピクニックに来ました。

 てっぺんに立派な木が立っている丘です。

 お弁当と水筒を持って、3人だけでやってきて、

 私たちは少し息を切らしながらてっぺんまで到着しました。

唯「これが純ちゃんのなる木なんだね」

 私はすべすべした幹を撫でて、木に寄り添いました。

 ひんやりした表面の向こうにぬくもりのある木は、ざわざわと葉を風に揺らしました。

憂「そうだね、スズキノキだって」

和「枝折ったりしちゃだめよ」

唯「わかってるよ。それよりお腹ぺこぺこ!」

 憂が作ってくれたサンドイッチの箱を開いて、木陰の下でみんなで食べます。

 水筒の中身は飲みほしてしまったから、お茶は和ちゃんに分けてもらいながら。

 ひとしきり食事をして、私は空を覆う純ちゃんの木の枝を見上げます。

唯「純ちゃん、なってないね」

和「純がなるのは6月ごろだからね。今みたいな春の時期は、まだ固いつぼみの時期だと思うわ」

唯「つぼみかぁ。それ摘んで持って帰ったら、純ちゃん育てられるかな?」

和「せいぜい花が咲くだけよ。それだけでいいなら摘んでもいいと思うけど」

唯「純ちゃんの花!」

 和ちゃんがいいと言ってくれたので、私は幹につかまると、

 しっかり靴底で挟んで純ちゃんのなる木を登り始めました。

憂「おねえちゃん、気をつけて!」

和「唯、木のぼり上手ねぇ……」

 憂の心配をよそに難なく幹の分かれるところまで登ると、

 私は枝の先のほうに向かって渡り、純ちゃんの花のつぼみを探します。

 四つん這いでそーっと進んでいくと、不意にほっぺたに、

 ぺたりと何か冷たいものがぶつかりました。

唯「ん?」

 なんだろうと思って見ると、そこには人間の足のようなものがぶら下がっていて、

 さらに見上げると葉っぱの陰で白い脚が伸びていました。

 もしやと思って立ち上がると、やっぱりです。

 遠くに見える甘栗色のダブルポンポン。

 今いる枝よりいくらか上の方に、純ちゃんの実がなっていたのでした。

唯「わあ!」

 私はすっかり興奮してしまって、

 純ちゃんのなっている枝のところまでぴょんぴょん枝を跳んでいきました。

憂「お姉ちゃん、どうしたの?」

 憂の声がします。

 私は葉っぱの間から顔を出して、大きな声で言いました。

唯「純ちゃんがなってるの! えへへっ、あわてんぼさんの純ちゃん!」

憂「ほんとにー!」

 憂も嬉しそうにぴょんぴょん跳びました。

和「早生りの純なんて珍しいわね。雨が降らないと純はうまく実をつけないのに」

 和ちゃんは不思議そうな顔です。

 これは後で教わった話ですが、

 純ちゃんとは雨季の水分をたっぷり使ってみずみずしい実をつけるため、

 日本では梅雨のある地域でしか育たないんだそうです。

 だから梅雨の前に純ちゃんがなるなんてことはすごく珍しいことらしいです。

唯「すごくおっきいよ! 私たちぐらい大きい!」

 私は純ちゃんの頭を枝からちぎりとり、大きな純ちゃんの実を抱きかかえました。

 同時、純ちゃんがぱちっと目を開いて私を見つめました。

和「……ちょっと唯、まさか純をもいじゃったりしてないわよね?」

唯「へ? 今ちょうど採ったところだよ!」

和「ちょっ……あらら」

 和ちゃんは頭を抱えます。どうしたのでしょう。

 私は純ちゃんを背中につかまらせ、慎重に木を降りていきます。

 季節外れの純ちゃんだけどちゃんと元気で、私につかまる腕はしっかり力をこめていました。

 かろやかに地上に降り立ち、いったん純ちゃんを地面に置きました。

唯「和ちゃん、純ちゃん採っちゃだめだったの?」

和「だめってわけじゃないんだけど……」

 和ちゃんが言葉をちょっと濁し、純ちゃんのほうをちらりと見ました。

 つられて私も見おろしてみると、純ちゃんは地面にぺたりと座ったまま、私をじっと見上げています。

憂「純ちゃん、お姉ちゃんになついちゃったんだね」

唯「そうみたいだね。ふふぅ、かわいかわい……」

 頭とあごを撫でてあげると、純ちゃんは嬉しそうに口元をゆるませました。

 そして、私のズボンを掴んだかと思うと、脚に抱き着いて頬ずりをするのです。

和「……かわいいかわいいはいいけど、唯、ちゃんと純を育てられるの?」

唯「そりゃあ……まかせてよ。こんなにかわいいものを私は見捨てません!」

 もしかして和ちゃんが気にしていたのはそんなことだったのでしょうか。

 だったらそのくらい、ぜんぜん問題じゃありません。

和「そう? ……とにかく、純ってもぎとった人に懐く性質があって、完全にその人に依存するから」

和「ぜったい、いい、絶対よ。絶対お世話をサボったりしちゃだめだからね」

唯「う、うん」

 和ちゃんは迫力たっぷりに言いました。

 純ちゃんもちょっと怯えて、震えています。

純「……くしっ」

唯「あれ?」

 なんて思っていると、純ちゃんがくしゃみをして、私のズボンに鼻をこすりました。

憂「お姉ちゃん、純ちゃん裸だから寒いんだよ」

唯「そっかそっか……よし」

 私は上着を脱いで、純ちゃんの肩にかけてあげます。

 純ちゃんはきょとんとした顔で着せられた服を眺めます。

 私はもっと子供のころ憂にしてあげたように、純ちゃんの前のボタンをとめてあげて、

 頭をぽんぽんと撫でました。

 純ちゃんはまた鼻水をすすり、ちょっと照れ臭そうに笑いました。

 私たちは純ちゃんを加えた4人でもとのように木陰に座りこんで、

 帰る時間になるまで純ちゃんをみんなで観察することにしました。

 あぐらをかいたところに純ちゃんはお尻をおさめて、私に寄りかかります。

 ちょっと重いですが、下ろそうとするとむぅむぅと鳴いて怒ります。

 しかたないので、そのままにしました。

唯「お腹は減ってる?」

 純ちゃんの頭を撫でながら尋ねます。

純「……?」

憂「さすがに言葉はわからないんじゃないかな?」

 憂がもっともなことを言います。

 純ちゃんは私たちと同じくらい大きいけれど、いわば生まれて間もない赤ちゃんです。

 言葉がわからなくても仕方ありません。

和「けど、純ってすごく賢い植物のはずよ。言葉くらい、毎日話してたらそのうち覚えちゃいそう」

 今度は和ちゃんが言います。

 純ちゃんと言葉で通じ合えたら楽しそうです。

唯「そうかな? 純ちゃん、お腹減った? おーなーか」

 私は純ちゃんのお腹をさすりながら、もう一度きいてみました。

純「おーあーか?」

憂「しゃべった」

 憂がみょうに小声で喜びます。

 私も無言で頷きます。

唯「ちがうよ、お・な・か」

純「お、おなか……?」

唯「そう、おなか! 純ちゃんはおなか減ってる?」

 ナチュラルに植物と会話している私たちは

 傍から見たらちょっとおかしかったかもしれませんが、私たちは真剣でした。

純「へ、へ?」

和「唯、たぶんそれは難易度高いわよ……」

 和ちゃんがつっこんだとき、ぐーっと音がして、私の手に振動が伝わりました。

憂「今の、純ちゃんのお腹の音?」

唯「うん、純ちゃん、お腹減ってるんだね!」

純「むぅ……」

 純ちゃんはへそをまげながらも頷きました。

唯「憂、さっきのサンドイッチまだあったよね?」

憂「うん。純ちゃんに食べてもらおう!」

 バスケットを再び開いて、小さなサンドイッチを手に取りました。

唯「はい純ちゃん、あーん。あー」

純「あー」

 大きく口を開いてみせると純ちゃんも真似をします。

 そっと三角サンドイッチを口に近づけ、舌に乗せさせてから口を閉じました。

唯「あむっ」

純「あむ……」

 純ちゃんが口を閉じたのを確認してからサンドイッチを引っ張ると、

 ほとんど元のままの三角形の角がするっと出てきました。

唯「あれ? 純ちゃん、歯を使うんだよ、歯。いーって」

純「いー」

 今度は歯を見せながら口を開けて、同じように。

 純ちゃんが歯でサンドイッチを噛みきるところがちゃんと見えて、安心しました。

 すかさず、よしよしと頭を撫でてあげます。

純「む?」

 純ちゃんはしばらく不思議そうな顔をしていましたが、

 やがて口をもごもごと動かし始め、サンドイッチを自分で噛みつぶしていきました。

和「自分で気付いたわね……」

憂「純ちゃんすごい!」

唯「純ちゃん、ごっくんてして。ごくんっ」

 私が喉を鳴らして見せると、純ちゃんもサンドイッチを飲みこんで、

 ちょっとびっくりしたような顔をしました。

 けれどそれから純ちゃんはもう要領を得たのか、私がサンドイッチを差し出すと口を開けて、

 サンドイッチを口に入れてあげると自分で噛んで、飲みこんでいきました。


 結局、残っていたサンドイッチを全部食べきって、純ちゃんは満足げな顔をしました。

唯「純ちゃん、おいしかった?」

純「うんっ」

 意味はわかってないでしょうが、純ちゃんは素直に頷きます。

 よしよしと言って頭を撫でてあげます。

純「んむぅ……」

 と、純ちゃんがとつぜん不満そうに鳴いて、私のほうに振り返ります。

唯「あれ、どうしたの?」

 純ちゃんは私にもたれかかるように抱きつくと、そのまま黙ってしまいました。

 そのうち、すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえ始めます。

唯「……寝ちゃった」

 私は和ちゃんと憂を見ましたが、二人ともそうだねと頷いただけでした。


 やがて日も落ちかけてきたので、私たちは帰ることにしました。

 純ちゃんを抱っこしたまま下る丘はとても足が疲れましたが、

 丘を降りてからは純ちゃんも目を覚まして、手を繋いで歩いてくれたので助かりました。

 お家でも純ちゃんを飼うに際して特にお小言を言われることもなく、

 純ちゃんは晴れて平沢家の一員となったのでした。

――――

純「……んが」

唯「んぐぅ……」

憂「お姉ちゃん! 純ちゃん! 朝だってば!」

唯「……はっ!」

純「……ん?」

 夢を見ていたようでした。

 憂の大きな声で目を覚まして、体を起こします。

唯「じゅーんちゃん。朝だよ」

 横で寝ている純ちゃんをゆさぶり、ほっぺたをつねって起こします。

純「あうぁ……ひょ、ゆいひぇんぱい」

 純ちゃんがうらみがましい目で私を見ます。

 そんな目で見られても、朝が来たものはしょうがないのです。

唯「ほら、純ちゃん? 朝ご飯にするよ?」

純「……あ、はい。……あの、ちょっとその前にトイレ」

憂「純ちゃん、お下品だよ」

純「じゃあどう言ったらいいのさ! ……と、とにかく唯先輩たちは先に下おりててください」

唯「? うん、じゃあ行こっか憂」

憂「うん。純ちゃんも早くしてね」

 純ちゃんとの暮らしも早いもので、もう7年になります。

 たまに純ちゃんと出会った日のことを夢に見るから、

 純ちゃんが被子植物だということは忘れていません。

 制服を着て、高校に通って、ベースをひいたりする

 普段の純ちゃんの姿を見ていると時々意識しなくなってしまいますが。

唯「……ねぇ、憂」

 だけど、今日は純ちゃんが木の実であるということが気になったのです。

 私は純ちゃんが来る前に、憂にちょっと声をひそめて言いました。

唯「最近、純ちゃんなんだか変じゃないかな?」

憂「……お姉ちゃんも思ってた?」

 やっぱり憂も気付いていたみたいです。

 最近の純ちゃんは、明らかにどこかおかしいです。

唯「昨日も寝付き悪かったし、子供のときの甘えんぼに戻ったみたいに私に抱き着いて寝たり、」

唯「なんか不自然にトイレに行くし、……それにね。今、憂って生理じゃないよね」

憂「へ? う、うん」

唯「ナプキンが減ってるの。純ちゃんに生理はないはずなのに」

憂「……生理が来たのかな?」

唯「それが、もうナプキン使って2週間も経ってるの」

 憂も息をのみます。

憂「……どういうことなんだろう?」

唯「わかんないよ。純ちゃんに聞くしかない」

憂「それじゃあ……」

 お姉ちゃんが、と言いかけたところで憂は口をつぐみました。

純「ふー。すみませんでした、先輩。憂もごめんね」

 純ちゃんが部屋へ降りてきました。

憂「ううん、いいよ。謝ることじゃないし」

純「そ、そうだよね。そじゃ、いただきまーす」

憂「純ちゃん、手洗ったの?」

純「洗ったよ! 失礼な!」

 そんなやりとりを聞きながら、私は思いました。

 純ちゃんはなにか、人に謝らなければならないようなことをしているのでしょうか。

 どちらにしろ、その詮索はあとにしておきます。

 今日は軽音部がちょうど休みです。

 私は学校へ行く道すがら、純ちゃんに部活を休んで帰るよう言いつけました。

 むちゃくちゃな物言いでしたが、

 純ちゃんは意外と素直に私の言いつけをのんで、そして実際に部活を休んで帰ってきました。


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最終更新:2011年07月14日 20:56