和「ある季節の終わりに」


「この頃面白い夢見るんだよ、和ちゃん」

思い出したように唯がそう言った。
あどけない笑顔は相変わらずだ。

「へえどんな?」

私はいつもどおり無関心そうに返事をする。
べつに本当に無関心ではないのだけれど。

そうそれはいつものやり取り。
私達が幼い頃から幾度と無く繰り返してきた、何気ない、でもかけがえの無い……

でもこんな時間はいつまで続くのだろう、最近ふとそんな事が頭を過る。
微かな胸のうずきと共に。

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「え……唯がいなくなった?」

憂から着信があったのは、最後に唯と逢ってから二日後、早朝のことだ。

自室で眠っていたはずの唯が消えているという。
消えている……?
携帯の向こうで狼狽える憂をすぐ行くからと宥め、私は服を着替えだした。


静かに玄関ドアを閉める、外はまだ暗い。
焦る気持ちを抑えようと、意識してゆっくり歩を進めた。
しかし遠くない距離だ、そう時間もかからず薄暗い中に平沢家の街灯が見える。

チャイムを鳴らす間もなく憂が飛び出してきた。

「お姉ちゃんがっ……お姉ちゃんが、いないよっ」

「憂、落ち着いて。律たちには聞いたみたの?」

憂を落ち着かせるため、判りきったこととは思いつつそう尋ねてみる。
しかし返ってきた答えは予想に反していた。
憂は私の他には誰にも知らせていなかった。

そしてさらに私を驚かせたのは
唯が外へ出た形跡がない、と言う憂の言葉だ。

靴は全てあるし、服を着替えた様子もない、玄関は施錠されていて、
唯の持っている鍵は財布ごと机の上に置かれている。
つまり外から施錠するのは不可能ということなどを考えても、唯が外出したとは思えないと。
本当に消えたのかもしれないと憂は言うのだ。

「窓は確認した?」

「みんな内側から締まってたよ……」

さすが憂だ、取り乱していてもこれだけ状況を把握している。
その上で私だけに連絡してきたということか。


「唯の部屋見てもいいわね?」

まだ頭の中の整理が付かないままだったが、唯の部屋を確認することにする。
まずこの事態を把握しようと思った。


憂をリビングに待たせ、階段の上って唯の部屋の扉を開ける。
部屋の明かりを点けるといつもの見慣れた部屋。
何故か足音を外を[ピーーー]ように中に入る。

散らかった机、その上に置かれた財布、大事そうに立てかけたギター、空のベッド。

ベッド……


ベッド?

その時突然
私はあの時の会話を思い出した。


 『この頃面白い夢見るんだよ、和ちゃん』

 『眠ってるとベッドの底が抜けてずぅ~と沈んでいくんだよ』

 『そのうち上とか下とか、わかんなくなってね……』

 『どこかに着くと思うんだけど、そこからはよく覚えてないんだよねぇ』

 『でもすっごい楽しかったってのだけは覚えてるんだよ』

 『あれってなんなんだろうね~』


唯は自分の夢の話を楽しそうにしていた。
何度も繰り返し同じ夢をみるのだと。


そう、ベッド。

ベッドの底が抜ける、唯はそう言っていた。

「まさかね……」

ベッドに触れてみる、当然普通のベッドだ。
念のためベッドの下を覗き込むが異常などあるわけもない。


「夢の話なのよね……夢の中の……」

と考えながらも、
今はあの夢の話が気になって仕方がなくなっている。

「でも……そうね……」

私はそのベッドに横になってみた。
なにか考えがあったわけでもない。
ただそうしなければいけない、そんな気がしただけ。

目を瞑る


唯の匂いがする……


頭の中でベッドの底が抜けるイメージを描く

私は宙に浮いている……


浮いている……


浮いている……

ふっ……と

…………ベッドの下に広大な空間の気配

いきなり

すうっと意識が吸い込まれるような落下感

そうして

私はその中へ深く沈み込んでいった……

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……
意識が薄れていたようだ。
ふと我に帰りあたりを見回してみる。
とても平穏な気持ちになっている、
まるで感情の起伏など忘れてしまったような不思議な気分。
足元がふわふわする。

「ここは……?あそこにいるのは……唯?」

私はゆっくり唯の方へ近づいて行った。


「あっ、和ちゃん!」

「唯、ここで何してるの?」

「あのねえ、女の子と遊んでるんだよ」

「えっ?女の子?」

「ほら、和ちゃんの後ろにいるよ」

「こんにちは」

聞き覚えのある声に私は振り向いた。

「あなたは……」

「えっ?和ちゃんこの子知ってるの?」

「唯、あなた……この子が判らないの?」

「へえ?」

それは確かに幼い頃の、私が幼稚園で出会った頃の『ゆいちゃん』だった。


「あなた、ゆいちゃん……なの?」

「うんっ」

この無邪気な笑顔、こみ上げてくる懐かしさに声が詰まる。

「ゆ、唯、あなたこの子とずっと遊んでたの?」

「うんそうだよ、すごく楽しいんだ」

唯もまた無邪気に笑っていた。

「おねえちゃんも、あそぼう」

ゆいちゃんが私の手を引く、その小さな可愛い手で。

思わずうんと答えそうになった言葉を飲み込み、そして彼女に告げる。

「ごめんね、私唯を迎えに来たのよ」

「ええっ、かえっちゃうの?」

途端にゆいちゃんはとても悲しそうな顔になってしまった。
そして唯のもとに駆け寄る。

「おねえちゃん、かえらないで、もっとあそぼう」

「そうだねえ、でも和ちゃんが迎えに来ちゃったから」

「だーめ、ねー、いっしょにいてよ」

しがみつかれた唯は困り顔だ。

私はゆいちゃんの前にしゃがみ込んで目を見つめた。
そしてゆっくりと話して聞かせる。

「唯はね、あなたと遊ぶのが楽しくて帰るの忘れちゃってたみたい。でももう帰る時間なのよ」

「やだ、このままがいい、いまのままでいい」

「お願い、もう帰してあげて」

「だってゆい、わすれられたら、きえちゃうもん、さびしいもん」

その泣き出しそうな不安そうな、ゆいちゃんの顔
そして私は、理解できたような……気がした。

ここは、この子はきっと……

「ここにはずっといられないのよ、居ちゃいけないの。唯は帰らなきゃいけないのよ」

「うそだよ、ずっとここにいたほうが、いいもん」

「唯はゆいちゃんのままじゃいられないのよ、いつまでも子供じゃ……」

「だって、だって、わすれられちゃうの、やだ」

悲しそうに言い縋るゆいちゃんを見かねたように唯が言った。

「和ちゃん、私もうちょっとここにいても……」

「だめよ、憂だって心配してるのよ、それにここは」


「え?うい?ういが、まってるの?」

憂の名前を聞いた途端ゆいちゃんの顔色が変わるのが判った。

「ええ、唯がいないって憂が探してるの」

「うい、さびしがってるの?」

ゆいちゃんは自分のことよりも心配そうな顔になっている。

「うい、さびしいとないちゃうのに」

思えばこの姉妹は幼い頃からお互いのことを案じ合っていた。

「そうね、泣きそうになってたわ」

「ういがなくのだめ、ういのとこに、かえってあげて、ゆい、がまんするから」

私はゆいちゃんの頭に手をやり、その柔らかい髪をそっと撫でる

「いいお姉さんね、ゆいちゃんは」

「ゆいは、おねえちゃんだから、きえても……がまんする」

その眼から大粒の涙が零れだす。
私はその涙を指でそっと拭ってやりながら言った。

「ううん大丈夫、消えたりしないよ」

「ほんとに?ほんとにわすれない?」


「忘れないよっ」

問いかけるゆいちゃんを唯がそっと優しく抱きしめた。

「忘れたりするわけないよ、ずっと忘れない、絶対だよ」

その姿は母が子を愛おしむようにも見えた。

「ありがと……あそんでくれてありがと」

ゆいちゃんの笑顔が霞んでいく

やがて……


「あ……消えちゃった」

「ううん、帰ったのよ」

「あの子、私だったんだね」

「ええ、あの頃の唯はほんとに可愛かったわ」

「えーっ、じゃあ今は?」

「さあ私達も帰りましょう、唯」

「ちょっと和ちゃん~」

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気が付くとそこは唯のベッド。
時計をみる、私が唯の部屋に入ってから半時間も立っていなかった。

私の横には唯が眠っている、すやすやと。
その柔らかい髪をそっと撫でる。

「そうか、唯も大人になっていくのね」

ゆいちゃんの面影の残るその寝顔を見ながら呟いた
胸に微かなうずきを覚える。

「ゆいちゃん……」
心配しないでゆいちゃん、あなたは消えるわけじゃない。
子供の頃に得た、それだからこそ大切なものはずっと持ち続けられるの。
なにより唯はあなたが大好きなんだから。

そしてゆいちゃん、それは私もよ……

「私もあなたを、忘れない……」

「んんーっ」

唯が呻いてもそもそっと身じろぎする

「ほら、起きなさい憂が心配してるわよ」

私がその柔らかい頬をトントンとつついてやると
眩しそうに目を開けた。

「ふぁ……え?和ちゃん?」

「おかえり、唯」

「あれ?和ちゃんどうしたの?」

きょとんとした顔で唯が尋ねてきた。
しかし、さてなんと答えようかと考える間もなく

「ん~、まあいいや、ふわぁ~」

と欠伸混じりに言われてしまった。
別段答えを期待していたのでもなかったようだ。

「いいの?」

「うん」

「もっと驚きなさいよ」

「だって和ちゃんだし、いいよ」

言いながら唯はついっと手を伸ばすと
私のシャツの裾をそっと撫でて

「さわり心地いいね」

と微笑んだ。

それから唯はシャツの裾をもそもそと指で弄びながら何か想い悩む様子。

やがてどこか言いにくそうにしながらも口を開いた。

「あのねえ和ちゃん、私夢の中にいてね……」

「知ってるわよ」

「小さい女の子がね……」

「知ってる」

「そっか、じゃあやっぱり」

「うん」


そして唯はどこか吹っ切れたようにこう言った、

「いつまでも子供じゃいられないんだね」

と……。

その表情が少し大人びたように見えた。
今、私達のひとつの季節が終わろうとしている。


また胸が少しうずいた。

後を憂に任せ私は家路についた。

憂は何も聞かなかった、お姉ちゃんさえいてくれればそれでいいと、ただ嬉しそうにしていた。
勘の良い子だから何かを感じ取ったのかもしれない


朝の空気の中、銀色の空を眺めながらポツポツと歩く。
歩きながら考えた、この不思議な出来事を、その意味を。

あれは幼児期の唯、いつまでも子供でいたい唯の心の一部。
大人になろうとする唯を、子供のままでいたい唯が引き止めていた。

『いつまでも子供じゃいられないんだね』
唯の言った言葉が耳の奥で繰り返される。

今回のことで唯も成長するのだろうか。
昨日とは違う唯にまた驚かされるのかもしれない。


そして私は近頃胸をうずかせていた想いに行き当たり、歩みを止める。

わかってる、私達ずっとこのままなわけじゃない。
大人になっていく不安は私の中にも、私の中にこそあったのかもしれない。

親友?友達?同級生?幼馴染?ご近所?昔の……知合い?
変わっていく、変わってきている、そして変わっていくかもしれない二人の関係への、不安。

そんな想いが胸を締め付けていた。

否応なしに時は流れ、人も街も変わっていく。
そして唯も、私も、いつまでも今のままじゃない。

だから、と私は思った。

だからこそ、このかけがえのない今を大切にしたい。


そう、大切にするんだ、
二度と訪れることのないこの季節を。


この胸のうずきも懐かしく感じる時がきっと来るのだから……


そして私はまた歩き出した。


                     おしまい



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最終更新:2011年07月19日 02:42