極論、火曜まで私が決断できなかった場合は土曜に跳んでしまい、その日のうちに跳ばなかった場合と比べて丸々一日ロスしてしまう。
そして、3日経たないと使えないシステムのせいで、そのロスは二度と取り戻せない。
流石の私でも、そんなことをするくらいなら『跳んでから悩め』と言う。きっと憂もそう言いたいのだろう。

憂「だから、何があっても月曜の8時には私と一緒にいてほしいの」

純「……本当に、明後日に死ぬの?」

憂「うん。何回も見てきた」

純「…そして、今回は何もせずに見届けるの?」

憂「……そうしないと、信じてくれないって言ったじゃん」

純「…うん。ごめんね、酷い言い方した」

憂「ううん。きっと私もどこかおかしくなっちゃってる。それがわかっちゃってるから、純ちゃんを求めたのかも」

純「コラ、誤解されそうな言い方をするな」ポコッ

憂「あはは、ごめんね。でも案外間違ってないかも。純ちゃんといると、自然に笑えるから」

純「……やめなさい。恥ずかしいなぁ、もう」

それは親友として最大の褒め言葉。
中途半端な褒め言葉なら「唯先輩に言われたほうが嬉しい」と内心でひねくれてしまうものだけど、そんな隙すら与えない真っ直ぐな言葉は非常に気恥ずかしい。
……憂のこういうところは、唯先輩の影響を受けているんだなぁ、と思う。もちろんいい意味で。


――そうして憂と別れた後、一応梓に忠告をしようと音楽室を訪ねてみる。
……なんて、半分は建前だ。もちろん忠告はするが、本当の目的は唯先輩だ。ほんのわずかな時間だけだけど、唯先輩を見れるか見れないかでは随分と気分が違う。

純「失礼しまーす。梓、いる?」

梓「んー? 純じゃん。どしたの?」

純「ん、えっとね……ってあれ? 唯先輩まだいないの?」

唯先輩を見るために足繁く通ううちにいつしか見慣れてしまった、軽音部のティータイム。しかしそこには唯先輩の姿だけが無く。

梓「うん……遅いなぁって皆と話してたところ」

澪「鈴木さん、憂ちゃんあたりから何か聞いてない?」

純「いえ、特には。……でも体調悪そうだった…のは梓から聞いてますよね?」

律「らしいなぁ。それでも来るって言い張ってたとも聞いたけど」

純「体調戻らなくて今日は来ないんじゃ…?」

と言うだけ言ってみたが、その可能性は非常に低い。だって憂がまったく心配していなかったから。
未来を知る憂が心配していないということは問題ないということだ。もっとも、それは本来の憂から見れば『らしくない』とは言える。どんな些細な体調不良でも、きっと憂は見逃さないし心配する。
だから、その矛盾は回り回って『憂は未来から来た』ということを証明してしまっている。きっと憂は『唯先輩はここでは死なないし何事も起こらない』という未来――大袈裟に言うなら運命――を、知っているんだ。

――だから、きっと憂の言う事は全て本当。
でも、やっぱり親しい友人の死なんて、私は信じたくない。
でも、憂はこんな嘘なんて吐かないし。
でも、やっぱり認めたくなくて。

結局私は、子供っぽい意地を張って憂を困らせているに過ぎないんだな――とか思っていたら。

唯「あれー? 純ちゃん、どしたの?」

純「うひゃっ!?」

背中に唯先輩の重み。あるいは感触、肉感…って言うとちょっとやらしいか。
まぁ要するに、音楽室の入り口で固まっていた私に唯先輩が後ろからのしかかってきたワケで。

唯「おー、意外といいもたれ心地!」

純「嬉しくないです。っていうか小さい頃にも何度かのしかかってきたじゃないですか」

あの頃とは随分唯先輩の感触も違いますけどね。胸とか。

唯「いやぁ、久しぶりだったからどう変わってるかなって。ムキムキゴツゴツになってたらどうしようかと思っちゃったよ」

純「ムキムキな女の子は嫌いですか?」

唯「純ちゃんは好きなの?」

純「いえ全然」

唯「だよね。まぁ純ちゃんの感触が変わってなくてよかったよ。高校入ってからあまり遊びに来てくれなくなったからさ」

純「…憂が前にも増して家事に精を出すようになっちゃって行きづらくなったんですよ」

唯「? そーかなぁ?」

純「そうですよ」

憂のそれはもちろん、高校に入って打ち込めるものを見つけて頑張っている姉を、より良い気持ちで迎え入れてあげたいという妹の健気な思いからだ。
……そして実は、私があまり遊びに行かなくなったのもそっちが大きい。憂のほうではなく、誰かさんが高校に入って打ち込めるものを見つけてしまい、家にいることが少なくなったから、だ。

唯「で、純ちゃんここで何してるの? お茶してく?」

律「おー、いいぞいいぞ、一緒に茶ァしばいてくか?」

澪「誰だお前」

純「あー、魅力的な申し出ではありますが、ちょっとこの後用事が…」

梓「純って暇人だと思ってたけど」

純「ちょっとこの後梓の靴に画鋲を入れる仕事があって」

律「そりゃァ大変だ、頑張れよ」

梓「それって頑張ったら大変なことになるのは私の靴じゃないですかね?」


まぁ、実際用事なんて何もない。部員でもないのにお茶を貰うのはなんか気が引けるというだけだ。
それでなくても部活見学しておいて入部しなかった薄情者の立場なんだし、この人達でなければ顔を出すのさえ怖い。
いや、そもそも唯先輩と梓がいなければ顔を出すこともないんだけどさ。

……それより本題だ。唯先輩のほうは無事も確認できたことだし体温も感じられたことだしこれでいいとして。

純「――梓、日曜って何か用事ある?」

梓「え? いや、今のところは特に何も」

純「…そっか。気をつけてね?」

梓「いや何もないって言ってるじゃん。何に気をつけるのよ」

純「私にもわからんけど、危険なんてそこかしこに潜んでるんだから、気をつけといて損はないって」

梓「あーはいはい。せいぜい気をつけますよ」

純「むぅー……」

ダメだ、全然マジメに聞き入れてくれない。
まぁ具体的に例を出したわけでもないし、梓自身にも先の予定がわからないんだから当然なんだろうけどさ。
せめて外出するか否かだけでもわかれば、車に気をつけろとか言えたのに。

律「なんかアレだよな、唐突に心配されるとさ、死亡フラグみたいだよな」

澪「不謹慎なこと言うなよ…」

律「怖い? 怖いのか澪?」

澪「べ、別に怖くなんか――」

紬「脂肪フラグ」ボソッ

澪「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」ガクブル

純「………」

……誰一人としてマジメな話だとは思ってくれていないというのは、こんなにも心にクるものなのか。
いや、でもしかしこれ以上必死に言及すると余計にフラグに見える気も確かにする。ここは大人しく撤退すべきだろう。

純「じゃあ、そういうわけですので。部活頑張ってくださいね」

唯「………」

律「おー、んじゃなー!」

澪「またおいで」

唯「……待って、純ちゃん!」

純「…はい?」

唯「明日空いてる? 暇なら遊ぼうよ」

……唐突なお誘いに、思わず思考が停止する。
いや、そりゃ嬉しいし嬉しいんですけど! 嬉しいんですけど何故急に?

梓「いや、唯先輩受験生じゃないですか。早め早めのうちからちゃんと勉強しとかないとダメですよ」

唯「うっ……で、でも一日くらいいいじゃん! ね? 純ちゃんもそう思うよね?」

純「そこで私に振るんですか!?」

唯「久しぶりに遊ぼうよぉ、ね?」

はい、久しぶりに遊びたいですとっても!
でも梓の視線も鋭いのです。わかってる、わかってるよ梓。唯先輩のためを考えたら、選ぶべきはどっちかなんてわかってる。

純「……ちゃんと勉強してください。私と遊んだせいで大学に落ちた、なんて事になったら困ります」

唯「別に…純ちゃんを責めたりなんてしないけど」

純「私が気負っちゃうんですよ。明日はちゃんと勉強して、憂と梓のお許しが出たら改めて遊びましょう」

保護者の憂はともかく、梓の名前も出したのは……なんというか、当てつけに近い。
梓が余計な口を挟まなければ遊べたんだぞ、的な、ね。
まぁ、露骨に表すつもりはない。梓だって唯先輩のことを思っての言動だったんだから。

唯「うぅ……じゃあ純ちゃん、またね。今度は遊ぼうね?」

純「はい、次こそは!」


――そう約束を交わし、ウキウキ気分で帰路に着く。
唯先輩と昔を臭わせるトークをして、遊びに誘ってもらって、いずれ遊ぶ約束をして、そりゃ気分も上々ってモンですよ。あ

、もしかして梓は嫉妬してたのかな? なんちゃって。
っていうか、遊びに誘ってもらえるって事はそこまで悲観的になって梓に嫉妬しなくてもいいのかな?

純「……いやいや、思い上がっちゃダメだって。私みたいなキャラはそれで痛い目見るんだって」

きっとそんな深い意味なんてないんだ、唯先輩のことだから。
私に久しぶりに触れて、昔話を少ししたせいで懐かしい気持ちになっちゃっただけだろう。ノスタルジーな気持ちに。
……でも、逆に言えばそんな気持ちになってくれてる時こそアピールチャンスな気もする。明日はダメだけど、それこそ明後日なら日曜だし――


純「………あ」

……バカか、私は。
何を忘れているんだ私は。明後日は……そんなことをしている場合じゃないだろう。
やっぱり、心のどこかで信じていない、信じたくないのだろう。梓が死ぬなんて。
こんな風に過ごす楽しい毎日が、明後日で終わりを告げるなんて。
……やっぱり、信じたくない。


――土曜日。
宙ぶらりんな、どっちつかずの気持ちで、私は今日をどう過ごせばいいのだろうか。

明日、梓は死ぬ。そんなの信じたくない、けどきっと死ぬ、けど信じたくない……

朝から、いや昨日の夜からずっと、頭の中で堂々巡り。
憂は嘘を言わないから梓は死ぬ。そう考えているのも私で。
でも意地でも信じたくないし、常識で考えて信じられない。それももちろん私の出した結論で。

そして、梓が死ぬと思うなら、今日もまた梓に忠告くらいはするべきであって。
でも死なないと思いたいなら、忠告した時点で意地の張り合いで負けたことにもなって。

どちらも自分の出した答えであるからこそ、どちらかに傾倒した行動を取れば、それは私自身の否定なのだ。

だからこそ、私は動けず、一人で自室で膝を抱えているしかなかった。
何か他の事をしようとも思うのだが、何をしても身に入らないのが目に見えている。
……全ては明日になればわかること。だけど、それは逆に言えば明日になるまで、この私の心の迷いは――

純「……ん? メール?」

不意に震えたケータイ。相手は……憂だった。


憂「――お邪魔しまーす」

純「まったく、ビックリしたよ。いきなり『来たから開けて』なんてメールしてくるなんて」

憂「家に居るのはわかってたからね」

純「そりゃ未来から来た人にはわかるでしょうよ」

憂「ううん、純ちゃんのことだから迷ってるんじゃないかなぁと思っただけだよ」

純「……わかりやすい人ですいませんね」

憂「あぁもう、そうじゃなくって!」

純「はいはい、ありがとありがと。確かにずっと一人でいるのも暇だもんね」

わかっている、真剣に心配してくれていることは。
でもそれはとてもくすぐったくて、くすぐったいから笑わずにはいられなくて。
くすぐられるのは、どうも苦手だ。転じて、心配とか心細いとか不安とか、そんなシリアスな空気をぶつけられることも。
……要するに、シリアスな話の中心人物になるのはすごく苦手だ。
大丈夫かと誰かに問うことは出来ても、私自身はいざ問われたら、きっと相手が誰だろうとヘラヘラ笑って大丈夫と言い放つだろう。強がりではなく、苦手というだけの理由で。
でもそれでいいんだ、と思う。私はそういうキャラで、常にそういう立ち位置にいればいいんだ。何も困らないさ。

純「っていうかさ、唯先輩の勉強見てあげなくていいの?」

憂「え? あ、そっか、そういえば勉強だったね」

純「……? どうしたの? そんなに唯先輩に無関心なんて、憂らしくないね」

憂「無関心っていうか…お姉ちゃんだって、大学に行けばきっと家を出るんだよ?」

純「あー、いい加減憂離れしないとダメ、ってことか」

憂「まぁ、そんな感じかな」

純「………」

……一応、理屈は通っている。
少しだけ、ほんの少しだけ違和感を感じはしたけれど、それでも私のことを心配して憂は来てくれたんだから、あまり強くは言えない。

憂「……純ちゃんには、悪いんだけどね」

純「ん?」

憂「……お姉ちゃんと遊ぶ約束したらしいけど、明日、梓ちゃんが死んで、明後日にはまた昨日に戻るから、お姉ちゃんと遊べる日は来ないよ」

純「…うん。やっぱりそうなるよね」

あれは浮かれていた私が悪いし、どうかしてた。だからその事は覚悟済みだ。
っていうか唯先輩はそういう話まで家でしちゃうのか。まぁ憂と共通の友人だからっていうのもあるんだろうけど。

憂「もし…もしも、二回目の昨日に、同じようにまた誘ってくれたら…純ちゃんは遊べる?」

純「……無理、かな。梓のために跳ぶんなら、そんなことにうつつを抜かしてちゃいけないでしょ」

憂「…だよね。純ちゃんならそう言っちゃうよね。ごめんね?」

純「いいって。憂が謝ることじゃないし。それに梓を助ければ遊べるんでしょ? いや、っていうかそもそも私はまだ信じてないつもりなんだけど!」

憂「…それでも…ごめんね」

……憂は、勘付いているのだろうか。私が唯先輩に好意を抱いていることに。
恋愛感情だとは私自身ですら断定できないから、そこまで深読みはされていないだろう。それでも、他人のことをよく気にかけている憂なら私の想いが向けられている相手くらいは勘付いていても不思議じゃない。
……勘付いていたら、どうするのだろう? 友人である私を応援してくれる? 姉に相応しいか見定められる? それとも…キモチワルイ、と距離を置かれる?
……わからない。でも私の想いは、きっと憂が唯先輩に抱いている想いと同質であるように思う。だからきっと距離を置かれることはない。
……わからないことは多いけれど、それだけでもわかっていれば、憂とは変わらず友人としてやっていける気がする。

純「……あー! やめやめ! 湿っぽいのはやめて! 憂は湿気を持ち込みに来たの? 違うでしょ!?」

憂「う、うん。普通に遊びに来たんだよ」

純「じゃあほら、普通に遊ぼう! 今日は一日付き合ってもらうよ!」

憂「おぉー!!」

考えたくない事から逃げて、信じたくないことから逃げて、私は遊んだ。憂もそれをわかった上で全力で付き合ってくれた。
憂も、もしかしたらこうやって遊ぶのは久しぶりなのかもしれない。ずっと何度もこの三日を繰り返し、梓を救おうとしていたというのならば。
それだったなら私も憂の息抜きに一役買えたということになって嬉しいんだけど、それは同時にこれからは私もそんな『忙しい三日間』を繰り返すことになるということで。
きっとそれに対する憂なりの謝罪もあったのだろう。一方的な押し付けではなく、互いの事情を汲んだ上での行動。これなら後腐れもない。
表面には出さないけれど、憂はそういう気遣いは本当に良く出来る。さすがだなぁ、と思いつつ。

そうして、朝から夜までホントに一日中、憂と遊び倒したのだった。


――そして運命の日曜日。

梓にメールで予定を尋ねたところ、昼から軽音部の皆と遊びに行く予定だという。
先日は何もないと言っていたが、まぁおそらく唯先輩あたりが唐突に言い出したんだろう。うらやましい。
憂にメールしてみようかとも思ったが、昨日世話になったから言い出しづらく、諦める。

憂『――梓ちゃんが死ぬのはね、夜の8時。20時』

確かに一昨日、憂はそう言った。ならばまだまだ時間はある。

純「まだまだ時間はある…んだけど……ああああもう、やっぱ怖いなぁ!」

……昨日来てくれた憂には悪いけど、これ今日のほうが精神状態すっげー不安定になるんですけど。出来れば今日来て欲しかったなぁ、なんて。
でもまぁ、二日続けて世話かけるのもアレだし、それに梓の死を信じたくない私と知っていると言う憂が一緒にいると空気がギスギスしそうではある。昨日はそのへん抜きにして遊んだから上手くいっただけであって。
まぁ、そうは言うけど私達の『ギスギスした空気』なんて大したもんじゃない。気まずくなっても素直に『ゴメン』の一言さえ言えるなら許してもらえるし許したくなる、それが付き合いの長い相手の特権だ。
そして、憂相手に素直になれない人なんてそうはいない。私ももちろん、気まぐれネコのような梓だって。

……梓…か。

純「…あんた、本当に今日死んじゃうの?」

……空に問いかけても、無音の返事しかなくて。どうにも切なくなってしまった私は、夜に備えて昼寝としゃれ込むことにした。


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最終更新:2011年07月19日 03:02