――そして夜六時。夜というよりまだ夕方か――ってそんなことはどうでもよくて。
梓にメールしてみるがまだ外出中らしく。さすがに時間が迫ってきて不安になった私は憂にもメールしてみた。

『梓、大丈夫かな?』と送ろうとしたけれど、酷だなぁと思い留まる。
だって、そんなメールを送れば憂はまた私に『梓は死ぬ』という事実を告げなくてはいけなくなる。憂にとっての事実を。
梓は憂にとって親友――いや、もしかしたらそれ以上に大切な存在と思っているのかもしれない相手なんだ、憂の話が全て事実なら。そんな相手の死をまた語らせるのはあまりにも酷だろう。
というわけで悩みに悩み、『今何してる?』とだけ送ってみる。実に平凡、日々のよくある暇つぶしメール。

でも、返ってきたメールは全然平凡じゃなく、よくある内容でもなく。


『梓ちゃんを尾けてる』


純「……ちょ、えっ? それってまさか……」

まさかも何も、そんなことをする理由なんてそんなに思い浮かばない。

純『……見届ける気?』

憂『うん。純ちゃんは来ちゃダメだよ』

そりゃ見たくないし、そもそも信じてない立ち位置にいないといけないんだ、私は。だから行く理由は皆無だ。
でも憂は行っている。私と逆の立場なんだからわからないこともないけど、それでも…おかしい。

……つい先程の自分の仮定――憂は梓に好意を抱いている――さえ揺らぎかねない憂の奇行。
いや、奇行というのは大袈裟か。私に証明するために行っているんだと、理屈ではわかる。わかるんだけど。

それでも、普通は大切な友人の死の現場を見に行けるものか?
大切な友人の死を、それこそ『観察』するかのようなノリで見に行けるものか?

……いや、きっと憂はもう何度も目にしてきているのだろう。命の灯火が眼前で失われていく光景を、それこそ何度も。
でも、だからといって……理解は出来ない。少なくとも、まだ。

憂の心は、思ったよりヤバいくらいに壊れてきているのかもしれない。

憂、写メとかで変なモン見せないでよ…?


――梓の死に怯え、憂の心に恐怖し、気づいたらもう七時を大きく回っていた。

憂が梓を尾けている。それはつまり、梓が死んだら憂からすぐに連絡が入るということ。
ケータイを机の上に置き、じっとそれだけを眺めて身構える。身構え、心構える。心構えるって言葉あるのかな、今はどうでもいいか。
それより、ケータイが鳴ったら、私はどうすればいいのか。出なくてはいけないのは勿論だけど、出てどう反応すればいいのか。いっそ出ないという選択肢もアリじゃないか。憂を裏切り、一人でのうのうと生きるのもアリじゃないか。

純「……いや、冗談だけどね」

そうして何十分が過ぎただろう。
心臓は何回鼓動を刻んだだろう? 
汗は何滴滴り落ちた? 
室温は今何度? 
生唾を飲み込むのは何回目?

――今、何時?


純「ッ――!?」

ケータイが震える。電話かと思ったが……メールだった。
相手は…梓?

梓『さっき唯先輩たちと別れたよ。そろそろ帰るけど何の用?』

純「まだ…生きてるんだ。時間は…!?」

ホッとしかけたが、当然時間を見るまでは安心なんて出来ない。
そして時計は――ケータイを開けば、だいたい目に入る。

純「59分!? 嘘っ……」

そろそろ帰るということはまだ外にいるということ。外における危険なんて腐るほどある。

――私は……梓が死ぬなんて信じてない。信じてない…けど!

充分に気をつけて家まで帰れ。まだ近くに先輩が誰かいるなら送ってもらえ。
そんな旨のメールを高速で打ち込み、送信した気がする。

気がするんだけど。


――それに返事が返ってくることは、無かった。



『交通事故ですって?』

『お気の毒に……』

『即死だったそうですよ』

『いや、救急車が来た時はまだ生きてた』

『運転手からは完全に死角だったとか』

『急に飛び出してきたんじゃ?』

『車が赤信号で突っ込んだんじゃなかったの?』

……そんな会話を、私は何処で聞いたのか。
梓の搬送先の病院? それとも、憂からの電話越し?
……まぁ、どちらでもいいか。うん、どちらでもいい。

現場の近くに憂がいた。そこから伝え聞いた。そんな『設定』で、私は病院で梓の両親とも顔を合わせることになったけど。
二人とも涙を流すばかりで、きっと私の存在にすら気づいていない。

……それが、今日起こった全てのことを端的に、しかし如実に示していた。


憂「――お邪魔します、純ちゃん」

純「……うん」

憂「…あと30分はあるから、大丈夫だよ」

純「……うん」

憂「…昨夜は寝た?」

純「……うん」

憂「嘘だよね?」

純「……うん」

半分くらい、いや、半分以上はわかっていたようなものなのに。
それでもやっぱり私はショックを受けていた。
親友が死んだのだ、ショックを受けるのは当然だろう。けど、私の場合は事情が少し違う。

第一に、憂から伝え聞いていた。心の準備くらいは出来ていたはずなのだ。
そして第二に、私は梓を心のどこかで疎ましく思い、嫉妬していたはずなんだ。なのにこんなにもショックを受けている。

嫉妬する気持ちより親友としての気持ちが勝ったのだと考えれば少しは慰めにはなる。
でも、私自身は決してそうだと断言できない。わずか数日で二転三転する自分の気持ちが、何よりも誰よりも信じられない。
心の中がごちゃ混ぜすぎて、到底あと30分なんかで整理整頓なんて出来やしない。

だったら――

純「……跳ぼう、憂」

憂「…純ちゃん…」

――とりあえず、ロスタイムが欲しい。猶予が欲しい。今の私には、何よりも時間が足りない。
逆に言えば、一日で決断した憂はやっぱり強いと思う。

純「…金曜に跳ぶんだよね。悪いけど…金曜はそっとしといて欲しい…」

憂「……うん。ごめんね、つき合わせて」

純「それはいいよ。っていうか私もきっと…梓を死なせたくはない、んだと思う」

憂「……も、かぁ」

純「へ?」

憂「ううん、なんでも。純ちゃんは優しいね」

純「優しくなんて……ないよ」

自分自身の気持ちさえわからない私だけど、それだけは断言できる。
私は決して、優しい奴ではない。

純「だって、悩んでるもん。憂みたいになりふり構わず、自分の身を友人に捧げるなんてことは出来ないよ」

憂「……嘘。だって今、出来てるじゃない」

純「…出来てないよ。梓に関しては、まだ心の整理がついてない…!」

心の整理がつかないと動けない奴の、どこが優しいというのか。
たとえ他にどんな長所があろうとも、友達のために動けない奴を私は優しい人だとは思えない。

でも、憂は静かに首を振り、否定するんだ。

憂「……梓ちゃんのことじゃないよ。跳ぶってことは、私の言うことを迷わず信じてくれたってことでしょ?」

純「っ……それは、ううん、それも私はただ、時間が欲しいってだけの理由で!」

憂「理由なんてなんでもいいんだよ。そうやって悩んで、迷いながらも私に付き合ってくれる純ちゃんが、優しくない人のわけないよ」

……あぁ、ダメだこりゃ。何言っても無駄だ。
自分の欠点を見ている私と違い、たった一つの長所を見て、人を善く評しようとする憂。心から性善説を信じているのではないかと疑いたくなる、このあたりはやっぱり唯先輩に非常に似ている。
ともあれ、見ているところが違う以上、話は永遠に平行線だ。話題を引っ張るだけ無駄で、私が折れてやるしかないんだ。
……ま、そんなお人好し姉妹が、私はどうしようもなく大好きなんだけど。片方は親友として、もう片方は――

純「――そろそろ30分経つ?」

憂「もうちょっとあるけど、念の為もう一回説明しておくね。といっても私も試したことはないから伝聞になっちゃうけど」

純「触れてれば一緒に跳べる、だっけ」

憂「うん。ボタンを押すのは私だけでいいらしいよ。あ、あと目を閉じといてね」

純「ん、わかった。どんな感じになるの?」

憂「まぁ、ちょっとクラッとしてフワッとするくらいかな」

純「……全くわからん」

まぁ確かに、今の格好と跳んだ先の格好とかが同じな可能性は低いのでクラッとしてフワッとするくらいは起こり得るのだろう。よくわからんけど。

憂「……そろそろだよ、純ちゃん」

純「ん、わかった……よろしくお願いします」

憂「あはは、なんか変じゃない? それ」

純「そうかもしれないけど、これでよくない?」

憂「私達らしい、かな?」

純「うん」

憂「……ずっと、何度でも、付き合ってくれる?」

純「……唐突だねぇ」

不安…なんだろうか。
その不安を拭ってあげたいけれど、私より優等生の憂がいくらがんばってもダメだったんだ。今更私一人が増えたところでどうにかなるかは怪しい。
私にもアテがあるわけじゃない。人の死の運命を覆す方法なんてわからない。
それにそもそも……私自身、本当に覆したいのかさえわからない。きっとそうだと思いたいけど、自信はない。
今回の事も、自分のことはわからない事だらけで、ただ単に憂が私を求めてくれたから付き合うだけに過ぎない。流されているに過ぎない。
だから、変に希望を持たせることは言えない。

純「……イヤになるまでは、付き合うよ」

憂「……正直だね。ちょっと寂しいけど」

純「…ゴメン」

憂「ううん、正直なのは純ちゃんのいいところだし、正直になれる相手って思われてるのは嬉しいから」

純「……たはは。そんな憂となら、そう簡単にはイヤにならないと思うよ」

憂「…ありがと。じゃあ…行くよ?」

頷き、機械を一緒に握って目を瞑る。
――そしてしばらく後、本当にクラッとなってフワッとなって私はビクンってなってしまった。


憂「――純ちゃん、わかる?」

純「……うん。学校だね」

憂「よかった、成功したんだね。じゃあ……梓ちゃんのところ行ってるから」

純「……あ、うん。ゴメンね」

初めて跳んだ過去。言わば全く知らない世界。いや知ってはいるんだけどね。初体験なもので不安になるというか。
でもそうも言ってられない。憂だけは同じ境遇なんだから大丈夫。私は私の問題を解決しよう。


――授業の内容なんて一切聞いてなかったけれど、どうせこの前と同じなんだから問題ない。
とりあえず、そうして一日使ったおかげで結論は出た。

純「――梓を、助ける」

憂「……ありがと、純ちゃん」

純「…そういうのは助けてからにしようよ」

憂「ううん、手伝ってくれるだけで、一緒に居てくれるだけで嬉しいから、やっぱりありがとうを言わないといけないよ」

純「……はいはい。もぅ…」

結局私は、梓を助ける道を選んだ。
でも、憂ほどちゃんとした理由なんてない。私は梓が死んだと聞いて、理由はわからないけれどショックを受けたんだ。
だから助ける。理由はわからないけれど助ける。それだけに過ぎない。

いや、もっとそれらしい理由もあるにはある。憂に求められたから、だ。
憂が、親友としての私に助けを求めてきた。よく考えたらそれだけで理由は充分だったんだ。
……たとえ相手がどんな奴であれ、私に出来るだけのことをする理由はそれで充分。


――放課後に音楽室に顔を出したら、唯先輩がまた同じ時間に重役出勤してきた。
行動もやりとりも前回と同じだったけれど、遊びに誘ってもらえなかった。どのみち誘われても憂に告げた通り断るしかないんだけど、少し寂しかった。




――土曜日。
とりあえず私は憂から『前回』の梓がどう死んだかを聞くことにした。それを知らないことには対策を立てられないからだ。

憂「交通事故、だったのは覚えてるよね」

純「うん。でもそれだけだよ、私が知ってるのは」

憂「えっとね、場所は私達の中学から北に行った所のあの交差点。見通しが悪いって散々注意された場所」

純「あー、懐かしい。あそこホント事故多いよねぇ」

憂「霊の仕業じゃないかって言われてるよね」

純「話が逸れてきたね」

憂「……ごめん」

純「いや、いいんだけどね。じゃあとりあえずそこを通らせない方向で対策してみていい?」

憂「いいんじゃないかな?」

随分アッサリと言うね、この子は。
これくらいのこと、憂がチャレンジしてないとは思えないんだけど……

憂「私がやった場合と、純ちゃんがやった場合では結果が違うかもしれないし。純ちゃんのやる事に口出しはしないよ」

純「……でも、参考までに聞かせてよ。似たような方法を採ったことはある?」

憂「…あるよ」

純「その時はどうなったの?」

憂「……見通しのいい通りだったんだけどね。居眠り運転の車が…ね」

純「…時間通りに?」

憂「うん」

……なんか、今回もそうなりそうな気がするなぁ。
でも、あまり大きく梓の行動を変えるのもまだ怖い。未来にどんな影響を与えるかわかったものじゃないから。
過去に来ている以上、行動は慎重にならざるを得ない。私がサブカルから学んだ知識だ。

純「とりあえず、一回は…この手段でやってみたい。梓にメールするだけで変えられる未来だし、あまり大袈裟なことにもならないと思うから」

憂「うん。また私が尾けようか?」

純「っ………」

思わず息を呑む。
そうだ、忘れていた。私は前回は梓の死を直接見てはいない。
でも今回からは流石に憂に押し付けていてはいけない気がする。私の判断で、私の方法で梓の運命を変えようというのだ。見届けるのは私の義務だ。
頭の中ではそうわかっているんだけど…でも……

憂「……無理しないでいいよ。見るのも結構ショックだから」

純「…経験者は語る、って?」

憂「……見ないで済むなら、見ないほうがいいと思う。本当に、心から」

心配して言ってくれているのだというのはわかる。
でも、それは逆に言えばそれだけの重い事を押し付けようということであって。
かといって、それを憂も決意の上で。その心配を無碍にするのもなかなか難しくて。

純「……今回だけは…甘えていい、かな、憂」

憂「…うん、もちろん」

途切れ途切れの言葉。どうにか言い切っても、やっぱり憂に対する罪悪感は消えず。
甘えるのは今回だけにしようと、強く誓った。


――日曜。梓は前回と同じく、先輩達と遊びに行くらしい。
さすがに今回は羨ましいとか言ってる心の余裕はない。かといって梓を助けるために直接何か出来るわけでもなく、今はまだ梓に不自然と思わせない範囲で情報を引き出す『フリ』をしなくてはいけない。

いつくらいまで遊ぶのか、と送り。
どのへんで遊ぶのか、と送り。
終わったらすぐにメールしてくれ、と送り。

とりあえず、これで準備万端…だと思う。憂への連絡は…いいや。前回の件で、憂がちゃんと行動していることはイヤというほどわかっているし。

純「――こんなんで、助けられるのかな…?」

ふと口をついて出てしまった言葉。ずっと心に引っかかっていたソレは、言葉にしてしまうとより重みが増すようで。
言霊、とかいうやつだろうか。不安を口にするたび、現実になりそうで。だからこそ常日頃から私はお気楽な発言を繰り返してきたわけなんだが、さすがにこの空気ではそうもいかない。

純「………」

助けられないんじゃないか。確信めいた予感があった。
以前に憂が失敗したのもあるし、それ以上にかつてこれだけの簡単なことで成功したタイムトラベル作品なんて存在しない。
いろいろなマンガやゲーム、映画や小説に触れてきたが故、変に確信を持ってしまっていた。

純「……ん?」

悲観的な気持ちになっていると、ケータイが震えた。開いてみると、憂からのメール。

憂『尾行中です。どんな結果になっても誰も責めないから、あまり気負わないでね』

……これは、憂も失敗する可能性の方を多く見ているのだろうか。
そりゃそうか。信用されてないとかそういう話じゃなく、憂は実際、同じようなやり方で失敗しているから、そう思うのも無理はないんだ。
ふてくされたくもなるが、憂には憂の理由もあるし、何より私も失敗しそうだと感じている。

……そして怖いことに、私の考えは『次の三日で何をするか』にもう行ってしまっていた。

もう今回のことは諦めると、無意識にでもそう思ってしまっているんだ、私は。
梓を、親友を、命を諦めると、そう思ってしまっているんだ。

純「ッ……! わ、私は……」

……ダメだ。私はきっと命の重みを知らない。憂に甘えてしまって、眼前で死を見ていないから、重みなんて知りようがないんだ。
助けるとか言っておいてこのザマだ。とんでもない薄情者だ、私は。

……それとも、やっぱり私の本心は――

純「……次は…見届けるからね、梓…」


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最終更新:2011年07月19日 03:05