――そして八時少し前。
梓からのメールに『交差点を通らず、回り道して帰れ』と返したものの、やっぱり返信はなくて。
憂から予想通りの電話を受け、私は嘆息することしかできなかった。


――月曜。梓への謝罪を胸に、私はまた跳んだ。



――次の日曜日。
今度は私が梓を迎えに行くことにした。念には念を込めて、少しだけ早く解散してもらって、だ。
梓は怪訝に思っていたが、必死に頼み込んだのでどうにか条件は飲んでもらえた。


憂「早く解散するってことは、お姉ちゃんが早く帰ってくるんだよね。夕飯の準備しておきたいから、少し遅れるかも」

純「ふーん。お姉ちゃん思いだねぇ、ホント。八時までには合流してよ?」

憂「大丈夫。遅くても十分前までには行けると思う」

純「まぁ…ギリギリいいか、それくらいなら」


――とりあえず、今日は私も街のほうに繰り出して遊んで一日を潰して。梓と合流して。
そうしてどうにか十分前くらいには憂は合流してくれたのだが、そこで私の計算の甘さに思い至る。

……このままでは、八時までに梓の家には着かない。

迎えに行ってみるのが今回の作戦だったのだが、欲を言えば家まで送り届けたかった。
そもそももっと近くで遊んでいれば憂ももっと早く合流できたはずだが、それは今更言っても仕方ない。
なるべく車通りの少ない道を選んで帰ることにする。

純「……歩道が広いし、この道なら安心でしょ」

梓「何が安心なの?」

純「いやなんでも。車は怖いねって話よ」

梓「……なにか悪いものでも食べたの?」

純「なんでそこまで言うかなぁ」

まぁ、本人に伝えたところでどうにもならない話だ。ここは堪えよう。
広い歩道に三人、横に広がって歩く。車道側から憂、私、梓の順だ。これなら私達が壁になって車も突っ込んではこれまい。
いや、壁とは言うけど、私達は死なないはずだから。そういう運命になってるはずだから。いろんな作品でそうなってたはずだから。
……憂が一番外側にいるのは本人の希望であって、決して私が押し付けたわけではない。憂が車道を見て、私が梓本人を見る、という取り決めがあったんだよ、本当に。

……とにかく、これで車に対する安全は確保できたはず。
でも私の知識が、それだけでは安心できないと言っている。車の脅威を取り除いても、他の何かで死ぬ可能性が高いからだ。
鉄骨が降ってきたり、看板が降ってきたり。とにかく運が悪い事故のように見せかけた『運命』によって殺されてしまうことが多い。だから、私は警戒を怠るわけにはいかない。

純「……梓、もっとこっちに寄って」

梓「な、何で?」

純「いいから」

腕を引き、密着するほどに梓と身体を寄せる。これで事故のようなもので梓を殺そうとするなら私も巻き込んでしまう可能性が高くなり、運命様もそう簡単には手が出せないはずだ。

――もうすぐ八時。地面に、空に、四方八方に目を配る私はさぞ不審に見えただろうけど、仕方ないことだ。


憂「八時」

憂が呟く。周囲を見渡す。

上。何もない。下。何もない。後ろ、何もない。

――横。風が吹いた。

――前。一人の男が、走っている。風はあの男のものだろう、私達の横を走り抜けて――


憂「梓ちゃんッ!!!」


……憂の声に釣られて、横の梓を見る。

梓「…あ………」

一言だけ、何に対しての言葉かわからない言葉だけを残し、梓は崩れ落ちた。
その首から、止まることのない赤が地面に注がれ、池を作る。真っ赤な池を。

純「ぅ……あ、梓……? 大丈夫…? どうしたの…?」

私の問いかけに、言葉こそ返ってこないものの、梓は身じろぎで答える。
……いや、目を背けるのは止めにしよう。私の言葉なんか既に届いていないし、身じろぎなんかしていない。痙攣しているだけだ。

周囲の人達も理解したらしい。あちらこちらから悲鳴が上がり始める。
悲鳴と、怒号と、逃げ惑う人々。そんな中にあって、憂だけは冷静だった。

憂「純ちゃん! 救急車!!」

純「あ……う、うん……」

傷口を押さえる憂を尻目に、震える指で番号を押す。
しどろもどろになりながらも場所を伝え、そのまま電話先の人から応急処置の仕方を教えてもらうも、何一つとして私の頭には入っていなかった。

だって、きっと梓は助からない。
この時間に、梓が倒れたという事は。

……運命を、変えられなかったということだろうから。



――日曜。

私は思い知った。
もう、梓を家から出してはいけない。外は危険が多すぎる。

純「というわけで、何があっても外に出ちゃダメだかんね!」

梓「はぁ? なんで純にそんなこと言われなきゃ――」

純「いいから! 絶対! 見張っとくからね!?」


……梓の家の玄関前に隠れ、梓が外に出ないか見張ることにしよう。
という作戦を憂に告げると、じゃあ、と二つ返事で憂が梓に付いていることになった。一緒に遊ぶ体を装って。
まぁ、そういうことになったので実は私の意味はあまりないんだけれど、そのまま私のポジションは変えなかった。

……自分でもわかっている。梓がまた死んだら、と思うと怖いのだ。
憂と一緒に梓を目の前で見張っていればそれでいいんだ、本来は。でもそれだと、もしまた梓が目の前で死んだときが怖すぎる。

……憂の言う通り、見なくて済むなら見ないほうがいいものだった、人の死なんてものは。

だから今回は、見張りという体で梓の傍から逃げ出した。
……つくづく、自分が嫌になる。


――そして、また思い知る。


「きゃああああっ!!!」


純「――!? 悲鳴!?」

響いたのは、憂の悲鳴。
そして梓の家の中が騒がしくなる。ああ、親御さんも居たんだな……なんて、逃避している場合じゃない!!

純「すいません! 何があったんですか!?」

梓母「あなたは…鈴木さん!?」

純「はい! 一体何が!?」

梓母「わからないわ! 上が騒がしくなって、平沢さんの悲鳴が響いて…」

純「私も行きます! おじゃまします!!」

梓母「あ、ちょっと――!」


――そうして、駆け上がった先で梓の父親と一緒に見たものは。

ナイフを突き立てられた梓の死体と、腕を切りつけられた憂の姿だった。


憂「っ……ごめん、純ちゃん。鍵、ちゃんとしてたはずなのに、いつの間にか窓が開いてて……男の人が……」

強盗…だというのか。
憂が戸締まりの確認を怠るとは思えない。何らかの方法で外から開けたのだろうか。
それとも、梓が開けた? いや、まさか。それも憂がさせるとは思えない。
……でも、もしかしたらその辺も超越してしまうのが『運命』というものなのかもしれない。

純「……大丈夫? ごめんね、私も一緒にいれば……」

憂「…ううん、守りきれなかったのは…私の落ち度だよ」

……でも、憂が無事だったのは唯一の救いと言える。もちろん梓の父親がいる前で口にはしないが。
しかし、家に居てもダメだなんて……どうすればいいんだろう?

――簡単だ。もっと強引な手段に出ればいい。
これ以上ないくらいに梓の周囲を固めればいい。

どんな手段を使おうと、梓にどう思われようと、助けてみせる。

二人でそう誓い、また跳んだ。


――次の日曜。

半ば監禁のような状態で、梓を憂の部屋に閉じ込めることにした。戸締まりも完璧。二人で確認した。
あ、もちろん今度は私も一緒にいる。もう、目を逸らすわけにはいかない。憂ばかりに負担はかけられない。

今回は、何をするにも梓と一緒に動く。一瞬たりとも目は離さない。トイレでさえ危険だ。

梓「……一緒にトイレまで来る気なの?」

純「もちろん。イヤならここでしなよ」

梓「……憂、純はどうしたの? ちょっと怖いんだけど…」

憂「…まぁ、いろいろあるんだよ」

余談だが憂の怪我は三日前に跳んだ時点で治っていた。過去に跳んでいるんだ、そりゃそうだろう。

梓「ねぇ、喉渇いたんだけど」

純「ガマンしなさい」

梓「……憂…」

憂「ごめんね、梓ちゃん」

純「……あれ? そういえば唯先輩は?」

憂「軽音部の皆さんと一緒に遊びに行ってるよ」

梓「あぁ、やっぱりかぁ。いいなぁ……」

純「梓はダメ」

……梓に睨まれた。
ものすごく余裕がないな、私。ほら、憂も不安そうな目で見ている――

梓「……ああああ! もう限界! 喉渇いたぁー!!」

純「うおっ、びっくりした」

……さすがにトイレのような恥をガマンすればいいものとは違い、喉の渇きには耐えられないらしい。
でも、飲ませるわけにはいかない。もうすぐ八時だ。きっと飲み物に何かが混ぜられていて、血を吐いて梓は死ぬ。水道水でも一緒だろう。
だから、絶対に何もさせるわけにはいかない。


――そして八時を目前に控え、ふと、梓の様子がおかしいことに気づいてしまう。

純「……梓、大丈夫?」

梓「…大丈夫じゃ……ない……」

口は半開きで、喉から変な音を立てて呼吸している……ような気がする。
身体もだるそうだし、明らかに元気もない。

梓「み、水……」

純「だ、ダメだって梓!」

憂「で、でも……脱水症状…みたいにも見えるよ?」

純「そんな!? で、でも……」

でも、それでも水を飲ませるわけにはいかない。何かを梓に近づけるだけでもいけないんだ。
でも、このままだと梓は――

純「……我慢して、梓」

憂「…いいのかな…」

純「脱水症状ったって、今すぐ死ぬわけじゃない…はず。そもそもこんな短時間でそんな症状が出るわけもないし……八時を過ぎたら飲ませてあげれば――」

梓「はッ、ひ、ぐッ――!?」

純「ッ!?」

梓が妙な声を上げ、前のめりに倒れこむ。

憂「梓ちゃん!?」

純「梓!? 梓ッ!!!」


――脱水症状。極度の緊張状態によるパニック症状。心身衰弱。そして急性心不全とか、なんかそんな診断をされたらしい。

……私の判断は、間違ってなかったはずだ。あの状況で、何物であっても梓に近づけるわけにはいかなかった。それが一番安全だからだ。
なのに、それなのに、梓は死んだ。

純「……私は…どうすればよかったの?」

……その問いに、答えるものは誰も無く。


――もう、無理なんじゃないか。
梓を助けることは、死の呪縛から、運命から解き放つことは不可能なんじゃないか。

……もう、疲れた。

純「……憂、また行くの?」

憂「当たり前だよ……繰り返すよ、何度でも」

純「……もう無理だよ。何度やっても、どんな手段を選んでも、変わらないじゃん…!」

憂「…そうだとしても、やめないよ、私は」

純「……どうして、憂はそんなに強いの?」

憂「強いわけじゃないよ。死んでほしくないからダダをこねてるだけ。大切な人の死を乗り越える強さは、私にはないんだよ…」

純「………」

わかるような、わからないような。
どうしても引けないから意地を張っているだけ。意地を張らないと、砕けて壊れてしまうから。

だとすれば、強いのは私のほうなのだろうか。
命に順位をつけた私。梓が死んでも、憂や唯先輩がいれば生きていける私。そんな薄情な私のほうが強いのだろうか。


……そんなわけはない。強いわけがない。
これ以上、梓の死を見たくない。私の中では優先順位は低いはずなのに、これ以上は耐えられない。
いくら順位をつけようとも、やっぱり梓は――

憂「――純ちゃんにとって、あずにゃんは大切な人じゃないの? 見捨てちゃうの?」

純「……いえ。大切な仲間だから……もう、見たくないんですよ」

憂「そっか。梓ちゃんのこと、大好きなんだね」

純「大好きかどうかはわからないけど、好きだよ。何を今更――」

そうだ、やっぱり大事な仲間なんだ。
唯先輩の件で疎ましく思っていたとしても、そんなの関係なく、大切な仲間なんだ。
やっぱり私は、梓を嫌いになんてなれない。そう思ったら、胸の奥が熱くなり――


――あれ?


――何かがおかしい。



憂はさっき、何と言った?
私はさっき、何と答えた?


……憂は「あずにゃん」なんて呼ばない。
……私は憂に敬語なんて使わない。


あれ。
もしかして。



私の『温度』が、急激に引いていく――



純「――ゆい、せんぱい?」

憂「ッ!?」


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最終更新:2011年07月19日 03:08