「復活」


   (覆された宝石)のような朝
   何人か戸口にて誰かとさゝやく
   それは神の誕生の日。


   御使、處女の許に来りて、言ふ。
   『めでたし、恵まるる者よ、主なんぢと偕に在せり』
   マリヤこの言によりて心いたく騒ぎ、……

……

18回目の朝、彼女はそれまでとはすべてが違っていることを知っていた。



   1

「澪はムギの車に同乗してくるって。梓の愛すべき後輩もムギが拾ってくるってさ」

律は梓が助手席に乗り込んでしっかりとシートベルトを締めたのを確認すると、車を発進させた。

昨年と変わらぬツインテール姿の後輩は悠々と運転席でハンドルを切る律のようすに目を丸くした。

「律先輩が免許を取れたなんて、信じられないです」

「オートマだけどな」

軽口にも気分を悪くせず、律は返した。

「唯先輩の家まで20分くらいですか」

「ああ」

それきり会話は止んだ。

同じ軽音部の部長と部員としてともに過ごした二年の間にも、律と梓が二人きりになる機会はあまり多くなかった。

いざ二人きりになると、どのような話題を振ればいいのか律にはわからなかった。

もとより気心のしれた仲だ、沈黙が耐えがたいというほどではない。

しかし律の気性からして、二人の人間がこれだけ狭い空間を共有しつつ無言でいるよりは、

なにか愉快な会話でも交わす方が好ましかった。

梓の方でもそんな気配を察したらしい。

会話の口火は彼女が切った。

「唯先輩のお家に着くまで、なにか面白い話でもしましょうか」

「いいぜ。で、面白い話って、たとえばどんな?」

「そうですね……じつは私は宇宙人なんです」

「目的地を病院に変えようか」

「ひどいです。冗談ですよ、冗談」

「冗談に聞えなかったぞ、今の。まるで……」

「まるで私が本気で言ってるように聴こえました?」

「うん」

「その方が好都合です。まあ、退屈しのぎのお話ですよ。私が宇宙人だって前提で聞いてもらえます?」

「うん、まあ、面白い話ならなんでもかまわないけど」

「それで、私が宇宙人だって聞いてどう思いました?」

「ばかばかしい」

「やっぱり信じてないですよね。それはなぜです?」

「なんでって……そりゃ、確かに梓はちょっと人間離れしたとこが……いたた、冗談だって!

 嘘だよ、お前はどう見ても人間だ」

「そう、そうなんです。どう見ても私は地球人に見えるんです」

「うん、かわいい地球人だ」

「律先輩は宇宙人ってどんなカタチをしてると思いますか?」

「タコ」

「それは昔の火星人……少なくとも地球人と同じ姿ではないと思っている、そうですね?」

「ああ」

「なぜです?」

「だって、宇宙人がいるとして……そいつらはようするに地球とは違う星で進化した生き物なんだろ?

 地球とは違う環境で育って、その、進化とかなんとか、そこの環境に適応した姿をしてるはずだから――」

「当然人間とは違う姿をしている。じゃあ、私の故郷が地球とほとんど変わらない環境の星なら?」

「それでもやっぱり地球人とまったく同じにはならないと思う。

 人類が海のプランクトンみたいな生き物から、今の姿になるまでには、

 何億年もかけて……ものすごい数の偶然を積み重ねて、進化してきたんだろ?

 地球と似た環境の星だからって、人間と同じ生き物が生まれるとは考えられないよ」

「もし人間が生まれたのが偶然によるものだとしたら、先輩の言ってることはほぼ正しいです」

「どういうこと?」

「人間がある必然のもとに、もっと言えば誰かの操作によって生まれたとしたら?」

「誰かって、神さまとか?」

「はい。私たちはその人を神さまと呼びます」

「アヤシイ話ならごめんだぞ」

「あはは」

「だけど、宇宙人である私が地球人と同じ姿をしてるということ自体、神の存在の裏付けにはなりません?」

「ええー? ちょっとむりやりじゃないか、それ」

「まあ、お話ですから……」

「だいたいさ、梓が宇宙人だとして、どうやって地球まで来たんだよ? 宇宙船とか見せてくれるの?」

「私たちは移動をするのに乗物は使いません。

 重力波無限軌道支持体と言うのですが、ある端末を使って直接物体を目的地に輸送する方法があります。

 この方法だと、移動にかかるエネルギーは三次元的な距離に左右されないので非常に経済的なんです。

 地球に来て初めて自動車とか電車とかに乗った時は変な気がしましたよ」

「早口でさっぱりわからん」

「そこは、まあ、どうでもいい話です」

梓はそこで一つ息を吐いた。

「律先輩は信じてますか、神さま」

「さあ。会ったことないからどうにも」

「ええ。神さまって、どんな姿をしてると思います?」

「白いひげがもじゃもじゃ生えてる?」

「人間みたいな姿?」

「当たり前だろ」

「当たり前でもないです。世界各地の宗教ではいろいろな姿の神さまがいるんですよ?

 象の形だったり、丸い円盤で表される神さまや、姿のない神さまもいます。

 そう、でも、律先輩が言ったので基本は正しいんです。おひげは生えてないですけど」

「梓は会ったことあるの?」

「ふふ。創世記には神は自分の姿に似せて人間を創ったと書かれてあります。

 つまり、人間とまったく同じ姿をしてるということです。

 また、真昼に庭を歩いたとの記述もあります……けっして神さまは形のない存在じゃないんです。

 人間と同じ、肉体をもっているんです。

 そういう方が、この宇宙を創り、星を創り、

 様々な惑星に生命と、自分に似た人間を生みだしました。どう思います?」

「すごい話だなあ」

「すごいですよね。たいへんなことです。でもね、死んじゃったんです」

「ん? 誰が?」

「神さま」

「神さまって死ぬの?」

「肉体があるんですから、死ぬこともあります。もちろん、普通そんなことないですよ。

 だけど、死んでしまったんです。愛のために」

「わからん」

「私たちは、それからずっと、神さまを蘇らせようとしてるんです」

「どうやって?」

「神さまは、私たちと同じように肉体を持ってるっていいましたよね」

「さっき聞いた」

「手があって、指があって、胴体の中には内臓があって……

 それらすべてのものはすべて微小な細胞からできてます。

 ぜんぶ、私たち宇宙人やあなたたち地球人類と同じです。

 もちろん、私たちと同じで細胞の中には核があり、遺伝子が保存されています。

 ねえ、律先輩、DNAは四種のアミノ酸が膨大な数組み合わさってできたものだってご存知ですか?

 その組み合わせの可能性は天文学的な数字ですが、DNAの長さは有限で、ありうる組み合わせの数もまた有限です。

 つまりDNAの様々な組み合わせを試していけば、いつかは、おそらく世界の終わりまでには、

 神とまったく同じDNA配列を保存する細胞が生まれてもよいのです。

 完全に同一なら、その遺伝子保持者は神さまなのです。

 ――ここまで、分かります?」

「自信ない。なんとか……」

「私たちは、私たちの星の人間は、その確率をもっと高めるための研究をしていました。

 それが私たちの宗教だったのです、そのように私たちは信仰の行為を定義づけました。

 それが私たちの神への奉仕。一刻も早く、神を復活させること、それが私たちの愛でした。

 方法は簡単です。遺伝子のなかに、特殊な方向付けを施された因子を忍び込ませるだけ……

 神の遺伝子に向けて方向付けされた……神そのものを創ることはできません、しかし、

 世代にわたって様々なパターンを作りだす遺伝子を、神に近い方向へそっと押しだすことは可能だったのです。

 見えない的がどこにあるか分からなくて、すべての方向に向けて矢を放つときと、

 大まかな方向が分かっていて、そちらへ向けてだけ矢を放つときと、

 そのどちらが的を射止める確率が高いか、考えるまでもないでしょう?」

「ううん、そうだな」

「私たちはそれを実行に移しました。そしてその実験場として、地球を、地球人を選んだのです」

「おいおい」

「地球人がいちばん条件がよかったから。一世代のサイクルが短くて、生殖の効率が最もよかったのです。

 他の星の人間は、一世代が地球で言う何世紀分にもあたりますから……私だってこう見えて、律先輩の何倍も生きてるんですよ。

 ……まあ、今お話したことはもうずっと昔のことです。

 地球人の遺伝子に神に向けた因子を忍び込ませ、果てしない未来に、神が再び生まれることを願ったのです」

「着いたぞ」

「え?」

「いや、唯の家」

「あ、すみません」

梓は慌ててシートベルトを取ろうともがくが、金具がかたく、うまくいかない。

律はなにも言わずに手を伸ばし、さびついた金具を抉じ開け、梓を解放してやった。

「ありがとうございます」

「神さまが生まれたとしてさ、それが神さまだって、どうしてわかるの?」

「え?」

「続き、さっきの」

「ああ。神にふさわしいほどにその体が成長した時、自ら自覚すると言われています」

「ふーん」

「神さまですから」

「すごいなあ」

「私のお話、面白かったですか?」

「頭が痛くなった」

「あはは」

「お陰で退屈はしなかったよ」

「さ、今日は憂の誕生日です。日ごろお世話になってる分、気合い入れてお祝いしましょう!」

「おう!」



   2

部屋はすっかり用意が整っていた。

憂はじっとしてて、という二人の言葉をうけ、姉と純が準備をするのを、すこしはらはらしながら平沢憂は見守っていた。

「さ、これですっかりできたね!」

「ええ」

唯はこの短い作業の間に、すっかり妹の友人と気があったようだった。

「ういー、お誕生日おめでとう!」

「ありがとう、お姉ちゃん。でも、もう何回も聞いたよ?」

「何回でも言いたいよー。おめでとう、おめでとう!」

「おめでとう、憂」

「うん、ありがとう、お姉ちゃん、純ちゃん」

「梓、先輩の車でこっち向かってるって。もうすぐ着くってさ」

携帯を見ながら純が言った。

低いバスの音が響いた。

気のせいかと思った矢先、同じ音がもう一度鳴った。

唯の腹の音だった。

「お姉ちゃん、おなか減ったの?」

「うん……みんなが来る前に、ちょっとだけ食べちゃおっか」

「ええ!? だめですよ、唯先輩! もうちょっと待ちましょうよ」

「だってえ……ういー、そこのサンドイッチ取ってー」

「うん」

憂は姉に乞われるまま、テーブルの上の大皿に積まれたサンドイッチの山から、

フィッシュカツサンドを一切れ手に取った。

端を切りそろえた真っ白な食パンに、香ばしい白身魚のカツと瑞々しいレタスが挟まれている。

サンドイッチはすべて唯の好みに合わせてマスタード抜きで作られていた。

憂は大きすぎるカツサンドを、真ん中から手でふたつにちぎる。




   3

「お邪魔しまーす!」

チャイムも鳴らさずに律は平沢家に踏み込んだ。

梓がなにか抗議の声をあげているが、気にせずにリビングに上がっていった。

「お祝い事はこのくらいでちょうどいいんだよ」

「礼儀作法のなってない人ですね」

「うるせえ」

「履物をちゃんと脱いでくださいよ?」

「当たり前だろ。もう脱いでるし」

「それから、頭が高いです」

「え?」

「お邪魔します。唯先輩、いますか?」

静かな足取りで階段を上っていく。

二人とも何度も訪れた家だ、リビングの場所は承知している。

家の中は変に静かだった。

「ゆいー? いないのか?」

扉を開けると、唯と純、そして本日の主役の憂がきちんとその場にいた。

「なんだ、いるんじゃないか」

おかしなことに誰も律を見なかった。

憂は手にサンドイッチを持っている。

テーブルいっぱいにサンドイッチが積み重なっていた。

皿が足りなかったのか、テーブルクロスにじかに置いてあるものもある。

「りっちゃん」

唯がようやくこちらを振り向いた。

けれども、なにも言わずにただ頷くと、その場に膝をついた。

傍らに立っていた純も、すぐに同じようにした。

――律には分からなかった。

いや、少しだけ分かりかけていた。

律は、自分が涙を流すのではないかと思った。

しかし、それはこの場におよそふさわしくないと考え直した。

崇高なものを前にして大いなるよろこびの感情が湧きおこった。


梓は歩み寄り拝跪する、そして言う。

「誕生おめでとうございます」



主は復活せり。

神に栄えあれ。


(2011年2月22日)

おわり



12
最終更新:2011年07月19日 03:19