紬「世界の終わりに口づけを」


From: Tsumugi Kotobuki
To : Azusa Nakano
Date: 2011/10/13 17:40
Subject : 大事なお話

 突然こんなお便りを出してしまってごめんなさい。
 びっくりしちゃったかな。でも、いま伝えるしかなかったの。
 それに……梓ちゃんにだけは、この町の真実を知ってほしかったから。
 私と梓ちゃんだけでもどうにか、この町を脱出しなくちゃいけないから。

 いまから言うこと、信じられないかもしれないけど、聞いて。
 この手紙は菫ちゃんを通して送ってもらうし、分からないことも教えてくれるはずだから。
 いい? 心の準備できた? じゃあ、続きを読んで。

 あのね。実は私たち……記憶を操作されているの。
 梓ちゃんたちだけじゃなくって、この町のみんなが。
 私たちはいま桜ヶ丘だと思っている場所は実は富士樹海に作られた架空の都市で、
 寝ている間に連れてこられて、半年近くずっとこの架空の町に閉じこめられていたの。

 ……笑う?

 それとも、びっくりしちゃったかな。
 たぶんこんなこと聞いても信じられないよね。
 私だって菫ちゃんから教えてもらうまで気づかなかったもの。
 大脳の海馬に制御チップを埋め込まれてにせものの桜ヶ丘に閉じこめられてるなんて、
 そんなSF小説みたいな絵空事を言われたって、私だって最初は信じられなかったから。

 ちょっと試しに最近の私たちのこと、思い出してみて。
 携帯の画面にはいま、10月02日って書いてある。今日の天気は曇りのち晴れ。
 午後三時頃から雲がすうっと消えて、向こうの水面にちぎれた夕陽が映るのが見える。
 沿道には生乾きの水たまりがいくつか見えて、
 部活動を終えて下校する中学生たちのはしゃぐ声が橋の上から聞こえる。

 いつもと同じ風景。いつも通りの日常。
 変わらないようで変わっていくことを無条件に信じてしまえる、ゆるい町。
 でもね、これって二週間前とまったく同じ景色なんだよ。

 それとも、びっくりしちゃったかな。
 たぶんこんなこと聞いても信じられないよね。
 私だって菫ちゃんから教えてもらうまで気づかなかったもの。
 大脳の海馬に制御チップを埋め込まれてにせものの桜ヶ丘に閉じこめられてるなんて、
 そんなSF小説みたいな絵空事を言われたって、私だって最初は信じられなかったから。

 ちょっと試しに最近の私たちのこと、思い出してみて。
 携帯の画面にはいま、10月02日って書いてある。今日の天気は曇りのち晴れ。
 午後三時頃から雲がすうっと消えて、向こうの水面にちぎれた夕陽が映るのが見える。
 沿道には生乾きの水たまりがいくつか見えて、
 部活動を終えて下校する中学生たちのはしゃぐ声が橋の上から聞こえる。

 いつもと同じ風景。いつも通りの日常。
 変わらないようで変わっていくことを無条件に信じてしまえる、ゆるい町。
 でもね、これって二週間前とまったく同じ景色なんだよ。

 この世界は実は十四日周期で、それを過ぎると記憶がリセットされて10月1日に戻るの。
 この空も70メートル上空のスクリーンに上映されているだけ。
 だから、明日は晴れる。
 もう予言しちゃうね。明日確かめてみてよ。

 十時二十分頃から雲が差し始めて、でもそれは十四時四十分頃にまた晴れる。
 私は学校を休むけど、たぶん大まかな流れは変わらないはず。
 唯ちゃんは五限の授業で寝てしまって、放課後に澪ちゃんからたしなめられる。
 十六時十二分、私の持ってきたマドレーヌをりっちゃんがほおばるけど、
 りっちゃんは渇いた喉からわずかな水分を吸い取られてしまってむせちゃうんだ。

 私の予言、ぜったい当たるよ。だって事実だもの。
 もうね、何度も見てきたから全部覚えてるんだ。
 おかしくて、吹き出しそうになって、それからちょっと涙が出るの。
 気づいてからはいつもそう。最近は笑うのがへたっぴになっちゃったけどね。

 最初このことに気づいたとき、疲れてるだけかなって思ってた。
 梓ちゃんはいつかに「この町に閉じこめられてる気がする」って言ってたけど、
 もしかしたら私がいま感じてる、こんな気持ちと似てるのかも。

 梓ちゃん、こう言ってたの覚えてる?
 大人になれる気がしない、って。このまま一生こんな日々が続きそう、って。
 でも、いつの間にか古びて、くさって、気がつく前に消えちゃうのかもって。

 あのとき、私はただ元気づけるつもりで「大丈夫、どこにでも行けるよ」って言ったんだった。
 だって軽音部に入ってから、私に見える世界はいつだって新鮮だったから。
 屋上から見える地平線の向こう、
 家並みが消える白いもやの向こうにはまだ見ぬ何かがたくさんあって、
 駅で千数百円払って終点まで乗れば東京にはいつだって、
 もっとお金を払えばストックホルムやサンフランシスコにだって二人きりで行けるって、
 ……だからいつか行けばいいやって、心の底から信じていられたんだもの。

 でも、本当は行けないの。いくらお金があっても同じ。
 梓ちゃんの言うとおり、閉じこめられてるから。
 私がこの町の秘密に気づいたのは、ふいに遠くに行ってみようって思ったからなんだ。

 きっかけがなんだったかなんてもう思い出せない。
 記憶が真っ白に上塗りされ続けてきてるから、元の絵なんてもう見えないよ。
 だけど、違和感みたいなものがあったんだよ、きっと。
 だって唯ちゃんたち、いつも同じ笑顔だったんだもの。

 同じ笑顔で、同じ声を聞いて、同じ授業を受けて……そのとき、梓ちゃんの言葉を思い出したの。
 ……うん。ちょっとずつ、思い出してきたかも。
 この町から出たいって、このままじゃいけないって、そんな気がしたんだ。

 それでね、私、いつだかに登校する電車を降りないでみた。
 いつもの登校時間だから、桜ヶ丘を乗り過ごしたのは七時半ぐらいだったかな。
 なんとなく、隣でiPhoneをさわってるスーツ姿の女の人についていってみようなんて決めて。
 このまま終点まで降りずにいたら、どこかに行けるはずだって。

 そしたら、急にふっと眠くなってきて……気づいたら桜ヶ丘駅だったの。

 それだけじゃないよ、乗ってる人も誰一人変わってなかったんだから。
 隣には相変わらずあのOLさんがいて、変わらずiPhoneをいじっていて。
 怖くなって、電車を降りちゃった。
 そしたら駅の時計、まだ七時半のままだったの。

 おかしいでしょう?
 だって桜ヶ丘で降りずにもっと向こうまで行こうとしたのに、
 着いた先が桜ヶ丘で、しかも時間も変わってないなんて。
 はじめは寝過ごして、終点まで行って、また戻って来ちゃったのかなって思った。
 けどそしたら時間があわないもの。

 私はあの日、わざとレールを踏み外してみた。
 けど、この世界は何一つ変わらなかった。

 駅のホームを出て空を見上げたら一面曇ってて、雲の薄いとこがわずかに明るいぐらいだった。
 無意識に腕を伸ばしてみたけど、あのぬるい雲がおりてきたようなぬるい空気に包まれただけだった。
 こんなことなかったのに、急に息が詰まりそうで、
 だけど空も地面も柔らかそうな水蒸気にぴっちりふさがれていて。
 ……こわかった。すごく。

 梓ちゃん。あのときはよくわかんなかったけど、いまならわかるよ。
 やっぱり私たち、この町に閉じこめられてるんだよ。
 子どもだからかな。いつかは外に出られるのかな。
 だけどね……いちばんこわかったのはね、

 出れなくてもいいかもって、思っちゃったことなの。

 私は日記を付けてみたんだ。
 一日一日、今日の天気とか、唯ちゃんたちがどんな話してたかとか、
 梓ちゃんとどんな風に過ごしてみたかなんて、いろいろ。
 そしたらすぐにわかっちゃった。
 もう本当、いままでどうして気づかなかったんだろってぐらい。

 この世界、15日の金曜に行けないんだよ。
 14日木曜の夜に眠ると、朝起きたら同じ金曜でも1日の金曜になってしまうから。
 書いてきた日記も白紙になってて、また1日の日付を書き直さなきゃいけなくなるの。

 最初に相談したのはりっちゃんだった。
 ごめんね、梓ちゃんには心配かけたくなかったの。
 それに伝えて変な顔されるのが、伝わらないのがとっても怖かったんだ。
 ごめんなさい。

 りっちゃんだってはじめは信じてくれなかった。
 ムギ、それどこの映画だよーって。
 そりゃそうだよね。だから私はさっきみたいに、りっちゃんたちの行動を予言してみせたの。
 ……そのときは信じてもらえた。唯ちゃんも、澪ちゃんも、みんな驚いてた。
 だけど、いくら伝えても、14日の夜が過ぎればだぁれも覚えてなかったの。

 それに、りっちゃんたちは……ごめんね、この話は次のメールで話すね。
 梓ちゃんにはぎりぎりまで、りっちゃんたちを好きでいてほしいから。

 ところでいま私は川のほとり、橋の作る影にかくれてこれを書いています。

 おぼえてるかな。あの、二人でキスしたところ。
 どしゃぶりの雨が晴れた夕方、二人で寄り道した帰り道のこと。
 つないだ手がやわらかくてあったかくて離せなくなっちゃって、
 頭の上で車のごうごう言う音に身をひそめながら、
 このまま世界が止まっちゃえばいいなんて思ったりして。

 書きながら、さっき空いた左手を一人でちょっとにぎってみました。
 手の感触を思い出してみたかったけど、やっぱりむずかしいな。
 この気持ち、梓ちゃんなら分かるかな。
 分かってくれたら、うれしいけれど。

 私ね、高校に入ってから出会えたすべてが本当に大好きだったんだよ。
 いままで鳥かごの中で育っていたみたいで、
 触れるもの全部が真新しくって、空気も感触もみんな新しく見えたの。
 軽音部のみんなが、同じクラスのみんなが、町を歩く人々と家並みが、
 この町が、本当にいとおしかったの。
 だからこんなことになっちゃったのかもだけど。

 ねぇ、今度会ったらひとつだけ私に教えて。
 梓ちゃんには、まだ“体温”は残ってるよね……?

 ごめん、変なところで長くなっちゃったね。
 だけどこの感覚をどうにか信じてもらうには、こうするしかなかったの。
 ただ頭おかしいだけだって思われちゃうのが一番怖かったから。

 駅のことが会ってからしばらくして、菫ちゃんが来てくれた。
 そしたらいろいろなことを教えてくれた。
 この町はうちの会社によって作られていて、
 みんな大脳に記憶制御チップを埋め込まれていて、
 とくに私と菫ちゃんの間には監視用に脳波を同期するシステムが稼働していて、
(全部作ったのはお父様だと思う。ごめんなさい、迷惑かけちゃって)
 記憶容量がパンクしないように14日周期で頭の中のデータがリセットされるって。

 菫ちゃん、外に出たいってことを誰よりも早く気づいてくれた。
 そりゃ脳内の記憶の伝達を共有してたら当たり前かもね(難しいことはわからないけれど)。
 それでね。菫ちゃん……脱出に、協力してくれるって。
 見つかったら殺されちゃうのに、それでも私のために二重スパイを買って出てくれたの。
 不安でたまらないけれど、ちょっとおもしろそうだよね?
 なんて書いたら梓ちゃんに浅慮をとがめられそうだけどね。

 梓ちゃん。一緒にこの町を出よう。
 後で書くけど、もう残っているのは私と梓ちゃんだけなんだから。


  ◆  ◆  ◆

梓「……なんなの、これ」

菫「すいません。……あの、紬お嬢様のお書きになった手紙です」

梓「書いたって、向こうの世界で?」

菫「はい。信じられないかもしれませんが、」

梓「いや、信じるしかないでしょ…」

菫「……よかった」

梓「?」

菫「だって、こんな話をいきなり信じてもらえるなんて……」

梓「そりゃこの手紙だけ見たらそうだけどさ、でも……信じるしかないじゃん」

菫「……」

梓「それにね、……ムギ先輩のこと、信じたいんだ」

菫「……それは、判官びいきとかではないんですか?」

梓「ふふ、そうかもね。うん、きっとそうだよ」

梓「……もし世界中の誰もが頭おかしいって言っても、私はムギ先輩の方につきたいから」

菫「恋人って、そういうことなんですか?」

梓「どうだろ。単に、私がムギ先輩の感性とか考え方とかが大好きだったからかもね」

菫「やっぱり、私と違いますか?」

梓「そりゃ、菫とムギ先輩はぜんぜん違うよ」

菫「……そうですか」

梓「あ、ごめん、そんなつもりじゃ、」

菫「いいんです。……違うって言ってもらえて、うれしかったんです」

梓「……そっか」

菫「あの、」

梓「うん。早く、二通目も」

菫「……一つ聞いてもいいでしょうか」

梓「うん」

菫「私のこと、やっぱり気持ち悪いって思います?」

梓「えっ……」

菫「正直な気持ちを聞きたいんです。……その、ことを起こす前に」

菫「気持ち悪いとか、怖いとか、おかしいとかって…」

梓「……そりゃ、おかしいかもね」

菫「……そうですよね」

梓「だって、私が菫と同じ立場だったらこんな行動起こせないと思うもん」

菫「えっ?」

梓「天然だし、なんか加害妄想激しいし、私が言うのもあれだけど小動物っぽいし」

菫「……」

梓「菫も、ムギ先輩も、憂や純も、ていうか私の周りの人たちみんなおかしかったから」

梓「慣れちゃったよ。……だから、一人一人のことが好きなんだ」

菫「……結構、直球で言うんですね。梓先輩って」

梓「うん。ムギ先輩のことは、やっぱ結構お灸据えられたっていうか」

菫「……ふふ」

梓「それで、私はどうしたらいいの? どうすれば、ムギ先輩を――」

菫「あっその前に二通目です」

梓「ごめん、そうだったね」


  ◆  ◆  ◆

From: Tsumugi Kotobuki
To : Azusa Nakano
Date: 2011/10/13 18:12
Subject : 脱出計画

 まだ橋の下にいます。
 そろそろ帰らないと家の人が心配しちゃう時間かな。
 もう私は家に帰らないから関係ないけどね。

 橋の方からは相変わらずごうごうと自動車の走行音が聞こえてきます。
 さっきまで騒がしかった中学生たちもピークを過ぎて、
 代わりに帰宅の車の量が増えたみたい。
 ちょっと向こう側を見上げてみたら、
 ちょうど頭の上をフロントライトの光がつうって抜けていく頃です。

 じゃあ、そろそろ本題に入らないとね。
 二通目は脳波通信の傍受の心配はないけど、文字数が限られてるから。
 と、その前にりっちゃんたちのことからだった。

 落ち着いて聞いて。
 りっちゃんたちは、この世界から連れていけないの。
 だってもう、りっちゃんたちには“体温”がなくなってしまってるから。

 ごめんね、ひどいこと言ってしまう。
 けど、私がそれとなく肌に触れて確かめた人たちはみんな冷たくなってた。

 りっちゃん、唯ちゃん、澪ちゃん、さわ子先生、和ちゃん、憂ちゃん、梓ちゃん、純ちゃん。
 梓ちゃんなら、唯ちゃんの体温には気づいてたかもしれない。
 たぶん梓ちゃんだって意識しないようにプログラミングされてるから、
 わざわざ体温なんて気に留めたことなんてなかったと思うけど。

 りっちゃんたちはもう制御システムに乗っ取られてて、
 二週間ごとに記憶を塗りつぶされるだけの、
 予定された行動や反応しかしないゾンビになっちゃってるの。
 ちゃんとは確かめてないけど、この町にいる人々もみんなそうだよ。
 脳波を操作されて、同じ日々を繰り返すようにプログラミングされてる。

 気づいたとき、すごく怖かった。
 電車の中の誰にさわっても、学校で誰にふれても、
 誰一人として内から発する体温っていうのがなくなってたんだもの。
 過去に食べられちゃった、予定調和の世界。
 そんな、思い出の抜け殻だけで成り立つ世界だなって思った。

 だから、梓ちゃんに触れたとき……ちょっと涙がでちゃった。
 体温がね、あったんだよ。梓ちゃんは、ちゃんとあったかかったの……!
 もう覚えてないよね。梓ちゃんも記憶は塗りつぶされてるはずだから。
 でも確かめてみて。
 自分の手を、ぎゅうって。ね、あったかいでしょう?
 それはね、この町じゃ本当にもうわずかな、生きてるって証拠なんだよ。

 梓ちゃんだけは生きてるの。
 それだけが、梓ちゃんの体温だけが、私の生きる希望だったんだから。


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最終更新:2011年07月19日 03:22