――二度目の学園祭は、意外にも何事もなく終わった。

私の看病の成果か、唯は元気に登校してきた。
「ギターを忘れかけたけど憂のおかげで助かった」と聞いたときはヒヤヒヤしたが。

そして肝心の私達軽音部のライブも、大盛況で幕を閉じた。

――それはもう、この上なく不自然なほどに完璧な演奏だった。

だって、一週間以上風邪で休んでいた唯が、あんな完璧な演奏をするなんて誰がどう見ても不自然だろう?
律やムギは深く考えていないようだし、梓に至っては「見直しました!」とか言って以前より唯にベッタリになってしまったが、私だけはずっと疑問を持ち続けていた。

私でも一週間以上、それも本番の前日まで風邪をひいていたような状況なら間違いなく完璧な演奏なんて出来ない。
それこそキャンプファイアーを囲んで「酷い演奏だったなぁ」と言っているのが目に見える。そしてきっとそれが自然な姿。
でも別段そのことで誰かを責めたりはせず、今まで通りに仲良くやっていくんだ。私達の音楽は、そうやって続いていくんだ。

でも、今はとてもそんな未来は見えない。
唯が、唯の存在が、何よりも不自然すぎた。病み上がりでぶっつけ本番のライブを成功させるなんて、人間の域を超えた天才の成す業としか思えない。


いや、本当はもう一つ、説がある。
あまりに突飛な説だけど。それでも考えられるのは。


――ライブを成功させた彼女は唯ではない、という説だ。


澪「――どうかな、そんな仮説は」

後夜祭の最中、こっそり呼び出した彼女――唯に、推理をぶつけ、問いかけ、そして名を呼ぶ。

澪「……ねぇ、憂ちゃん」

?「………」

澪「憂ちゃんの今日までの行動には不可解な点が多々あるけど、とりあえずライブの事だけに絞って考えるなら有り得ない話じゃないと思うんだ」

髪を下ろせば誰一人として見抜けないほど唯にそっくりになるであろう憂ちゃん。
彼女がライブに出ていたというなら納得はいく。

澪「本当の唯はまだ風邪をひいていて……見かねた憂ちゃんが演奏しにきたと言うなら、一応筋は通る。それこそ唯が倒れてからの一週間、ギターを特訓でもすれば」

いや、きっとそれ以前から唯のギターを耳にしているだろう。一緒の家に住んでいるんだし。
もしかしたら一緒に練習もしているかもしれない。そんな彼女なら不可能じゃないと私は思う。
むしろ彼女にしか出来ないことなのだ。

でも、彼女の答えは私の予想していたものとは違っていて。

憂「……確かに、私は憂です。けど、澪さんの推理が当たっているのはそこだけですよ」

澪「……そっか。やっぱり似合わないことなんてするものじゃないな」

憂「……私は、澪さんになら真実を話してもいいと思っています。どうかな、お姉ちゃん?」

澪「えっ、唯!?」

唯が今、どこかにいるのか?
確かに憂ちゃんは私の推理をハズレだと言った。ということは唯の風邪も治っているということ。この場にいても不思議ではないが…

憂「お姉ちゃんに代わります、澪さん」

澪「え? 代わる??」

憂「はい」

……そう言って憂ちゃんは目を閉じる。そして、次に彼女が目を開いた時――


――そこにいたのは、間違いなく唯だった。



眼前の『唯』を憂ちゃんだと暴いた私をもってしても、そこにいるのは他ならぬ唯にしか見えなかった。
見えない、というのは語弊があるようなないような。見た目は何一つ変わってはいない。でも、雰囲気が『目に見えて』変わっているんだ。
憂ちゃんのから、唯のそれへと。


唯「――えっと、どこから説明すればいいのかな」

澪「……わからないことだらけだよ」

本当にわからないことだらけで、聞きたいことを挙げろと言われたらいくらでも挙げれる気さえする。
けれど何よりもわからないのは、『私は唯の真実を本当に知りたいのか』という事だった。
そう、他ならぬ自分の感情がわからなくなっていた。

きっと、唯のことなら何でも知りたい。それが私の本心のはず。
なのに、理解の届かない真実を目の当たりにして、私は迷っていた。

いや、迷うどころか尻込みしている。
今から告げられる真実は聞くべきではないと、知ってはいけないと、私の中の何かが警鐘を鳴らしている。あまりにも『日常』と剥離しすぎている。たとえどんなカタチの真実であろうと。

でも、それでも。
唯の友人として、そしてその『理解できない真実』を目の当たりにした者として、聞き届けなければいけないのだろう。

唯「えっと……その、私は……ううん、私達は、同じ身体で生きてるっていうのはわかっちゃったよね?」

まぁ、見ての通り受け取るならそうなる。にわかには信じがたいけど。

澪「……二重人格?」

唯「うーん、近いかな。私の魂だけが憂の中に入っちゃったというか」

澪「……魂だけ…って?」

唯「……身体は、憂のものなんだ。居候みたいな感じで…」


澪「そうじゃなくて! 唯の…唯の身体は!?」

唯「えっと……」

激しくなる。
警鐘が。

そうか、知ってはいけない真実が、目の前にあるのか――


唯「……もう、ないんだよね」


……全てが、繋がる。
矛盾は解け、違和感は消え、真実は白日の下へ。


唯「……明日、会えないかな? 二人だけで」

澪「………うん」


――学祭の翌日は、大体の学校で休日である。週末に開催されたとしても振り替え休日になる。
我が桜が丘高校も例に漏れず休日であり、そんな日に唯と会えるのは嬉しいことに違いないはずなのだが。

それでも、私は気乗りしなかった。
唯のことが嫌いになったわけではない。嫌いになる要素なんて何もない。隠し事をしていた? それが何だ。言ったところで誰も信じないだろう、あんな話。
だからあれは転じて、打ち明けてもらえたことを、信頼されていることを喜ぶべき事象なんだ、むしろ。

それでも気乗りしない理由は、そんな後に『唯のほうから誘われた』ということに他ならない。
今までと変わらぬ二人でいよう、というなら誘う必要なんてない。あったとしても、それをするべきは隠し事をされていた側の私だ。
つまりは、二人の関係は変わってしまった、ということ。それを自覚した上で、唯は私に会いたいと言ってきたという事。


……良いことが起こる予感なんて、何一つなかった。


唯「――おはよ、澪ちゃん」

澪「おはようって、もう昼過ぎだぞ」

唯「いいのいいの。第一声はおはようがいいと思わない?」

澪「……まぁ、わからないでもないけど。っていうか何か顔色悪くないか?」

唯「あー、うん、夜更かししてた…っていうか、夜更かししてもらったの、憂に」

澪「……どういうこと?」

唯「…今日は、憂には聞かれたくなかったから、寝ててもらう、ってこと」


……そう端的に言われてもちょっと困るんだけどなぁ。

澪「夜更かししたせいで、唯の中で憂ちゃんは寝てるってこと?」

唯「そ。勿論ぐっすり寝た私は元気だよ。二人っきりで目一杯遊びたかったからね!」

まぁ要するに憂ちゃんが夜更かししてたから私からは体調が悪く見えて、でも唯は寝てたから普通に元気で?
病は気から、とは言うが、体調がすぐれないのは唯の気力だけでカバーできるものなのだろうか。
でも、それで案外何とかなるとすれば…

澪「もしかして学園祭の時はそれの逆な感じで?」

唯「うん。私が風邪の辛さを全部引き受けたから憂はうまく演奏できたんだと思うよ、多分」

澪「…それでよかったのか? 唯だって…演奏したかっただろ?」

唯「そりゃ…したかったけど。でも風邪ひいたのも自業自得だし。しかも憂の身体なんだよ?」

あぁ、後ろめたい気持ちは一応あったんだな。
いや、常に持っていたのだろう。唯から直接聞いたことはないとはいえ、和のあの庇いようと、そして何より私の知る唯ならそうだろう、という確信があったから。
……しかし、一つの身体に二人の魂というのも、いろいろ大変そうだ。

澪「…まあ、唯が決めたことならいいか。それで、どこか行きたい所とかあるの?」

唯「ん~、ハッキリと行きたい『場所』は一ヶ所だけかなぁ。あとは澪ちゃんと一緒ならどこでもいいや」

澪「じゃあ、そこから行こうか」

唯「えっ?」

澪「唯の行きたい所。その後の事は行ってから考えよう?」

唯「……う、うん…」

虚を突かれたように頷く。唯にとっては予想外だったのだろうか。もしかしたら今日という一日の〆として行きたい場所だったのかもしれない。
でも、私としては先に行きたかった。その『場所』に心当たりがあった。
そして、それが当たっていたならいろいろと答え合わせをしたかった。唯と。
そうしないといけない気がした。不安だった。

……つまるところ、私は得体の知れない焦燥感に突き動かされていた。


――そして、私の心当たりは的中する。
的中したところで、喜びも驚きもなかったけれど。
確信があったと言えばそうだし、それ以上に、私と唯ならこうなることが目に見えていたし、そうでないと全てが壊れてしまうから。
息を吸った先に空気がなかったら、誰だって困る。それと全く同じ。私の中では呼吸と寸分違わぬ、起こるべくして起こった現象にすぎなかった。


澪「――あの時、『ここ』で助けてくれたのは…唯のほう、でいいんだよな?」

唯「…うん。澪ちゃんを見つけるまでは『憂』だったんだけどね」

澪「……ありがとう。あの時助けてくれたこと、一瞬たりとも忘れたことはなかったよ」

唯「どういたしまして…でいいのかな。助けたのは私のわがままに過ぎないのに」

澪「それでも、私は今、生きててよかったって心から思う。だからありがとうなんだ」

やっと、やっと言えた私の本心。偽りのない言葉。ずっと昔から背負ってきた想い。
言葉にして唯にぶつけたことで、ようやく私は唯と向き合えた気がした。
ようやく『今』の唯を見れる気がするし、唯も『今』の私を見てくれる気がする。

唯「…そっか。なら無理言って替わってもらった甲斐もあるってものだねぇ」

澪「無理言って?」

唯「……憂はきっと、私が無茶をするってわかってたんじゃないかなぁ。相手が澪ちゃんだったから尚更、ね」

……それはどういう意味だろう?
も、もしかして、唯も私みたいに、どこか特別な目で見てくれてるとか…?

唯「だって澪ちゃん、昔っから目が離せない女の子だったからね~。しっかりしてるようで危なっかしいんだもん」

澪「あ、あぁ、そうですか…ごめんなさい」

唯「へ? い、いや、責めてるわけじゃなくてね?」

澪「あ、いや、私もその、唯の言い方に謝ったわけじゃなくて……その、思い上がっていた自分にというか」

唯「???」

やめてくれ、もうこの話はやめてくれ。どうにかして話を逸らさないと。

澪「っていうか、唯はやっぱり高校で会った時から私の事を覚えてたんじゃないか!!」

唯「う、うん。そりゃ澪ちゃんみたいな綺麗で可愛い子を忘れるわけないよ」

澪「じゃあなんで私を無視したんだ!? ショックだったんだぞ!?」

唯「あ、ご、ゴメンね。私の事なんて覚えてないと思ったし、覚えてて欲しくもなかったから」

澪「えっ……」

……前者だけなら否定できた、その言葉。
覚えてて欲しくない。その真意は何なんだろう?

唯「…ホントはね、あの時の音楽大好きな女の子が、今ちゃんと楽しくやれてるのかなぁって一目見て帰るつもりだったんだ」

澪「だから…辞めるって言ってたのか」

唯「うん」

澪「じゃあ、なんで心変わりしたんだ?」

唯「だって、私が辞めるって言った瞬間の澪ちゃん、世界の終わりみたいな顔してたよ?」

……そんな顔をしていたのか、恥ずかしい。っていうかよく見てるな…

澪「あー、じゃあ、その、やっぱり…?」

唯「まだちょっとほっとけないかなぁ、って…」

私は唯に対してそんな感情を抱いていたけれど、同じように唯も私に抱いていたということか。

まぁ何だかんだで先に手を差し伸べたのはあの時の唯のほう。私が唯を世話しているように見えても、唯もずっと私を見守っていてくれたんだ。

唯「本当なら、私の事なんか忘れて青春してほしかったんだ。ほら、私はこんな身体…というか存在、だし…」

澪「……そんな言い方するな。唯は…生きてるじゃないか」

唯「生きてるのは…憂だよ。私は憂の時間も自由も権利も奪って、憂に寄生してるだけの存在」

澪「やめてくれ……そんな言い方。それに、それは私のためなんだろ?」

私をほっとけなかったから、唯はこうして表に出て来ている。だから少なくとも、唯が自らを責める必要はないはずなんだ。
それに何より、大好きな唯のことを悪く言われるのが耐えられなかった。たとえその唯自身が言うことだとしても。
いや、むしろ自虐だからこそ聞きたくなかったのかもしれない。唯にはいつでも笑っていて欲しかった。
……ああ、これってやっぱり、私は唯の事が――


唯「――でも、もう大丈夫だよね?」


澪「……え?」

唯「もう、私がいなくても澪ちゃんは大丈夫だよね?」

澪「ゆい…? 何を……」

唯「そろそろ、全部憂に返してあげようと思うんだ。憂が寝てるうちに全部終わらせて――」

澪「無理っ! 唯がいないと、私は…!」

唯「…みんなの前で歌えるくらいになったじゃん、澪ちゃん。以前とは比べ物にならないくらいの量の尊敬の目で見られて、それでも澪ちゃんはちゃんと澪ちゃんだよ。だから大丈夫」

違う……それは違うよ、唯。
唯が、唯が隣にいてくれるから頑張れるんだよ? 前も言ったじゃないか……

……言ったっけ? あれ、言ってない?
もしかして私は、一番大切な想いを、口にしていない?
好きだって…伝えていない?

だから唯は…私から離れていっちゃうの? 私は、唯がいないと何も出来ないのに……!

澪「唯っ!!」

唯「……みお、ちゃん?」

後ろから抱きつき、大きく深呼吸。
……大丈夫、ちゃんと言える。恥ずかしくなんてない。唯を失わないためなら、何でも出来る…!

澪「好きだ……好きなんだ、唯のことが! だから……どこにも行かないで! ずっと一緒にいて!!」

唯が息を飲む気配がする。後ろから抱き着いて、なおかつ目を閉じて思いの丈をぶつけた私には、その表情は窺い知れなかったけれど。
それでも唯は茶化すこともなく、真剣に私の言葉を受け止めてくれた。それだけはわかった。
そして。
その先に、唯の口から発せられた言葉は。


唯「……澪ちゃん、ごめん」


そんな、拒絶の言葉だった。


唯「……澪ちゃんが私の事を好きになっちゃってるなら、尚更私は消えないといけないよ。私はもう、本当ならこの世にいないんだから」

 「むしろ、もっと早くこうするべきだった。わがままばっかり言ってるから、澪ちゃんの中で私の存在が大きくなっちゃった」

  「本当に……ごめん」

……反論したかった。私の中で、唯という存在はずっと大きかったんだ、と。きっと一緒に遊んでいたあの頃からずっと好きだったんだ、と。
でも、きっとそんなことを伝えたところで何も変わらない。唯の決意は揺るがない。
好きだと、心の奥底にある想いをそのままぶつけたにもかかわらず揺るがなかった唯の決意を、そんなお情け話で崩せるとは思えない。
だったら。だったらどうすればいいのか。

唯が消えてしまう。
どうするのかなんてわからないけど、唯が言うんだから事実だろう。
唯が消えてしまう。
私の前から。やっと会えたのに。やっとお礼も言えたのに。やっと好きだって言えたのに…!
唯が消えてしまう。
そんなの……そんなこと……私は…!

葛藤の末、私が出した結論は。

澪「……わかった、諦める」

唯「……本当に、ごめんね」

澪「いいよ。でも……まだ時間はあるだろ? せめて…今日一日で、消えない思い出が欲しい。色褪せない永遠の写真が欲しい」

唯「うん……なんでも、どこでもいいよ。澪ちゃんに付き合うよ」

……私が出した結論は、唯を『縛り付ける』ことだった。


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最終更新:2011年07月25日 22:22