憂「――お姉ちゃんが…いないんです」
放課後。唯の格好をして私を呼び出した憂ちゃんは、まずそう言った。
今日一日、憂ちゃんは唯として過ごしていた。しかし、クラスが違う私達の前に現れた時の憂ちゃんは和にもわかるほど『憂ちゃん』だった。意図的なものなのか、それとも……
和「……いないって、自分でわかるの?」
憂「いえ……でも、ずっと返事が無いんです。だから、もういないんじゃないかって……あんなに学校が大好きだったのに、軽音部が大好きだったのに……出てこないなんて…!」
そこで顔を上げて私を睨みつけてくる。まぁ当然か。
憂「澪さん……お姉ちゃんに何をしたんですか! 私の寝てるのをいいことに、何をッ!!」
澪「……誤解だよ」
憂「何が誤解ですか!! あんなことをしておいて…! きっとあれでお姉ちゃんは傷ついた! 落ち込んでるんだ!!」
……無理矢理したとでも思い込んでいるのだろう。最初のキスこそそんな感じだったのは否定しないが。
でも、それでも。
澪「……唯は、私に好きって言ってくれたよ」
憂「ッ…!! だから何なんですか! じゃあ何でお姉ちゃんはいないんですか!? 貴女の…あなたのせいでしょう!?」
胸倉を掴まれ、壁に押し付けられる。
澪「ぐッ…!」
和「ちょっと憂! やめなさい!」
憂「やめれば…やめればお姉ちゃんは帰ってくるの!? ねぇ、和ちゃん!!」
和「それ、は……」
憂「何をしても帰ってこないなら……何してもいいでしょ!?」
憂ちゃんのその瞳には、一点の曇りも無い『憎悪』しか映っていなくて。
その対象が私だということよりも、憂ちゃんがそんな感情を抱いているということ、それ自体に……徐々に腹が立ってきて。
澪「……放せ」
和「……澪、落ち着いて、ね?」
澪「落ち着いてるよ、和。でも腹は立ってる」
憂「何をッ! 私はそれ以上に――」
澪「唯が!! 唯がこんな奴のために消えたかと思うと腹も立つよ!!」
憂「え……」
和「澪っ!!」
澪「だってそうだろう!? 死んでいた唯は、今を生きるみんなの為に消えたんだ!」
ずっと支えてくれた和に、これ以上手間を取らせないように。
ずっと好きだった私に、叶わぬ恋を諦めさせるために。
……ずっと一緒にいてくれた憂ちゃんに、これからは自分の時間を生きてもらうために。
なのに、眼前の憂ちゃんは憎しみに囚われている。囚われ、進めないでいる。
それは唯や私達が招いたことなのかもしれない。でも、何故この子は理解しようとさえしないんだ。考えつかないんだ。
澪「憂ちゃんは唯の想いの全てを踏みにじっている! 唯の想いは唯がこの世に生きた証だというのに、それを全て見ようともしない!! そんなの許せるわけがないだろ!?」
和「澪っ!!!!」
澪「っ……」
和「……澪、あなたのいう事は正しいわ。私もそう思うもの。それでも……」
割って入った和はその先は言葉にせず、代わりに憂ちゃんを見つめていた。
腕は力なく垂れ、顔は伏せられ、表情も感情もわからない。
和がフォローしてくれたものの、やっぱりこれは……言い過ぎたのか、私は。
言葉は選んだつもりだったが…和との約束は、守れなかったのか。
澪「……ごめん和、後は任せていいかな」
和「……ええ。家までちゃんと送るわ」
澪「……ごめん」
それが誰に対する謝罪なのかは、私にもわからない。
心を抉ってしまった憂ちゃんに対してなのか、手間をかけさせる和に対してなのか。
それとも……唯に対してだろうか。
憂ちゃんを傷つけたのももちろんだけど、それ以上に、こうして感情に流されて容易く人を傷つける私なんて、唯は嫌いだろうから……
律「――今日も唯は休みかぁ…」
紬「少し、静かね……」
梓「……風邪、でしたっけ?」
澪「ああ。和はそう言ってる。幼馴染が言うんだから間違いないよ」
我ながら面白い冗談だ。笑えない。
だからといって実は唯がもうこの世に存在しないだなんて言えるはずもないけれど。
でも、唯が学校に来ていない事はそれとは別の事実をも示している。
すなわち、憂ちゃんが家から出て来ていない、ということ。
……和に相談された時から、私も気を病んではいる。
憂ちゃんに言った内容自体を後悔はしてないし、和も責めていないけど、それでも原因は間違いなく私なのだから。
憂ちゃんの為にも誰かが伝えないといけない事だったはずなんだけれど、それでも私は間違いなく言い過ぎたのだから。
……和の話では、憂ちゃんはあれ以来自室に引き篭もっており、これ以上続くようなら両親にも連絡する、とのこと。
そういえばようやく聞けたんだが、唯の両親があまり家に居ないのは、彼らが『弱い』存在だから、らしい。
――唯が死んだ事で自分達を責め、でも憂の中に唯がいるという非科学的な事実から目を背け。板挟みになった彼らは『家』からの逃避を選んだ。
「石頭よね」と和は言ったが、大人なら仕方ないのでは、とも思う。
それに両親がいたらもっとややこしい事になっているのは間違いない。私にとっては都合が良かった。
澪「……お見舞いにでも行ってみようかな」
律「お? 二回目のお見舞いか。ずいぶんと気にかけてあげてるじゃんか」
澪「そりゃあ…な」
私のせいには違いないんだし…な。
律「……澪? どした?」
澪「ん? 何が?」
律「……一緒に行こうか?」
澪「いや、それは……」
紬「むしろ全員で行かない?」
梓「あ、それは確かにいいかもしれませんね!」
澪「い、いや待て待て! 大人数で押しかけても迷惑だろ!!」
というかいろいろと困る。唯と憂ちゃんの事がバレてしまう。
皆を信じていないわけじゃないけど、それでも無意味に大人数にバラしていいことじゃないはずだ。
さ「二人くらいなら車で乗せて行くわよ?」
律「さわちゃんいたのかよ!?」
さ「失礼ねぇ」
澪「せ、先生、でもそれは……」
さ「後々のことを考えるとりっちゃんがいいかしら? 部長だものね」
後々、って…?
……あ、まてよ? 最初の学園祭の前の時の先生は唯と何か訳知り顔で話していたっけ、そういえば。
ということは、この人も唯と憂ちゃんの事は知っているのだろう。その人が後々とか言うという事は……
さ「……私だって、いろいろ考えてるのよ?」
澪「……信じていいんですか?」
さ「信じてもらえる教師になりたいと常々思ってるわよ、私は」
澪「……わかりましたよ」
律「……なんだなんだ? 内緒話か?」
さ「大丈夫、今からりっちゃんにもネタバラシしてあげるから。行きながらね」
律「――で、それを信じろと? 唯ちゃんと憂ちゃんが同じ身体に生きているなんて世迷言を?」
澪「まぁ、そうなる」
さ「いいえ、信じる信じないの問題じゃないわ。それが真実なのよ」
運転席から振り返ることなく、後部座席の律に告げる。
私も後部座席に乗っているのだが、先生とは最初にルームミラー越しに視線が合っただけだ。いつになくマジメな視線と。
律「まぁ、確かにスジは通るけどさぁ……いくらなんでもオカルトすぎるだろ」
澪「まぁそれが普通の反応だと思うよ。私もこの目で見たからこそ信じているんだし」
さ「それなら唯ちゃんのいない今はりっちゃんは信じることが出来ないわね、永遠に」
唯がいない、その言葉に身体が小さく反応する。運転中の先生には気づかれていないだろうが、隣に座る幼馴染には気づかれただろう。
憂ちゃんに説教しておきながら、私も憂ちゃんと同じかそれ以上に唯を求めている。お別れこそしたものの、認めてはいないしまた会いたい。もっと会いたい。ずっと一緒にいたい。
律「……信じないけど、とりあえず二人がそれを信じて行動してる、ってのは覚えておくよ」
さ「ふーん。素直になりなさいよ」
律「素直だよ。私が付いていこうとしたのは澪のためだから。言葉は悪いけど、唯の正体なんて何だっていい。澪が納得できる結果が出るならそれでいい」
澪「……律…」
律「そして、そのためには澪の行動原理くらいは理解しておかないと、な」
澪「……うん、ありがとう」
律「……ありがとう、じゃねーよ。なんで相談してくれなかったんだ」
少し、律の声のトーンが落ちる。
本気で怒っているわけじゃない。でも確かに怒っている。
澪「説明したところで…信じないだろ? 今みたいに」
律「信じないよ。信じないけど、澪の為なら手を貸すさ。今みたいに」
怒っているけれど、それ以上に真剣だ。
律は、私のために真剣になってくれている。
律「何だってするさ。恋してるなら応援するし、金欠なら貸してやるし、憎いヤツがいるなら殴ってきてやる。親友として一番イヤなのは、困ってる時に力になれない事だ。あの時みたいなのは…もうゴメンだ」
澪「あの時のは……律が気に病むことじゃない。私が…私が弱かったんだ」
友達だと思っていた人に裏切られた中学時代。
仲良しだった友達が敵で、それならもっと仲良しの親友は……もっと敵なのか? それとも味方でいてくれるのか?
冷静に考えれば、律ならいつでも味方でいてくれるんだけど。それでも、弱りきった心はいつも以上に臆病で、万が一に怯え、律さえをも拒んでしまった。
私は自分が傷つきたくないがために、親友を傷つけた。なのにその親友は、そのことに自責の念を抱いている。
……せめてこれ以上、律の心配事を増やしてはいけない。そのことに、私はようやく気づいた。
澪「あの…! 先生、すみませんけど律と二人で行かせてもらっていいですか…?」
律「……澪?」
澪「原因は…私なんです。私が解決してきます。そして、律にはそれを見届けてもらいたいんです」
さ「……何があったのかまでは、私は知らないわ。だから、それが最善の選択肢だとは断言できない」
澪「……私にも断言はできません。でも、私がやらないといけない事だとは思うんです…!」
さ「………」
どうすれば解決するのかなんてわからない。憂ちゃんが今、何をしているのかもわからないのにわかるはずもない。
そもそも何をもって解決とするのかもわからない。
私は引き篭もってしまった憂ちゃんを救いたいのか? 救わずとも、親の手に引き渡せば解決じゃないか?
私は憂ちゃんに嫌われているのだから、多少強引な手を使っても痛くも痒くもないだろう。でも、それではきっと憂ちゃんは救われない。ならば私は、私を嫌っている憂ちゃんに優しさを向けてあげないといけないのか?
……何もわからない。けれどやっぱり私が行かないといけないんだ。
原因が私であるのもあるし、それに憂ちゃんは……唯の妹なのだから。
さ「――着いたわよ。私はここで待ってるわ」
澪「……ありがとうございます」
さ「どうにも出来ないと思ったら連絡しなさい。番号は教えてあるわよね?」
澪「はい。大丈夫です」
律「んじゃ、行くか」
澪「あ、律。行きながら話すことがあるんだけど」
とはいえ、唯の家は目の前。単にさわ子先生には聞かれたくない話、という意味だ。
私の唯に対する感情だとか、唯としたこととか、その後、憂ちゃんに吐き捨てられた言葉とか、突きつけられた感情とか諸々。
家の前で黙って聞き届けてくれた律は、話が終わると同時にいつもの調子でおどけて見せた。
律「うわっ、私の知らない間にそんなドロドロの愛憎劇になってたのか」
澪「茶化すな。その愛憎劇の果てが今なんだから」
律「わかってるよ。コトの重大さはよくわかった。で、どうやって解決するつもりなんだ?」
澪「………」
律「……おい?」
澪「……考えてない」
うわ、律なんかにすごくバカにされた目で見られた。
律「……まぁ、いいさ。いきあたりばったりでもいいから何とかしようとすることが大事なんだよな、うんうん」
澪「もっと上手いフォローはないのか」
律「いや、そもそもフォローしたつもりもないし。澪が考え無しに動くなんて珍しいなぁとは思ったけど、いつも考え無しの私はそれを悪いことだとは思ってないからさ」
澪「まぁ、そりゃ律みたいなわかりやすい性格ならな」
律「わかりやすい方が皆に優しいんだよ。実際、今みたいにがむしゃらな澪を見てると私は嬉しくなる」
澪「……そういうものなのかな」
律「そういうもんなんだよ。んじゃ行こうぜ」
と、私を後押ししてくれた(と思う)律が、憂ちゃんの家の玄関ドアノブに手をかける……が。
律「……カギかかってるな」
澪「そりゃそうだ」
律「どーすんだ?」
澪「隠し場所は知ってる。一応、家の周囲を一周してきてくれないか?」
律「はいはいっと」
別にどこかの窓が開いていることを期待したわけではないが、先に周囲を確認しておいて悪いことは無いだろう。
律を見送ってから前に聞いた隠し場所から鍵を見つけ出し、鍵穴に突っ込んでみる。
うん、ちゃんと入るな。もっともこんな短期間で鍵を変えてくるとも思えないが――
律「――おーい、みおー! ちょっと来てくれー」
澪「…んー?」
律に呼ばれるまま、声のしたほうへ向かう。
そこにはリビングあたりに面したと思われる窓から家の中を覗く律の姿があった。
澪「まさか開いてた?」
律「いや、そうじゃない。この家、静か過ぎると思わないか?」
澪「……怖い事言うなよ」
憂ちゃん一人しかいないんだ、静かなのは当然だろう。しかも自室に引き篭もっているというのだから一階は尚更静かで当然のはず。
でも、どうやら律が言いたいのはそういうことじゃないらしい。
律「なんつーか、異様なんだよ。ちょっと覗いてみ?」
律がいたその窓は、カーテンこそひかれているものの僅かな隙間から室内を覗けるようだ。
退いた律に代わり、そっと覗いてみると――遠くの誰かと目が合った。
澪「ひいぃぃぃぃぃっ!?」
最終更新:2011年07月25日 22:31