律「落ち着け澪! よく見ろ、鏡だ!」
澪「え? あ、ほ、ホントだ、私だ…」
カーテンで徹底的に日光を遮られている部屋の鏡ということでかなり薄暗く見えるが、写っているのは間違いなく私自身。
姿見のような大きめの鏡が部屋の奥に立てかけられているようだ。全く、びっくりさせてくれる……
律「……澪はビビりすぎだけど、それを抜きにしても…ほら、右のほうも見てみろよ」
澪「……あっ、あれも鏡? あ、左のほうにも何か…」
律「たぶん、あれもだな」
今度は壁にかけるような小さな鏡だが……一部屋に二つも三つも必要だろうか?
確かにちょっと…異様かもしれない。とはいえ、何か怖いものが写るとかいうのでなければガマンできる範囲だ。
澪「……家に入ろう。律は一階を頼む」
律「ん、わかった。何かあったら叫べよ?」
澪「うん、頼りにしてる」
玄関に戻り、鍵を差し込んで回す。ガチャリと音を立て、扉は私達を拒むことを止めた。
――やっぱり憂ちゃんの元へ先に行くのは私であるべきだろう、ということで一階を律に任せはしたものの、異様な雰囲気に気圧され、脚が中々進まない。
前にも後ろにも、右にも左にも鏡、鏡、鏡。一歩進めるだけで新しい鏡が一つは視界に入るんだ、気圧されるなと言うほうが無理がある。一体いくつの合わせ鏡が出来ているのだろう?
澪「……深夜の合わせ鏡…みたいな怖い儀式じゃなけりゃいいけど…」
……自分で言ってて怖くなってきた。目を瞑って歩こうかな…
とはいえ、今私の目の前にあるのは階段。目を瞑るのは危険だよなぁ、やっぱり。
――と躊躇していると、
律「澪! ヤバいもん見つけた!!」
律が静かに早足で現れた。一応気を使うだけの神経はあるらしい。
だが、表情は神妙そのもので…不安になる。
澪「な、何を見つけた!?」
律「印鑑と通帳!」
澪「戻せバカ!!」ゴツン
律「Ouch!」
こんな時に何をやってるんだ、このバカは!!
律「いてて……冗談だよ、冗談に決まってるだろ」
澪「冗談でもやっていいことと悪いことがある!」
律「わかった、わかったって! 解決したら憂ちゃんに伝えとくからさ。もっとわかりにくい場所に隠せ、って」
澪「そうだな、それがいいよ」
律「……だから、そんな場所で突っ立ってないでさっさと行ってきてくれよ」
澪「………わかってるよ」
律「もうちょっと見て回ったら私も行くからな。さっさとしろよー?」
……わかってるって。まったく……アイツはこんな時でも変わらないなぁ。ふふっ。
――無数の鏡から必死に目を背け、憂ちゃんの部屋に辿り着く。
微かな人の気配。そして物音。とりあえず生きてはいるようで一安心だ。
……しかし、問題はここからだ。怖い怖いと言っているばかりで何も考えずここまで来てしまった私には、相変わらず解決方法が何一つ思いつかない。落ち着いてシミュレートみよう。
とりあえず……とりあえず、会話をすることが大事だろう。そして…
まだこの前のように憎しみを引きずっているならば、今度は言葉を選んで諭してやろう。
唯の気持ちに思い至り、それでも寂しさで動けないというなら背中を押してやろう。
単純にダダをこねているようならば、親に引き渡す。たぶんそれが一番効く。憂ちゃんはそんな子じゃないと思うけど、一応可能性として。
あとの可能性は…思いつかないけど。とりあえずこのくらいが常識の範囲内での対応だろう。
澪「……ふう」
一つ、深呼吸。
……よし、覚悟はできた。話しかけよう。
――と、思ったのだが。
憂「……っ……――っ」
澪「………」
ノックをしようと手を伸ばしたら、憂ちゃんの声が漏れ聞こえてきた。
その声を聞いて、違和感を覚える。その違和感は、私にノックをすることを許さない類のモノで。
……私は、ノックをせずにゆっくりと、バレないようにドアノブを捻る。
そして、息を呑んだ。
耳に届くのは、水音。吐息。
鼻に付くのは、匂い。
目に入るのは、身体。
耳に届くのは、彼女が自らを掻き混ぜる水音。それと、それによって昂ぶっていることを示す嬌声。
鼻に付くのは、むせかえるほどの雌の匂い。
目に入るのは、彼女の肢体。彼女の痴態。
自らを慰め続ける憂ちゃんから、私は目が離せなかった。
――何分くらい眺めていただろうか。一度果てた憂ちゃんと鏡写しで視線が交錯し、私は我に返った。
四方八方、鏡尽くしの部屋。壁も床も天井も、鏡張りといって差し支えない部屋。
その部屋で、彼女は――唯の格好をした彼女は、覗いていた私を見て、微笑んだ。
そして、一人で行為を再開する。
私に見せ付けるように。私を誘うように。何度も視線が交錯する。鏡越しではなく、眼前の淫らな彼女と。
熱い。
身体が熱い。
聞こえるものが、匂うものが、見えるものが、全てが私を熱くさせる。
私自身の荒い吐息さえも、嚥下した唾の感触さえも、まばたきを忘れた瞳の乾きさえもが、私を昂ぶらせる。
自分が興奮しているという事実が、興奮してしまっているという事実さえもが、相乗効果で私を高みへ押し上げていく。
自身の湿りを感じた私は、無意識に、導かれるように部屋に足を踏み入れる。
彼女の蜜に、香りに、カラダに導かれるように。
みおちゃん、と私を呼び、喘ぐ、その声に牽かれるように。
――足を止めろ、と、どこかで声がする。とても弱々しく、消えてしまいそうな私の声が。
そんなことをして何になるんだ、と。
眼前の彼女をよく見ろ、と。何をしにきたのか思い出せ、と。
……しかし、そんなことは今更だ。わかりきったことだ。
彼女の前に膝を付き、呼びかける。
澪「……憂ちゃん」
憂「っ!……みお、さ……んっ」
助けを求めるように、私に縋るように見上げるその瞳を見て。
私は、自分がここに来たことが間違いじゃなかった、とようやく思えて。
そして、ようやく『解決』への道筋が見えた。
鏡張りの部屋。四方から自分の姿を映し出す、そんな部屋に閉じこもってしまった、唯の姿をした憂ちゃん。
そんな彼女の望み。願い。祈り。わかりきったそれは。
澪「……唯に、なりたい?」
頷く代わりに、首に手を回して甘えてくる憂ちゃん。
その身体は、唯と同じように温かくて。
……その温もりは、私の寂しさを埋めてくれそうで。
澪「……じゃあ、唯にしてあげるよ」
唯と同じように扱ってあげる。
唯と同じように接してあげる。
唯と同じように愛してあげる。
憂ちゃんを、唯にしてあげる。だから……
澪「……だから、私のことも、唯と同じように愛してくれる?」
本当は最初からわかっていたのかもしれない。こうなることを望んでいたのかもしれない。
憂ちゃんが寂しいように、私も寂しいんだ。
憂ちゃんが最後に唯と居た私を憎んだように、私も唯とずっと一緒に居た憂ちゃんが憎かったんだ。
憂ちゃんが唯に会いたいように、私も唯に会いたいんだ。
憂ちゃんと私の望みは、願いは、祈りは、一言一句の違いもなく同じなんだ。
だから、これがきっと一番いい解決法。
私も、憂ちゃんも満たされる、たった一つの道。
私達が唯と一緒にいられる、たった一つの。
……唇が近づく。
憂ちゃんの、唇。まだ、目の前にいるのは憂ちゃんだ。でもその唇が私に触れたとき、彼女は『唯』になる。
それで、私達二人は救われる。唯のいないこの世界で、私達は生きていける。
だって、仕方ないじゃないか。唯がいないんだから。
こんな、価値のない世界で生きていく方法なんて、もう他にないんだから。
だから、いいよね、唯……?
「――ダメぇっ!!」
澪「……へ?」
疑問を言葉にしたと同時、額に衝撃。
痛い、と言葉にする間もなく暗転する視界。辛うじて背中の感触で、自分が後ろにひっくり返るように倒れたのだということだけはわかった――
「――――ちゃん――」
「――みおちゃん!!」
澪「――ん……?」
憂「澪さん! よかった、大丈夫ですか…?」
額を赤く腫らした憂ちゃんが、私を心配そうに覗き込んでいる。
少し記憶が混乱したが、何よりもその赤く腫らした額を見て、すぐに思い出した。
澪「……憂ちゃんこそ、大丈夫?」
憂「痛いですけど……それよりも、気になることが…」
澪「うん……」
やっぱり、憂ちゃんにも『あの声』はそう聞こえたのだろう。
ダメ、と叫んだあの声。そしてこっちは現実味がないが、気を失った私を呼んでいたあの声も。
あれは……あの声は……
唯『……はい、ごめんなさい』
澪「ッ!? 唯!?」
憂「……はい?」
澪「あ、あれ? 今、唯の声が……」
そうだ、確かに唯の声が聞こえた。さっきと同じように、間違いなく。
……あれ? でもさっきは聞こえていたはずの憂ちゃんには聞こえていない?
唯『……あはは。こっちこっち、澪ちゃん』
澪「いや、こっちってどこだよ…」
憂「……?」
唯『みおちゃんのなか』
澪「……は? 私の中?」
憂「え、ええええっ!?」
私の中って……あれか? 憂ちゃんの時みたいに、私と唯が一つの身体に入ってるってことか?
澪「な、なんで!?」
消えたんじゃなかったのか? 最初から私の中にいたのか?? それとも???
ただ混乱する私の肩を憂ちゃんが掴み、揺する。
憂「お、お姉ちゃん!? いるなら出てきてよ!!」
澪「あう、ど、どうやって…?」
憂「目を強く閉じて、意識を静めていくんです。出るときは逆に、見えるものとか音とかに意識を集中させる感じで。やってみてください!」
と、とりあえず言われた通りに目を閉じてみる。呼吸も浅くして、音とかもなるべく意識しないようにして…
唯「お、澪ちゃんスジがいいね」
澪『……あれ?』
喋っていないのに口が動いている。いや、むしろ身体全体が動かそうと思っても動かないのに、動いてる実感だけがある。
……唯と入れ替わった、ということだろうか。
憂「おねえ……ちゃん……」
唯「……ダメだよ、憂。近づいちゃダメ、触っちゃダメ。私がいなくても…一人でちゃんと生きないとダメ」
涙を流す憂ちゃんを、唯は冷たく突き放す。
……私が口を挟んでいいシーンじゃないな。もっとも、口は動かせないんだが…
試しに心の中で唯に呼びかけてみるが、返事は無い。きっと『言葉にしよう』と意識しない限りは唯にも届かないのだろう。
変な言い方だが、これで安心して黙って見ていられる。邪魔しちゃいけない。
憂「…無理…だよ。そんなの……ずっと、ずっと一緒に居たのに……!」
唯「……いつでも見てるから。見ててあげるから。意味、わかるよね?」
憂「っ……おねえちゃん……」
唯「憂は私の自慢の妹だもん。頑張れるよ。ね?」
憂「………っ」
突き放し半分、激励半分のその言葉に、ついに憂ちゃんも諦めたように、しかし強く頷いた。
「これで最後だよ」と言い、頭を撫でてやる唯。涙を溜めながら、しかし愛しそうにされるがままの憂ちゃんを見ていると、やっぱり姉妹の絆の深さを見せ付けられているような気持ちにもなるけれど。
……それでも、憂ちゃんは最後に一礼して、着替えを持って部屋を出て行った。きっと、あれは私に向けた一礼。
一応、これで解決だろう。たっぷり間をおいて、今度は私が唯に問いかけてみることにする。
最終更新:2011年07月25日 22:32