「りーつー」
「なーにー」
「様子はどぉー?」
「変わらなーい。……ムギー」
「なーに?」
「そっちはー?」
「同じー、変わった様子はありませーん」
「はぁ……ホントに今夜来るのかー?」
「でもりっちゃん、梓姫様は今夜って言ってたわ」
「だよねぇ……はぁ、まぁ一応今夜はやっとこさ半分だからなぁ。……ん?あれ……?」
律皇子が呟いたその時、それまで静かにその姿を見せていた月の輪郭がぼやけ、小さな点が表れました
皇子が目を凝らして見つめていると、その点は段々と大きくなり、それが人影だと判断出来る頃にはそこから聞こえる雅楽の音が屋敷に響き渡っていました
「雅なる音色だが……律皇子!月からの使者なる者が現れたのか?」
「はい!真っ直ぐこちらに向かってきております!!帝!如何為されますか?」
「先ずは話し合いからだ。我も表に出る。皆のもの!配置につけ!油断するでないぞ!!」
「梓姫や、早く蔵の中へ」
「ここは私達と唯麻呂様が守りますからね」
「……あの、出来れば、唯麻呂様も一緒に。……その方が安心できるので……」
「ふむ……じゃがしかし、それでは……」
「良いではないか。宜しい、私が許可しよう」
「帝!本当ですか!?」
「あぁ。実際護衛をするのならそれが一番だからな」
「あ、ありがとうございます!!」
「なに、他ならぬ梓姫の頼み。断る筋合いなどございませぬ」
「帝!月の者が!!」
「わかった!すぐ行く!!
律皇子からの声に応じて帝が表へ出る頃には、使者はその姿形がはっきりと確認できるほど近づいておりました
「あれが月より参った者か」
「左様にございます」
「……出来れば、話し合いで解決したいのだがな……それにしても良い調べだ……」
「……そうですね……」
帝達は暫くの間その調べに耳を傾け、使者が近づくまで待ちました
そして、遂に使者は屋敷で一番高い松の頂にその身を置きました
「……そなたが月の使者か?」
「いかにも。名を和と言う。そなたは地上の帝か?」
「いかにも。ところで和殿、何故地上に参られたのだ?」
「……帝ともあろうお方が、わざわざそのような質問をされるのか?」
「なーに、戯れだ……。では率直に言おう。梓姫は渡さない。姫は我らにとって今では不可欠な存在なのだ」
「では私も率直に……。梓姫は連れて帰る。これは私に課せられた使命なのだからな!」
「では、交渉決裂……だな」
「そう……なりますな」
「律皇子!!紬皇子!!あの者を射落とすのだ!!!」
「「承知!!!」」
二人はそう応えると共に、弦を引きはじめました
それを見た使者は右の手の平に不思議な光を宿しました
「紬皇子!先ずは拙者から射るぞ!!」
「任せた!!」
「和殿!!早々に月へと戻るがよい!さすれば命は救おうぞ!!」
律皇子が上げた声と共に放たれた矢は緩やかな放物線を描きつつも、狙い違わず使者の右足へと一直線に向かいました
「刺さる!!」
地上の誰もがそれを確信していました
しかし使者は、迫り来る鏃にも全く動じていません。それどころか笑みまで浮かべています
その様子を見た地上の者達が訝しく思ったその時、使者は無言でそれに向かい手を翳しました
するとどうでしょう、手の平の光が徐々に大きくなりまるで使者を護るかのように包み込みました
そして、鏃がその光に触れた瞬間……
「な、なにぃっっっ!!!」
右足を狙っていた筈の矢はその縁を滑るかのように動き、使者の遥か後方へと飛び去りました
「ならば次は拙者が!これを喰らえぃ!!」
紬皇子はそう言い放つと矢を二本番えて放ちました
狙うは頭と心臓
矢はそれぞれ狙い通りに使者のそこへと向かいます
「どのような術を用いているのかはわからぬが、二本同時ならば防ぐ事も出来まい!」
「さぁ、どうかしら?」
するとまるで使者の呟きに会わせるかのごとく光が強まり拡がっていきました
そして二本の矢は同時に触れた途端その場で反転し……
「なっ!なにぃっ!?」
紬皇子が放った以上の速度で戻ってきました
「うわっっっ!!!」
慌てて身を翻そうとした刹那、一本は狩衣の脇腹を掠め、一本は紬皇子の烏帽子を貫き地面
に突き刺さりました
「紬皇子!大丈夫か!」
「あぁ……なんとか大丈夫だ!」
「予想以上に手強い……流石に月より来ただけはあるな。二人共!加減は無用だ!!」
「「おう!!」」
帝の号令に二人は次々と矢を射かけました
しかしそれらは全て光に阻まれ、ある物はあらぬ方へ飛び去り、ある物は地面や屋根へと突
き刺さりました
その間も使者は屋敷に近付き、矢の半分を射終える頃には律皇子の目前まで迫っていました
「チッ!仕方ない、私は一度退く!!」
「無駄よ」
屋根から降りようとした律皇子に向かい使者がそう告げ左手を翳しました
するとそこからも光が溢れ、律皇子の身体を包み込みました
「うわぁぁぁーーーー!!!!」
「律皇子!!!」
「……よくも皇子を!!」
「帝、安心して下さい、別に危害は加えておりませんよ。……ほら、ご覧になればわかるでしょう?」
「何だと……?」
使者に促され帝と紬皇子は律皇子を見ました
皇子を包み込む光が徐々に揺らぎ薄らいでいます
やがてそれは全て消え去り、そこには明らかに脱力した皇子の姿がありました
「律皇子!無事か!」
「ん~?まぁねぇ~。……ムギ~お茶くれぇ~」
「り、律皇子……?」
「あ~、和じゃないか~。一緒にお茶飲もうぜぇ~」
「おのれ!律皇子に一体何をした!!」
「……気になるのならあなたも体験してみれば良いわ」
使者はその言葉が終わるや否や一気に紬皇子の目前に降り立ち光を浴びせました
「うぉぉぉーーー!!!やめろぉぉぉぉーーー!!!」
皇子の叫びが辺りに木霊しました
帝達は、唯々見守る事しか出来ません
そして、先程同様に光が薄らぎ……
「りっちゃ~ん、お茶もうちょっと待ってねぇ~」
「えぇ~!?なんでだよぉ~」
「だって~、まだ私達しか居ないんだもん」
「あ~、それもそうだなぁ~」
そこには、律皇子同様に腑抜けた表情の紬皇子の姿がありました
「おのれぇぇぇぇーーー!!!よくも二人をこのような姿にしてくれたなっっっっ!!!」
「……それほどまでに怒るような事かしら?」
「黙れっっっ!!!飛び道具とはひと味違う拙者の刀を受けてみよっっっ!!!」
澪御主人は明らかに無防備な使者めがけて刀を振り下ろしました
その切っ先からは使者に引導を渡す喜びの歌声が聞こえます
「取った!!!」
そう確信した澪御主人は振り下ろす腕に更なる力を込めました
「流石、速いわね……。でも、無駄よ」
使者が落ち着き払った口調でそう言うと同時に刃が光にめり込み使者へと迫りました
が、しかし……
「ぬぉっ!?」
使者の目前まで迫った刃は光の膜に阻まれそこから先へと進む事が出来ません
「残念だけど、ここまでね。じゃ、あなたも二人と同じようにしてあげるわ」
「あぁっ!や!やめろぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
訪れる静寂
そして光が収縮したその後には……
「……ん?唯と梓はまだ来ていないのか」
「おやぁ~、その口調からすると……澪しゃんもティータイムが待ち遠しいんでちゅかぁ~?」
「律と一緒にするなっ!……まったく……私はベースのチューニングするぞ!」
「へいへい……ま、実際二人が来なきゃ始められないからなぁ~。私もドラムの調子チェックしとくか」
「あ、じゃぁ私もキーボードの……する必要は無いわね……ショボーン」
「な、なんという恐ろしい技なのだ……」
「恐ろしい?私としては平和的に事を解決できる素晴らしい力だと思いますが」
「だからこそ、だ。聞くが、皆は元に戻るのであろうな」
「えぇ。戦う気勢を削ぐだけですので、半刻から一刻あれば戻りますよ」
「嘘ではあるまいな」
「……一度味わえばわかりますよ」
「そんな物を頂く気など毛頭無いがな」
「そうですか……ですが、嫌でも味わってもらいますよっ!!」
使者の言葉を合図に、二人の戦いが始まりました
先手を取ったのは使者は、先程までと同様に帝へ光を放ちました
しかし帝は動ずることなくその光を持っていた鏡で反射させました
「その鏡は……『八咫鏡』!?という事は首に掛けられた勾玉と手に持つ剣は……」
「その通り、『八尺瓊勾玉』と『天叢雲剣』だ」
「……まさか三種の神器を持ち出してくるとは思いませんでしたよ」
「相手の実力が不明だからな、用心に越したことは無いと思って準備をしたのだが……正解だったな!!!」
そう言い放つと同時に帝は使者へと切りかかりました
それを見た使者は即座に光を拡げ僅かに身を翻します
瞬間、剣が光と共に衣の裾をを切り裂きました
「見事……今の一撃を躱すとはな」
「……その剣の噂は、月でも有名でしたからね……」
「成る程……だが、次はそうもいかぬぞ!!!!」
帝は目にも留まらぬ速さで剣を繰り出します
が、使者はそれを上回る速さで剣をかわし続けました
「避けて、ばかり、では、勝利、できぬ、ぞ」
「……さて、そうでしょうか」
「では、どのように、して、勝つ、のだ?」
会話を交わす間も休むことなく、帝は剣を振り続けます
「せいっ!たぁっ!とぉっ!」
ですが、その切っ先は使者はおろか最初に切り裂いた衣ですら掠めることが出来ません
「てやっ!ハァ……ハァ……えいっ!ハァ……ハァ……」
「そろそろですね。帝、あなたの負けです」
「ハァ……ハァ……世迷い言をっ!!」
「……周りをよく見てください」
「……なにぃっっっ!!!」
気付くと、帝は使者の放つ光に囲まれていました
「……鏡や剣で対処出来る光はごく一部だけ、全ての方向からの光を防ぐことなど出来ません」
「だが無駄だな、勾玉の存在を忘れていたとは言わせぬぞ」
「えぇ、忘れてはいませんよ」
「では何故?妖しげな術は勾玉によって全て封じられるのだぞ」
「それは『悪意を持つ術』にのみ有効ですよね。……残念ながらこの『光』に悪意は僅かもありません」
「な、なんだとぉ!!」
「では、そろそろ終わりにしましょうか」
使者はそう宣言すると、左の手の平を帝に向けて光を放ちました
「小癪なっ!せいっ!!ていっっ!!」
帝は迫りくる光を反射しながら切り裂き続けました
しかし……
「ハァ……ハァ……、う……あ……ヒィッ!……やめろ!くるなぁっっっ!!……あっ!あぁっっ!!ぐぁぁぁぁーーーーー!!!!!」
遂に帝は力尽き、光に飲み込まれてしまいました
先程までと同様に訪れる沈黙
やがて包み込む光は徐々に小さくなってゆき……
「ふぅ……今日も疲れたわぁ~。……ってあなた達!何やってるの!?」
「何って……チューニングですけど……」
「それはわかるわよぉ。私が聞きたいのは、なんでお茶していないのかってことなのぉ」
「いや、まだ唯と梓が来てないし。てゆーかさわちゃん、その発言は顧問としてどーよ」
「あら、そうだったの。じゃぁ、仕方ないわね……私はのんびりと待たせてもらうわ~」
「……ハァ」
「りっちゃんどうしたの?溜め息なんかついちゃって……」
「え?あぁ、ムギか……いや、なんでもない。……ツッコミ入れたら負けのような気がするし」
「そ、そうなの?」
「早く来ないかな~♪」
「……これで大丈夫ね。さて、と」
使者は帝達の様子を見て満足げに頷くと、屋敷の中へと足を踏み入れました
「……あそこね」
視線の先には重厚な蔵の扉、そして……
「あ、梓姫は渡さんぞ!」
「そ、そうですとも!」
最後の砦となるべく蔵を守る、翁と嫗の姿がありました
「……そこをどきなさい」
使者は二人の前にゆっくりと歩み寄ります
「い、いやじゃ!!絶対に動かんぞ!!!」
「梓姫を連れていかないで下され!!」
「では……仕方ありませんね」
使者は手の平を二人に向け、光で照らしました
「ぬおっ!か、身体が……!」
「……あぁ、これでは梓姫が……」
光を浴びた二人の身体は座り込んだ姿勢のそのままに床の上を滑り、使者の隣へと運ばれました
最終更新:2011年08月18日 20:45